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ヤマザキマリ×清水克行「歴史は民衆によって作られる」

2022年2月10日

ヤマザキマリ×清水克行「歴史は民衆によって作られる」

後篇 『テルマエ・ロマエ』と『タイムスクープハンター』の意外な共通点

『室町は今日もハードボイルド』刊行記念対談

著者: ヤマザキマリ , 清水克行

室町時代という「最も日本らしくない」時代の庶民を生き生きと描いて話題となった『室町は今日もハードボイルド』。著者の清水克行氏は、『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』で古代ローマの生活文化を描き続けるヤマザキマリ氏にずっと親近感を持ってきたという。一方のヤマザキマリ氏も、清水氏の同書を「思い込みや予定調和から解放される本」と絶賛。中世日本と古代ローマをとおして人々やその生活文化について考え続けてきたお二人が、コロナ下の日本と世界について縦横無尽に語り合いました。

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タイムトリップの楽しみ

清水  『プリニウス』に出てくる皇帝ネロとか、ヤマザキさんが描く歴史上の人物は魅力的ですけれども、その背後にある生活文化のディテールへのこだわりもすごいですよね。『テルマエ・ロマエ』の時から、僕はヤマザキさんの歴史へのアプローチに勝手に親近感をもっていました。

ヤマザキ 物語の本筋よりも、そこをまず描きたかったというのがありますね。たとえば、ここにペットボトルの水がある。私たちはふつうに「水があるな」としか思いませんが、『テルマエ・ロマエ』のルシウスであれば「何だ、これは」といちいち驚愕するわけです。むしろ容器の方に興味を持って、「この容器を持って帰ったら何かに使えるな」「蓋がついているので、軍隊の遠征時に役に立つ!」とか、いろいろ思うでしょう。

清水 え、そこ? というところに注目するわけですよね。

ヤマザキ だって、私が子供の頃なんてテレビ電話なんて超絶的に未来の代物だと思ってましたから。先生も多分こちらの著作を書いているときに、この時代のこの人たちの目線になっていると思うんですけど、だんだん彼らの立場の感覚になっていくと思うんですよ。

清水 そうです。この本の連載を始めるときに、どんな感じでやるかを担当編集者と相談したんです。そうしたら、「室町時代の人がタイムスリップして、現代社会を見たら何に一番驚きますかね」と聞かれたんです。普通はスマホとか自動車だと思うんですけど、僕がまっさきに思ったのは「烏帽子かぶってないよ」ということだったんです(笑)。

ヤマザキ ああ、そこか(笑)。

清水 おそらく「みんなパンツ履かないで歩いているよ」というくらいに中世人は驚くんじゃないかと言ったら、「それ、面白いですね、そういう現代人と中世人の意外なギャップを解説する感じの本にしてください」と言われて。

ヤマザキ だからそういうノリが文章の中から漂ってくるんですね。

清水 逆に現代人が実際の中世を訪れたら、最初に驚くのは、恐らく織田信長とか徳川家康云々ということよりも、そういう些細な日常のことなんじゃないかと思うんです。

ヤマザキ 時代が変わるごとに新しいレイヤー(層)はどんどんできていくけれども、人の資質自体は今も昔も大して変わりはしないから。私は古代ローマと現代日本の比較文化的な意味であの漫画を描いたけど、何より人のメンタリティは普遍的、というところをフィーチャーしたかったんです。テクノロジー自体はどんどん発展していくけれど、人間の考えていることは古代も今も同じ。

清水 両方あるんですよね。違うところと似ているところというのは。

ヤマザキ それから、歴史ものを描くとき、既存のイメージのものは極力踏襲したくないという頑な意識がありました。古代ローマといったら『ベン・ハー』に『クオ・ヴァディス』に『グラディエーター』。古代ローマの愛憎と血と権力は、もうお腹いっぱいです。それよりも、たとえば居酒屋とか浴場文化のような民衆史に視点を当てた方が圧倒的に惹かれます。

清水 お風呂で和むローマ人(笑)。新しいですよ。

ヤマザキ 生きている時代も土地も違うのに、お風呂をこよなく愛する人間が発生したこと自体無視しがたい面白さだし、調べていくとどちらも温泉が湧く火山のある土地に発達した文明だということに気がつき、もういてもたってもいられなくなりました。

