第28回 「淡さ」論――「味巧者」への道
著者: マキタスポーツ
書を捨てよ、メシを食おう――。有名店を食べ歩くのでもなく、かといって大衆酒場ばかりを飲み歩くのでもなく、たとえ他人に「悪食」と言われようとも、あくまで自分の舌に正直に。大事なのは私が「うまい」と思うかどうか。情報や流行に背を向けて、己の「食道」を追究する――これ即ち、土俗のグルメである。自称「食にスケベ」な芸人が、「美味しい能書き」を存分に垂れるメシ論。
「淡さ」というセンス・オブ・ワンダー
「日本人っぽさ」について、「食」の観点から考えてみたい。かなり抽象的な話になると思うが、決してナショナリスティックに「日本最高!」と叫んだり、保守的な思想を賛美したりするような内容ではないことは保証する。また、醤油や味醂、出汁、旨味などから考える「お料理の土台」のような手合いのものでもない。もっと精神的、あるいは肉体的にも思わずグッときてしまう価値的基盤、いわば「マトリックス(母体)」の話だ。
淡さ――。
最終的に日本人は、これに多かれ少なかれ心惹かれ、行き着くのではないだろうか。年齢や肉体的個性によっては、リッチでストロングなものを好む人がいるのはわかる。しかし「淡さ」という「センス・オブ・ワンダー」に、原初のトキメキを感じずにいられないのが我々日本人のような気がするのである。
別のものでこれを考えてみよう。例えば「障子」はどうだ。私は、あの日本家屋独特の建具に、どうしようもない日本人性を感じてしまう。
「こんな簡単に破れるもので何かを守った気でいるのか……」
淡すぎる……。
いまどきの言葉で言えば、未だその「世界線」で生きているのが我々だ。それを破らずにいることで、人の安心領域を担保する。家屋における主も客も、そこにある「聖域」を認識し、遵守する。「木と紙で出来た家」でほんのりと“生”を実感するのだ。これを「淡い」と言わずしてなんと言おう。
思うに、我々日本人の「味」に対する認識もそのようなものだと思うのである。いろんなことを経験したり、新たな価値観や前提条項に出会ったりしても、必ずここへ立ち返ってしまう。まるで形状記憶合金のようにだ。その“定位置”こそが、「淡さを前提とした世界観」なのである。
ふたたびの残り汁
例えば、冷め際のスープの味わいはどうだ。一見、もう価値が無くなったように見えるお鍋の残りのスープを想像されたい。仕上げにうどんを食べたので、もうおじやは食べられない。でも、そこにはまだ残り汁がある。
そこは初めての店だった。知人から紹介されて来たため、味の実態がわからない。紹介者の「辛いけど美味いよ!」というぼんやりとしたレコメンドがバイアスとなり、このスープが本来持っているであろうポテンシャルが見えづらくなっていたのかもしれない。
ひとまず今日の食事は終わった。一口目のインパクトは確かに「辛いけど美味い」というそれだった。以降は、プラモデルを組み立てていくような空腹を満たす作業と、一緒に食事をしている人間との会話や配慮(自分だけが肉を取りすぎないようにとか)、酒の味などでよくわからなくなっていた。で、気づけばもう満腹なのである。
一旦しみじみとする。迎えた満腹感ゆえの「絶望」をゆっくりと味わう。向かいの同席者は、まだうどんの切れ端を愛しそうについばんでいた。そろそろお会計、そんなタイミングだ。私はおもむろにオタマを取り、鍋底の残り汁を掬う。そして、手前の小皿にそれを移し、やおらグイと呷るように飲むのである。そして……、
「ふむ……そうだったのか!」
と、ようやく腑に落ちるのだった。
刺々しいほど前面にあった、砂糖や味醂の甘さ、醤油の塩分、唐辛子の辛さ、出汁の人工的な旨味を感じつつも、やがてこのスープが目指したであろう「集合地点」がようやく解るのである。野菜や肉類の旨味、豆腐の苦汁成分、浸透圧によってうどんが吐き出した小麦粉と塩味、春雨のデンプンなどが渾然一体となり、かつ、それらが融和している状態。その「集合地点」の輪郭は印象派の絵画のようにぼんやりとしている。しかし、「冷め際」だからこそ解るのだ。そのエイジングされた「淡い」風格のようなものが。
大体において私は、世間的には「残飯」に該当するようなものであったとしても、それを見逃さない。なぜならそこには、薄皮一枚――それこそ舐めて指を通せば簡単に穴が空く障子のような脆く儚い神聖な何かが眠っているからだ。
以前にも書いたが、私は手料理がよほど上手くいった時などは、その残り汁をタッパーに取っておくことにしている。それを原資にして、翌日の料理の手がかりにするのだ。それも、一朝一夕ではならぬ「出汁」に対する想いからである。
例えば、カレイの煮付けで余った汁はどうか。確かに調理のショートカットのために、めんつゆの素は使った。でも、その煮付けは、そのときにしか生まれない出汁を育む。それは一期一会のものなのである。それを捨ててどうするというのだろうか。
