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土俗のグルメ

2023年12月8日 土俗のグルメ

第21回 50代からの焼肉革命

著者: マキタスポーツ

年相応の焼肉を

 焼肉は無知なぐらいがちょうどいい―。

 いきなり格言めいた始まりで恐縮だが聞いて欲しい。これは、別に馬鹿にした物言いでもなんでもなく、むしろ、憧憬の念から来る言葉だ。

 まだ若く、無知で無邪気だった頃に食べていた焼肉は本当に美味しかった。それがどうだ、今じゃ歳を取って、それなりに稼ぐようにもなり、物事の道理も知り、輸出入に円安問題、畜産業の実態にも思いを馳せ、あまつさえ焼肉店のバックヤード事情などをも思いやるに至り、すっかり焼肉に対して無邪気でいられなくなってきてしまった。

 だから思うのだ。焼肉という行為には無知であるぐらいがちょうどいいのだと。誰かの甲斐性にあやかり、何も考えず、脂に塗れ、肉を焼き、喰らい、メシを平らげ、ワカメスープを飲み干す―あの頃、私はいつも考えていた。「あゝ焼肉食いてぇ」と。

 焼肉引退か? 否、絶対にそれはしない。まだ現役だし、現役でいたい。私は焼肉界の辰吉丈一郎だ。もう一度焼肉チャンピオンになる!

 ただ…実のところ、齢53の今の自分の焼肉に対するテーマが見つかっていないのである。未だに、若い頃のままの考えで挑み失敗しているような気がする。それもこれも焼肉ネクストステージの指針がハッキリとしていないからなのだ。

 どんな事柄にも、年相応のやり方がある。まして「食」は一生モノ。死ぬまで付き合っていく覚悟があるならば、段階ごとのやり方を見つけていけば良い。

カルビ時代の終わり―焼肉における紀元前と紀元後

 現段階における自分の焼肉の取り組み方を記しておこう。まだ見ぬ同志や、やがて“こちら”に来るだろう予備軍のためにも、自分が「焼肉灯台」となって「焼肉迷宮」の案内役を務めたい。

 まずは「カルビ問題」を片付けよう。片付けるというか、ここを起点に革命のスタートとしたい。「焼肉」という行為を、B.C.(紀元前)と、A.D.(紀元後)に分けるのだ。若さに任せて直情的な食肉欲処理に興じていた時代はやがて終わる。50代からは、もっと一食一食を大事に、その「テクスチャ(質感)」を楽しむことにしていきたい。なので、「カルビ問題」を要点にして議論を進める。

 「もうカルビが食べられない」そういう人がいることを私は知っている。焼肉B.C.な若者は「そんなバカな!」と半笑いでいることだろう。でもいつかはその日が来るのだ。かく言う私がそうで、まさか自分が「カルビがキツイ人」になるとは思わなかった。

 カルビは「焼肉の華」。焼いて滴り落ちたるあの脂、燃え上がる炎はテーブルを囲んだ者たちを笑顔にする。これぞ謝肉祭だ。その焼肉の醍醐味であるカルビに見られる「イベント感」を別の次元にスライドさせたいのである。

 焼肉屋に来たのに、“肉焼き”というイベントから距離を置くのだ。簡単なことじゃない。でも、それが焼肉A.D.時代には必須なのである。そのためには「それ以外の価値」をきちんと確立せねばならない。準備は良いだろうか? これより先に文章を読み進める方は、このフレーズを胸に刻んでほしい。

―「カルビ時代は終わる」

 残念だが、これが実態だ。内閣府の調査によると、2050年には「焼肉高齢者数」が「焼肉若年者数」を上回るらしい。転ばぬ先の杖ならぬ、「転ばぬ先のロース」と考えて、メインクラスを別部位の肉に変換する準備をしておくことをお勧めする。