同時期にヒットした歴史SF

清水 ちょうど『テルマエ・ロマエ』が話題になってた頃に、NHKで『タイムスクープハンター』という番組をやっていたのをご存知ですか? 僕は、あの番組の時代考証をやっていたんです。あれが、僕がテレビの仕事に関わった最初なんです。

ヤマザキ あれですか! 普段テレビを見ない私ですが、あの番組は何度か観ましたよ。『テルマエ・ロマエ』が流行ってから日本に足しげく帰るようになってきて、ホテルでテレビをつけると夜中の変な時間にやっていて、面白いと思ってたんです。忍者みたいな人が出てきて。

清水 要潤さんが未来人で、タイムワープして過去を取材し、真実の歴史をスクープするという設定なんです。

ヤマザキ 潜入ルポルタージュ風でとても面白かったですね。

清水 ありがとうございます。台詞も悪乗りして全部当時の言葉にして、下に現代語訳の字幕をつけたんです。月代(さかやき)も剃ったので、いわゆる有名な俳優さんは使えなくて、大部屋俳優さんみたいな人たちに出ていただいて。

ヤマザキ あの、過去という縛りが取れた現代的演出がめちゃくちゃよかった。すごいタイムスリップ感がありました。

清水 そうなんです。フェイクドキュメンタリー。

ヤマザキ カメラはぶれているし。役者さんたちのおっかなびっくり的な演技も良かった。「どうも、この場面は撮るなということらしいです」とかね。

清水 同じ時期に話題になったので、何かの雑誌で『テルマエ・ロマエ』と『タイムスクープハンター』を並べて取り上げてくれていたんです。歴史ブームというのは一頃からずっと言われていたけれども、いよいよ来るところまで来たと(笑)。英雄を描くのではなくて、庶民の生活に着目して、しかもエンターテインメントになっているというのは、歴史ブームの成熟だということでした。

ヤマザキ おおすばらしい。確かにそうですよ。

清水 僕も言われてみればそうだなと思って。しかも、どっちもタイムスリップが主題のSFじゃないですか。SFって、言わば大嘘じゃないですか。

ヤマザキ 完全な想像力だから。

清水 大筋は誰が見ても、そんなわけないとわかる。でも、そこに信頼性とか、リアリティーを与えるのってディテールですよね。だから大きなところでは嘘をついているんだけど、小さなところでは絶対嘘をつかない。室町時代ってきっとこうだったんだろうって、細部をつくり込んでいく。

ヤマザキ 『テルマエ・ロマエ』と全く同じですよ。史実を描くにも、できる限り時代考証を綿密にするよう心がける。とはいえ、古代というレベルになると文献は何も残ってないし、後世の歴史家もかなり適当なことを書いているから、そんなことならこっちも好きにやらせてもらいますよ、となるわけです。空想世界を描くのだから、ほとんどSFですよ。

清水 でも、ディテールがどうでもいいやってなっちゃったらダメですよね。

ヤマザキ ダメです。そこは学術関係者が重箱の隅をつついてきても、「くそっ、間違ってないぜ」ってなるくらいしっかり調べる。英語、フランス語、イタリア語、あらゆる言語の資料を調べまくる(笑)。

清水 やっぱりそうなんだ。僕も同じ時期にそれで悩んでいました(笑)。誰も文句が言えないぐらい、今残っている文献で最大限表現するとこうなるっていうところを狙う。

ヤマザキ そうです。でもローマ史をやっている先生に「まあ、あれは修士論文みたいなものだね」って言われましたよ。ちなみに『プリニウス』は博士論文だそうですが、まだ描き終わってません(笑)。

清水 でも、その先生、「卒業論文」と言わずに「修士論文」と言うあたり、実はちょっと悔しかったんじゃないかな(笑)。

ヤマザキ 『テルマエ・ロマエ』を描き始めたころ、お風呂に特化して研究してる人というのは欧米にもほとんどいませんでした。実は私はその昔、子育てのために日本に一時帰国していたころにテレビで温泉リポーターをやっていたことがあるんですが、その時の名残りで古代ローマ遺跡で浴場の遺構を見つけると、勝手にあれこれ妄想してしまうのです。漫画家になる前のそういった経験があったので、あの漫画が生まれたというのもあります。

片膝立ちのリアリティ

清水 学者として研究していると、この素材は論文になるなというのと、この素材は論文にならないな、というのがあるんです。それでテレビの人に「何か面白いネタありますか」と聞かれたときに、こっちは論文になるものが価値があると思って持っていくんですが、テレビの人は面白がってくれないんです。逆に、こっちは新しい史料も出てこないし、そんなに面白くもないけれど、というネタを持っていくと、そっちに飛びつかれることがあるんですよ。

