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発酵と生成の「けもの道」 情報技術のオルタナティブ

2025年12月12日 発酵と生成の「けもの道」 情報技術のオルタナティブ

5.「箇条書き」に抗う

著者: ドミニク・チェン

情報技術には発酵の時間が足りていないのではないか――。代表作『未来をつくる言葉』(新潮文庫)で、ネット時代の「わかりあえなさ」をつなぐ新たな表現を模索したドミニク・チェンが、AIの時代にあるべき情報技術との付き合い方を問う。自身も主要なSNSを断ち、強い覚悟をもって新しい「情報技術の倫理」の可能性を探る。発酵と生成によって切り拓かれるけもの道。はたしてその先にはどんな風景が待ち受けているのか? 

*バナーの画像は、人が発酵中の味噌と対話をするためのMisobot(「発酵文化芸術祭 金沢」の展示風景)

最初のプロンプト

 7月に入り、いよいよ、開発したソフトウェアを自分たちで日常的に試す「ドッグフーディング」の段階に入った。当初は、Picklesからのメールは週に一度だけ届くという設定だったが、開発初期の時点においては、細かいバグ(ソフトウェアが意図通りに動作しない状態およびその原因)を洗い出したり、AIに指示する文章の内容を修正するサイクルを素早く回したりしたかったので、ひとまずは毎朝受け取るようにした。

 本来のサービス像とは異なる使用方法であることを意識しながら、朝7時頃にPicklesから届くメールを読み、その時受けた印象をメモする。そして、共同開発者のアガちゃんとDiscord上で感想を伝え合う。この流れを一ヶ月ほど繰り返した。

Pickles開発打ち合わせ中の筆者とアガちゃんと(撮影:山口雄太郎)

 Picklesの提供する体験は、自分で書いた日誌に対してAIが生成したコメントをメールで読む、というものだ。だから最も重要なのは、AIのコメントを読んだ時に、驚きや気づきが生まれたり、納得できたりするかどうか、という点だ。一番最初に、ひとまずテスト用に、と走り書きしたプロンプトは次のものだった(*1)(原文ママ)。

 

 「この期間の筆者の思考パターン、関心事、活動傾向を分析し、本人も気づいていないような変化や傾向を抽出して、詳細なレポートを作成してください。特に以下の観点で分析してください:
・思考の深度と複雑さの変化
・新しい関心領域の発見
・行動パターンの変化
・潜在的な課題や機会の特定」

 

 今、あらためてこの最初のプロンプトを見返すと、どのような指示を与えればいいのか、まだ考えが固まっていなかったことがわかる(*2)。この時はとりあえず、実際の日誌のテキストと一緒にこの指示を生成AIに渡すと、どのような結果になるかを探ろうとしていた。

 そこでこのプロンプトに一週間分の日誌を解釈してもらったところ、箇条書きのレポートのような文面が出力されて、面食らってしまった。「1. はじめに」、「2. データ概要」、「3. 分析視点・手法」、「4.分析結果」、「5.考察と提言」、「6.結論」という章に分かれていて、各章の内容も短文の箇条書きになっていた。確かに、一週間に起きた様々な出来事がグルーピングされているのだが、それぞれの文章は正確であっても互いに脈絡がなく、いかにも無機質なレポートになってしまっていた。

 生成AIが書き出すテキストは、ジャンルを問わず、箇条書きになりがちだ。むしろ、あらゆる事象を箇条書きとして出力するように訓練されているようにさえ感じる。「箇条書き」という形態に、ChatGPTやGeminiのような主流の生成AIの設計思想が反映されているとすら言えるのではないか。

 箇条書きにするという行為の背景には、読み手に対してなるべく認知上の負荷をかけないように、わかりやすく、飲み込みやすいように情報をまとめて整理するという意図がある。極端な言い方をすれば、読み手が何も考えずとも、書かれている内容を受け入れやすいようにしているのだ。

フリクションレスの思想

 当然ながら、あらゆる箇条書きが悪い、と主張したいわけではない。しかし、10億人近くが日常的に生成AIを使用している今日、箇条書きで出力された文章が過剰に増えていることは大きな問題だと思う。その背景には、情報技術の歴史的な潮流が見て取れるのではないかとも考えている。