「タレ」を知る

 さて、オピニオン表明はここまでとして、順を追って具体的に説明していこう。

 まずは「定点観測」の薦めである。私は焼肉に限らず、これを様々な食堂、レストランでやる。例えばそれが焼肉店なら「チョレギサラダ」である。

 チョレギサラダにはその店の特性が潜んでいる。サラダを構成する具材には大した違いは無いが、ドレッシングに個性が出る。「ふむふむ、この店は酸味と甘味が強めで、ハチミツが強いな…」とか、「ここは塩とレモンとニンニク風味かぁ。日本人向けの味だな」とか、そういった観点で楽しむのである。

 何に対しても言えることだが、「定点観測」によって店の個性の違いを見て行くことは楽しい。ともすると焼肉や寿司屋は、仕入れと具材の切り出し方という“プロフェッショナル”の領域で質の大方が決まっているケースが少なくない。そのことと客に提供されたサービスが直結してしまうので、その店の「技芸」が素人には測りづらいのだ。

 さらに、ここも難しいところだが、「焼肉」はあくまで“日式”であるということ。本場の朝鮮または韓国料理店ならば、その店独特の個性を測れる料理は、スープの出汁やキムチダレ、チヂミの違い、味噌…いくらでもある。ところが日式焼肉は、技芸の類がどんどん経営のインサイドに傾く。いつの間にか「素材第一」ということに我々素人も納得させられているのだ。たしかに素材も大事だ。でも、私は「オモニ感≒その店の個性」が欲しいのだ。だから、タレを見るのである。

―「タレを楽しみ尽くせ」

 どんな日式焼肉店でも、タレはそれぞれに違う。ここが格好の定点観測場になるだろう。うま味調味料が強めな店もあれば、醤油の渋みを前傾させている店もある。

 私はここでも自分の皿でタレのエイジング(・・・・・)をしていく。最初は、その店自慢の仕入れの力を感じさせてもらうために、そのまま焼いて何もつけずにいただく。次は塩だれだ。塩だれの次は醤油ダレ。醤油ダレの次は…と、どんどん皿にタレを上書きしていく。すると、ホームになっている「タレ場(皿上)」のタレがどんどんオリジナルのものに進化していく。

 さらに私はそこにキムチの余ったタレもブレンドし、酸味を加える。そうすると、まったく飽きが来ない。やがてそれは、素晴らしい“原資”となる。その時のための積み立てだと思って是非ともこしらえられたし。

「タン塩」をインターバルに

―「途中タン塩」のご提案。

 「まずはタン塩」という文化は、いつ頃から固定してしまったのか。タンは焼いても網の汚れが少ないからなどと言われているが、今ではどこの焼肉屋でも言えばすぐ網交換はしてくれる。  

 焼肉の食アルゴリズムを考えた時に、タン塩というサッパリ感から入り、右肩上がりにコッテリ感を上昇させて行こうという気持ちもわからなくはないが、何故その上昇ベクトルを下げようと思わないのか? 

 私は、途中でタン塩、あるいは途中で鶏肉でもいいが、一度「自分」を確かめるタイムを設けることにしている。バブル期に無理な不動産投資をし続けていた人のように焼肉に接していたくない。だから途中で、インターバルを設けるようにしてタンを投入する。一度出来上がっていた、カーッと昂揚した精神をわざと下げるように努めるのだ。

スープで感じる「半島感」

 私は「焼肉」という行為で最も重要なのは「スープ」にあると考えている。その重要性というのは、「キャプテン翼」でいうところの岬くんのようなもので、主役ではないにせよ、それを食うぐらいの「一番手以上の二番手キャラクター」といったところか。

 またスープからは、単に「食べる」ということ以外に、何か「様子の良さ」を感じてしまうのである。絵面も影響しているとは思うが、例えば和食で「味噌汁を啜る」という行為がどうしようもなく日本的であるように、大きめな器とスプーンでガシガシ食べるように飲むスープに半島的様子を感じてしまうのである。ありもしない自分の彼の地での生活が脳裏によぎり、さらにそれが美味しさを加速させる。

