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ロベスピエール 民主主義の殉教者

共和国の誕生

 1792年9月初旬、国民公会議員を選出する普通選挙が実施された。投票権は21歳男子に限られ、家内奉公人や無収入の者には与えられなかったが、それでも、従来の能動国民と受動国民という区別=差別が初めて撤廃された選挙の実施だった。その意味で、ロベスピエールが訴え続けてきた人民主権=民主主義がひとつ実現されたことになる。

 とはいえ、投票率は10%に満たず、有権者の約750万人中、投票したのは70万人程度だった。その理由としては、2段階選挙という制度の複雑さのほか、ちょうど農家の収穫期にあたっていたとか、戦争に従事する者が多かったとか、諸々の理由は挙げられるが、いずれにせよ、誕生したばかりの近代民主主義は初めから多くの難問を抱えていたことだけは確かである。

 ロベスピエールは、パリで(これまで一番人気だった)市長ペティヨンを破って1位当選を果たした。2位は、コルドリエ・クラブの指導者、ジョルジュ・ダントン、弟のオギュスタンは地元アラスでは落選したものの、パリで当選した。同じく、ロベスピエールの盟友となる若きサン=ジュストもパリで当選を果たした。

 9月21日、国民公会が開幕。公会(Convention)とは、アメリカ建国期の憲法制定議会(Philadelphia Convention)から借用された言葉で、国制=憲法を改めて定めることを課題とした議会であることを示す。同日の会合では王政の廃止が宣言され、名実ともに共和国が誕生した。

国民公会が開催されたチュイルリー宮殿内(屋内馬術練習場)

 議員749人中、新人は470名、4割近くが元議員だった。立法議会に続いてブリソ派(ジロンド派)とモンターニュ派(山岳派)が激しく対立することになるが、どちらにも属さない議員が多数派を占めた。彼らは議場で前方の低い席に座っていたため、平原派(沼沢派)と呼ばれた。モンターニュ派については、すでに92年春までにはロベスピエールの支持者たちが、立法議会で最上段左翼席を陣取る習慣から、そのように呼ばれるようになっていた。

 早速、ブリソ派と山岳派が連邦主義というレッテルを用いて対立した。前者は、パリの特殊性を認めフランスを分裂させるのが連邦主義だと主張。後者は、首都のリーダーシップによるフランスの一体性を否定するのが連邦主義だと反論した。このように、当時は革命遂行の一体性を乱すというマイナス・イメージが付された連邦主義をめぐって両者は論難し合ったが、特にブリソ派には、パリ民衆の影響力が過大になっているという警戒感があった。彼らはパリ選出議員、特にロベスピエールやマラを敵視したのである(山﨑耕一『フランス革命』2018年)。

 その対立は、古代ローマ以来の共和政の歴史、直近ではアメリカ建国期にあった共和国に適切な規模に関する議論などについて理解を深めることなく、ただフランスは「一にして不可分の共和国である」と宣言し、連邦制を否定してひとまず決着した(25日)。

「世論」の専制?

 国民公会が開幕した頃、ちょうど前線から明るいニュースが届くようになった。それもあって、主戦論を唱えていたブリソ派が攻勢に転じる。同派は、ロベスピエールがマラやダントンと「三頭政治」さらには「独裁」を企んでいると非難を浴びせ、ネガティブ・キャンペーンを始めたのである。

ロベスピエール、ダントン、マラの架空の会談(A.ルデ画。ユゴー『九三年』より)

 翌月、ロベスピエールは2ヶ月前に休刊していた『憲法の擁護者』に代わる新たな新聞、『マクシミリアン・ロベスピエールの有権者への手紙』を発刊し、反撃に出た(新聞名にある「有権者」というのは「すべてのフランス人を意味する」という注意書きが表紙にある)。同紙には、ジャコバン・クラブや国民公会の演説も掲載されたので、まさに自説を全国に展開する媒体の機能を果たすことになった(翌年1月まで定期的に刊行された)。

 第1号は10月19日に刊行された。そこで、共和国の樹立を主張する者のなかには二つの勢力が存在すると指摘する。かつては二つの党派(国王派と革命派)に分断されているように見えたが、今日そのうちの一方は打ちのめされた。しかし、残ったもう一方の党派のうちには、愛国主義の名のもとに混同されている二つの勢力が存在する。

 

