4月15日(月)
前回のにがにが日記について、おさい先生からクレームが来まして、「ファンケルが2回来たうちの1回は、『お皿です』って書いておけ。わかるひとにはわかるから、書いておいてください」ということだそうです。ぜんぜん何のことかわからんけど、書いておく。
ファンケルのお皿って何や。
なんしか「買いすぎてるわけではない」ということらしい。
もう1件クレームをいただいております。京田辺に住んでる姪っ子から、「あれは春休み期間だったからで、大学の授業があるときはもっと賑わってます」ということでした。
お詫びして訂正します。
仕事を激減させたおかげで、ひさしぶりに「ヒマ」というものを感じられるようになったのだが、これってよく考えるとこっちのほうが当たり前で、もとに戻っただけだ。これまでが異常だったのである。もともとそんなにバリバリ仕事するタイプじゃなかったのに。
今年度はもう無理をしないようにしたい。
しかし今年も桜がきれいだったですな。
『新潮』のリレー日記で、近所の川に桜を見にいってそこで寿司の醤油を落として何もかもダメだっていう気分になった、ということを書いたのは、もう2年前か。そして1年前は、確かにがにが日記で「今年は醤油を落としませんでした」と書いた。
今年は寿司を買わずにパンを買って食べました。桜を見ながらパンを食べてるとハトがめっちゃ集まってくる。
一切やらん。
ファンケルでお皿をゲットしたらしいおさい先生だが、最近はNetflixのオリジナルドラマの「リラックマとカオルさん」にハマっている。
ちょっと見せてもらったが、とても良い。CGを、わざとストップモーションのクレイアニメっぽい感じにしてるんだ、と思ったら、ほんとにストップモーションらしい。すごい手間と予算だな。「等身大のOLの日常」みたいな感じ。でもちょっとなんか妙にリアルなところもあって、ちょっとだけ心が痛い話もある。
リラックマかわいいな。
うん。
でもウチにもおるからな。
りらっねこやな。
りらっねこってめっちゃ言いにくいな。
めっちゃ言いにくいな。りらっねこ。
りらっねこ。
りらっねこ。
しばらくふたりで「りらっねこ」「りらっねこ」「りらっねこ」「りらっねこ」と声に出して言っていた。
舌がねばねばのねちゃねちゃになる感じ。りらっねこ。
声に出して言うてみてください。
電車のなかとかで。
4月16日(火)
もうずいぶん昔のことだけど、名前の画数っていうものが気になって検索したことがある。姓名判断っていうんですか、ひとの人生が幸せかどうかは、その名前の漢字の画数で決まるっていうやつ。
バカバカしくて笑える。どんな因果関係なんだ。
たしか社会学入門みたいな授業で、ラベリングとか予言の自己成就みたいな話をするときにネタにしたんだと思う。
で、検索して調べてみたら、私の人生が幸せになる漢字に、「汗」「肉」「尿」が含まれていた。
岸汗彦。
岸肉彦。
岸尿彦。
幸せになるわけないやろ。
しかし「岸肉彦」はちょっといいなと思った。肉彦。
「岸」姓の方は、ご自身の息子さんに「肉彦」と命名して、幸せになれるかどうか実験してみてください。
ところで「図書室」が三島賞の候補になりました。とてもうれしい。
前回、「ビニール傘」で芥川賞と三島賞の候補になったときはもう、混乱して困惑して、何が何だか訳がわからんかったけれども、今回は素直に素朴にしみじみとうれしい。受賞するかどうかはあんまり考えてないけど、でもやっぱり受賞できたらいいな、と素直に思う。できなくてもぜんぜんいい。
2週間ぐらい前のことだけど、梅田蔦屋書店のなかにあるラウンジ(真ん中のとこじゃなくて、隅っこの、大阪駅を見下ろす壁一面のガラスのところの、いつもトークイベントとかやるコワーキングスペース的なほうのラウンジ)で座ってロバート・ブランダムの『推論主義序説』を半泣きで読んでたら、担当のtbtさんから電話がかかってきて、「図書室」が三島賞の候補になりました! と伝えられた。
もともと単行本にしましょう、という話はしていたのだが、これを機に急いでしましょう、ということになった。
候補もうれしいけど、単行本になることがうれしいな。たくさん読まれますように。
肉彦じゃなくて政彦でもいいことがある。
5月17日(水)
毎日まいにち少しずつ夏っぽくなっていく。
冬のあいだ、寒い寒いといって靴下をはいて、スリッパをはいて暮らしている。そのうち春が来て初夏が来て、いつのまにか裸足になっている。
