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土俗のグルメ

2023年1月13日 土俗のグルメ

「土俗のグルメ」連載スタート記念対談 with ヤマザキマリ

著者: マキタスポーツ , ヤマザキマリ

*1月13日にスタートするマキタスポーツさんの新連載「土俗のグルメ」を記念して、2019年に収録したマンガ家・ヤマザキマリさんとの対談を再掲いたします。ヤマザキさんが同年に刊行した食をめぐるエッセイ『パスタぎらい』(新潮新書)の話題から、お互いの趣味嗜好について縦横無尽に語っています。

パスタぎらい

ヤマザキマリ/著

2019/04/17発売

公式HPはこちら

山梨は日本のイタリア!?

マキタ 『パスタぎらい』面白かったです。僕もよく食べ物について書いたり、話したりしますが、何をどのように語るか、なかなか難しいジャンルですよね。でも、ヤマザキさんのこの本は、読んですぐにこの人とは肌というか舌が合うなと思いました。

ヤマザキ ありがとうございます。長くイタリアに住んだ経験をもとに書くとなると、「イタリア料理がいかにすばらしいか」とか薀蓄を求められがちですが、そんなことを書くつもりは最初から全くなくて。あげく、タイトルは『パスタぎらい』という(笑)

マキタ 「イタ飯」は、今でも日本では特別な料理と思われていますからね。

ヤマザキ 食に限らず、いまだに私は「日本のイタリア」に適応できていない、というか違和感があるんです。イタリア料理の日本人スタッフが「ペルファヴォーレ!」なんて言っているのを聞くと「うん?」と思うし、クルクルとグラスを回してワインの香りをうっとりと嗅ぐなんて、イタリアの、少なくとも私の周りではしている人を見たことがありません。普段は、近所の酒屋にあるワイン樽から自前の瓶に直接注いで持って帰り、コップに注いで、うまい、うまいとガブガブ飲むだけ。産地がどこかもわからない。

マキタ それ山梨と一緒ですよ(笑)。山梨は国産ワインの発祥地で、子供の時によく大人が飲んでいるのを見ていましたが、みんな一升瓶にワインを入れてました。それもグラスじゃなくて、湯呑み茶碗で飲む。

ヤマザキ イタリアもそんな感じです。

マキタ 凄い。イタリアと山梨がつながっちゃった。

「サイゼリヤ」はイタリア人も満足!?

ヤマザキ そもそもイタリアのレストランは、オシャレして行くようなところは都市の一部にしかなくて、たいていは家族や友人とワイワイしながら行くところ。

マキタ 家族でサイゼリヤに行くようなものですか?

ヤマザキ そうそう。日本に旅行したイタリア人に「何が美味しかった?」と聞くと、多くの人が「イタリア料理」と真顔で答えますからね。サイゼリヤにも、きっと満足するはず。

マキタ それって、もし僕がイタリアに行ったとして、一番美味しかったものは「吉野家」や「てんや」だったと答える、みたいなものですよね?

ヤマザキ 近いですね。富士そばとかね。だから、間違いなく日本人は器用なんですよ。外来の食文化をカスタマイズして、かつ、本場の人間にも好まれる味にしちゃうという意味でも。

マキタ サイゼリヤがイタリア人にも喜ばれるだろうというのは、ありがたいけど少し複雑ですね。僕は「真イカのパプリカソース」が好きだったのですが、最近になってメニューから消えちゃったんです。イカの漁獲高が減ったのがその理由らしいのですが、それが残念で。とはいえ、僕はイカ自体には興味がない。

ヤマザキ えっ?

マキタ パプリカソースに用があるんです。僕は「タレ」全般に目がなくて。イカは家族に食べさせて、残ったパプリカソースを再利用する。

ヤマザキ リサイクル(笑)

マキタ はい。パンにつけて食べたり、他の料理に少しかけてみたり。ソースを全部きれいに片づけないと気が済まない。

ヤマザキ まるでイタリア人ですね。イタリアの血でも流れているんじゃないですか(笑)

マキタ だからでしょうか(笑)。たしかに映画の「ゴッドファーザー」を観ていても、グッと来るのはアメリカではなく、ドン・コルレオーネの故郷であるシチリア島のシーン。生まれ故郷の山梨を想起させるんですよ。僕が育ったのはブドウ棚がいっぱいある地域で、その風景とシチリアの田園風景が脳内でつながっちゃう。

