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分け入っても分け入っても日本語

「銀ブラ」とは何のことですか。答え、東京の銀座通りをぶらぶらすること。
 と、分かっている人には1行ですむ話が、近頃はややこしくなっています。「銀ブラの語源は別にある」とする珍説が、インターネット上に拡散しているからです。その珍説とは、「『銀ブラ』は、銀座でブラジルコーヒーを飲むことだ」というもの。これはまったく根拠のない説で、厳しいことばを使えば「ガセ」と形容すべき説です。
 今回の狙いは、「銀ブラ」の語源の確認にとどまりません。情報が「ガセ」かどうかを判断する方法や、「ガセ」を容認する危険についても触れます。
 まずは、「銀ブラ」の語源。これは辞書に当たるのが基本です。『日本国語大辞典』第2版に出てくる最古例は『新らしい言葉の字引』(1918年)という新語辞典で、〈銀ブラ 銀座の街をぶらつく事〉とあります。大正生まれの新語です。
 俗語辞典の類では、『秘密辞典』(1920年)にも〈【銀ぶら】銀座街頭をぶらぶら散歩すること。東京学生語〉と記されています。辞書類はこの語源説で一致しています。
 一般の文章では、水島『新東京繁昌記』(1924年)の記述が早い例です。関東大震災後の銀座を散歩街とすることに関連して「銀ブラ」に触れており、「銀座をぶらぶら」の意味が前提となっています。ただし、語源に関してはこう記します。
〈『銀ぶら』という言葉は、その最初三田の学生の間で唱えられたものだともいうし、また玄文社の某君の偶語〔=たまたま語ったことば〕に出たものだともいう〉
 このように、誰が言い出したかは当時から諸説ありました。また、「銀座をぶらぶら散歩する」という用法以前に、「銀座をぶらぶらする地回り(=ならず者)」という用法があったともいわれます。だとしても、「銀座をぶらぶら」→「銀ブラ」という、この一点に関しては、「諸説」はなく、まとまっていました。
 ちなみに、上記の引用のように「銀ぶら」とひらがなで書くのも普通でした。このことも、「銀ブラ」が「ブラジルコーヒー」と関係がないことを補強します。
 ところが、1990年代末から、銀座のカフェが、この店でブラジルコーヒーを飲むことが「銀ブラ」の語源だと主張しはじめました。「銀座でブラジルコーヒー」→「銀ブラ」というわけ。この説は、21世紀になって、ネット上で拡散されました。
 この説がこじつけだということは、私もツイッターなどで何度か言及しました。すると、あるネットニュースの記者から、この店のウェブサイトを示されました。
「このサイトに、『銀ブラ』の語源は『銀座でブラジルコーヒー』だという資料が出ています。これをお読みになっても、お考えは変わりませんか」
 そのサイトなら、私は以前から知っていましたが、記者がそのサイトの資料をある程度評価しているらしいのが気になりました。何しろ、その資料では、「銀ブラ」の語源については一言も記されていないからです。
 資料は3つ出ていました。1つめは、前出の『新東京繁昌記』で、〈「銀ブラ」という言葉は其最初、三田の学生の間で唱えられた。〉と、原文が途中で切られてマルがついています。原文の「銀ぶら」も「銀ブラ」になっています。ひらがな書きか、カタカナ書きかは大事なところなのに。そもそも、「銀座でブラジルコーヒー」のことは、この資料では言及されていません。
 資料の2つめは、佐藤春夫『詩文半世紀』(1963年)。ここでは、佐藤が学生時代にこの店で〈コーヒー一杯にドーナツ〉で過ごしていたことが書かれています。でも、サイトの引用では省略されていますが、他の学生たちは別の店で過ごしていたという記述もあります。そして、「銀座でブラジルコーヒー」説には言及がありません。
 資料の3つめは、安藤更生『銀座細見』(1931年)。次のように記されています。
〈銀座を特別な目的なしに、銀座という街の雰囲気を享楽するために散歩することを「銀ブラ」というようになったのは大正四年頃からで〔下略〕〉
 これはむしろ、「銀座をぶらぶら」が語源であることを示す資料です。なぜこれが「銀座でブラジルコーヒー」の資料として示されているのか、理解に苦しみます。
 このほか、論者によっては、小島政二郎『甘肌』(1954年)の記述を根拠とする場合もあります。銀座を散歩する学生が〈五銭でブラジルのコーヒーを飲ます〉店に行くという記述があるからですが、これが「銀ブラ」の語源とまでは書いていません。むしろ、この『甘肌』は、「銀座をぶらぶら」が語源だと示唆しています。
〈授業が終ると、三田の通りから芝公園を抜け、かげちょうの狭い通りをブラ/\歩いて、芝口から新橋を渡って、銀座へ出る。/これを銀ブラと云い出したのは、なりろくの造語であった〉
 つまりは、「銀座でブラジルコーヒー」説の主張者が用意した資料の中に、その語源説を示す記述が1文字もないという有様なのです。反対に、「銀座をぶらぶら」の略であることについては、上述の資料をはじめ、数多くの証拠があります。こんな状況なのに、「銀座でブラジルコーヒー」説が堂々とまかり通っているのは不思議です。
 話は、ネット上だけにとどまりません。「銀座でブラジルコーヒー」説は、テレビ番組でも繰り返し取り上げられています。その中には、視聴率の高いドラマや、人気のクイズ番組なども含まれています。多くの場合は「諸説あります」というエクスキューズをつけて、責任を回避しようとしています。でも、合理的な説とまったくのガセを混同するずさんさは罪深く、「諸説あります」と言って逃げることは許されません。
「銀ブラ」の事例を観察してみると、情報がガセかどうかを判断するためにぜひ必要なことが分かります。それは、主張者が根拠とする資料に、その主張を支える情報が書いてあるかどうか、確かめてみることです。
「『銀座でブラジルコーヒー』が語源、という資料がある」と言われたら、差し出されたその資料に、ざっと目を通してみます。もし、資料の中に証拠となる記述がなければ、その主張は議論の対象になりません。
「何もそんなにムキになって、目くじらを立てることはないでしょう。『銀ブラ』の語源が何であっても、べつに困る人はいませんよ」
 そんな意見があるかもしれません。もちろん、「銀ブラ」の語源がどうあろうと、それだけで社会に大きな影響を与えるとは思われません。
 ただ、「ある情報が正しいかどうかは、大した問題ではない」という考え方に慣れるのは危険です。いったんそういう姿勢をとると、他のさまざまな情報の真偽についても鈍感になっていきます。ひいては、誤った情報に基づいて、重大な問題を判断することにもなりかねません。
 「銀ブラ」の場合、一方に「銀座をぶらぶら」が語源という根拠のしっかりした情報があり、もう一方に「銀座でブラジルコーヒー」というまったく根拠のないガセ情報があります。どちらを重視すべきかは、情報リテラシーの初級問題です。「銀座をぶらぶら」という語源を疑う理由はありません。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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