シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

土俗のグルメ

2023年3月10日 土俗のグルメ

第5回 「窒食」という秘かな愉しみ

著者: マキタスポーツ

行きずりの行為

 「窒食」という食べ方がある。推奨はしない。特にお年寄りは命にかかわるのでやめていただきたい。各自、自己責任でやるかやらないかを決めてほしい。

 「窒食」とは、窒息と摂食を混ぜた私の造語である。喉に食物を詰まらせながら食べること。私はこれが大好きなのである。

 普通は、水分で喉を湿らせ、胃までの通り道をスムーズな状態にしてからいただくのがセオリーだろう。私も基本はそうだ。でも、時にこの食らい方によって、“薄めた死→復活”を感じることがある。その瞬間、喉元に光のようなものが差し、祝福の境地へと辿り着く。

 自分でも、どういう状況で、そのような気分になっているのかはわからない。というか、それをわざわざ積極的に迎えに行かないようにしているというのが正確かもしれない。偶然を装うと言おうか、おそらく「未必の故意」なのだろうが、とにかく、己にとってそれは食べる時のボーナスのようなものにしている。法則にしてしまうと野暮になるとも思うからだ。

 例えば、カステラを勢いよく食べたとする。その時は食欲に身を委ねる。そのようないかにも喉を詰まらせる予感しかしない食べ物であったとしても、「窒食」のために全てを準備しておくような真似は滅多にしない。牛乳を用意するまでは良い。でも、極端な話、スマホで119にいつでも掛けられるようにしていたり、あるいはAEDの準備をしていたりしたら、途端につまらなくなるのだし、興醒めするだけだろう。あくまで“行きずりの行為”であって、結果としてそれを「授かる(・・・)」のをベターとしている。「たまたま食べたカステラでそうなった」が望ましい。本当にヤバそうな餅では最初からやらない。

窒食の記憶

 ここに私の経験した過去の窒食ハイライトを記してみたい。

 まず「おにぎり」。母親の握った、硬い、ミッチミチのおにぎりが毎回すごかった。当時はあまり意識していなかったが、食べ盛りだった私への愛情と、生活に対する漠然とした苛立ちとが渾然一体となって握力に現れたか、とにかく母親の握るおにぎりは硬かった。それを貪るのだが、麦茶で流し込む時の得も言われぬ高揚感が忘れられない。

 例えば遠足。遊びに夢中になり、水分もまともに摂らずお昼になる。で、その喉に、順番もへったくれもなくおにぎりを放り込むのだ。最初のひと(かじ)りでは、具のある「核」にもたどり着けないぐらいデカい質量のブツ。味がしないので、もうひと齧りいく、と、出て来たおかかの嬉しさよ。舌に載った旨味、醤油の芳香さが消えぬうちにともうひと齧り。刹那「う!」と思わず(うな)る喉。その喉に出来た「的」を狙って射抜くのだ。そう、ここで冷たい麦茶の出番である。しかし、水筒の蓋がなかなか開かない。「なぜ事前に用意しておかなかった」と思いつつも、手に持ったおにぎりを手放さず、両腿で水筒本体を挟み込み、もう片方の手で器用に蓋を開け、コップに注ぎ飲む。すると、たちまち喉に出来た詰まりが融解するのがわかるのである。

 「ういー」

 この瞬間が堪らない。

新幹線の茹で卵とコーヒー
 

 そう、窒食は融解とのセットが肝なのである。例えば茹で卵。茹で卵と窒食の相性は抜群だ。

 新幹線に乗る。私は必ずと言っていいほど、白い網に入ったあの味付きの「マジックパール」を買う。それと、コーヒー。この組み合わせが最高なのだ。「わざわざ迎えに行くようなことはしない」と言っておいてなんだが、これだけはする。イヤ、させて欲しい。

 これも肝心なのだが、「おやつ」程度の物に窒食は向いているのだ。いい年をして、本気の晩飯時に窒食をするのは愚かである。喉を詰まらせ、しゃっくりをしている50代はみっともないし、皆に心配される。時間も勿体無い。だから間食程度の時間にそれを行う。そんな時に良いのが新幹線という空間であり、茹で卵というアイテムなのだ。

 更に気をつけなくてはいけないのは、マジックパールは朝早いとまだ売店に置いていない点である。しかも、個数には限りがあって、すぐに売り切れてしまう。きっと同志がいるのだろう。そもそもそんな頻繁に新幹線に乗るわけでもない。日常のほんのわずかに出来た“隙間”を突いての窒食なのだから、このぐらいのお迎えは許して欲しい。