ヤマザキ あの映画であの場面を気に入るということは、やはり前世はイタリア人だったかもしれませんね。

パスタvs.ほうとう

マキタ そのシチリアの地元の人が食べている、例えばトマトの煮込み料理を見ると、山梨名物のほうとうを思い出します。

ヤマザキ ほうとう、好きですよ。

マキタ でも、山梨の人間にとって、ほうとうは恥ずかしい料理なんです。ヤマザキさんにおけるパスタじゃないけど、山梨の人間にとってほうとうは完全なる家庭料理で、店で千円出して食べるものではない。

ヤマザキ 「うどん」なのか「すいとん」なのか…微妙な料理ではありますよね。

マキタ そうなんです。すいとんを伸ばしてうどん状にしているんだけど、かといって「味噌煮込みうどんみたいなものですよね?」と言われると違う。うどんほど洗練されていない。うどんは粉を落としてから茹でるじゃないですか。でも、ほうとうは小麦粉が付いたまま煮込むので、結果ドロドロになる。

ヤマザキ その曖昧な感じが美味しいんだと感じるんですけどね。

マキタ 他県の人は、山梨に来たらほうとうを食べたいと言うのですが、地元の人間はできれば振る舞いたくないんですよ。他人様に提供するのは恥ずかしいという自覚がある。あくまでこっそりと家で食べるものであって、よそ行きの食べ物じゃない。

ヤマザキ それがまさにイタリアにおける「ランプレドット」(注:ギアラ[牛の第四胃]を塩味で煮込んだ料理)や「トリッパ」(注:ハチノス[牛の第二胃]をトマトで煮込んだ料理)ですよ。あれは主に労働者階級の人たちが好む料理で、決して高級レストランで食べるものじゃない。だからこそ私は大好きなんですが。

マキタ まさに下町の「モツ煮込み」なんですね。

ヤマザキ そうそう。もっと凄いのは、「パッパ・アル・ポモドーロ」。パンを千切ってトマトと煮込むだけのもので、いわば「パン粥」。トマトの煮込みの中に、パンがドロドロになって入っていて。ちょっと「ほうとう感」があるかもしれない。

マキタ それ、僕は絶対好きですね。

ヤマザキ 家にトマトとパンくずしかない、という時に作るもので、通常は他人様に提供するなんてあり得ない。わたしは他人様にも食べさせてましたけどね。

マキタ 山梨の人間の秘かな愉しみは、前日の残りの冷えたほうとうを温かいご飯の上にカレーのようにして掛けて食べること。上品な食べ方じゃないから、みんな外では言わないようにしています。見つかるとまずいんです。うっかり僕は番組で言っちゃったことがあるのですが、「そんな食べ方はしない!」と山梨の人に怒られました。みんな見栄を張って、隠したがる。

ヤマザキ でも、美味しいってそういうことだと思うんですけどね。

「10分どん兵衛」vs.アルデンテ

マキタ 僕もそう思います。この「2日目のほうとう」が、自分の食べ物における原風景というか郷愁としてある。だから、同じ「うどん界」に属していたとしても、コシの強い派閥である讃岐うどんは、どうもしっくり来ないんです。

ヤマザキ 讃岐うどんは、ある時期から一気に全国区になりましたね。

マキタ はい。以来、「うどんはコシの強いものが美味しい」が主流になって、僕みたいなドロドロのほうとうが好きな人間は肩身の狭い思いをしていました。

ヤマザキ わかります、わかります。

マキタ その気持ちが高じて、貧乏していた時代に秘かに開発したのが「10分どん兵衛」なんです。カップうどんにお湯を入れて、5分ではなくてその倍の10分待つ。そうすると、麺が伸び伸びになって、それはそれでうまい。

ヤマザキ わざとふやかして食べるのか。

マキタ はい。ほうとうも「10分どん兵衛」も、自分としては恥ずかしい食べ方で、積極的に喧伝するつもりはなかったのですが、数年前にポロッと言ったら想像以上にバズって、日清食品からも「新しい食べ方をご指南いただきありがとうございます」と感謝されました。

ヤマザキ 面白いですね。別に麺が伸びたって、それはそれで美味しいですからね。パスタも日本だと「アルデンテ信仰」があるじゃないですか。麺の中心に少し白い部分を残して茹でるのが、本場イタリアのやり方、みたいな。でも、イタリアでパスタを茹でて食べる時、アルデンテにすると、みんな「何このパスタ!? 硬えよ!」って怒ります。

