漫画の「ドラえもん」に「ニクメナイン」という話があります。この薬を1錠のむと、しばらくとっても感じのいい人物になります。その反対が「ムシスカン」で、のむと誰にも嫌われます。2つの薬は紛らわしく、騒動の元になります。
私はこの話を小学校の時に読みました(てんとう虫コミックス第8巻)。そして、「憎めない」の反対は「虫すかん」であることを学びました(と思った)。家族に対して、「どうも僕、あの友だちのことは虫すかんになる」などと言っていました。
これは私の使い方がおかしいので、もちろん「虫が好かない」が普通の形です。作者の藤子・F・不二雄も、作品中でドラえもんに解説させています。
〈にくめないやつっているもんだ。こんちくしょう!と、思っていても そいつの顔を見ると、おこれなくなるような。その反対もあるよね。虫のすかないやつ。そいつはべつに悪くないのに、顔見ただけでしゃくにさわるやつ〉
ここをちゃんと読んでおけば、私も使い方を間違わなかったでしょう。
それにしても、自分の気持ちに関する話で「虫」が出てくるのは不思議です。「虫が好かない」のほかにも、「虫が知らせる」「虫の居所が悪い」「虫がいい」などなど、「虫」のつく慣用句はたくさんあります。
この「虫」とは何か、疑問を持つ人は多いようです。日本語関係の本でもよく言及されています。「人の体内には、感情に影響を与える虫がいるのだ」といった漠然とした説明が多い中で、作家の丸谷才一は、古代中国の思想と結びつけて説明しています。
〈中国の道教では、人の体内に三匹の虫が住んでゐると考へました。〔略〕すなはち
「虫が好かない」の「虫」は、古代中国までさかのぼる? ちょっとそれは話が壮大すぎはしないだろうか。私はこの点に引っかかりました。
今日、日本の一般庶民が気軽に「虫が好かない」「虫がいい」などと言っている、その慣用句の出もとが中国の道教の思想というのは、かなり距離が感じられます。この距離が、飛躍なくちゃんと埋まるのかどうかが問題です。
結論から言うと、埋まるんですね。
中国では、その3匹の虫は、カレンダーが
江戸時代、この庚申の日の習俗が一般化します。落語に「
「虫が好かない」「虫が知らせる」などの慣用句が多く作られるようになるのは、17~18世紀のことです。庚申待がイベント化した時期と重なります。庶民の庚申信仰を基に、「虫」に関する慣用句が増えていったと考えて、おかしくありません。
丸谷の文章に立ち返りましょう。
〈江戸時代になると、人間の体には九つの虫がゐて、これが心のなかの意識や感情を呼び起すと信じられたのですね。「腹の虫」とか「心の虫」とか「虫の知らせ」とかいふのはこれであります〉
3匹の虫が9匹に増えていますが、中国唐代にすでにそう考えられていたようです。虫が何匹かは、この際置いておきます。
ともかく、これで説明がつきました。「虫が好かない」とは、体の中にいる虫が嫌悪の感情を呼び起こすこと。「虫が知らせる」とは、その虫が何かを予知して宿主の人間に知らせること。「虫の居所が悪い」とは、虫が安楽な場所に落ち着いていないで、不愉快な感情を呼び起こすことだと考えられます。
この中で分からないのが、「虫がいい」です。虫が意識や感情を呼び起こすのなら、虫がいい状態であれば、好ましい感情を呼び起こすはずです。でも、なぜか「自分勝手だ」という意味で使われます。丸谷も、これについては十分な説明をしていません。
評論家の森本哲郎は、『日本語 表と裏』で「虫がいい」について論じています。
〈体内の虫がいい気になっているというわけであろう。その虫のいいなりになって身勝手に振る舞うのを「虫がいい」というのである〉
ちょっと分かりにくい表現ですが、「体内の虫をいい気分にさせるように振る舞う」ということでしょうか。まあ、そんなところだったかもしれません。
もともと、日本語には、いい気分になって行動すると、自分勝手になってしまうという捉え方があります。「いい気なもんだ」という表現がまさにそれです。
「源氏物語」では、光源氏の息子の夕霧が、恋しい女性にいい気な手紙を送る場面があります。相手の女性は、夕霧のことを〈心地
平安時代の「心地良顔」と、後世の「虫がいい」とは、「自分だけいい気分になっている」と批判的に見ている点で、ひとつにつながっています。
なお、長谷川雅雄他『「腹の虫」の研究』は、庚申信仰に止まらず、江戸時代の「虫」の考え方について詳しく述べています。ここでは紹介する余裕がありませんでした。
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飯間浩明
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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著者プロフィール
- 飯間浩明
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国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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