 一方は、自分たちのために共和国を樹立しようとする者たちであり、他方は、これまで革命の情熱を高揚させてきた動機の本質に従って人民=民衆のためにそうしようとする者たちである。(中略)いまや共和国のなかに二つの党派しかない。良い市民の党派と悪い市民の党派である。

 

 このように識別された善悪の二元論自体は単純に見えるが、問題は、世論が「より巧妙になった敵」をこれまでのようには識別しづらいことにあるとロベスピエールは訴える。「陰謀家たちは、善良な人々に対して宮廷よりも冷酷な戦いを宣言したのだ」。そこで、彼は人民の代表者(議員)の在り方について説き、そのうえで民衆を善導すべき「立法者」の存在に言及する。

 確かに、「政府は一般意志を尊重するために組織されるが、統治する者は自然と個人的利益の方に向かうため、法によって彼らを絶えず共通の利益の方に戻さなければならない」。これは難解で、いまだに解かれていない問題だという。さしあたり、人民は臣民ではなく主権者であるという観点から物事を見る必要があり、代表者はみずからの感情や前例=偏見に頼るのではなく、「あなた方のなかにみずからの規範を認める」べきであると説明される。

 これは、「私は人民の一員である」という宣言を思い出させる筆致である。ただやはり、ここでも「あなた方」とは今あるがままの民衆を指していないと考えられることに留意すべきである。実際、ここで彼は、ルソー『社会契約論』の立法者に関する記述をあえて引用する。

 

 その知性は、人間のあらゆる情念をよく知っているのに、そのいずれにも動かされず〔中略〕、進みゆく時のかなたに遠く栄光を展望しながら、ある世紀において苦労し、別の世紀においてその成果を享受することのできる、そういう知性でなければならないだろう。人間に法を与えるためには神々が必要である。(作田啓一訳)

 

 この箇所でルソーの念頭にあったのは、古代ギリシアの伝説的な立法者リュクルゴスである。ルソーを引用するロベスピエールも、立法者はリュクルゴスのように人民からはほど遠い存在(・・・・・・・・・・・)で、いったん国制=憲法が樹立されれば(法外な影響力を及ぼすことのないよう)政治に関与せず、そこから立ち去るべき存在であると考えていたのだろう。「少なくとも人間的感情を抱く、開明的であるとともに勇敢な哲学者たちが必要である」と、ロベスピエールは続けて述べる。

 興味深いことに、前年のシャン=ド=マルスの虐殺以降、民衆に押されるかたちでそれと一体化しようとしてきたロベスピエールが、今改めて人民を導く「立法者」の立場に身を置こうとしている。確かに、アラスへ帰郷した際の民衆への幻滅、9月虐殺における民衆への恐怖とともに、今は議員という立場の変化が、このことに関係しているだろう。

 しかし他方で、先の引用の「中略」の部分で、立法者は「われわれ〔=国民〕の性質とはまったく似ていない」、「自分の幸福はわれわれとはかかわりない」とルソーは書いている。この部分をあえて省略したロベスピエールにとって、立法者は現実の人民からはほど遠い理念を抱きながらも、それとは異ならない、寄り添った存在でなければならなかった。ここには、理念的な〈人民=民衆〉を求めることにともなう苦心が垣間見える。

 10月28日、ジャコバン・クラブの会合で、ブリソ派がパリで蜂起した民衆たちを「アナーキスト」とみなして批判したのに対して、彼らを擁護して次のように訴えた。「彼らは誠実な人々であり、共和国が必要とする人々である。われわれはサン=キュロットであり、卑賎の徒なのだ」。ここではあえて、もともと暴力的な民衆を指す蔑称として用いられ始めたサン=キュロットとみずからを呼称することで、〈われわれ〉は人民的=民衆的であることを示し、ブリソ派が民主主義者ではないことを浮かび上がらせる意図があったのだろう。

 翌日、ブリソ派(ジロンド派)議員たちが国民公会で反撃に出る。先鋒は、マルセイユ生まれの元地方役人、フランソワ・ルベキである。「私は、ある個人が他の場所〔ジャコバン・クラブ〕でなしえた言葉による専制支配をここ〔国民公会〕ではおこなわないよう要望する」(松浦義弘『ロベスピエール』2018年)。続いて分厚い原稿を取り出し、二時間近く演説をぶったのは、パリの本屋で働きながら官能小説を書いて名をなしたジャン=バティスト・ルヴェである。「清廉の人」と呼ばれる人物が世論の独裁者として現れ、暴君となりうると訴えた。

