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亀のみぞ知る―海外文学定期便―

2018年7月31日 亀のみぞ知る―海外文学定期便―

(1)カーヴァーについて語るときにエヴンソンが語ること

Raymond Carver's What We Talk About When We Talk About Love by Brian Evenson

著者: 柴田元幸

柴田元幸です。この場では主として海外文学について、新しく読んだ本や仕入れた情報などを紹介していきます。で、なぜ「亀」かとゆうと、MONKEYなぞという雑誌の責任編集を務めてはいるものの、前世は亀だったと確信しているからです。

 ニューヨークを拠点とするig publishingという小さな文芸出版社が、Bookmarkedというシリーズを出している。現役の作家が、若いころに読んで衝撃を受けた本を取り上げ、その本について、(日本語に訳したら200ページくらいになりそうな)短めの本を書く。ラインナップは、だいたいは日本でも訳されているたぐいの本で、F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、カート・ヴォネガット『スローターハウス5』、スティーヴン・キングの短篇「スタンド・バイ・ミー」

 igの社長によると、シリーズのヒントになったのは、イギリスのBloomsburyから出ている、ロックの名盤を誰かが一枚取り上げてそれについて詳しく書くシリーズ“33 1/3”だそうである(僕もこのシリーズでは、Andy MillerのThe Kinks’ The Kinks Are the Village Green Preservation Societyを非常に面白く読んだし、村上春樹さんはジム・フジーリの『ペット・サウンズ』を訳している)。

 で、Bookmarkedのシリーズ、取り上げられている対象は有名どころが揃っているのだが、若手・中堅作家が並ぶ書き手の方は浅学にして一人しか知らない。でもその一人というのが、いま次々刺激的な仕事をしているブライアン・エヴンソンで、しかも取り上げた本がレイモンド・カーヴァーのWhat We Talk About When We Talk About Love(『愛について語るときに我々の語ること』)だったので、もちろんすぐ読んだ。そして非常に面白かった。

 読みはじめる前は、一冊の本についての思いの丈を、短めとはいえまる一冊語るというのはちょっと長すぎるんじゃないか、と危惧したのだが、それはまったく杞憂だった。なぜならただ単に「思いの丈」を語る以外にも、カーヴァーについて語るときにエヴンソンが語ることはたくさんあるのだ。そのいくつかを、エヴンソンを主語にして並べてみると

(1)カーヴァー短篇を初めて読んだとき自分はまだモルモン教徒であり、モルモン系の大学ブリガム・ヤングの一年生で、授業で“Nobody Said Anything”(邦訳題「サマー・スティールヘッド(夏にじます)」、『頼むから静かにしてくれWill You Please Be Quiet, Please? 所収)を読み、モルモン系大学の教室ではめったにお目にかからない内容・書き方に衝撃を受け、『頼むから静かにしてくれ』全篇を読んでもっと衝撃を受けた。

(2)この人の本をもっと読もうと書店に行ったら、Cathedral(『大聖堂』)とWhat We Talk About When We Talk About Loveという二つの短篇集があった。元々、すでに読んだ本のタイトルWill You Please Be Quiet, Please?のなかのPleaseの反復が面白いと思っていたので、What We … にも同じような反復があるのを見て(それと、What We …の方が2ドル安かったので)こっちを買った。もちろんあとで『大聖堂』も読んだが、もしこの時点で『大聖堂』を読んでいたら、「よく出来た短篇集だなあ」と感心はしただろうが、『愛について…』を読んで感じた驚き、不安、戸惑いのようなものは感じなかっただろう。あそこで『大聖堂』を読んでいたら―つまり、あそこで『愛について…』を読まなかったら―人生はだいぶ変わっていたと思う。

(3)いま読んでも、『愛について…』に収められた短篇は素晴らしいと思う(というか、カーヴァーが死んだ年齢も超えたいまは、また別の素晴らしさが見える)。そのうち何点かは、編集者ゴードン・リッシュが大幅に手を入れていて、カーヴァーが書いた作品とはほとんど別物になっている。手を入れる前のバージョンはカーヴァーがもう一度推敲して後日(まさに『大聖堂』で)出版したわけだが、個人的には、温かみ、優しさの感じられる「カーヴァー・バージョン」より、暴力的に突き放した「リッシュ・バージョン」の方がいいと思う。

 どういいと思うかについて、エヴンソンは個々の作品を取り上げて詳しく述べている。たとえば、“Why Don’t You Dance?”(「ダンスしないか?」)のなかの一文について、こんなふうに述べている:

