第1回 「土俗」のマニフェスト――書を捨て、メシを食おう
著者: マキタスポーツ
書を捨て、メシを食おう――。有名店を食べ歩くのでもなく、かといってマニアックなジャンルを掘るだけでもなく、たとえ他人に「悪食」と言われようとも、あくまで自分の舌に正直に。大事なのは私が「うまい」と思うかどうか。情報や流行に背を向けて、己の「食道」を追究する――これ即ち、土俗のグルメである。自称「食にスケベ」な芸人が「美味しい能書き」を存分に垂れるメシ論。
自分が”主役”
大事なことは、私が「美味い」と思うかどうかだ。話題の行列店やグルメ情報、識者による評価は重要ではない。
それが私の本音で、上等だの、下等だのと、メシを区別するのも苦手だ。21900食。50歳を超えた私があと20年生きたとして、日に三度の食事をするとこの回数になる。するともうカウントダウンである。残されたメシの回数を思うと一食も外したくない。
「上等なメシ」だの「下等なメシ」だのという人様の評価は、たしかに失敗しないためには役立つかもしれないが、それに頼って失敗を免れたとて「それがどうした」だ。“自分のメシ”じゃないか。上等も下等も、自分の舌や喉、口壁、鼻、目を使って感じれば良い。失敗したと感じたとしても、それを“含み益”とし、脳内に刷り込み、細胞に組み込むだけである。
「俺がイモ食えば、テメエの尻からプッと屁が出るか?」
映画「男はつらいよ」で寅さんが博に言った名台詞である。私はこの台詞に激しく同意する。
そんなことを書きながら私は今かまぼこを食っている。理由は小腹が空いたからである。膝から崩れ落ちるほど美味い! と言うほどのこともない、なんてことのない可愛げのないかまぼこだ。しかし、この日、連載初回の原稿を書きながら、空いた小腹にひょいと口にしたかまぼこを私は忘れないだろう。いや、忘れるかもしれない。でも、「こんなのもいいな……」と思った感触は誰のものでもなく私のものであり、ちょっと忘れられない体験となっている。大事なのはその気持ちを、「自分」にどう刻むかだ。だって、「メシ」と言う行為は“自分が主役”なのだから。
「背景食い」という楽しみ
断っておくが、レビューサイトやタイヤ会社のグルメガイドなどの指標を否定するのではない。あれを頼りにしている人にも「食人生」はあって、それにより、幸せなひと時を得ているのであればそれはそれでいいと思う。人によっては物を食らっているのでなく、まるで情報を食らっているように見える人もいるが、どうぞご勝手にと。
ただ、私は「情報」を食いたくないのである。食いたいのは「食べ物」であって、それをどう感じるかが重要なのだ。それをいただいた時に、誰と、どんな場所で、季節はどうで、誰かが汚く食っていたけど美味そうだったとか、大切なのはそういったディテールであり、また、その食べ物が作られたバックボーンを自分なりに見たり、聞いたり、勝手に想像したりして、それも「味」として楽しむのである。それを私は「背景食い」という。
山梨の一地方に「マキタさん」と言われる食い物があるらしい。それはワンタンの皮にひき肉を入れて包み揚げた物で、生姜醤油につけていただく物だという。以前私が出演していたラジオにあったタレ込み情報だったのだが、聞いて驚いた。
「それって、アレのことか!?」
我が家で、お袋がおやつ代わりに作っていた“名もなきアレ”。アレがその地域では「マキタさん」と言われているのか? 聞けば、そのレシピをうちのお袋から教わった方が、自身の嫁ぎ先で流行らせたことから、その地域では「マキタさん」と呼ばれるようになったという。
私はにわかに感動した。そのエピソードにトライブ性を感じたからである。もちろん、今は亡き母親の痕跡が料理となって息づいていたことにも感動するのだが、それ以上にあるのが「食いもんってそういうことで伝播していくものなのか……」という感嘆だ。
麺の起源について諸説あるのは、その当時のはっきりとした記録がないからである。だから中国発だの、いやエジプトにもうその起源はあったとか、やっぱりローマ時代だよ、などと揉める。誰が最初にホヤを食ったのか? などについても同様である。でも「マキタさん」の発生のルートははっきりと掴めたのだ。そして、それはその極小のコミュニティで流行り、人々のなんとなくな食欲に寄り添い、バカに美味いというほどのことでもなく定着する。
子「ただいま~、腹減った~」
母「アレあるよ、マキタさん」
子「え~? またマキタさん?」
母「だって、簡単なんだもん」
子「ま、いいか~、アレついつい食っちゃうんだよな~」
そんな、やっつけ気味の母と、舐め腐った子どもの声が聞こえて来そうだ。どうだろう、興奮しまいか。私はもう腹が減っている。
「あれば食う」
