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「反東大」の思想史

2019年1月28日 「反東大」の思想史

第6回 「帝国大学システム」とその敵

著者: 尾原宏之

「一高−東大」の原型

 福澤諭吉が『時事新報』でなかばやけくそに見える官学廃止論を訴えていた明治20年代初頭は、明治政府が帝国大学を頂点とする学校の体系を創造しようとしていた時期に重なる。
 まず1886(明治19)年3月2日に、帝国大学令が公布され、それまで存在していた「東京大学」が帝国大学に改められた。帝国大学の前身たる「東京大学」が決してほかの学校を圧倒するような存在ではなかったことは、多くの研究者によって指摘されている。「東京大学」は、古くは徳川期の蕃書調所に起源を持つ東京開成学校と、医学所に起源を持つ東京医学校を合併して1877(明治10)年に設立された。その意味で学問的な由緒と優位は主張できるだろうが、卒業生の立身出世を保証するような特権があるわけではなかった。当時の日本には、司法省法学校、工部省の工部大学校、そして開拓使の札幌農学校といった各省庁設立の高等教育機関があり、近代化のために必要な人材をそれぞれ養成していた。「東京大学」を卒業したところで、渡世上特別の利益はない。「高等教育の乱立時代」「高等教育の八ヶ岳時代」(竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』)と称される所以である。

工部大学校(現在の東京大学工学部の前身のひとつ)

 その状況は、1886年に根本的に改められた。司法省法学校(のち東京法学校)、工部大学校が文部省に移管され、やがて「東京大学」と合併して唯一の大学である帝国大学となる。教育面、研究面での圧倒的優位だけでなく、すでに触れたように、高等文官試験の免除をはじめとして、卒業生が社会の階梯をのぼっていくためのさまざまな特典が付与され、その特権的地位は揺るぎないものになっていく。1897(明治30)年、二番目の帝国大学が京都に新設されるに際して、東京帝国大学と改称された。 

森有礼

 この学校システムの設計者が、初代文部大臣森有礼であることはよく知られている。森は3月の帝国大学令に続いて、4月には師範学校令、小学校令、中学校令を制定し、学校の体系を再編した。これらの法令は、国家と社会を指導するエリートが、どのようなルートで養成されるかを明確に示している。中学校令によれば、中学校は尋常中学校と高等中学校の二段階から成り、高等中学校は文部大臣の管理下に置かれる(第2条)。高等中学校はさらに上級の学校すなわち帝国大学に進学するための教育を行う学校で、北海道と沖縄を除いた全国5区に1校ずつ設置される(第4条)。これによって、東京大学予備門を前身とする第一高等中学校(東京)、第二高等中学校(仙台)、大学分校を前身とする第三高等中学校(大阪のち京都)、第四高等中学校(金沢)、第五高等中学校(熊本)が新設された。それぞれ帝国大学内の法科・理科・医科・文科などの「分科大学」(のちの学部に相当する)は、この高等中学校卒業を入学の基準としている(「分科大学通則」)。つまり、高等中学校から帝国大学というエリートコースがここに用意されたのである。

旧・第五高等中学校本館(現在は熊本大学五高記念館)(MK Products / Wikipedia Commons)

 これらの高等中学校は、やがて(旧制)高等学校に改められる。全国の若者を羨望と嫉妬に狂わせ、壮絶な受験地獄を現出する〈旧制高校から帝国大学へ〉という黄金のルートがここに開かれた。その頂点に位置するのは、現在の東大に連なる第一高等学校から東京帝国大学というコースであることはいうまでもない。もっとも、設立初期の高等中学校入学の問題点は受験生の殺到ではなく、尋常中学校卒業生の学力が低すぎてダイレクトに高等中学校に接続できないことだったことも指摘されている(天野郁夫『大学の誕生』(上))。
 帝国大学の設立とその下に位置する高等中学校の整備は、唯一かつ最高の教育研究機関が政府によって作られたことを意味するだけでなく、そこにアクセスするルートも原則として政府が独占的に管理することを意味していた。同じく10代の少年を主たるターゲットとする慶應義塾の福澤と彼が発行する日刊紙『時事新報』が、この時期ファナティックなまでに官学廃止論を絶叫したのは、考えてみれば自然なことなのである。 