マキタ アルデンテに讃岐うどん、ラーメンの「バリ硬」…何なんでしょうね、あの日本の麺文化における「硬め信仰」というのは。やたら「コシ、コシ」って、うるさいでしょ。

ヤマザキ もちろんパスタもブヨブヨのものよりはいいかもしれませんが、だからといって柔らかめの方が好きな人もたくさんいますからね。たしかに日本人の舌は繊細で、触感や喉ごしといったところまで配慮する細かい機微はある。それは認めますし、美点だと思います。でも、調理に失敗しちゃったものや不味いものに対しても、もう少し寛容になれたら、もっともっと凄いことだなと思います。

マキタ その通りですね。それは「10分どん兵衛」がバズった時にも感じました。「硬め信仰」に抑圧されていた人たちが「こんなにいたのか!」と、とにかく驚きました。

“情報”を食べるのが好きな日本人

ヤマザキ 先ほどのアルデンテしかり、日本における「イタリア信仰」は、いまだに根強くありますね。現地の実態を離れて、「信仰」が独り歩きしていると感じることが多い。私は17歳でイタリアに留学しましたが、若い頃はずっと貧乏ぐらし。「ワーキング・クラスのイタリア」しか知らないわけです。だから日本のみなさんが期待しているようなゴージャスなイタリアの話はできない。むしろそうした「イタリア信仰」を壊すようなことしか言わないから、「そんな話は聞きたくなかった!」とバッシングされることもあって。

マキタ 日本人は情報が好きですからね。食についても、情報を食べているようなところが多分にある。自分の実感や経験にもとづいて、食と向き合えばいいのに、流行りやメディアの情報に流されがち。

ヤマザキ 私、店の名前を全然覚えられないんです

マキタ 僕もそうなんですよ。

ヤマザキ 情報を食べるということがあまりないのかもしれない。とにかく出されたものが美味しいかどうか、あとはその場の雰囲気や食卓を囲んだ人との関係性が大事で、そのお店がどうたらこうたらという情報にはあまり興味がないんです。

マキタ 僕も全く同じです。美味しかった料理は覚えていますけど。

ヤマザキ その代わり食べ物には意識をかなり集中していると思う。一緒に食べている人との会話にも。話が楽しくて集中していると味覚が疎かになるのではなくて、むしろ両方ともエネルギッシュになる。

マキタ むしろ情報が味覚を鈍らせることもありますね。若手の時に、ビートたけしさんの家で開かれた宴会に何度か参加したのですが、最初はどんな酒なのかわからないまま、注がれたものをとにかく飲んでいました。それでモノマネなんかを披露して、それがワーッと受けると、気分良くなるじゃないですか。それで調子に乗って、じゃんじゃん飲んでいたのですが、途中でそれが「ドンペリ」だったということを知ったんです。

ヤマザキ 情報が入っちゃったんですね。

マキタ その途端に緊張しちゃって味がわからなくなった(笑)。せっかくだから年代もののドンペリを味わおうと頭で考えても、もう手遅れなんです。

ヤマザキ どうしても人間だから、情報というか脳みそで食べるところはありますよね。事前に「ドンペリです」と言われれば、それだけで2割ぐらいは評価が高まるだろうし。

マキタ 最初は「これ、ちょっと味薄いな」ぐらい思っていましたから。

ブランドで飯を食うな!

ヤマザキ イタリア暮らしが長いのに、私はいまだに味や嗜好はともかく、正直ワインの評価基準もそれほどこだわっていないし、そもそもソムリエでもないのでわからない…。

マキタ 僕もさっぱりです。圧倒的に比較する量が少ないから当たり前なんですが、ワインは特に情報量が多いですからね。

ヤマザキ 以前、日本でイタリア語を教えていた関係で、その生徒さんたち30人ぐらいをシチリア島に連れて行ったことがあるんです。そこにはお金持ちの奥様から戦前生まれのおじいさん、おばあさんまで、いろいろな人がいて。コーディネーターを務めてくれたイタリア人は、シチリアの貧しい地域の出身。ある夜、彼が「今日みなさんをご案内するのは、私の大好きなお店です。子供の頃、本当に記念すべき日にだけ両親に連れて行ってもらった、特別な店なんです」とそこに案内してくれた。