When I first read it, I marked not moments where something significant happens plot-wise, but moments like this: “Why don’t you kids dance? he decided to say, and then he said it. ‘Why don’t you dance?’” Another writer might have chosen to drop that last sentence, thinking “and then he said it” was enough. But Carver’s repetition adds humor and the slight variation, both keep it from being too absurd a repetition and also suggests a disjunction between thought process and speech. He’s decided to say something, and then he says it. Only he doesn’t say exactly what he’s decided to say. Why? I couldn’t help but momentarily wonder. That interaction of repetition and variation is one of the things that Carver does exceptionally well, and at just the right times. (Brian Evenson, Raymond Carver’s What We Talk About When We Talk About Love: Bookmarked, 2018)
(初めて読んだとき、私は物語上意味ある出来事が起きる箇所ではなく、たとえば次のような箇所に印をつけた。「君たち、踊らないか? と彼は言うことに決め、そしてそれを言った。『踊らないか?』」。ほかの作家であれば、最後の「踊らないか?」は削ることにするかもしれない―「そしてそれを言った」で十分だからと考えて。だがカーヴァーの反復はユーモアを加え、わずかな変奏を作り出す。その両者が、反復があまりに馬鹿げたものになることを防いでいるし、思考過程と発話とのあいだの分裂を示唆してもいる。彼は何かを言おうと決め、そしてそれを言う。ただし、言おうと決めたことをまったく同じには言わない。なぜか? 私はしばし問わずにはいられなかった。反復と変奏のそういう相互作用をカーヴァーは非常に得意とし、しかもそれを絶妙のタイミングでやってのける。)

 これはおそらく、エヴンソンがカーヴァーから学んだ大きなポイントである。エヴンソンの小説を読んでいると、jarringと言うほかない、大したことは何も言っていないのになぜか落ち着かない気持ちにさせられる言葉の並びにしばしば出会うが、考えてみればそれは、カーヴァーの初期作品を読んでいてもたびたび感じることである。

(4)ゴードン・リッシュといえば、当時、作家を志す若者たちにとっては神様のような存在で、折しもThe Quarterlyという文芸誌を始めたばかりで、この雑誌に載ることが創作科で学ぶ学生にとっては大きな夢だった(僕〔柴田〕もこの雑誌でリック・バスの「見張り」〔『世界の肌ざわり―新しいアメリカの短篇』所収〕を読んで驚愕した)。自分の周囲でも、リッシュに原稿を読んでもらったり、実際The Quarterlyに作品が載ったりした先輩学生もいた。

(5)とはいえ、リッシュがおそろしく専制的で、絶対的服従を強い、彼の提案する直しを拒もうものならあっさり切り捨てられる、などといった恐ろしい話も広まっていた。そういうやり方の編集者と、自分は仕事がしたいだろうか

(6)そんなある日、夜中にリッシュから電話がかかってきて、「ニューヨークに来なさい、私の下で修行したら、君をアメリカ一の作家にしてみせる」と言われ、創作科仲間にそのことを話してみると

 そして事実リッシュは、エヴンソンの最初期の著書を編集することになる。それに加えて、リッシュによるカーヴァー作品書き直しの事実をエヴンソンはいち早く嗅ぎつけて興味を持ち(1998年にD・T・マックスの暴露記事が『ニューヨーク・マガジン』に載る前のことだ)、カーヴァーの生原稿を保管している図書館に通って詳しく調べ、結果を刊行しようとしたのだが、カーヴァーの未亡人テス・ギャラガーに拒否されて掲載許可がもらえず

 というわけで、まず一人の作家が一冊のすぐれた本をじっくり論じる、という一番肝要な条件が十分クリアされた上で、非常に興味深い創作上の裏話が詰まっている本なのである。

 この本が出たのが、2018年の4月。エヴンソンはほかにも、2017年4月に、もう一人の作家ジェシ・ボール、画家リリ・カレと組んで、ヘンリー・キングという一人の男がいろんな死に方をする、26人の子供がいろんな死に方をするエドワード・ゴーリー『ギャシュリークラムのちびっ子たち』へのオマージュのような作品を出し(The Deaths of Henry King, Uncivilized Books; このおよそ三分の一を雑誌『MONKEY』14号に拙訳で掲載した)、2018年3月には短い「報告」を連ねた小冊子ReportsThe Cupboardから出版し(うち「象に関する報告」の拙訳を『MONKEY』12号に掲載)、無料で頒布され、入手した人は何らかの慈善行為をするのがルール、というユニークな本に中篇を寄せ( “Baby Leg,” in Evenson & Paul Tremblay, Another Way to Fall, Concord Free Press)…等々いろんなことをやっていて、そのどれもが、それぞれ違った形で素晴らしい。そしてそれを言えば、『遁走状態』『ウインドアイ』と物凄い短篇集を2009年、2012年に出したのち、2016年に出したA Collapse of Horsesはさらにそれを上回ると言ってもいい凄さだった。こういう並外れた仕事をやっている人の訳者になれて、つくづく自分は幸運だと思う。

遁走状態

ブライアン エヴンソン/著
柴田 元幸/訳
2014/2/28

ウインドアイ

ブライアン エヴンソン/著
柴田 元幸/訳
2016/11/30

 

最新情報

エドワード・ゴーリー『失敬な招喚』とポール・オースター『インヴィジブル』の翻訳を終えて校正中。8月1日(水)午後8時より、ライムスター宇多丸さんのラジオ番組「アフター6ジャンクション」(TBS)に出演予定。9月29日(土)、30日(日)には世田谷美術館にて朗読劇『銀河鉄道の夜』に出演します。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

柴田元幸
柴田元幸

1954年生まれ。翻訳家。文芸誌『MONKEY』編集長。『生半可な學者』で講談社 エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。2017年、早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。

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