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コンフェッシオーネーーある告白

2026年1月26日 コンフェッシオーネーーある告白

7.「私はカトリックです」

著者: ヤマザキマリ

約40年前、17歳の少女はイタリアへと旅立つ。背中を押したのは、敬虔なカトリック信者にして音楽家の母。異国での生活を前に動揺する少女に、400年前、遠くヴァチカンを目指した4人の少年たち(ルビ クアトロ・ラガッツィ)の影が重なる――。科学と芸術、そして宗教が色濃く共存し続けるイタリアで培ったものとは、何だったのか。人生でもっとも貧しく苦しかった画学生としての生活と、自らの裡に沈殿していた“信仰”を告白。これまで封印していた記憶の扉をひらく、渾身のメモーリエ。

フェッラゴスト―掃除婦のいない八月

 その頃、イタリアの8月といえば国全体が夏休みに入り、官僚も商人も、お金のある人もない人も、皆一斉に海か山へ避暑をしてしまうから、そのひと月の間街中はゴーストタウンのごとく静かになった。イタリアではこの8月の休暇を「Ferragosto(フェッラゴスト)」と称している。古代ローマの皇帝アウグストゥス(8月の名称の由来)の時代から8月は労働者が休養を取るための期間に充てられており、休養期間前に雇用者が労働者に感謝を示してボーナス(ラテン語で「良いもの」「財産」という意味)を渡すという習慣もこの頃からすでに存在していたようだ。

 8月の大半を休みにするというのは戦後の高度成長期あたりから始まったことらしいが、そもそもイタリアでは、聖マルコの福音書に「安息日は人のためにある」と記された教えに逆らわず、年間最低4週間の有給休暇が法律で定められている。現在は連続で休める期間は2週間とされているが、1980年代の半ばはまだこの年間4週間を一気に心身のメンテナンスに充てる会社や店が圧倒的に多かった。閉ざされた店々のシャッターには「9月1日に営業再開します。皆様どうぞ良いバカンスを」などと書かれた紙が貼り付けられ、イタリアの経済は停滞するが、休暇より金だ、など同調に抗う姿勢を見せれば非国民扱いを受けかねなかった。だから高齢者などバカンスへ行く体力も気力のない人たちは、ひっそりと家に籠って9月の訪れを待つのだった。

 掃除婦のビーチェは高齢者ではあったが、母親思いの息子家族と近隣の海へ避暑に行ったので、マルコは事前にパスタやトマト缶やチーズを大量に買い込み、私はビーチェが戻るまで自分で部屋の掃除をしなければならなくなった。朝の早い時間から、ガミガミと甲高い声で小言を口にしつつ、(せわ)しない小動物のようにモップを持って動き回っているビーチェがいないおかげで心置きなく寝坊することはできたが、部屋はあっという間にどこからともなく湧いて出る細かい埃で覆われてしまうから、掃除を怠けるわけにはいかなかった。

「アンディアーモ!」

 ノーヴェの街もすっかり静まりかえり、道路を行き来する車の気配も消えた。毎日人と会うためにどこかへ出掛けていたマルコの行動力も緩慢になり、家の中でも滅多に物音がしなくなった。突然マルコの大きな喚き声が中庭から聞こえてきたのは、階下の物置にしまってある掃除機を取りにいこうとしていた時だった。誰かと話している様子だが、マルコの大きな声があたりに反響して相手の声がよく聞こえない。物置へ行くのをやめ、方向転換して中庭の見える廊下へ抜き足忍び足で移動すると、藤の棚の下で縞模様の影をまといながら、マルコとリアーノが二人で何かを言い争っているのが見えた。

 情動を抑えた低い声でマルコに人差し指を突き差しながら何かを言及するリアーノに対し、マルコは白髪を振り乱して必死で言い訳しているように見えた。時々「マリ」という名前が出てくるので、どうやら私のことで揉めているらしい。リアーノの顔には眉間に強い皺が刻まれ、鋭い視線をマルコから反らそうともせず、とても怒っている。マルコはマルコで持ち前の大声と身振り手振りでリアーノの圧を遮ろうとしていたが、優勢なのは明らかにリアーノだった。

 私はふたりに気付かれないよう、掃除機を諦めて自分の部屋へ戻ったが、部屋の扉を閉めても階下から響いてくる騒ぎから意識をそらすことができなかった。昨日ボルサート家を訪れた際、私が絵を学ぶ目的でイタリアへ来たのだと知った時の、リアーノの意表をつかれたような、腑に落ちないような怪訝な表情が、彼の怒りに繋がっているような気がしないでもなかった。

