テレビのニュースでインタビューが放送されるとき、私には注意して聞く音がある。それは、背後の音だ。街の喧騒、子供たちの歓声、人々の足音、鳥や動物、虫たちの鳴き声、傘に当たる雨の音といったもので、環境音ともいえるだろう。
たとえば、パレスチナの難民キャンプで、声変わりする直前くらいの少年が記者に語っていたインタビューを見たことがある。背後でスズメがチュンチュン鳴いていた。中東にいるのは日本のスズメとはたしか種類が違ったと記憶している。声がやや細くて忙しないようにも思えたが、一瞬のことなので詳しい聞き分けはできなかった。
しかし、戦火に巻き込まれ、恐ろしい思いを胸に抱えながら今を必死で生きている彼の背後でスズメが鳴いていたことは、強烈な印象となった。少なくとも、その場所、その瞬間は平和で、スズメが餌をついばむことができているのだ。声に張りがあり、賑やかに鳴き交わしていたので、おそらく天候は穏やかだったろう。青空も見えていたかもしれない。
パレスチナから日本に招待された子供が、「日本は平和だね、小鳥が飛んでいるから」と言ったとの逸話を聞いたことがある。空を飛ぶのが戦闘機でなく小鳥であることが、その子には平和な様子と映ったのだろう。戦争のある世界しか知らずに育った彼らにとって、小鳥の存在はどれほどの癒しになったかと思うと、胸がいっぱいになった。そんな経験もあり、インタビューの背後で鳴いていたスズメの声は、このままずっと静かであってほしいという少年の思いを通訳しているかのようにさえ聞こえたのだった。
「アラブの春」が報じられていたころ、カイロの市街地で街頭インタビューに答えていたおじさんの後ろで、ものすごい勢いのクラクションが鳴らされていた。アラブの人たちはクラクションを鳴らしながら走ると聞いたことがあり、画面でその話を確認した感があった。韓国のソウルで夕方のラッシュに巻き込まれたとき、同行者が「車の絨毯」と表現していた。カイロでもそのくらい大量に車が走っていたのだろうと思いながら聞いた。ただし、ソウルでは渋滞のなかでもクラクションはほとんど聞こえなかった。運転の文化が違うということなのだろう。
パレスチナにもカイロにも行ったことはないが、スズメの声やクラクションの音から、画面の向こうにある現実の世界を聞き取ることができる。そしてそれを手がかりに、画面に映っていない事柄にまで思いを馳せることができる。 台風などの気象現象の中継では、傘に当たる雨の粒の大きさや勢いで雨脚が推測でき、マイクに当たる風の音でその場の緊張感を共有できる。
発言映像では言葉以外の音は「雑音」として極力削除される。だが、画面が見えない私にとって、背後から聞こえてくる環境音はインタビューの言葉と同様に、あるいはときとして、それ以上に現場の雰囲気を伝えてくれる。
言葉より大きな音量にならないかぎり、こうした音は「雑音」どころか「現場の音スナップ」になる。それを聞き取るアンテナを磨くうえでも、鳥や虫の声をおぼえたり、初めて聞いた音や初めて訪れた空間の音の反響を記憶したりすることは有効なのだ。
インタビューに答えていた少年とスズメ、カイロのおじさんと大量の車、台風中継の記者さんと風雨。みな、現場という場所に同時に存在している。このように風景のなかに音がある場合、音と景色は分かちがたいものだと思う。だから雑音というものも、本来は存在しないのではないか。私は風景(シーン)が見えないので自分の状態をシーンレスという和製英語で呼んでいるが、主となる音の背後に流れる環境音を聞き分けられると、心のなかにシーンが生まれ、いつしかシーンレスからシーンフルに変化できるのである。雑音こそ宝の山なのだ。
もっとも、こうした聞き方は、必要な音だけを無意識に聞き取る「カクテルパーティー効果」を働かせない方法となり、かなり疲れる。私の場合、すべての音が同じ重要度で入ってきてしまううえ、絶対音感のため平均律の音階に当たる音程がすべて和音や音階で聞こえるので、疲れが倍増する。大きな音のなかに長くいると気分が悪くなることもある。居酒屋やイベント会場は一番の苦手スポットだ。それでも、雑音を排除する聞き方はできない。自分の身の危険を告げる音を排除することになるからだ。
それやこれやで音に疲れることはあれど、環境音は私にとってのシーンである。これからも「現場の音スナップ」を聞き分け、考えをめぐらせて、私のシーンを育てていこうと思う。
(「考える人」2016年秋号掲載)
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三宮麻由子
さんのみやまゆこ エッセイスト。東京生まれ。4歳で病気のため光を失う。上智大学大学院博士前期課程修了(フランス文学専攻)。処女エッセイ集『鳥が教えてくれた空』で第2回NHK学園「自分史文学賞」大賞、『そっと耳を澄ませば』で第49回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『空が香る』、『ルポエッセイ 感じて歩く』など著書多数。通信社勤務。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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