帝国大学とその敵

 だが、帝国大学の敵は福澤だけではなかった。森有礼と文部省が構築した〈帝国大学システム〉は、すぐに新たな敵に包囲され、深刻な危機を迎えるだろうことは早くから予想されていた。1890(明治23)年に開設が予定されている、帝国議会がそれである。
 政府の教育介入に反対する者たちがいかに官学廃止論や教育自由化論を訴えようとも、極論をいえば無視してまったく問題ない。だが、彼らが全国各地の選挙区から衆議院議員総選挙に出馬し、やがて帝国議会に姿をあらわしたとすればどうだろうか。
 戦後の日本社会では、明治憲法の「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」(第5条)という条文に記された「協賛」という文字や、軍部の横暴の経験などから、帝国議会があたかも脆弱な機関であったかのように語られることが多い。だが、実のところ帝国議会は法律案や予算案の「事実上の生殺与奪の権」(三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』)を握る強い力を持つ機関であった。法律案も予算案も議会を通過しなければ成立しない。緊急時に天皇が勅令を発した場合も、事後に議会が承諾しなければ効力を喪失し(第8条)、予算案が議会で不成立の場合は前年度予算をそのまま踏襲しなければならないのである(第71条)。

帝国議会議事堂

 なんらかの理由で、政府の特定の政策をつぶしたい者たちがいたとする。彼らが衆議院議員となり、徒党を組んで議会の多数派を占めれば、政府提出の予算案の関連項目をことごとく削除することが理屈上は可能である。
 そのことは、官学中心の文教政策についても、もちろんあてはまる。帝国大学をはじめとする官学が政府の支出で運営される以上、予算審議を通してそれを窒息させ、場合によっては死に追い込むことも決して夢ではない。もちろん明治憲法にはそういった事態を防ぐための手段も用意されてはいたが、少なくとも丸腰で帝国議会に臨むことは政府にとって危険極まりない行為ではあった。 

民権家たちの学校論

 そして、その危機は現実のものになりつつあった。1890年7月1日、第1回衆議院議員総選挙が行われた。その結果、政府に反対する旧民権派が300議席の過半数(171)を占めることになった。旧自由党系の諸派は選挙後に立憲自由党に合流して130議席を確保し、明治十四年の政変で下野した大隈重信によって創設された立憲改進党も41議席を得た。
 当選して立憲自由党に所属した衆議院議員のなかには、たとえば自由民権運動を牽引してきた思想家である植木枝盛(1857〜1892)がいる。植木は、1880(明治13)年、『愛国新誌』に論説「教育ハ自由ニセザル可カラズ」を発表し、政府による教育の干渉・監督を批判し、文部省の縮小ないし廃止を主張していた。

植木枝盛

「元来文部ナル者ハ……一国ノ政治中ニ於テ甚ダ緊要ナルモノニ非ズ、人智漸ク上進スレバ文部ハ速ク其区域ヲ縮小スルモノナリ」
 教育の推進や監督は、政府が取り組むべき喫緊の業務とはいいがたい。国民の智力が発達するにしたがって、文部行政は縮小していくのが本来のあり方である。植木はそう訴えた。
 また同じ第1回の総選挙で立憲改進党から当選し、やがて連続当選25回、議員生活63年という不滅の記録を打ち立てる「憲政の神様」尾崎行雄(1858〜1954)も文教政策に強い関心を抱いていた。総選挙の年の2月、尾崎を中心人物とする『朝野新聞』は政策集「政紀十条」を発表する。その解説である「十政紀説明」のなかで、帝国大学の「学政改革」について次のように主張した。
 「帝国大学各科の主要は医、工、理、三科に在りて法、文の両科は次位に置くべし」
 帝国大学を理系中心に再編し、文系はその下に置かれるべきだという提言である。実際の帝国大学は、法科を最も重視していた。法科大学の学長(いまでいう法学部長)は帝国大学全体の総長を兼ねており、医科・理科・文科の入学定員が60名、工科が70名なのに対し、法科にはそれらの倍以上の150名が割りあてられていた(天野前掲書)。文官試験における特権と相まって、国家を担う官僚を養成することが帝国大学の最重要課題だったのである。