 どのくらい時間が過ぎたのか、開け放たれた窓から真夏の太陽の強い光が部屋の中に差し込み、眩しさが増すほど空気中に響き渡る蝉の声も、けたたましくなっていった。イソップ童話に「アリとキリギリス」という物語があるが、夏の間も働かずにバイオリンを奏でていたのはキリギリスではなく、もともとは蝉なのだと母から教えてもらったことがある。音楽を奏でることだって労働よ、と母は表現者の擁護派だったが、もしビーチェがいたらいつも通り「鎧戸は開けなさんな、熱気が入り込む!」「うるさい蝉のやつらめ、忌々しい!」と声を張り上げていただろう。私はそのまま部屋の中の気温が上昇するに任せ、リアーノが表玄関から出ていく気配がするのを待った。

 突然部屋のドアを誰かがノックした。リアーノだけど、と声がして、私は慌ててドアを開けた。ついさっき、藤の棚の下で険しい顔でマルコを睨んでいたのと同じ人とは思えない、日焼けした肌に柔らかい笑顔いっぱいのリアーノが立っていた。「なんてこった、この部屋はまるでオーブンじゃないか!」と大袈裟な声を上げながら部屋の中へ入ってきて、「鎧戸は閉めなきゃ」と開け放たれたままの鎧戸を勢いよく閉めた。部屋は急に薄暗くなり、蝉の声も小さくなった。

「実はリアーノが、家に数日お前を招待したいと言っている」と(しわが)れたマルコの声がしたので振り返ると、ドアの縁に腕を組んで寄りかかっている姿があった。あまりに唐突な提案に押し黙っていると、マルコから「ほら、早く荷物をまとめなさい」と促された。リアーノはリアーノで私の戸惑いなどおかまいなしに「アンディアーモ!(さあ、行こう)」と首を斜めに振り上げながら準備を煽った。イタリアへ来てからというもの、意思とは関係なく大海原に漂うクラゲのような毎日を過ごしている身としては、リアーノの家へ行くことを断る理由もないので、言われた通りにすることにした。

 ハンガーにかけてあった着物と、数枚きりしかない服をタンスから取り出してスーツケースに詰めていると、その様子を見ていたマルコから「フェッラゴストに老人と家でふたりきりもつまらんだろうし、リアーノの家にはお前と同じ歳の娘もいるから、そっちで過ごすほうがきっと楽しいだろう」というようなことを言われた。さっきの言い争いの様子からして、私がリアーノの家へ行くのはそんな利他的な理由ではないことくらい察しはついた。いつまでリアーノの家に居ればいいのですか、とマルコに問いかけようとしてやめた。

 リアーノは私がスーツケースを閉じるやいなや、あっという間にそれを片手で持ち上げ、再び「アンディアーモ!」と繰り返した。「さあ行きましょう」ではなく、なんとなく「一刻も早くここから立ち去ろう」と急かされている気がして、玄関先まで見送りにきたマルコにはチャオとだけ言い残すと、私のスーツケースを持って足早に歩いていくリアーノの後を追った。後ろも振り向かずに突き進むリアーノの力強い歩調には、さきほどの怒りの気配が残っているように思えた。

無防備な安堵

 10分ほど歩いて到着したのは昨日訪れた陶器工場のボルサート家ではなく、それより少し離れた場所にある平屋の近代的な建造物で、陶器のショールームが隣接していた。正面玄関の扉を開きながら「到着したよ!」とリアーノが声をあげると、廊下の奥からミリアムとメガネをかけた2歳下の妹のカルラが姿を現した。幼い少女たちのように嬉しそうに駆け寄ってくると、ミリアムは両腕を広げ、そのまま私を力一杯抱擁した。人を抱擁するという動作に全く慣れていなかったが、私も勢いにまかせて彼女の体を、背中に垂れる長くて美しい金髪ごと抱きしめた。ミリアムの体は柔らかく、いい匂いがした。マルコの家にいる間、石膏のようにガチガチに私を固めていた猜疑心や不安が一気に解けて、体中を伝って地面へ流れ出ていくようだった。無防備な安堵というものを、久しぶりに感じた。

 私に家の中を案内しながら、英語が得意ではなさそうなリアーノは知っている限りの単語を駆使して、この家は自分が結婚をした時に建てたこと、かつては工場で生産されたノーヴェ焼きの店をここで経営していたことなどを説明してくれた。でもお父さんが離婚をしてからわたしたちは実家で暮らすようになったので、この家はバカンスの期間に遠くから友達が来た時か、パーティーをする時くらいにしか使わないのよ、とミリアムが補足した。