 

 ロベスピエール、あなたがもっとも純粋な人々、もっとも愛国的な人々を長きにわたって中傷してきたことを私は告発する。(中略)あなたが偶像崇拝の対象としていつも人前に現れたことを私は告発する。(中略)あなたが陰謀や恐怖、あらゆる手段を使ってパリの選挙人の総会で暴政を行ったことを私は告発する。あなたが明らかに至高権力を目指して進んできたことを私は告発する。

 

 ルヴェによる数度の「告発」に対して、ロベスピエールは平静を装って何も答えなかった。

 1週間後の11月5日月曜日朝、議場はいつになく活気に包まれていた。朝早くから数千人もの人々―その多くは女性や貧民であった―が傍聴席を目がけて押し寄せてきたのである。この日は、ロベスピエールの反対演説が議事日程に入っていたのだ。

 なぜ、これほど多くの女性や貧しい人々が、彼のいるところに人だかりを作るのか。ある新聞はこの疑問にこう答える。「それはフランス革命がひとつの宗教であり、ロベスピエールはそこにひとつの宗派を作っているからだ」(Leuwers, Maximilien Robespierre, 2014)。ジロンド派のコンドルセの言葉は、この事態を皮肉っている。「彼は宗教指導者ではないが、ある宗派のリーダーとしての資質をすべて持っている。(中略)ロベスピエールは司祭であり、今後もそれ以上のものではない」(マクフィー『ロベスピエール』)。

 その革命の「司祭」が演壇に登った。そして、「私はなぜ非難されているのか」とまず問いかける。ルヴェは「世論による専制」と言うが、もっとも熱心な愛国者の意見による支配がなぜ「専制」なのか、私にはわからない。そう述べて、相手のレトリックを逆手にとって逆襲した。

 

 この支配はそれを表明する特定の誰かによるものではない。それは普遍的な理性に属するものであり、その声を聞こうとするすべての人々に属する。(中略)経験が証明したのは、ルイ16世やその味方の意図に反して、ジャコバンや民衆協会〔全国の都市で組織された政治クラブ〕の意見がフランス国民の意見だということである。

 

 これは自分たちの意見が国民全体の意見だと言わんばかりの発言だが、それはともかく、ブリソ派が「専制」と呼んでいるのは、民衆の意見としての「世論」の支配であって、これを否定することは民主主義を否定することに等しいと暗に言っているのである。

 演説後、ルヴェに反論の機会は与えられず、論戦はロベスピエールの勝利に終わった。彼はジャコバン・クラブに帰って演説を印刷に付し、全国のクラブに配布した。そこで、彼の人気を嫉妬したかつての友ペティヨンが紙上で、ロベスピエールはいたるところで陰謀を巡らし「独裁者」たろうとしていると非難した。「清廉の人」はすぐさま『有権者への手紙』11月30日号で容赦ない批判で応じた。ことほど左様に、かつての〈友〉がすぐに〈敵〉に転化するような政治環境である。神経質な革命家の心身は、さらに疲弊させられたに違いない。

 ところで、そのような政界の荒波の中、ロベスピエールにとって戦いを終えて帰って休める港のような無二の場所があった。彼が借りていた部屋であり、家主であるデュプレ一家である。夫妻のほか子ども4人、甥1人が同じ屋根の下に暮らしていた。3人娘のうち長女のエレオノールとは非常に親しい友人となり、他の兄弟も自分の子どものように可愛がったという。

 日中、一家とシャン=ゼリゼ通りで犬(アラスから連れてきた愛犬ブルン)の散歩をするのを日課としていた。そのときほど、ロベスピエールが「陽気で満足」そうに見えることはなかったと、三女エリザベート(フィリップ・ルバ[弁護士出身の国民公会議員でサン=ジュストの協力者]の婚約者)はのちに回想している。夜、散歩から帰ると、マクシミリアンがコルネイユやヴォルテール、ルソーの著作を一、二時間朗読するのを聞くのを一家は実に楽しみにしていたという。朗読が終わると、彼は全員に「おやすみなさい」と告げ、自室に戻って行った。

