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分け入っても分け入っても日本語

 スミレって、スミレって、どんな花だと思うだろうか。スミレの花咲く頃によく観察してみればいいけれど、都会に暮らす研究者にはなかなかその機会がない。それで、語源についての説明がすっきりしないのではないか。私にはそう思われます。
 花の大きいパンジーは、学校や公園の花壇に植わっているので、誰しも記憶にあるはずです。パンジーは別名、三色スミレ。一方、いわゆるスミレは、硬貨ほどの大きさで、濃い紫色の花です。近づいて観察することがなくて、花の形もおぼろげだ、という人も多いのではないでしょうか。
 スミレの形についてはしばらく置くとして、語源については、「墨入れ」から来ているといわれます。『日本国語大辞典』(日国)第2版の説明はこうです。
〈和名は「すみいれ」の略で、花の形がすみつぼに似ているところからこの名がある〉
 「墨入れ」「墨壺」とは何か、ざっくり説明しておくと、板に直線を引くための大工道具のことです。本体には墨をぐっしょり含ませた綿が入れてあります。そこから糸を長く引き出して、パチンと弾いて板に当てると、直線が印されます。この道具はまた「墨縄」とも言います。
 ところが、ネット上では、この「墨入れ」説について、「植物学者の牧野富太郎の説だが、定説ではない」と記すウェブサイトが複数あります。
 定説でない、と言われても、最大の国語辞典である『日国』に堂々と書いてあるし、ほかに『大辞林』『大辞泉』にもほぼ同様のことが出ています。事実上の定説と言っていいんじゃないかと思いますが、ネットでは必ずしもそう理解されていません。
 では、どういう説ならいいのか。一部のウェブサイトでは、「相撲取れ」という意味の古語、「スマイトレ」の略だと言います。2本のスミレの茎を絡ませて引っ張り合う遊びがあり、そのかけ声が「スマイトレ」だった、これが変化して「スマイッレ」「スミレ」になったという主張です。たしかに、子どものそういう遊びはあります。でも、残念ながら、この結論は無理です。
 スミレは、古くは奈良時代の「万葉集」にも出てくる花です。「相撲取れ」は、当時の発音なら「スマフィトレ」に近い音になります。奈良時代以前には、「スマイトレ」「スマイッレ」のように、語の途中に「イ」「ッ」が入ることはありませんでした。日本語の音の歴史から言って、この説は簡単に否定されます。
 「墨入れ」説に対する異論は、学術的な方面からも出ています。佐藤亮一監修・小学館辞典編集部『方言の読本』(小学館)の記述を見ましょう。
〈各地の方言集にも『日本言語地図』にもスミイレの語形は皆無であり、墨入れが古代の民衆の生活に無縁の物であることからしても、この語源説はいかがかと思われる〉
 さて、どうなんだろう。「墨入れ」ということばは、確かに古代の文献にも、方言にもなくて、確かな例といえば明治以降のものになります。でも、道具自体は古代からありました。道具の名前が古代から明治以降までずっと使われたと考えても、不自然ではありません。また、民衆の生活に大工道具が無縁だったとも考えられません。
 「墨入れ」説は誰が言い出したのでしょう。ネットの言うように、牧野富太郎も述べています。『牧野日本植物図鑑』(1940年)にはこうあります。
〈和名「すみいれ」の略にして、その花形、大工のもちうる墨壺に似たるゆえふなり〉(原文カタカナ。文字遣い改める)
 ただし、牧野が首唱者ではありません。「墨入れ」説は、早くは江戸時代の文政期、1830年の『ぐさの根ざし』という書物に紹介されています。
〈伴氏〔=国学者・ばんのぶとものこと〕の説に、この草の花の形、工匠の具のすみつぼに似たれば、「墨入すみれ」の意にて、「すみれ」とも「つぼすみれ」とも言へるなるべしといへり〉
 このように「墨入れ」説は、江戸時代から種々の文献に出てきます。そして、現代の辞書類もこれを支持しています。「スミレ」の語源説はいくつかありますが、まともに検討に値するものは、昔から「墨入れ」だけです。それなのに、どうしてネットでは「定説ではない」と言われてしまうのか。
 それは、辞書類の説明のしかたが悪いんですね。
 辞書類では、スミレの「花の形が墨壺に似ている」と述べます。でも、スミレの花って、そんな大工道具なんかに似ているでしょうか。スミレの花弁は星形で、角が丸い形です。一方、「墨入れ」「墨壺」は、墨を綿に含ませて溜めておく部分と、糸を巻き取るリールからできています。花の形と道具の形は、似ても似つきません。見たところ似ていないものが、語源的に関係があると言われても、困りますね。
 これは「花の形」と説明すべきではないのです。実は、スミレの花の後ろ側には、しっぽのような、指のような、奇妙な突起があります。これは「きょ」というもので、ここに蜜が溜まります。昆虫は、花の入り口からこの中までこうふんを伸ばして蜜を吸います。この「距」が、ちょうど墨入れの墨を溜める部分にそっくりなのです。
 「距」を持つ花は、スミレのほか、ツリフネソウ、ヒエンソウなどがあります。でも、よく目にする花と言えばスミレです。「距」はスミレの特徴と言えます。
 ネットでは、昔の墨入れは後世とはデザインが違い、「距」はこれに似ていなかったはずだ、という意見もあります。でも、古代の墨入れは多く残っておらず、当時どんなデザインがあったか、よく分かりません。それよりも、スミレの蜜を溜める「距」と、墨入れの墨を溜める部分との、役割の近さが注目されます。墨入れを連想させる「距」を持つ花だからこそ、これを「スミレ」と言ったというのは、無理のない考え方です。「スミレ」は「墨入れ」からという定説は、受け入れてもいいでしょう。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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