あれっいつのまにスリッパ脱いだんだろうといつも思う。
スリッパ脱ぐとき靴下も一緒に脱いだんだろうか。どの瞬間に俺は裸足になったんだろう。
いつも不思議なのだが、いつもその瞬間を見ることができない。いつも、夏がくるといつのまにか裸足になっている。
そうやって気がついたら51歳になっている。そのうち死ぬ。
おはぎやきなこの寝る場所がよく変わるので、そのつど季節を感じる。冬のあいだはストーブの前を占領している。寝るときは布団のなかだ。きなこはずっと布団のなかで、おはぎも入ってくるんだけど、長毛族なので途中から暑くなるらしく、気がつけば外に出ていて、布団の上から俺の足の間にすっぽりと埋まっている。
ここ18年ぐらい、冬のあいだに寝返りを打ったことがない。
夏の間は1階のクローゼットのなかがお気に入りだ。家のなかでいちばん涼しいのがここだ。
よくわかってるなあ、と思う。賢いよなあ。
これを書いているいま、おはぎはリビングの大テーブルの上の小さなカゴのなかで寝ている。撫でるとあくびをしたので指をつっこんだら噛まれた。
18年間ずっとこれやっているが、飽きない。
そしておはぎもまったく学習しない。あくびをしたら指を突っ込まれる可能性がある、ということを、一切考慮せずあくびをしている。そして口を閉じるとき指を噛んで自分でびっくりしている。
昨日の夜、おさい先生がおはぎに日本語で話しかけながら、気がつけばきなこきなこと呼びかけながらしくしくと泣いている。
あんなに泣いたのに、きなこを思っていまだに泣いている。
もう1年半が経つんだけどね。
さみしい、切ないという気持ちが消えない。どこで誰と何をしてても、気持ちの底にさみしいという感情が常にある。
4月18日(木)
数日前に散歩をした。おさい先生が大阪市大で用事を済ませた帰りに早い時間に天王寺で待ち合わせをして(合流する前にひとりであべちかで海老天丼食べた。昼間なのでビールはやめといた。ああいうファストフードの天丼屋が好きだ。海老天も好きだが鳥天も好きだ。白いご飯が好きなのでつゆは少なめが好き)、天気が良かったので天王寺公園に行く。きれいになってから初めて行った。あそこで寝てたおっちゃんたちはどこ行ったんやろなあ。
美術館でフェルメール展がやってて、そんなに混んでなかったので、なんとなく入ってみた。わりと良かった。
フェルメールに至るまでのオランダ絵画がたくさん並んでて(フェルメールの作品が少ないからだろう(笑))、手法と時代ごとにわかりやすく整理されていた。神話や聖書の「名場面」を描いたものから、徐々に人びとの普通の、日常的な暮らしの描写に主題が変わっていって、フェルメールになるともう固定した構図を繰り返し使って、光と陰を描写する抽象的なものになっていく。「見る」ということそのものが主題になっていくのである。
知らんけど。
なんかインテリっぽいこと書いてて恥ずかしい。
まあいいや。
それにしても、写真も映画もテレビもない時代に、「ある光景を切り取って保存する」という絵画のインパクトは、どれくらいのものだっただろうと思う。写真も映画もテレビもない世界で、薄暗い教会や邸宅の壁に飾られた絵画を見たとき、みんなどう思っただろう。
視覚的な感受性を持って生まれた子どもが、写真も映画もテレビもない世界で、生まれて初めてダヴィンチの絵画を直接その目で見たときの衝撃は、どれくらいのものだっただろう。
あと、天王寺の美術館はほんとうに建物が良い。いま大阪は古くて良いものがどんどんなくなって、ただ外見だけが派手な、安っぽいものに変わっていくけど、これだけは残しといてほしいな……。
帰りに四天王寺らへんを散歩してたら、ドラマーの弦牧くんに会うた。ていうか、弦牧くんの実家の仏壇屋さん(多宝堂)の前を通りかかったので、店先の写真を撮って「いまここ」って弦牧くんに送ったら、店を飛びだして走って追いかけてきてくれたのだ。
のんびり歩いてたら後ろから突然、息を荒くした弦牧くんが現れてびっくりした。
弦牧くんは、
このへん猫多いすよ。
とだけ言い残して、店に帰っていった。
天王寺のあたりはほんとに散歩してて楽しい。古き良き大阪。

4月19日(金)
毎日書いてるわけじゃなくて、気が向いたときに適当な日付をつけて書いているので(ほんとうにその日の出来事を書くことも多いが)、日付の意味があんまりないなあと思って、わざと5月にしたりしてみた。
たぶん新潮の校閲さんから「5月になってますが、OK?」というエンピツが入ってると思う。