 席に着く。東海道新幹線。乗っているのが「のぞみ」なら、新横浜を過ぎるまでは食べない。席に着くなり白い網を乱暴に引きちぎり、映画『蘇る金狼』の松田優作が風吹ジュンとする獰猛(どうもう)な濡れ場のように(むさぼ)り食いたいが、それはしない。それに東京→品川→新横浜間は忙しなく停車する。うっかり窓のシェードを閉め忘れて、その姿を駅のホームにいる人に見られたくない。逆の立場で考えたら、車内で何かを貪り食っている人間を見た場合、「そんなに我慢が出来なかったのか」と私なら思う。

 新横浜を過ぎると、新幹線も本気を出す。静岡→名古屋までは距離があるので、スピードが上がる。景色が劇的に変わり、時速250kmの世界線で見る冨嶽三十六景はスペクタクルそのもの。江戸時代の人が見たら、我々は未確認移動物体。UFOに乗っているも同然なのである。言わば新幹線で食べる茹で卵は、そんな宇宙船の宇宙食だ。乗車前に比べて、その味覚も感覚も変わっているのだろう。そうなった時が、食べ頃だ。

 通り過ぎようとした車両販売を止めて、コーヒーを注文する。あのやたらと熱いやつだ。でも、あの熱さが良い。隣席に悟られぬよう、迷惑にならぬようにして、おもむろに網を破り、窓側にあるトレイに殻を二度ほどコツコツとやって殻剥き開始。ほどなく10代の頃の綾瀬はるかのような白身が顔を出す。すぐにでもガブリとやりたいが、外を見やる余裕も欲しい。息を整え、すました顔で卵の尖った方から齧ってみる。いきなり黄身には行かない。白身の塩加減を味わうのだ。「うん、今日も美味い」。 喉の通り道を確認して、スタンバイは完了。いよいよ「CORE(核)」つまり黄身へ突入だ。ガブリと齧り、舌を器用に使ってその物体を喉奥へと押しやる。その刹那、人体の不思議を感じずにはいられない。黄身がまったりと喉に絡みついて来た。ん? 来たか、この粘度!
 「融解チャンス!!」

 先ほど買った車内販売のコーヒーを手に取り、蓋を開けて流し込む。「熱い!!」でも、その直後にやって来た“融解感”。「ういー」。 至福。

 蓋を早めに開けておけば、より爽快な融解感があったような気もするが、そこまで窒食に期待するのもどうかと思う。この遊びは命を賭すほどのものではなく、ちょいとした心の隙で楽しむものなのである。「結果そうなっていた(・・・・・・・・・)」ぐらいが良い。で、しみじみと「今、窒食になっていたな…」と悦に入る。

窒食アラカルト

 改めて言うが、この食べ方はあまりお勧めできない。突き詰めると、この清潔を是とする社会にあまりフィットしない考えだと思うからだ。思うに、現代人は「愚か力」が無くなってきている。替わりに少しだけ賢くなった。賢人ぶった人間が窒食を行うと、失敗の匂いしかしない。けれども「窒食は授かるもの(・・・・・・・・)」とか、ふんわりしたことを書いていると、「曖昧なことを言わないで、どうやったら出来るんですか?」とか問い詰めてくる人もいそうだ。

 そんな反応を見越して、「ルール」を設けた方がいいのでは? とも考えた。賢人は「ルール」が好きだ。勧めないと言っておきながら矛盾するが、どうしてもやりたい人は、以下に例を挙げておくので参考にしてほしい。

【あんパンより、焼きそばパン】→まずは基本系。よく考えてみればわかるだろう。焼きそばとパンの組み合わせだ。窒食小学校1年のレベル。

【ワッフルより、バウムクーヘン】→似ているようで違う。これは喉を使ってみればわかる。無糖紅茶は必ずセットにしたい。

【おでんは他の具材より、とにかく玉子】→「的」を作ってから、出汁で射抜くもよし。私はそれを日本酒のぬる燗で射抜くのが好きだ。その後、ビールでリセットする。

【揚げたてじゃない、冷めたマックのポテト】→これはかなりの上級者向け。これを炭酸キツめのコーラで射抜く時の融解感は格別である。

【ツナとたまごサンドをニコイチ食い】→これも上級者向けにして、トリッキー。(かさ)を増して頬張る。昨夏もこれとアイスコーヒーには大変お世話になった。

 他にもたくさんあるが、その一部を紹介した。くれぐれも飲み物を用意して実践していただきたい。

 例えば私は、皆既日食のスケジュールを科学的に知ろうとしない。偶然道端でそのタイミングを「授かって(・・・・)」喜んでいたい。しかし、自然現象を「迎えに行く(・・・・・)」のも良いだろう。太陽が月に隠れて、やがてほどけるようにしてそれが終わる時は、とてもロマンティックだ。私は「窒食」にそのようなものを感じている。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

連載一覧


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら