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コンフェッシオーネーーある告白

2026年3月23日 コンフェッシオーネーーある告白

9.「イタリアの英国人」の正体

著者: ヤマザキマリ

約40年前、17歳の少女はイタリアへと旅立つ。背中を押したのは、敬虔なカトリック信者にして音楽家の母。異国での生活を前に動揺する少女に、400年前、遠くヴァチカンを目指した4人の少年たち(クアトロ・ラガッツィ)影が重なる――。科学と芸術、そして宗教が色濃く共存し続けるイタリアで培ったものとは、何だったのか。人生でもっとも貧しく苦しかった画学生としての生活と、自らの裡に沈殿していた“信仰”を告白。これまで封印していた記憶の扉をひらく、渾身のメモーリエ。

私の自己形成に影響を与えた英国人

 イタリアへ到着してから1カ月と少しが過ぎたころ、私をマルコの家から連れ出したリアーノの家で出会ったイギリス人のフレッド・パイとは、いったい何者だったのか。このエッセイの執筆を始める今の今まで、その名前を思い出すことはほとんどなかったが、あのころの記憶を細かく辿っているうちに、イタリア滞在の初期におけるこの人の存在が、私の自己形成にとって決して小さくはなかったことに今さら気がついた。

 ピッツァ・パーティーの夜以降も、どこかしらでフレッド・パイと会う頻度が増えていった。リアーノの家族とともに招かれた彼らの友人のパーティー会場でも、おしゃれな服を着た人々に混じって、ワイングラスを片手に動き回っている、短パンにヨレヨレのシャツ姿のフレッド・パイを見かけたし、ノーヴェの著名な陶芸作家の個展のオープニングに出向いた時も、空のグラスを手に陽気におしゃべりに興じる彼を見かけたこともあった。

 ひどい英語訛りでありながら、フレッド・パイの喋るイタリア語は語彙が豊かで、イタリア人たちは皆惹きつけられたように彼の話に耳を傾けていた。真面目なのか冗談なのか境目のわからない話し方をする人だったが、言葉で人々を楽しませるスキルの高い人だった。

 ノーヴェの陶器もそうだが、フレッド・パイはやたらとヴェネト州の伝統工芸や美術史に詳しく、その後私をヴィチェンツァの画塾に紹介してくれたのも、ヴェネト州に点在する後期ルネサンス時代の建築家パッラーディオの建造物巡りに連れていってくれたのも、18~19世紀に活躍した彫刻家アントニオ・カノーヴァの生誕地であるポッサーニョを教えてくれたのもこの人だった。

 今年の2月、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックの開会式の解説をNHKから頼まれ、ミラノへ向かった。「ダ・ヴィンチやアルマーニなどミラノにゆかりのある人たちに関連した演出があるらしいが、それ以上の情報はわからない。しかし、何が出てこようとヤマザキさんならば対応できるはず」という読みをNHKはしていたのだろう。実際は、“対応”どころか、中継が始まってまもなく、目の前の舞台にアントニオ・カノーヴァの彫刻のレプリカが並べられているのを見た時は、興奮と驚きで噴水のように横溢する喋りを制御するのが大変だった。カノーヴァは、私がイタリアに暮らすようになってから最初のころに触れた表現者のひとりである。解説を続けながら、そういえばこの彫刻家を紹介してくれたフレッド・パイは今ごろどうしているだろう、とその時一瞬だけ、彼の体裁をまったく気にしない佇まいが脳裏を過った。

有名ポップス歌手の夫として

 シワだらけの服に膝丈の短パン姿で人前に現れることを許されていたフレッド・パイの職業が、どこかの勤め人とかではなく、フリーランスのもの書きだったことは漠然と覚えていたが、学術研究者だったのか、または美術系の評論家だったのか、急に気になりだして「Fred Pye」で検索をかけてみた。

 マイペースな佇まいも含め、かなり独特な雰囲気を纏ったあのイギリス人であれば、活躍したのが過去だったとしても、何某(なにがし)かの情報には行き当たるのではないかという確信に近い期待があったが、意外なことに何一つヒットするものがなかった。画像検索で上がってくる写真も、どれも同姓同名の違う人物だ。もしかすると「フレッド・パイ」は本名ではなくペンネームだったのではないか、という懐疑心が芽生え、半ば諦めながら画像をスクロールしていると、世界最大のストック・フォト・エージェンシーである「ゲッティ・イメージズ」のロゴが透かしで入った白黒写真が目に留まった。

 ブロンドの中年女性と体を寄せ合う、顎のしっかりした背の高いギョロ目の男性。写真のキャプションには「歌手のキャシー・カービーとジャーナリストのフレデリック・パイ。フィンズベリー市庁舎での彼らの結婚調印の直後。1975年1月29日」と記されている。画像を拡大するまでもなく、そこに映っている人物は確かに1984年に私がノーヴェで出会ったフレッド・パイだった。

フレッド・パイ(ヤマザキマリによる肖像)

 写真でフレッドが腰を抱いているキャシー・カービーという女性は1960年代のイギリスのポップ・シーンにおいて人気を博した歌手だが、そのキャプションから、フレッド・パイがしばらくの間この人の夫だったということがわかった。

 大騒ぎするほどのことでもないと思いつつも、思わず担当編集のK氏に「例の、謎のイギリス人の写真がネットにありました。有名なポップスシンガーの夫だったみたい」と連絡をしたところ、彼からはすぐに電子書籍サイトで見つけたキャシー・カービーの伝記の表紙と、その中からめぼしい内容だけ抜粋したスクショが送られてきた。フレッド・パイについて触れられているのは、キャシーとの出会いと結婚、そして破綻の部分だけで、結婚前の彼については何も書かれていない。K氏は大英図書館サイトも調べてみたそうだが、フレデリック・パイの著作は一冊も見当たらないという返事だった。

 警察官からジャーナリストという異例の転身をしたフレッド・パイが、キャシーの伝記を書こうと、その打ち合わせで会ったのが馴れ初めだという。その6週間後に二人は結婚、既にフレッドには前妻との間に18歳と10歳の娘がいたことなど、当時イギリスのメディアで報道されたままのような内容が綴られていた。結婚後、フレッドはキャシーのマネージメントを務め、仲睦まじい夫婦として認知されていたが、休暇中に流血の事態にまで至るほど凄まじい夫婦喧嘩をするなどして、1979年には離婚が成立。その後フレッド・パイはイギリスのメジャーなタブロイド紙である「サン」の特派員としてイタリアのヴェネト州トレヴィーゾに移り住み、そこで、私が出会ったサンドラとはまた別人のアンナという女性と結婚したらしい。その女性との間には子供も生まれたようだが、1994年10月、ちょうど私がフィレンツェで子供を出産したころに、フレッドは心筋梗塞で亡くなっていた。60歳だった。

 フレッド・パイが「サン」の特派員をしていたという記憶は、伝記の文章のおかげですぐに取り戻すことができた。彼が暮らしていたトレヴィーゾから程近い、カステルフランコ・ヴェネトという小さな街の大聖堂にある、ヴェネチア・ルネサンスの巨匠ジョルジオーネの「聖母像」の前でポーズを取る自分の写真と記事が掲載された「サン」の紙面を、得意気にリアーノや私に見せびらかす姿も蘇ってきた。私がジョルジオーネなんて知らない、というリアクションを返すと、頭を抱え「世も末だ、お前はなんて無知なんだ」と言わんばかりに床にしゃがみ込んだ彼の姿まで思い出してしまった。ジョルジオーネは確かフレッド・パイが最も敬愛していた画家で、結局そのあと強制的にカステルフランコの大聖堂まで連れていかれたが、当時の私の知識では、彼のヴェネチア・ルネサンスに対する好奇心と情熱を共有することは無理だった。

 よく考えてみれば「サン」のような保守色の強いタブロイド紙に、ヴェネチア・ルネサンスのようなマニアックで高尚な文化関連の記事を掲載してもらっていたというのも不思議な話である。ただ、キャシー・カービーとの結婚生活が行き詰まっていたころ、フレッド・パイは妻に黙って行方をくらまし、音信不通のままローマに5週間も滞在していたほどのイタリア好きだから、「サン」の特派という仕事も、イタリアに移り住みたいがために、何か特別なコネクションを使って実現したことなのかもしれない。

ふたたび開いた記憶の扉

 それにしても、なぜジョルジオーネの絵画のあるカステルフランコだけではなく、先述のアントニオ・カノーヴァの生誕地にある美術館や、ヴィチェンツァ周辺に点在する建築家パッラーディオの代表的な建造物を見せに連れていってくれたのがフレッド・パイだったのか。疑問を解こうと記憶をたぐり寄せているうちに、自分がこの人の家にもしばらく滞在していたことを思い出した。

 おそらくフレッドがリアーノに、いつまでも赤の他人の小娘の面倒を見続けるのも大変だろうから、うちにもよこしなさい、といったような提案をしたのかもしれない。マルコの家からリアーノの家に移り、やっと落ち着けそうだと思っていた矢先に、また別の人の家へ盥回しとなってしまったわけだ。そんなことはすっかり忘れ去っていたが、娘にイタリアで本格的な絵を勉強させるという母の先走った思惑が、マルコとほとんど共有できていなかったことを認識した時点で、期待や希望というものを控えるようになっていた私には、よく知りもしないイギリス人の家へ引き取られるという顛末も、さして思い出すほどのことでもなかったのだろう。

 フレッド・パイが借りていた家は、トレヴィーゾの農作地帯の一角にある、日本で言えば“字”にあたるような場所にあった。周りには民家もなく、ところどころポプラの並木に仕切られた広大な畑と畦道(あぜみち)があるだけで、買い物へ行きたい場合は自転車を使うか、フレッドが愛用していたピアッジオのペダル付きバイクで移動するしかなかった。住居の傍らにロンドンから乗ってきたというオンボロのミニクーパーが置いてあり、ジョルジオーネなどを見るのに少し離れた場所へ行かねばならない時はその車を使った。

ヴェネト州トレヴィーゾの農村の風景(著者撮影)

 フレッド・パイの家はひどく散らかっていた。年季の入ったテラコッタの床には、いつのものかわからぬ変色した雑誌や本、衣類が乱雑に散らばっていた。しかし、当時のパートナーであるサンドラもそれを片付けようとする様子もなく、二人は昼間から庭のベンチに腰掛け、タバコ片手に「プロセッコ」という地元産の微発泡のワインを飲みながら、悠長に新聞を読んだり英語で世間話を交わしたりしていた。

 私が気を使って散らばっているゴミを片付けようとすると「ほっといていいのよ」とサンドラから止められたこともあった。「あの人は家が片付いていると集中できないから、いいのよ、そのままで」というようなことを言われた記憶もあるが、とにかくこの二人は毎日夕方近くになるとすっかり出来上がっていて、ラジカセから流れてくる当時のちゃらちゃらした流行歌(実はこの曲も、今回の冬季オリンピックの開会式に使われていた)に合わせて踊ったりしていた。もちろんこの時はフレッド・パイの素性など知らないし、サンドラには私と同じ年の息子がいると教えてもらっていたから、決して若くはないそんな二人のはしゃぎっぷりを見ていると、恋愛経験の少ない私ではあっても、それぞれに一筋縄では行かない過去があったことはなんとなく察しがついた。

 

 

*次回は、4月27日月曜日更新予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ヤマザキマリ

漫画家・文筆家・画家。日本女子大学国際文化学部国際文化学科特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。97年、漫画家デビュー。2010年、『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。2024年、『プリニウス』で第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。現在「少年ジャンプ+」で、「続テルマエ・ロマエ」を連載中。撮影:ノザワヒロミチ

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