 現在のわたしたちの情報環境の特性を理解するために、少し遠回りをしたい。

 IT産業が興隆したシリコンバレーでは、インターネットが世界的に普及しはじめた2000年代に、「フリクションレス(frictionless)」という形容詞が不文律となった。日本語に直訳すれば「摩擦を起こさない」という意味になる。

 摩擦のない技術とは何を意味するのか。たとえばスマートフォンアプリを設計する時に、使用者が操作に迷わないように、ボタンの配置や画面遷移(ある画面から別の画面に移動すること)を工夫する。フリクションレスとは、一義的にはインタフェースのデザインの問題だ(*3)。使用者の体験のデザイン(ユーザーエクスペリエンス、UX)を支える操作方法(ユーザーインタフェース、UI)をデザインする観点からは望ましいことだと言える。

 しかし、情報技術が社会に浸透するに連れて、このフリクションレス思想が徹底されるに至り、画面の操作だけではなく、画面上に表示される情報のあり方までもが調整されるようになり、想定外の問題が引き起こされてきている。

 わかりやすいのが、ウェブ広告だ。ウェブ広告は、タップされることで広告主から広告を掲載する場を提供する事業者に金銭が支払われる。そこで、使用者がおもわずタップしてしまう確率を上げるために、刺激の強い画像と興味を引きやすい文言の組み合わせが、各企業によって探求されてきた。その結果、コンマ数秒見ただけでタップしたくなるような刺激の強い画像と文言で構成された広告や、ダークパターンと呼ばれる、使用者が知らないうちに課金してしまうように構築された悪質なサービス設計が出回るようになった。

 SNSにおいては、使用者が投稿する情報までもが、「瞬間的にわかりやすく」なるような編集が動機付けられている。いわゆるバズる投稿というのは、見た瞬間に「いいね」ボタンを押したり、リポストしたくなるように編集されたものが多い。

 今では、瞬間的なわかりやすさを奨励し、助長する情報空間の力学が社会の分断を生んでいる。SNSのタイムラインに流れてくる投稿に別のウェブ記事のリンクが付いていると、記事のタイトルとプレビュー画像が表示されるのが一般的だ。昨今では、ニュース記事本文を読まずに、記事タイトルとプレビュー画像だけから内容を判断し、否定でも肯定でも即時に反応するような引用投稿が多く見られるようになった。複雑な情報を解釈する努力を放棄しているように思える人々の行動を見ると、まるで「摩擦がないようにする」という設計者側の思考が、「自ら考えることなど必要ない」という使用者側の態度を生み出してしまっているように思えてくる。

フリクションを生むプロンプト

 Picklesのプロンプトに戻ろう。最初のテスト用プロンプトが出力した箇条書きの文章を見て、わかりやすさを優先してしまう生成AIの特性をいかに回避できるか、という問題意識が生じた。プロンプト文言を修正する上で手がかりとなったのが、(日誌を書いた)「本人も気づいていないような変化や傾向」という一文だ。

 Picklesをつくりはじめた動機として、記憶の「天地返し」を行うことで思考の発酵を促す、というコンセプトを立てた(連載第三回を参照)。記憶の天地返しとは、古い記憶と新しい記憶を定期的に混ぜ返すことによって、思考の風通しを良くして、記憶の蓄積からの気づきを増やすイメージだ。

 毎日日誌を書く度に過去の日誌を振り返っているわけではないので、実際に書いた本人もどのような変化が生じているのかに明確に気づくことはできない。そこで、AIという第三者に日誌を読んでもらうことで、日々の経験のなかで起こっている変化を客観的な視点から指摘してもらえるのではないか、と期待したわけだ。「本人も気づいていないような」という表現には、記憶と向き合う人間には認知的な限界があるという前提が含まれている。

 この際に大事になるのが、AIにフリクションレスな「正しい見解」を語ってもらうのではなく、記憶を振り返るきっかけとなるヒントを提示してもらう、ということだ。正解として受け止められる情報は想像力を喚起しない。しかし、ヒントとなる情報は自問する態度を生み出す。だから、摩擦が起きるような応答文をAIに書かせたいと考えた。

 そこで次に、プロンプトを一から書き直した(*4)。ここで行った主な変更は、「手紙のやりとり」という状況を設定することである。以下、本節の下線付きの文章は、書き直したプロンプトからの直接引用(原文ママ)である。

