会社ってェ奴は2
この買う買う詐欺は、個人的に大いに勉強になったが、私の父親が「あこぎなやり口」に怒って、広告代理店に苦情を申し立てると言い出した。
すでに書いたが、当時、私の父親は、東芝という会社に勤めていた。父は、ベータ・VHS戦争のとき、ビデオ営業部長の職にあり、侍大将として奮戦したが、ベータ陣営が敗北した直後、左遷され、地方の閑職に回された。よく映画などで、サラリーマンが左遷されて、窓のない書庫で書類の整理をさせられる、というようなシーンがあるが、まさにアレである。
就職氷河期に、数えるほどしかいない「大卒」として東芝に入社し、同期の出世頭として、広告課長、ニューヨーク駐在員などを歴任したが、「敗戦」の責任を個人に押し付ける社風の下、父の会社人生は終わった。会社人間にとって、会社での出世の望みが断たれることは、人生そのものの終わりを意味した。そんなに深刻になることないじゃないか、ゆっくりと趣味にでも浸ればいいじゃないかと、思われるかもしれないが、「モーレツ社員」という言葉が生まれた時代に日本の第三次産業革命を牽引していた人の多くは、私の父と同じような生き方をしていたのだと思う。会社から見捨てられた父は、やがて、借金を重ねるようになり、アルコール依存症となり、母からは離縁され、友人たちも離れて行った。
父は広告課長を務めていたため、買う買う詐欺の大手広告代理店のことも良く知っていた。昔は今と違い、東芝の広告部に大手広告代理店の担当者のデスクがあり、朝から東芝に常駐していた。その東芝担当だった人は、広告代理店の中でぐんぐん出世し、取締役になっていた。
「あんまり酷いから、〇〇君に文句を言ってやろう」
私はサラリーマンの悲哀を感じた。父が出世頭で羽振りの良かったころは、たくさんの「親友」がいた。〇〇さんとも家族ぐるみの付き合いだったのだ。だが、父が左遷されて以来、「親友」たちはパタっと寄りつかなくなった。オワコンの父と付き合うことは時間の無駄でしかないからだ。私は、父が〇〇さんに頼み事をしに行く場面を想像してみた。
「やあ、竹内さん、久しぶり、お元気ですか!」
「実は、ちょっと息子の仕事の件で頼み事があってね」
「ボクでできることならなんでも言ってください」
和気藹々とした雰囲気で10分ほどたつと、〇〇さんはチラリと腕時計を見て、
「すみませんが、これから役員会なんです。今度、ゆっくり呑もうじゃありませんか」
と、軽いため息をつく。そして、父親が役員室を後にすると、〇〇さんは、今度は大きなため息をついて、秘書にこう言うのだ。
「彼はビデオで東芝に大損害を与えた張本人でね……このクソ忙しいのに……いいから、塩でも撒いとけ」
そんな掌を返したような仕打ちを本当に受けるのかと、訝しく思う読者がいるかもしれない。だが、私は一度だけ、父の伝手で広告関係の出版社を訪問したことがあり、実際にそのような仕打ちを目撃した。その会社の副社長が広告代理店出身で、父と旧知の間柄だったので、私の原稿を出版してくれるようお願いに上がったのだ。だが、部下の出版部長は、私が差し出した原稿を読むどころか、いきなり机の上にポンと放り投げ、両足を机の上にドカッと載せて、わざと後ろにのけぞるような姿勢で腕組みをして、私と父に応対した。
「困りましたな。△△副社長から話は聞いていますが……失礼だが、単刀直入に言わせてもらいます。私に素人の原稿をどうしろと?」
あれは、私の中での「てめえ、何様のつもりだ」体験のナンバー3に位置づけられている。△△副社長はオワコンの父を厄介払いするために、部下に言い含めていたのだろう。
「おかしいなぁ。△△くんにちゃんと頼んでおいたんだがなぁ。あの出版部長、あまり良い対応じゃなかったなぁ……」
帰り道、少しうなだれて前を歩く父親の背中がやけに小さく見えた。
実は、大手広告代理店の買う買う詐欺は、この広告出版社への訪問から間もなくのことだった。私は、父にさらなる恥をかかせるつもりは毛頭なかった。
延々とえげつない「会社人間」について書いているが、実名を出しているわけでもないし、ここで彼らに復讐しようと考えているわけでもない。
会社という集団に属していると、平気で法律を無視したり、倫理的に許されないこともやるようになる。信頼していた友人を斬り捨て、会社での序列や利用価値だけで人を判断するようになる。大切なのは自分の会社内の地位を維持することだけ。自分の部署の収益が最優先事項となり、たとえ、部下が過労死したとしても、その人の尊い命が失われたことではなく、自分の地位が失われることに涙を流すような人間になってしまう。
無論、すべての会社の社風が「悪」だというつもりはない。CSR活動などを通じて、地道に社会貢献をしている会社も多い。だが、ここら辺で立ち止まって、そもそも「会社に入る」ことが唯一の選択肢なのかどうか、吟味する時期に来ているように思うのだ。
日本では、ほとんどの就労者が会社に入るようになったのは、第三次産業革命後のことだ。日本は第三次産業革命で世界を席巻した。だから、高度成長期には、「会社に入って仕事をする」ことがあたりまえになった。個人商店を継いだり、農業や酪農を継いだりするのではなく、リクルートスーツに身を固め、面接の受け答えパターンを暗記し、大きく安定した会社に就職することが人生の目的となった。
だが、第四次産業革命後の世界では、「大きな会社に入れば一生安泰」ということは、もはやない。前に、サンヨー、シャープ、東芝といった日本を代表する企業が傾いた理由に触れたが、それでは、新興の情報・ロボット企業に入社すれば安泰かと言えば、事はさほど単純ではない。たしかに情報・ロボット産業は羽振りが良くなるだろうが、そこに逃げ込むのではなく、そもそも「会社に入る」という発想、ライフスタイルを考え直さないといけないのだ。
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竹内薫
たけうちかおる サイエンス作家。1960年、東京生まれ。東京大学教養学部、同理学部を卒業、カナダ・マギル大で物理を専攻、理学博士に。『99・9%は仮説』『文系のための理数センス養成講座』『わが子をAIの奴隷にしないために』など著書多数。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 竹内薫
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たけうちかおる サイエンス作家。1960年、東京生まれ。東京大学教養学部、同理学部を卒業、カナダ・マギル大で物理を専攻、理学博士に。『99・9%は仮説』『文系のための理数センス養成講座』『わが子をAIの奴隷にしないために』など著書多数。
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