10.「神の国」の無神論者
著者: ヤマザキマリ
約40年前、17歳の少女はイタリアへと旅立つ。背中を押したのは、敬虔なカトリック信者にして音楽家の母。異国での生活を前に動揺する少女に、400年前、遠くヴァチカンを目指した4人の少年たち(ルビ クアトロ・ラガッツィ)の影が重なる――。科学と芸術、そして宗教が色濃く共存し続けるイタリアで培ったものとは、何だったのか。人生でもっとも貧しく苦しかった画学生としての生活と、自らの裡に沈殿していた“信仰”を告白。これまで封印していた記憶の扉をひらく、渾身のメモーリエ。
「君は本当のパンクを知らない」
トレヴィーゾ近郊の、のどかな田園地帯に建つフレッド・パイの家での滞在が数日を過ぎたころ、ロンドンからサンドラの息子のジョージがやってきた。イタリアに留学する前、私はロンドン・パンクに傾倒していたので、私と同じ年で音楽好きだというジョージにそのあたりのネタを振ってみたところ、「ジョン・ライドン? はは。君は本当のパンクを知らないんだね」と嘲笑われ、ひどくショックだった。頭から足先まで、なにひとつ自己主張の気配がない、極めて真面目な風貌のジョージだったが、中身はそのへんの不良よりよほど捻くれているのがその答え方から窺えた。
フレッドとサンドラがどのくらいの付き合いなのかは知らないが、ジョージは何年も前から何度もトレヴィーゾを訪れているらしく、市街に暮らす同年代のイタリア人の友人たちが遊びに来ることもあった。いかにも悪ガキといった様子の地元の少年たちと、カエルの鳴き声が響く畑の縁にペダル付きバイクを止めて、皆でタバコを吸いながら、瓶ビールを呷っていた。
この頃のイタリアでは、十代の子供たちが平気でタバコを吸っていたし、私もマルコやリアーノやフレッドから「あんたも一本どうぞ」とタバコの箱を差し出されることがしばしばあった。タバコと同じくお酒も日本のように20歳未満の飲酒を禁じるような法令があったわけでもなく、大人数で食事をする場では、中学生くらいになれば食欲を促進するためにグラスに半分のワインを水で割って飲んだりするのは、別に当たり前のことだった。キャサリーン・ヘプバーン主演のヴェネチアを舞台にした映画「旅情」の中に、まだ幼い子供が生意気な口をききながらタバコをスパスパ吸っているシーンがある。一緒にその画面を見ていた母が「日本にも戦後はこういう子供がいたのよ」と言っていたが、1980年代でもイタリアでは喫煙の規制が緩いままだった。
ジョージにはイタリア人の彼女もいたが、彼の真面目一辺倒の姿とは裏腹に、私と同い年でありながらやたらと大人っぽく、えらい美人でおまけに背が高くてスタイルもモデルばり、隣にいるだけで自分の体にコンプレックスを感じてしまう、そんな女性だった。彼女が自分をちやほやしながら取り巻くイタリア男たちには目もくれず、ジョージというイギリス人を選んだ理由は知る術もないが、二人が一緒の時は目を逸らしたくなるくらいのいちゃつきぶりで、それにいちいち狼狽える自分の幼さを痛感した。
「お前は神を信じるのか?」
ある日の夕方、庭にあるテーブルを4人で囲んで、サラミとチーズだけの簡素な夕食をとっているときに、数杯目のプロセッコを飲み切ったフレッドからいきなり「ところでマリ。おまえの母親はなぜカトリックなんだ」と訊かれたことがあった。なぜといわれても、もともとそういう家なので、と答えると「おまえの母親は、イエズス会の思惑に陥れられた連中の末裔ということか」と見開いた目をこちらに向け、「だいたい、カトリックなど日本人のような民族に適応する宗教ではないのに、無茶な試みだった。そう思わんか」と腕を組んで私の反応を窺った。
それに対し、何らかの反論をするには、私の知識はあまりに脆弱過ぎた。仕方なく考え込んでいるふりをしながら黙っていると、私の代わりにジョージが「それどういうこと?」とフレッドに問いかけた。心でジョージに感謝しつつも、情けなさでいっぱいの気分だった。イタリアに来てからというもの、カトリックの教理も歴史も何も知らずに洗礼を受けている自分の立場の心許なさと忌々しさは、際限なく増すばかりだった。
天正遣欧使節団の4人の少年が、長きにわたる渡航の末、訪れる先々で出会うポルトガル人やイタリア人たちを、彼らの揺るぎない神への信仰の裏付けとなる教養と知性で魅了できたのは、島原のセミナリヨでバリニャーノをはじめとするイエズス会の宣教師や修道僧が、しっかりと彼らにカトリックの教理と基礎知識を教え込んだからだ。しかし、私の場合、周りにそんな下準備を提案してくれる人もいなかったし、そもそもイタリアでは自分がカトリックだと言えば誰もが手放しでそれを受け入れて終わる話だとばかり思い込んでいた。もっと、キリスト教やイタリアのことを学んでくるべきだったのかもしれないと今更後悔しても、手遅れだった。
フレッド・パイはジョージに「日本人は本来たくさんの神を信じる国民だ。古代ギリシャやローマの人たちと同じように」という答えを返したあと、黙っている私に向かって、「で、お前はどうなんだ。神を信じているのか」と問いただしてきた。「洗礼を受けていますから」と私がすぐに答えると、フレッドは表情を動かさず、私の顔を睨んだまま言った。
「洗礼を受けているか受けていないかという問いではない。わたしは、お前は神を信じるのか?と聞いているんだ」