 まず、プロンプト文の主語を「」とした。そして、AIのことを「あなた」と二人称で書き、その役割を「私の人生を見守るメンターであり、理解者」である、と明記した。

 生成AIが登場して間もない頃から、このようにAIの演じる役割を指定するという方法が広く知られてきた。たとえば、あなたは論文添削者ですとか、あなたは採用面接官ですなどと指定する。こうして、プロンプトの文脈に方向性を与え、回答の妥当性が上がることを期待するのだ。

 次に、AIに対して「私の意思を無視して勝手に特定の方向に誘導しようとはせず、私の認知的な自律性を尊重し、中立的かつ倫理的に振る舞」ってもらうよう指示した。これは、フリクションレスな情報生成を優先しようとして、正解を教えようとしないでほしい、という指示だ。しかし、この一文によってAIの特性をどこまで変化させられるかは予想できない。だから、おまじないのようなものだ。

 そして、「私」が日誌を日々書いている人間であることを伝えた後に、日誌をどのように解釈してもらいたいかについて詳細を書いた。それは日誌読解の下処理をした上で手紙の文面を書いてもらう、という二段階構造だ。

 下処理としては、社会学においてインタビュー内容の分析などに使われる「コーディング」というデータ整理法を使って、日誌に書かれている言葉の意味を抽出してもらう。人は通常、必ずしも理路整然と話さないので、乱雑な語りの中から反復するテーマを抽出するのに役立つ方法だ。わたしは普段、研究論文を書く時に、この方法を用いてインタビュー分析をすることがあるので、イメージが持ちやすかった。

 コーディングの具体的な指示は次のようなものだ。日誌のテキストデータの断片に、意味のある名前や記号を付けていき、そこで語られている話題毎に「家族」「仕事」「趣味」などの名前を付けていく。こうして、時系列がバラバラな日誌の文章に通底する、特徴的な「概念」が抽出できる。この方法をAIに伝えて、毎回行うように指示した。

 ただし、この分析の結果はそのまま表示させれば、結局は前回と同じように、箇条書きだらけのレポート風の文面になってしまうだろう。そこで、分析結果は表示させず、「親密な間柄で交わす手紙のような文章に変換して書」くように指示した。また、念を押して、「ビジネスレポートのような効率性や生産性を目的とした文章ではなく」、「断定的にではなく『〇〇かもしれない』というニュアンスで、私が読んでイメージを膨らませられるように喚起的(evocative)なスタイルで書」くように指示した。

 喚起的な表現というのは、詩や文学において用いられることが多い概念だ。詩の言葉は、正確な情景描写を一義とせず、読み手が自由に解釈してイメージを意識下で生成できるものとして編まれる。また、情報量が削ぎ落とされた能楽の舞台では、鑑賞者が想像力を使ってイメージを投影する「見立て」が起こる。この見立てもまた、仕舞いや謡という解釈の余白を多分に含んだ表現が喚び起こすものだ。喚起的な情報と接する時、人は内容を読み取りながら自分なりのイメージを生成するという認知的なエネルギーを使う。この構造が、フリクションレスな体験を回避する上で有効になると考えた。

 このプロンプトを設定した翌朝に受け取ったメールの文体は、以前のものとは全く異なるものになった。

 

*1 なお、PicklesのソースコードはGithub上でオープンにしているので、より細かい履歴の詳細はそこで閲覧できる。本稿では、煩雑になってしまうので、各バージョンの全文は紹介しない。PicklesのGithubレポジトリ:https://github.com/ephemere-io/pickles

*2 他人事のように書いているが、開発をしていると、たくさんの選択を迫られるため、行った変更の詳細を全て覚えているわけではない。ソフトウェアの世界では、「一ヶ月前のコードは、他人のコード」という常套句が使われるが、プロンプトについても微小な差異の変更を試しているので、それぞれの版に対していちいち明確な理由をもって説明するのが難しい。

*3 フリクションレスの価値を主張してきた一人に、決済サービスPayPalの共同創業者であるマックス・レヴチンがいる。決済を行ったり、物品を購入したりする時に、使用者が迷わないということは画面設計の問題に加え、クレジットの金利などの複雑な決済額の計算も含めて、消費者に対して透明で明瞭な情報提示を行ったり、従来のクレジットとは異なって遅延損害金を課さない決済形態を構築することなども含まれる。

*4 ここで紹介しているのは、7月12日のバージョン。

 

*次回は、12月26日金曜日に更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ドミニク・チェン

博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)


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