ひっかかったな。
わーざーとーでーすー。
いやむしろ「5月17日は金曜日ですが、(水)でOK?」というエンピツが入るかもしれない。
前回のにがにが日記で、どら焼きを買おうと阪急の地下のたねやで並んでたら、おばちゃんが「うちと妹の分やから、包まんでええよ」って言った、という話を書いた。
そのあと、おさい先生が服を見てたら、たまたまその場にいたおばちゃんが店員さんに、「私はこのヒラヒラが好きなんやけどな、ウチの子らが嫌いやねん」って言ったらしい。
めちゃかわいい。
店員さんも「そうなんですねー」しか言えないだろうけども。
いよいよ夏みたいになってきた。
うちの風呂はタイル張りで、天井のところに小さな明かりとりの窓がある。たまに、昼間シャワーを浴びるときに、わざと電気を消して、その窓から入ってくる光だけにすることがある。
冷たいタイルの床にシャワーのお湯があたり、そこにぼんやりと陽の光が小さく差してて、いつもなんか、夏休みの民宿みたいやなと思う。
自然光だけでシャワーを浴びると、夏の民宿の風呂場みたいになります。
うまく言われへんけどわかるかな。
19日は三島賞候補の発表で、15時には発表しますと言われてずっと待ってたんだけど、けっきょく新潮社のウェブサイトで発表されたのは16時すぎだった。
ページが更新されて1分後ぐらいにtwitterでお知らせしました。
大阪弁で言うところの「うれし」である。
うれしがりの「うれし」。
俺、うれしやん。
そのあとコンビニでレジメを150枚コピーして、京都駅前のキャンパスプラザへ。応用哲学会の「サテライトイベント」に参加し、報告させてもらったのである。3ページのレジメを50部も用意すればいいだろうと思って会場に行ったら、90席の会場に立ち見がたくさん出るくらいの人が集まっていてびびった。100人ぐらいは来てたと思う。若いひとが多かったな。ウチの院生もたくさんいた。
内容は、そのうち文章にしたいと思ってるけど、A. R. ホックシールドの「ディープストーリー」っていう概念を題材にとって、「他者を理解するときに、相手の信念を保留することができるか」っていう話をした。「できない」が結論。あるいは「できるだろうけど、思われてる以上に難しい」。なぜかというと、会話というものには、推論主義意味論でいうところの「コミットメント」が必ず発生するからであり、云々。
理解できない他者、あるいは、受け入れられない信念を持った他者を理解するときに、その信念や価値観みたいなものを括弧に入れて、その信念に対して「中立」の立場から理解しようとするのが社会学でも人類学でも王道のやり方なんだけど、現場でのコミュニケーションに「入って」しまうとそれはけっこう難しいんじゃないかな、という問題提起のための報告で、対案はない。答えはありません。ない。
4月26日(金)
忙しい。去年のにがにが日記を見返してみても「忙しい」しか書いてないな。
結局今年も忙しいやんけ。仕事減らしたはずなんだけど。
こないだ西院の串カツ田中にひとりで寄ってビール飲んでから帰った。
串カツを5本ほど注文。豚、チーズ、手羽元、茄子、筍。そしたら店員さんが「1本ずつで大丈夫ですかー」って言った。
いやひとりで2本ずつ10本も食わんわ。
なんか「そういうおっさん」に見られるみたいで、定食屋に入ると必ず毎回「大盛り無料ですよ」「おかわり無料ですので」って言われる。
そんなに白い飯食えんわ。
よっぽどそういうおっさんに見られているのであろうか。
にんにく嫌いなんですよ。
っていうと絶対に「えーーそういうふうに見えへーん」って言われる。
どういうふうに見えてんだ。
あと実はキムチもあんまり好きじゃない。
「えーー意外っすねー」
なぜだ。
前に餃子の王将のカウンターで片手に文庫本読みながら焼き飯と餃子食ってたら(にんにく嫌いだが王将の餃子は好き)、たまたま学生に目撃されて、「岸先生ほど王将のカウンターが似合う男もいませんね」と言われた。
褒められたのだと思いたい。
昨日まで2日連続で院生さんの個人面談が合計8人入っていて、ひとり1時間ずつだから8時間ほど話を聞いていた。面談が終わってから、そのまま流れで研究室で飲み会になった。たまたま差し入れおよびお土産のビールと日本酒があったのだ。軽く飲むつもりがけっこう飲んじゃった。
いろんな話を聞いた。若い院生さんもみんなそれぞれいろんなものを背中に背負ったりお腹に抱えたりしている。みんな大変だな。とりあえず俺にできることは、いい論文書いてね、と言うことだけだ。みんないい論文書いてください。がんばれ。