 玄関より家の奥へと続く廊下の窓から下を覗くと、幅が三メートルほどの川が流れていて、透き通った水の中で鮮やかな黄緑色の藻が揺らいでいるのが見えた。北海道で過ごしていた頃、夏によく遊んだ川を思い出し、しばらくそこに立ち止まって瑞々しいせせらぎに耳を傾けているとリアーノが隣にやってきて「ここから釣り糸を垂らすと魚が釣れるんだよ」と、釣竿を垂らすそぶりをして見せた。ミリアムはそんな父親の背中に抱きつきながら「へーえ、ほんと。じゃあパパ、早速今夜のディナー用に何匹か釣ってよ」と甘え、リアーノが返す言葉を探し出せないうちに「冗談よ、パパ!」と笑った。「魚は買ってきた方が早いでしょ」。

 自分の母親すらろくに触れたことのない私としては、親子のこうした甘ったるい愛情表現には全く免疫がなく、親子愛に溢れたそうした光景がなんとも気恥ずかしかった。目のやり場に困るくらい狼狽(うろた)えつつも、いつまでこの人たちと一緒に過ごせるのだろう、できるだけ長くここにいられたら、などということを考えていた。

「椅子の聖母」と金のメダル

 リアーノの家は周りを囲んでいる大きな樹木が作る影と、家の傍を流れる川のおかげで窓を開け放っていても涼しく、マルコの家のように鎧戸を閉めて太陽の光を遮る必要はなかった。通された客間のベッドにはリアーノの母親が編んだという手の込んだ細かいレースのカバーが掛けられており、ヘッドボードの上にはラファエロの「椅子の聖母」のレプリカが掛けてあった。その絵は母のお気に入りで、古い雑誌の切り抜きだったが、額に入ったものが我が家の居間にも飾られていた。ラファエロが自分の愛人をモデルに描いたとされるその聖母を、母は見るたびに「なんてかわいいマリアさまかしら、なんて清らかで美しいのかしら」と絶賛していた。

ラファエロ「椅子の聖母」(パラティーナ美術館)

 

 ふと彼女に託された洗礼証明書のことを思い出し、スーツケースの奥からそれが入った封筒を取り出した。中には折り畳まれた証明書と一緒に、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世の横顔が彫られた金のメダルのネックレスが入っていた。どこで調達したのか知らないが、母はそれがイタリアでの通行手形にでもなると考えていたようだ。マルコの家にいる間は洗礼証明書のことも、このネックレスのことも思い出すことがなくなっていたが、部屋の様子を見にきたミリアムの胸元に十字架のペンダントが揺れているのを見て、私もそのヨハネ・パウロ2世のメダルのネックレスを首から掛けることにした。ダサいし重たいし、黄金のメダルなど全く自分の趣味ではなかったが、ボルサート家ではそれを身につけていたほうがいいような気がしたのと、何より、それを身につけることで、それまでずっと重荷になっていた、自分がイタリアという縁もゆかりもない土地にいる違和感を払拭できるような気がした。

「ずいぶん素敵なのをしてるじゃないか」とまずリアーノが反応してメダルを手に取り、しげしげと見つめていたが、そこに彫られている横顔を見た途端、「え? パパ(法王)?」と驚いた。そして、子供に何かを諭すかのような、丁寧な口調で「こんなのをしていると、君も信仰深いカトリック信者だと思われてしまうよ」と言われたので、「私はカトリックです」と答えると、びっくりしたような顔で「君、日本人なのにブッディスタ(仏教信者)じゃないの?」と問いただされた。私はくしゃくしゃになりかけた洗礼証明書を広げてリアーノに見せた。
「すごい。日本の神父様の名前なのに、ラテン語で書かれてるじゃない!」
「なんと、マリはブッディスタではなく、カトリックだったのか」

 洗礼証明書を見ながらリアーノもミリアムも、私が期待していたような嬉々とした反応はせず、ひたすら真面目な表情で驚き続けていた。「いったい日本にはいつからカトリックが入ってきたの?」と問いかけられても答えることができず、洗礼証明書を堂々と広げている自分が恥ずかしくなった。教科書で戦国時代以降にキリシタンが迫害されたのは学んだが、一体いつからキリスト教が広まり、そしてなぜ禁止されたのか。当時好んで聴いていたイギリスのパンクミュージックであればイントロだけで曲名を当てられても、日本にいつキリスト教が入ってきたのかという質問には全く答えることができなかった。

 

 

*次回は、2月23日月曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ヤマザキマリ

漫画家・文筆家・画家。日本女子大学国際文化学部国際文化学科特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。97年、漫画家デビュー。2010年、『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。2024年、『プリニウス』で第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。現在「少年ジャンプ+」で、「続テルマエ・ロマエ」を連載中。撮影:ノザワヒロミチ

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