マキタ その前情報だけで、もう美味しそうですね。

ヤマザキ でしょう? ところが、グループの中の億ション在住のブランドで身を固めた4人組が店のワインリストを見て、「えっ、これしかないの? シチリア島って、もっといいワインがあるんじゃないの?」と言い始めた。

マキタ あらら。

ヤマザキ 私が、ここは高級店ではないかもしれませんが、コーディネイターの彼をはじめ、地元の人が足繁く通う店ですよ、なんて説明したのですが、しばらくしてその4人組は「あのー、私たちだけ他の店へ行っていいでしょうか?」と。

マキタ うわー

ヤマザキ もう私は腹が立って、「どうぞ、どうぞ。お好きになさってください」と、とっとと行ってもらった。一方で、昭和ヒト桁生まれのおじいさん・おばあさんチームは、料理が出てくる前から、「ワインも美味しいし、最高!」とハウスワインを飲みながら盛り上がっている。一体、この差は何なのか、と。

マキタ うーん

ヤマザキ 4人組が出て行った後、そのコーディネイターは本当に悲しそうな顔をして、「この店は、僕が世界で一番すばらしいと思っている場所なのに、それを気に入ってもらえなかったのは残念だ」と。価値観に差異があるのは仕方がないと思います。でも、時あたかもバブルの頃で、日本の「情報喰い」の一番悪いところが出たなと思って、本当に悲しくなりました。そういう人たちって、正直、どこに行っても楽しめないでしょうね。

マキタ 本当にそうですよ。ブランドで飯を食うなと言いたい。もはや「情報喰い」ならぬ「階級喰い」ですね。

「気づいたら海に来てしまった」ようなカレー

マキタ 日本における「情報喰い」で顕著なのが、ラーメンとカレーですよね。とにかく情報量が多い。自称グルメの人とカレーの話になると、決まって「どこそこの店のあのカレーが…」という話になりますが、それを聞くと本当に意識が遠のくんですよ。

ヤマザキ わかる。ラーメンとカレーも、独自の「信仰」というか「イデオロギー」がありますよね。

マキタ 僕はそれを「カレオロギー」と呼んでいて。とにかく、男子にカレーを与えちゃいけないんですよ(笑)。すぐに「俺のカレー」を追求し始めて、恍惚とした表情を浮かべるから。

ヤマザキ 私の知り合いにも何人かいますね(笑)

マキタ うちの妻のカレーの作り方を見ていると、具材の切り方から何から僕の好みと全然違う。何の奥行きもない、一筆書きで描いたようなカレーなんです。だけど、食べれば「これも美味しいね」と思うのがカレーのマジックで、日本では市販のルーを入れれば、誰が作ってもそれなりの味になる。

ヤマザキ ボンカレーとか普通に美味しいですからね。

マキタ その妻が作ったカレーを1週間ぐらい寝かせて、途中、妻が余ったひき肉を炒めて入れたり、少しずつアレンジしていったら、最終的にとんでもねえ味になったんですよ。もの凄く深い味のカレーになってしまった。

ヤマザキ 偶然の産物ですね。

マキタ 食べた瞬間、自分の中でエロス的な興奮がありまして。生きている実感みたいなことまで感じちゃったんです。朝支度して会社に行くつもりが、気が付いたら逆向きの電車に乗って海に来てしまった―そんなカレーだったんです。

ヤマザキ 美味しそうだけど、エロス的興奮をもたらすのがどんな味なのか想像できない(笑)

マキタ そうなんですよ。もう決して再現できないだろうというのが、また良くて。

ヤマザキ 「美味しい」というのは人それぞれで、その人の中でもまたバラバラなところが面白い。

マキタ 妻の実家は居酒屋をやっていて、義父は板前修業した料理人なんだけど、義母は家庭料理専門。でも、その義母が作る「鱈豆腐」がいい感じで下品で美味しいんですよ。僕が「美味しい、美味しい」と絶賛するから、見かねた義父が「そんなの俺が作った方が美味しいよ」と言って、作ってもらったことがあるのですが、上品過ぎてあまり美味しくない

ヤマザキ わかるわあ。「家庭の味」って、プロの味とはまた違った良さがありますよね。

マキタ そうなんです。僕が今まで食べたおにぎりの中で、一番美味しかったのも、その義母が握ってくれたおにぎり。「アジシオ」がガッツリ決まっていて(笑)