尾崎行雄

 『朝野新聞』は、それをやめて理系優先にせよ、という。法科、文科については、「私立大学の発達を見計らひ、漸次に之を引き渡されんことを望む」つまり、文系の高等教育は私立学校を育成してそれに委ねればよい(『朝野新聞』1890年4月6日)。同紙によれば、これまでのところ帝国大学は「格別目に付く程の」業績もないわりに年間約33万円の予算を食い潰している。莫大な経費がかかる理系教育はどうしても帝国大学が担当しなくてはならないが、「政治、法律、経済、文学等の諸科」は、将来できるはずの私立大学に任せるべきである。遠からず関東関西の間にひとつふたつの私立大学が完備されるはずだ、と述べているが、おそらく慶應義塾と同志社を指すのだろう。尾崎(そして同じく朝野新聞社員の犬養毅)は慶應義塾の出身者でもあった。
 立憲自由党の植木も立憲改進党の尾崎も、高度な学問、とくに資金を要する理系を政府が担当することについては、否定していない。しかし文部省縮小(廃止)論といい、帝国大学の文系教育からの撤退といい、彼らの言い分をそのまま聞いたとすれば、現実とはまるで異なる教育制度ができあがるはずであった。 

官学廃止論の噴出

 第一議会に臨む民党、すなわち立憲自由党、立憲改進党がみずからの使命とした課題は、地租の軽減と政費の節約を通した「民力休養」であった。すると、政府予算の大幅削減が第一の目標となる。文教予算もその例外ではなかった。
 1890年11月29日の帝国議会開会の翌月12月23日、衆議院予算委員会総会で文部省関連の予算が審議された時、口火は切られた。予算委員長の大江卓(1847〜1921、岩手5区、立憲自由党、西南戦争の際、林有造、陸奥宗光らとともに立志社の政府転覆計画に加わり禁獄10年に処せられたことで知られる)が「文部の事に就いて別に御異議がなければ原案の通り……」と議事を進行しようとした瞬間、立憲自由党の堀内賢郎(長野3区)が発言した。
 堀内「私は文部省中の高等中学に属する費用は、一切削除する事を建議します」
 すでに見たように、森有礼が設計した新たな学校体系において、高等中学校は帝国大学に進学する者を養成する機関であった。森は前年の1889(明治22)年の2月、国粋主義者に暗殺されてこの世を去っていたが、すでに中学校令制定以降、東京の第一、仙台の第二、大阪の第三、金沢の第四、熊本の第五の各高等中学校が設立され、第三高等中学校は京都に移転を完了していた。堀内は、これら大学への予備教育を担当する学校の予算を全額削除しろと主張しているのである。要するに、高等中学校廃止論以外のなにものでもない。

旧・第四高等中学校本館(現在は石川四高記念文化交流館)(663highland / Wikipedia Commons)

 この堀内の動議に対して大体の賛成を評しつつも疑義を呈したのは同じ立憲自由党の工藤行幹(青森1区)である。工藤は「之(高等中学校)を廃する以上は、他に予備校か何かの見積をしなければならぬが、別に設けぬとの御見込ですか」と堀内に質問したが、堀内は「設けない積りです。そう云うものを造ると矢張五十歩百歩になるから」とそっけなかった(「衆議院予算委員会速記録第11号(総会)」。原文はカナ、旧字旧仮名遣いは改めた)。それを聞いて工藤は動議に賛成しないことを表明したが、教育学者の羽田貴史が指摘するように、これは立憲自由党内部でも決して高等中学校廃止論でまとまっていなかったことのあらわれだろう(「明治国家の形成と大学・社会」)。
 この堀内の高等中学校廃止案は、立憲自由党の加藤勝彌(新潟2区)の賛成を得て正式に議題となる。だが、官学廃止論はこれにとどまらなかった。女子教育の最高機関である女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の廃止論も、次々と議場に提出されるにいたったのである。

女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)と東京音楽学校(現在の東京藝術大学)

 のちに「一高東大」を頂点とし、圧倒的な権威を持つ〈帝国大学システム〉だが、地方から選出された代議士たちの強烈な攻撃に直面することとなった。

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*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

尾原宏之

甲南大学法学部准教授。1973年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本放送協会(NHK)勤務を経て、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。著書に『大正大震災ー忘却された断層』、『軍事と公論―明治元老院の政治思想』、『娯楽番組を創った男―丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』など。 (Photo by Newsweek日本版)

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