お酒が入ると、フレッドの問いかけのくどさが一段と酷くなるのはわかっていたが、自分に関わる話であるだけに、逃げようがなかった。最初はサンドラも助け舟を出してくれていたが、徐々に彼女も私の反応を窺うような視線を向けるようになった。
「神を信じるのは愚か者だ」
半ば躍起になって「信じていたら、どうだっていうんですか」と言い返すと、「それは愚か者だということだ」と秒速で返された。フレッドの目は冗談を言っているようにも、怒っているようにも見えた。そのやりとりを見ていたジョージが飲みかけのワインを吹き出した。
怒りでも悔しさでもない、混じり気のないただの悲しみが自分の胸の中へ津波のような勢いで押し寄せてくるのがわかった。マルコに対する失望もなかなか大きかったが、フレッドの言葉はあからさまに私という人間の愚かさや未熟さを鋭く突いてくるものばかりで、たった17年間の経験で太刀打ちできるようなものではなかった。泣き出しそうになるが、そんな胸の内を見破られないように必死で堪えつつ、乏しい知識と経験であろうと自分をそれ以上傷つけないために、反論するしかなかった。
「じゃあ、あなたは、なぜイタリアで暮らしているんです。ここはキリスト教の国ではないですか」と言ってから、私はフレッドが敬愛するヴェネツィア派の画家・ジョルジオーネの名前を出した。「そもそも、あなたが見せてくれたジョルジオーネの絵も、マリアと幼子キリストがモチーフになっていたではないですか。教会に収められている、人々の信仰のために描かれた絵をあれだけ褒めておきながら、神を信じる人を愚か者だというのはおかしいじゃないですか」
フレッド・パイは無我夢中で言葉をぶつけてくる私の様子を愉快そうに見つめていたが、我慢しきれないという様子でくくく、と笑い出した。さすがにサンドラが「よしなさいよ」とたしなめるが、フレッドは「ジョルジオーネはよかったな」と愉快そうだった。私は今にもその場から立ち去りたい気持ちを抑えながら、俯き続けた。
「悪かった」とフレッドは私の目に涙が溜まっていることに気がついたとたん笑うのをやめ、謝罪した。そして「イタリアは」と人差し指を立てて私に向け、「そもそも、あんたの思っているような国ではない。だから私はここに暮らしていられる。イタリアがどういう国なのか、これからあんたにもわかるはずだ」とゆっくりと穏やかな口調で言った。そして吸っていたタバコを雑な手つきで灰皿に押し付けると、シャツの襟元に挟んでいたナプキンを剥ぎ取り、私たちをテーブルに残したまま、大股歩きで家の中へ戻ってしまった。
「ああやって席を立つのは反省している証拠。悪気はなかったと思うの。ごめんなさいね」とサンドラが私に声をかけ、涙を拭う私の背中を何度も撫でた。フレッドを庇うサンドラの静かで柔らかい言葉が、時間をかけて私の動揺を落ち着かせた。「フレッドは慣れない人にはハードルが高いんだ」とジョージが言葉を挟んだ。「でも悪い人じゃない。本当だよ。フレッドは、ちょっと孤独なんだ」そう補足を入れた息子の頭を、サンドラは慈悲深い微笑みを浮かべながら何度も撫で回した。
あんなに酷い態度をこうして擁護する人がいるということは、私が人として単に未熟なだけなのかもしれない、と思うしかなかった。そういえば、フレッドとの4年の婚姻生活で散々な思いをしたというキャシー・カービーだが、離婚をしたあとも、彼のことを慕い続けていたと伝記には記してあった。どんなにきつい言葉を発しようと、どんなに相手の気持ちを慮らない態度を取ろうと、どういうわけか嫌われない人間がいるということを、私はまずフレッド・パイで学んだ気がしている。
*次回は、5月25日月曜日更新予定です。
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ヤマザキマリ
漫画家・文筆家・画家。日本女子大学国際文化学部国際文化学科特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。97年、漫画家デビュー。2010年、『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。2024年、『プリニウス』で第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。現在「少年ジャンプ+」で、「続テルマエ・ロマエ」を連載中。撮影:ノザワヒロミチ
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- ヤマザキマリ
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漫画家・文筆家・画家。日本女子大学国際文化学部国際文化学科特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。97年、漫画家デビュー。2010年、『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。2024年、『プリニウス』で第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。現在「少年ジャンプ+」で、「続テルマエ・ロマエ」を連載中。撮影:ノザワヒロミチ
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