シリアのうどん

ヤマザキ 先ほどのほうとうの話で思い出したのが、シリアに暮らしていた時のことです。イラク戦争が起きた2003年から2005年まで、夫と子供とシリアに住んでいました。当時は古代ローマ遺跡が街のあちこちにあり、とても刺激的で私たち家族にとっては思い出深い場所です。けれど、食事には苦労しました。イスラム圏ですから、まず豚肉が食べられない。「嗚呼、とんかつが食べたい!」とのたうちまわったこともあります(笑)。もちろん当地の美味しい料理もありますが、日本の料理を出す店もほとんどなくて、食材も売っていない。

マキタ 羊を使った料理が多いイメージがありますね。

ヤマザキ そうです。一生分の羊を食べましたね。北海道でも育った期間があるから、羊肉は好きな方ですが、さすがに…。そのシリアで、ある日、どうしてもうどんが食べたくなって。

マキタ もちろん店で売っているわけがなく。

ヤマザキ もう「自分で作るしかない!」と。小麦粉を買って来て、水を加えながら練って。一生懸命汗だくになりながら…。

マキタ 今のところほうとうが出来そうですね。

ヤマザキ まあ、私はそれをうどんだと信じて食べたわけです(笑)

マキタ 「ツユ」はどうしたんですか?

ヤマザキ 当然お醤油もないから、仕方なくお肉で出汁をとって。なんだかヘンテコなうどんだと思ったのですが、その味が今でも忘れられない。

マキタ 聞いているだけでグッと来ます。

ヤマザキ うどんとは似ても似つかないものだし、もはやほうとうですらなかったかもしれない。けど、シリアの忘れられない味といえば、私にとっては、その葛藤のあげくに生み出したうどんなんです。

マキタ 大事なのはその熱意ですよね。あと想像力。

ヤマザキ 想像力は本当に大事。先ほどシチリアで失礼な振舞いをした人の話をしましたが、彼らには結局現実を楽しむための想像力が欠落していたと思う。それは食べ物の話に限らず。

マキタ 『パスタぎらい』でヤマザキさんがイタリア留学中に、ナポリタンを作ってイタリア人に振る舞うシーンがあるじゃないですか。あの話が凄く好きで。

ヤマザキ 今でもイタリアの家族といる時に、私だけナポリタン作って食べますよ。あれも「シリアのうどん」に通じる話かもしれない。「パスタにケチャップはダメ」だとか「麺は硬めじゃないと」といった誰が決めたかわからないルールに囚われないで、想像力をたくましくして、味覚にもっと寛容になればいいのですよ。それは日本人でもイタリア人でも同じ。

二日酔いのナポリタン

マキタ 僕、二日酔いの時に食べるナポリタンが好きなんです。

ヤマザキ うわー、想像するだけで美味しそう。

マキタ これもあまり声高に言いたくない、恥ずかしいグルメなんですが、若い頃、飲み過ぎた翌日にたまたまナポリタンを食べたんです。ちょっと物足りなかったから、そこに古くなったタバスコを目一杯掛けて食べたら、めちゃくちゃ美味しくて。

ヤマザキ タバスコ大事。

マキタ タバスコの辛みで汗をダラダラかいて、見事に酒が抜けました。二日酔いの時は喉が渇いているじゃないですか。そこにズズーッとナポリタンを流し込むと、ちょっとした窒息状態になる。水を飲んでそれを流し込みながら、またタバスコをかけて。

ヤマザキ 美味しそう(笑)

マキタ その喉に食べ物が詰まって軽い窒息状態になるのが、なんとも言えず興奮するんですよね。それを僕は“窒食”と呼んでいて。

ヤマザキ なるほど“窒食”ですか。ちょっと似ていると思うのですが、蕎麦とか麺類をズズーッと音を立てて食べるのを私は「吸い込み喰い」って呼んでいます。

マキタ 僕も「吸い込み食い」好きです。いつも妻にはみっともないと注意されるのですが。

ヤマザキ 私もそれで日本にいる外国人とよくケンカしますよ。「なんでお蕎麦を咀嚼で噛み砕いて食べようとするんだよ! 吸い込め!」と。でも、あの人たちは吸い込めないんですよ。