だから私は、次の日にその出汁を炊き立ての白米に掛け、浅葱と刻み生姜と塩昆布を載せ、仕上げに熱々のほうじ茶をぶっかけてお茶漬けとしていただく。目を閉じれば、前日のカレイの、否、カレイが海底で食べたであろう貝や海老の姿まで見えてくるようだ。その時の私の感嘆を想像してみてほしい。その「淡さ」は深い。最高だ。
「強い」から「淡い」へ
昨今の外食やネットのグルメ系動画のトレンドは、熱くて、濃くて、脂っこくて、辛くて、酸っぱくて、塩っぱく、甘いに傾いている。それも良い。エンターテインメントにおいて、「強さ」の方向にメーターの針が傾くことは理解できる。「思考」することから遠のき、「生活」という現実から逃避するには、その方が手っ取り早いのだろう。大いに首肯する。
かねがね世の中で一番美味い食べ物は「アイスクリーム」だと思っている。それは学習が必要なく、誰でも平等に「美味い!」と脊髄反射的に感じることができるからだ。
自分の子どもで実験をしたことがある。
子どもの「美味さ」に対する開眼は、離乳食に加えられた少量の「塩味」から始まる。母乳やミルクとは明らかに違う味のテクスチャーに「世間の風」を感じつつ、開いた扉に向かってワクワクと歩き出す。そして、いつかは「辛味」や「苦味」「酸味」と出会うのだろう。
しかし「美味しさ」という認知が未発達な子どもは、「辛い」と「苦い」には敏感だ。何故なら「辛味」は痛みであり、「苦味」は毒の可能性があるからだ。私の子どもも、すぐさま「NO」の反応を示した。
ところがである。アイスクリームを初めて舐めさせた、あのときの表情ときたら。身体中に電流が流れたような顔つきになるや、直ちに「もっと」と口をアングリと開けて、おねだりを始めた。それは自分の意志というより、何者かに脳を乗っ取られたような感じであり、彼女の表情からは意志と戦って敗れ去った敗北感が見てとれた。「甘味」とはそのようなものだと思う。
インスタント食、お菓子、ファストフード、ラーメンなど、これらは全て味の強いものである。いずれも経験的に獲得する「美味さ」とは違う場所に存在する。しかし、いずれ彼らも気づくだろう、「淡さ」の大切さを。
かつての自分がそうだったから解るが、若い頃は強く、刺激的なものを欲する。小説も、映画も、音楽も、higherでmaximumなものを好む。
お笑いでも、緻密な伏線回収、低い声と高い声、言葉の魔術師のようなたとえツッコミ、あるいは本当に惨めな状況や失敗、底辺からの毒舌などである。そうでないと満足しない。
だが、50歳を過ぎた私は、もう駄洒落ぐらいでも良いのである。もちろん、そういった「濃厚なオモシロ」にも感覚的にはアクセスできているけれど、「翌日に残さない」「家族を不幸にしない」程度ならば、今でもそういうものに付き合える。
私のこの提議に「歳を取っただけ」という人はいるだろう。しかし先に出した日本家屋の例に倣って言えば、伝統的な土台の上に、無理やり洋間や欧米風の外観を纏わせただけだったりはしまいか。「そういうことを言い出すのが老いだろう」という向きもあろうが、ならばその「老い」をすでに文化として内包しているのが我々じゃないだろうか。
そのダブルスタンダードな感覚を否定しているのではない。やがてその上物が剥がれ落ち、原型の部分に落ち着くのはどういうわけか。その原型こそが「淡さ」であり、それを「老けてる」と退けるのではなく、再認識すること。人生の一時期において「強く」「濃い」ものを重点的にいただいてきたが、そうじゃないものでも十分に「味がする」という気づきは重要だと感じるのである。
「味巧者」への道
「見巧者」という言葉がある。芝居や芸術などを見慣れていて、その見方が上手な人のことを言うらしい。ならば「味巧者」という新語で、これらの現象を理解したい。
送り手より、受け手の解釈、抽出力に重きを置いているのが日本の芸術の特徴だ。お能や狂言は、極度に省略、抽象化された表現で、その型の中に「味」が存在する。誰もが振り向く圧倒的な身体技を見せつけるようなものじゃない。その中に密やかに存在する、あるいは見る側の心に在るものと照合させ、味わうのである。そりゃ経験しないと辿り着けないだろう。一本木から仏像を彫り出すがごとくである。ことほどさように、食べ物においてもその本質にある「淡さ」を感じることは訓練が必要だ。
最後にもう一度言っておくが、歳を取ったから言うのでない。しかし、公園にある健康器具が身体に効く、または、ラジオ体操で身体が整う感じになってこそ「淡さ」が解るということである。断じて、歳のせいではないのだ。
*次回は、7月12日金曜日更新の予定です。
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マキタスポーツ
1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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