そういえば昔、学生に「そういえば俺むかし痩せてたんだよねー」って言ったら「えーーめっちゃ意外ー」って言われたのを、たったいま思い出した。
くっそー。
4月27日(土)
さいきんイチゴのショートケーキばかり食っている。果物は嫌いなのだが、イチゴのショートケーキだけは好きで、いや普通にフルーツタルトとかも大好きなんですが。お菓子になってる果物は好きだな。あと酒。ウォッカのグレープフルーツジュース割とかよく飲みますね。果物自体は嫌い。ほんとどうでもいい話だけど。
イチゴのショートケーキも、別にそんなに好きじゃなかったんだけど、なぜか数年前からよく食べるようになった。食べ物の好みって変わるんだな。
ほんとどうでもいいですが。
さいきんApple Musicでよく聴いているのは、アフリカとカーボベルデの音楽。とても良い。アフリカっていっても広いけど、コンテンポラリーでポップなやつ。そういう音楽を聴きながらミュージシャンを検索して調べると、だいたいみんなパリに移住しちゃうんだね。ワールドミュージックの中心地になってるっぽい。
なんか「新しい音楽を聴けなくなったら老化」とかよく言われるよね。そんな簡単には言えないとは思うんだけど、まあなんか、そういうもんかな、とも思う。
なるべく新しい、これまで聴いたことのないジャンルの音楽を聴くようにしている。
ロック以外。
そういえばおさい先生は付き合い始めたとき、実はヘビメタが好きだったのだ。俺はジャズとボサノバが好きで、まあ音楽の趣味は合わんかったな。おさい24歳、おれ30歳。
おさい先生、いまではサルサを聴きまくっておられます。これだと一緒に聴ける。
もともとロック少女だったんだけど、いちどラテン音楽を聴いてしまうと、もう単調な8ビートの世界には戻れない、と申しております。もちろんそんなこと人それぞれですが。まあしかしわかる。
スペイン語も独学でペラペラになっておられます。こないだメキシコでスペイン語で学会報告されてました。ISAのRC06。
オチもまとまりも何にもない話。
4月28日(日)
GW初日、須磨を散歩した。ふと気がつくとGWは毎年須磨に行ってる。自分のなかで、電車で行けるもっとも幸せな場所、ということになっているらしい。
ほんと好き。山があって、すぐに街があって、すぐに海がある。こんなに良いところはない。
須磨のビーチは、風が強くて肌寒かったけど、家族連れがたくさんいた。
良いなあ。
長田のあたりも歩く。家がぜんぶ新しい。震災で大きな被害が出たところだ。再開発された、人っけのない商店街に、きれいな街灯が並んでいる。ケミカルシューズの町工場がたくさんあって、そのなかにベトナムの食材屋さんがあった。実習生がたくさんいるんだろうか。
震災の聞き取りもしたかったな。地元関西でもっと調査したかった。
いつかやろう。
気がつくと三ノ宮まで歩いていた。連休で、ともだちからおすすめしてもらった中華料理はどこも予約でいっぱいで、センター街のモロゾフでお茶飲んで、阪神で梅田に戻り、阪神百貨店の下の立ち食いのいか焼きのところで晩ご飯。おさい先生はいか焼き。私は天丼。うまかった。
神戸はほんとうに良い。遊びに行って楽しくなかったことがない。
職場があったら嫌いになってただろうかと思う。
京都も嫌いじゃないけど、仕事で通勤してると、休みの日にわざわざ京都に行くということがなくなる。
神戸には100%遊びでしか行かないので、そりゃ楽しいのも当たり前である。
しかしやっぱり神戸が好きだ。須磨も好きだし、長田のあたりも好きだし、元町らへんも好きだ。山手のほうも好きだし。好きじゃないところがない。
神戸で生まれて育ちたかった。神戸で人生を過ごしたかったと思う。
そしたらやっぱり、東京とかに出て行っちゃってただろうか。それで、神戸に生まれて、東京に住んだら、それはそれで大阪とかの「他の街」に憧れたりするんだろうか。
そして「大阪好きだ。大阪で暮らしてみたかった」とかいって、大阪で家を買って大阪で生きていく人生のことを想像しただろうか。
いまの大阪での人生は、他の街で人生を送っていた別の俺が空想してるものなのかもしれないと、いつも思う。
5月4日(土)
何してたっけな。