マキタ 郷に入れば郷に従えと。

ヤマザキ そうです。吸い込まないと美味しくない食べ物ってあるじゃないですか。

マキタ ありますね。むしろ盛大に音を立てたいぐらい。

食べ物に貴賎なし

マキタ 「情報喰い」の話をしましたが、食べ物にまつわる情報ばかりに目が行き、それに左右されてしまう人というのは、自分で絵を描いて、その背景を想像するということができないというか、苦手なんだと思います。それがダメってわけではないのですが、他人が作った文脈とかルールに従ったほうが満足度が高くなるという人も多くいるはずで。

ヤマザキ マニュアルが必要なのね。

マキタ スタンプラリーじゃないけれど、決められたポイントを順序よく稼いでいくことに至福の喜びを見出す人もいる。でも、ヤマザキさんも僕もそこにはあまり興味がない。

ヤマザキ それって、お勉強を頑張って良い大学に入るのと同じシステムじゃないですか? それを否定するわけじゃないけれど、偏差値や過去問ばかり気にし過ぎると、勉強の本質が失われるというか。食べることも同じような気がしますけどね。それこそシリアやキューバは決して裕福じゃなくて、食事も質素。でも情報や階級に左右されず、それでも幸せそうな人々のことを見ていると、食べ物のどうでもいい情報や差異で一喜一憂するのがバカらしくなる。

マキタ 例えばラーメンについて、「俺は魚介系スープじゃないとダメ」とか「麺は浅草開花楼のものに限る」というのは、本来どうでもいいことじゃないですか。情報を差別化して弄んでいるだけというか。もちろん、そこに面白い部分もあるわけですが、ヤマザキさんのように日本を離れて、それまで培った価値観を根本から覆されるような経験をすると、食への執着や想いがまた全然違ったものになるんでしょうね。

ヤマザキ そうかもしれません。キューバでもロシアでも中国でも、人間の根源は、やっぱり食にあらわれる。生きるか死ぬかに直結する時に、「情報」は二次的なものでしかないから。

マキタ 『パスタぎらい』を読んで面白いなと思ったのもそこです。食べ物を美しい文章で描写するとか、情報や薀蓄がたくさん、ということではなく、そこにあるヤマザキさんの熱量みたいなものに惹かれる。それに、ヤマザキさんは全然外国かぶれしていないですよね。少しぐらいそういった面も出てくるかと思ったら、一切なかった。

ヤマザキ どの国にいても、「同じ大気圏」としか思っていないですから。

マキタ 「永遠の移民」というか「異邦人」ですね。そのエネルギッシュなところにひかれるし、読みながら感じるのは、ヤマザキさん自身。己の世界観というか主観が凄く強くて、またそれを出すことに躊躇がない。自分の〝観〟がしっかりあった上で、食べ物について発信しているから、そこが凄い信頼できるなと。

ヤマザキ ありがとうございます。

マキタ ヤマザキさんの「オン・ボード・カメラ」で食べ物を見ているような気がする。カメラを引いて俯瞰的な情景を切り取るのではなくて。

ヤマザキ やっぱり自分が感じたことしか書けないし、表現できない。日本人が読みたいと思っている素敵で小粋なイタリアをどうしても書けないんですよ。あくまで、自分が経験したイタリアのことしか書けない。よく言うのですが、イタリアの男も靴下を履くし、シャツの下にタンクトップも着る。女性を口説くのが苦手な男性もいっぱいいるんです。

マキタ それに、書いているヤマザキさん自身が美味しくなっちゃっているんですよね。

ヤマザキ それは最高の褒め言葉かもしれない。

マキタ そのシズル感が凄い。煮えたぎっちゃって(笑)

ヤマザキ 基本的には何食べても美味しいんですよ。あとは自分次第。

マキタ そう。「美味しい/不味い」というのは、その人次第で、「不味い」とか文句つけてばっかりの人は、「あなた自身が不味いんじゃないの?」と思います。

ヤマザキ はい。スナック菓子も高級料理も、食べ物に貴賎なしで。

マキタ だから、いわゆる世の中一般の「グルメ」について書かれた本とは、全く違うと思います。でも、そこがいいわけで。僕も、ずっとそういった形で食べ物と向き合ってきたから、読んで本当に勇気をもらいました。

ヤマザキ 嬉しい。書いてよかったです(笑)

 

*マキタスポーツさんの新連載「土俗のグルメ」は、1月13日よりスタートの予定です。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

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ヤマザキマリ

1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。

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