「ルイは裁かれえない」

 92年秋、連邦制が否定された後、国民公会の議論の中心は国王の処置に移った。

 11月7日、国王裁判の是非を検討してきた立法委員会は、それが可能であるという報告書を議会に提出した。そこで論戦の口火を切ったのはサン=ジュストで、ルイは「(91年憲法下の)市民」としては裁かれえないと主張する一方、彼の「犯罪」の証拠を並べ立てた。その演説の数日後、国王が隠し戸棚を使って外国にいる「敵」と通諜していた証拠が発見され、裁判の実施は避けられなくなる。その流れの中、翌月3日、ロベスピエールが演壇に立った。

 

 ルイは王だった。そして、共和国が設立された。(中略)ルイはその犯罪によって王位を剥奪された。ルイはフランス人民を反逆者と告発した。〔そして〕換気口に暴君たちの軍隊やその一味を招き寄せた。〔そこで〕勝利と人民は彼だけが反逆者であるという決定を下したのである。よって、ルイは裁かれえない、すでに裁かれているのだ。

 

 ロベスピエールにとって、ルイ16世(いまや前王は称号を剥奪され「ルイ・カペー」と呼ばれていた)はすでに革命=蜂起によって裁かれた存在であって、ここで改めて裁かれえないのだ(議会は法廷ではない!)。逆に、それを認めてしまえば、無罪になる可能性も出てくるが、その場合、革命の意義が争われ、掘り崩されることになってしまうではないか。

 「暴君の訴訟、それは蜂起である」。というのも、「人民は通常裁判所のようには判決を下せない」からだ。確かに、これまで自分は死刑に反対してきたが、「死刑一般は犯罪である」としながらも、例外は認められるべきだとロベスピエールは弁明する。「投獄しても追放しても、その存在は公共の幸福にとって無関係なものにはなりえない。司法が認める通常の法に対するこの例外は、もっぱらその犯罪の性格によるのだ。(中略)しかし、ルイは死ななければならない、祖国が生きなければならないからだ」。こう言明したあと、それはルイ個人への愛憎からではなく、その誤った行為自体を私は憎むのだと付け加えた。

 12月11日裁判が始まった。同日、国民公会議長宛に一通の手紙が送られてきた。

 

 謹啓、国民公会がルイ16世に対して弁護顧問を与えるのか否か、またその選択をルイ16世に任せるのか否か、わたしは存じません。しかし、そうする場合には、ルイ16世がもしわたしをその職務のために選ばれるなら、わたしはそれに献身する用意があることを、ルイ16世に知っていただきたいと考えます。(中略)多くの人々がこの職務を危険だと判断しているとき、わたしは主君に対して同じ務めを果たさなければなりません。(木崎喜代治訳)

 

 かつては多くの人々が主君の寵愛を熱心に求めて宮廷に押し寄せたが、今彼を弁護するために馳せ参じる者はほとんどいない。それは己の身を危険に晒すことになるからだ。そんな中、かつてルイ16世に大臣として二度仕え、革命勃発前に隠居の身にあった司法官が、彼の弁護に名乗りを挙げたのである。旧体制下で出版統制局長や租税法院院長などの要職を歴任する一方、ルソーの友人にして啓蒙思想家たちの活動の庇護者として知られる、マルゼルブである。

 法服貴族の名家出身のマルゼルブは、貴族の務めを果たそうとしたのだろう。それは確かに貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)ないし主君に尽くす忠誠を示している。ただ、彼が守ろうとしたのは人とともに法であったことを見逃してはならない。君主であれ民衆であれ、正当に裁かれる権利がある。彼らの自由や権利が恣意によって抑圧されるのをつねに恐れたマルゼルブは、老体に鞭を打ったのだ。

裁判で陳述するルイ16世(R・ヴィンケレス画)

 人を裁くのは、世論なのか司法なのか―。26日に再開した審理で、同月71歳になったばかりの元検察官の率いる弁護団が弁論を行い、国王も簡単な最終陳述を済ませた。が、〈民の声〉による裁きへ向かう流れは止められなかった。判決が議員たちに委ねられた同日、国王の追放か赦免を求めていたブリソ派が、最後に提案した窮余の一策は、なんと人民投票だった。同案に反対したロベスピエールを含め、その流れを止められる議員は誰もいなかったのである。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

高山裕二

明治大学政治経済学部准教授。博士(政治学)。専攻は政治学・政治思想史。著書に『トクヴィルの憂鬱』(白水社、サントリー学芸賞受賞)、共著に『社会統合と宗教的なもの 十九世紀フランスの経験』(白水社)、『近代の変容(岩波講座 政治哲学 第3巻)』(岩波書店)などがある。

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