森を歩く。木漏れ日が照らすのはわずかな場所、あとは静かな闇のまま。


 #MeToo というハッシュタグを、Twitterのタイムラインで頻繁に目にするようになった。思えばこの一年国内外問わず、とりわけ性被害や犯罪に対して声があがった年だったのではないだろうか。
 こうした性被害の報道がなされる度に、必ずといっていいほど「危ないので、女性が夜一人で歩くのはやめましょう」という声かけを聞く。けれども「男性が夜、出歩くのはやめるべき」という声はほとんど耳にしない。どちらも的を得た意見ではないにせよ、やはり“女性が慎むべき”という風潮を感じてしまう。そしてまた、男性も性犯罪の被害に遭うかもしれないという視点も欠けてしまっている。
 この言葉を更に突き詰めていくと、“自分は加害者ではない。だから意見を言える”という意識が見え隠れするときがある。けれども私たちは身の回りで、「これってパワハラ?」「もしかしてセクハラ?」という言葉や行動を目にしたことはないだろうか。そしてそれを目撃した一人として、疑問をしっかりと呈してきただろうか。もしかするとセクハラ、パワハラ、何かしらの差別や犯罪に気づかないまま見過ごすこともあるかもしれない。そう考えると私たち誰しもが、当事者でありうる問題ではないだろうか。
 こうして次々と声があがると、「声をあげられない私がいけないのかな」と、被害者が自分を責めてしまうことがある。彼女たちに何度でも繰り返し伝えたい。「あなたが自分を責める必要はない」と。最も苦しんでいる人たちに、更に声をあげることまで強いないために、私たちは想像し続けたい。いまだ声さえあげることができない無数の苦しみと沈黙があることを。
 今年は刑法が改正され、被害者が告訴しなくても、性犯罪の加害者を起訴できるようになった。法改正は飽くまでも一歩。取り巻く人の意識が問われている。もうすぐやってくる新しい年を、もっと優しい一年にするために。

立ち上がった花たち。枯れないように、支えたい。