 その店独自の「ローカル性(オモニ感)」を感じられるのも良い。コムタンやソルロンタンの白濁したスープや臓物のコクの違いも、大根のカクテキの雰囲気を味わうのも楽しい。ユッケジャンスープなんて、唐辛子のブレンドにその店の哲学が見え隠れしていると思うのだ。

 きつい仕事帰り、寒さに震えながら入った食堂で、オモニに叱られるように「これでもおあがり!」とスープを出してもらったような気分になる。とにかく焼肉では「スープで半島を感じろ」と言いたい。

“ヅケ”としての焼肉

 「漬け込み肉の確保」も提案したい。

 ちょっと前までは、上カルビあたりを頼んでは、到着するや卓上のタレ、コチュジャン、辛味噌、あるいはサンチュの味噌などを勝手にブレンドし、そこにカルビを漬け込んで、脂味を中和させてからいただいていた。これをやると、網やロースターが焦げやすくなるが、本場韓国の漬け込み肉な感じが味わえ、かつ脂落としになり、なんとか「カルビ引退」に直面せず誤魔化すことが出来ていた。

 今は脂っこい部位に関しては軒並み難しくなってきたので、これをミスジやイチボあたりの肉でやってみることにしている。もちろん、塩のみで素材を味わうことも同時に行うが、考え方としては「マグロのヅケ」と変わらないものだと思っている。割と値が張る希少部位はそれとしてオンタイムでいただきつつ、このヅケは後に繋がるものとなるので、まるで写真アルバムを作るような気分で漬け込み作業をしていただきたい。

「勝手にビビンパ」―焼肉の脱構築

 私は物事をミックスするのが大好きなのである。そこから自然と湧き出てくる未確定な価値に出会うのが楽しい。だから「包め」と言いたい。「ユッケ包み」はどうだ。ユッケ刺を頼んだら、他の肉、そう、例えば先だって頼んでいたミスジを普通に焼いた後、それでユッケを包むのである。「半焼きと半生」「違う部位同士の衝突」…これはまるで親子丼的脱構築じゃないか。他にも、「チャンジャの豚バラ巻き」「鶏肉明太載せ」…これらをサンチュで包むのも最高だ。

 その終局点としてあるのが「勝手にビピンパ」である。先ほどエイジングしたタレがここで生きてくる。さらに、漬け込み肉もだ。

 50代からの焼肉にはどうしても「白飯問題」が付き纏う。酒飲みはビールや焼酎と一緒に肉を楽しめば良い。確かに私も酒は飲むし、それとこれの組み合わせは最高だ。でも、白飯も食いたいのである。しかも出来ることならば、ビピンパもいただきたい。しかし、全ては無理なのである。で、考えた結果やっているのが、勝手にビピンパを作るという方法だ。

 事前に、ナムルやキムチなどの漬物類は頼んでいる。これを全て最後のお茶碗一杯分の半ライス用に取っておくのだ。

 半ライスが到着するや、まずは白飯と肉をシンプルにいただく。これをしないとやっぱり「日式焼肉」に来た気がしない。このまま雪崩れ式に白飯だけで食い切ってしまえそうだが、一口ぐらいで無理矢理満足させる。そこに次はタレをかける。様々な養分を含んだあのタレだ。毎回違ってくるし、店によっても違う、その一回性が堪らない。そして、ナムルとキムチを少々載せる。するとどうだ、小さなビピンパがほぼ出来かかる。しかし、これで終わらない。最後は漬け込み肉を焼き、その上に載せて完成となる。

 正直、この頃にはもう満腹ではあるが、焼肉という「出来事」を、この一杯のお茶碗に集結させ、そのハイライトを見るようにいただくのである。家族や学校のアルバムを開くように。ノスタルジーならぬ、ノス“タレ”ジーか。どうだろう、エモすぎるじゃないか。

 しかし、最近の本当の楽しみは、若者と一緒に焼肉に行くことだったりする。焼肉B.C.の子たちと一緒に食べて、彼らに存分に上カルビを食べさせてそれを覗き見るのである。これが焼肉A.D.の自分の悦びなのだ。

 

*次回は、12月22日金曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

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