このように、食の発生を想像するのは楽しい。そして、日々の業務を粛々とこなす毎日に忍び寄るものがある。それは「あれば食う」というやつ。わざわざ追い求めて食べるほどの物でもなく、「大好物!」とはっきりステイトメントを主張するほどでもない物。でも、目の前にあれば食べるほかなく、「ひょっとして?」と穿ってみても、今日も安定した美味さの域を出ない、全く劇的じゃない食い物。例えば、冬場のみかんのような存在。定番とは、案外そのような、特に無くても困らない的な、どうでもいいものがそのポジションを獲得しているのかもしれない。
「価値」は誰が決めているのか? 人間の意識なんてものを私は信用しない。自分で決めた、あるいは、あらかじめ決められたものに沿って、いつの間にかそう信じ込まされているだけだろう。だから、私は「その程度」と認識されてしまっている物を決して見逃さない。他の現象では往々にして見逃すが、こと食い物に関しては別だ。新たな額縁をそこに当てる。誰のためでもなく、自分と、そのどうでもいい「あれば食うみかん」のためにである。
空腹の境目
私は満腹が嫌いだ。
何故ならもう何も食べられないからである。同時に、自分の食いしん坊ぶりには原罪のようなものを感じている。満腹になると、ついさっきまで在った自分の卑しさに羞恥を感じる。「また、変身してしまったのか……」と、まるで月夜の狼男のような落胆した気分になる。しかし、そのような自己矛盾が自分のガソリンになっていることも知っている。
例えば、朝食バイキングはどうだ。私はあれが大好きで、大嫌いなのである。毎回「どんな気がする?」と人生観を突きつけてくる。私は朝食バイキングのメニュー攻略を「課題」と考えている。「食欲vs.満腹」は永遠の課題だ。いつもそれに挑んでいる。
時に、あのバイキングの“卵料理多い問題”はどうだ。スクランブルエッグ、だし巻き卵、ゆで卵、温泉卵、目玉焼き、シェフの実演オムレツ……。あるいはカズノコ、明太子、イクラといった“魚卵”も場所によってはある。全部は食べ切れない。はたしてどうすればいいのか――。
意を決し、「えいや!」とトレーの容量と、己の胃袋のキャパシティを天秤にかけて、今日のメニューをキュレーションする。
「和だ!!」
しばしの静寂を経て、ようやく方向性を和風に決定したその刹那、漂い来たるは「カレー」の匂い。仕方なしに、無理矢理「カレーうどん」を味噌汁代わりにこさえる。悪手。
うっかり味噌汁代わりに用意したカレーうどんを食った途端、「満足感」が脳味噌を支配し始めた。暗雲が立ち込めるとはこのことか。胃袋の温度が上昇すると同時に、その蒸気が私の心に薄暗い雲を張り巡らせ始めた。絶望感。
「あゝ、また私はやってしまったのか……」
その絶望をおくびにも出さず、何事もなかったように食べ尽くし、私は独り感想戦に入る。
「なぜ、独自のホテルカレーに気を取られた」
「あれ以降、全てが消化試合になってしまっただろう!」
「実演オムレツはやはりパフォーマンス先行で、味はイマイチだったろう?」……。
懐かしく思い出される「空腹感」。あの時、私は確かに大志を抱いていた。しかし、気づけば満腹。手前にあった欲望に負けて、しかもそこそこ美味しくいただき切ってしまった。終盤、納豆とお粥の組み合わせにたどり着いた時には、「蛍の光」のあの侘しいメロディが脳内にこだましていた。だってもうこれ以上食べられないのだ。これを絶望と言わずしてなんと言おう。そして私は次の空腹を性懲りも無く待つのだ。
普通は行いと行いの間に「食」がある。しかし、私の場合は「食」と「食」の合間に行いがあるだけである。暗い気持ちで、原稿に向かう。数時間経つ、と、突然、腹から御光のようなものが差すのが判る。それはまるで、雨と晴れ間の境目、ここから先が雨で、あっちは晴れというあれだ。なんとも言えない、頭上でくす玉が割れたようなご褒美感が私を包む。
「来た!! 空腹なり!!」
恋愛も、成就してしまったら次の段階に入る。実り、結ばれる前が一番ときめくように、私はこの焦ったくもキュンキュンする胃袋の状態が大好きだ。
これを「空腹の境目に立つ」と私は言う。満腹でも、空腹でもなく、今からようやく日の出が起こる、その兆し。胃袋の夜明けである。そして、また何かを食らい、満腹になり絶望する。日々、これを繰り返す。その無常観に私はうっとりとしている。
さあ、「土俗のグルメ」のスタートである。
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マキタスポーツ
1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。
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