昨日、打越正行とトークライブしました。「ついに出た」感がある、打越正行『ヤンキーと地元──解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(筑摩書房)。15年来の付き合いなのだが、社会学業界では「知る人ぞ知る」逸材として有名だったのだが、その初めての単著がようやく形になった。一流のルポルタージュでもあり、同時に堂々たる正統派の社会学的モノグラフでもある。
いやしかし、付き合いが長いこともあって、ほんとうに感無量である。ここ数年は共同研究者としてしょっちゅう沖縄で飲んでた、もとい、研究会をしていたので、本書に出てくるエピソードはほとんどリアルタイムで聞いていた。それが本になっている。こんなにうれしいことはない。
上間陽子『裸足で逃げる──沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)と並ぶ、「沖縄の語り方を変える」名著である。
なんといっても、沖縄の暴走族の少年たちを取材するために自分も原チャリで一緒になって走り、そしてみんなが暴走族を卒業して日雇い労働者になったら、今度は自分も同じ飯場で働いたのである。
そうやって、10年以上かけて、同じ若者たちのグループと寝食を共にして調査してきたのだ。イベントのときも熱く語ったけど、これはただ単に、若者たちの人生の10年を見てきた、というだけではない。
その間、打越正行の人生にも、おなじ10年が流れたのである。
つまり打越は、自分の人生の10年という時間を、調査のために差し出したのだ。
これはそういう本だ。
そしてまた、ぱっと見、一般向けのルポのようだし、実際にそのように面白く読める本なのだが、もとになっているのはいくつかの学術論文であり、この本は意外なほど「理論的」である。そのうち、この本の理論的側面について、あるいはこの本を「社会学的に」どう読んだらよいのかについて、自分のブログにでも書こうと思っている。
去年の秋ごろから鬱になり、今年の春休みにいっせいに仕事を減らしたのだが、打越正行とのトークイベントと、稲葉振一郎とのトークイベントだけは残したのである。これは絶対俺がやらないといけないと思った。
それぐらい気合いを入れて、昨日のイベント当日。
かなりギリギリになってロフトプラスワンウエストに着いて、楽屋に行った。
打越はもうビール飲んでた。
やる気あるのか……………。
というわけで2時間半、140人近いお客さんでぎゅうぎゅう詰めになったロフトで、思い切り喋り倒しました。そのあと内モンゴル羊肉火鍋の店で打ち上げをして、ワインバーに移動し、結局夜中の3時まで飲んでた。風邪気味だったんだけど、喋ってるうちに治った。
そして今日は廃人だった。いくつかの原稿を読み、書き、雑用のメールを出した。あとはひとりでぶらりと梅田に出て、揚子江でラーメン食った。揚子江ラーメンは大阪の至宝である。食ってすぐ帰った。
まあしかし、打越正行と稲葉振一郎と同時にトークイベントできるのは、世界で俺だけであろう。6月の稲葉対談も非常に楽しみである。それまでに勉強しときます。
そのほか、『文學界』で書くことになっている川上未映子さんの新作に関する短い評論の準備と、あと今回三島由紀夫賞の候補になった自分の『図書室』の単行本化にむけての準備。表紙デザインを決めたりとか、初校とか。それから宇壽山貴久子さんの写真集への寄稿をぼんやりと考えて(まだ何も書いてない)、それから4作めの小説のアイディアを思いつくままにメモ。といってもほんとに一言ずつの箇条書き。
今年はもうちょっと小説のほうに力入れたいな。しかし社会学の方でも書かないといけないものが膨大に溜まっている。
減らしても減らしても仕事は増える一方であり、書かなければならないものが多すぎて、どれから手をつけてよいかわからず、結局何ひとつ進んでない。
事務仕事や人間関係から解放されて、好きなだけ好きな文章だけを書いていたい。
りらっねこ。
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岸政彦
1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 岸政彦
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1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。
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