ヤマザキ やっぱりね。

清水 テレビが面白いというのは、つまり一般の人が面白いと思うことだと思うんですけれども、それと学者が面白いというものは絶対的にずれているんですよね。

ヤマザキ 本来、人というのは自分たちの想像力を刺激してくれるものが好きなはずなんですよ。でも全てがフィクションというのではなく、軸になる部分にブレない一つの的確な考証がある上で、巨大な想像力のオブラートでくるまれているみたいなのがそそるんじゃないですか。

清水 そうなんですよね。『タイムスクープハンター』のときに、うわなり打ちを映像化しているんです。僕の中では当たり前の話だったので、そんなに推してなかったんですが、テレビの人が「それ、面白いですよ。やりましょう」といって。ただ、映像にするというと絵がついてくるので、口で説明したり、文章でするのとは違うんです。「当時の女の人って、どういう服を着ていましたか」という話をきっちりやらないといけない。そのエネルギーって大変なものですよね。

ヤマザキ そうです。どうでもいいようですが、超大変なところです。

清水 そのときに僕が提案したのが、女性が座るときに片膝立ちをさせることなんです。実は中世の女の人は、正座していなかったんですよ。必ずあぐらか片膝立ちです。

ヤマザキ 韓国の座り方みたいですね。

清水 そうです。今の時代劇は、歌舞伎などの影響で、江戸時代以降の正座する女性が一般的なんですよ。だから片膝立ちの女性を描いたドラマはなかったんですが、どうせ暴れる女性を描くのだったらやりましょうよと言って(笑)。

ヤマザキ すばらしい。漫画の時代劇だって、そこまでやってないでしょう。

清水 たぶん、あの番組が中世~近世初期の女性を片膝立ちで描いた最初の映像じゃないかな。当時は違和感をもった人も多かったらしく、ネットで批判されたりもしましたが、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』で片膝立ちが採用されて、ようやく一般的な知識として定着しました。一般常識になるまで、10年もかかるのかと思いましたけど。

縮約古代ローマ帝国

ヤマザキ ギリシャで言えば、ギリシャ悲劇とか喜劇と言われるような大衆演劇を人々が観に行って、「ああ、こういうことをすると人は傷つくのか」とか「こういうことをするとダメなのか」といった倫理観念を身につけて行ったと思うんです。この時代、日本でもそういった道徳倫理を学ぶようなものは日本にもあったのでしょうか?

清水 ひとつは『御伽草子』みたいなものが出来上がるんです。「一寸法師」など今のおとぎ話につながるようなものができてきて、コツコツ努力すると立身出世できるよ、という話が流通してくるんです。あとはこの本にも書きましたけど、能なんかでも、かつては必要悪として黙認されていた人身売買が、悲劇として演じられるようになるんです。そういう言説がだんだん定着していって、命は大事だよというふうな常識ができてくる。そうやって江戸時代が来るのかなというイメージはありますね。

ヤマザキ たとえばギリシャに行くとなぜあんなに劇場の跡が残っているかというと、国(ポリス)がそれを造って、ギリシャ悲劇や喜劇を人々に見せることで、人間というものを俯瞰で見るようになる。そこから生まれる哲学によって自分たちの社会を統括していた。ユダヤの場合はそれが宗教で、ローマの場合は法律だったわけです。日本の場合、今はそれこそ世間体や空気を読むことが我々民衆にとってのインビジブルな法になっていますが、昔はどうだったのかと。

清水 いわゆるキリスト教的規範みたいな強さはないですよね。だから逆にああなっちゃうのかなと思いますよね。

ヤマザキ こういうことをすると神が怒るとかいうような強烈な宗教観はないですよね。

清水 しかも価値観が多様ですからね。

ヤマザキ そう。枡のサイズが全然違ったりとか(笑)。

清水 年貢の基準になるはずの枡の大きさが、地域や荘園ごとにバラバラだった。しかも10枡で1升のところもあれば、8枡や13枡で1升だったところもある。10進法だけじゃないんです。ローカルルールにもほどがあるだろうって(笑)。

ヤマザキ めちゃくちゃですよね。西洋合理主義の世界だったら、全くもって成り立たない。しかもその曖昧さが許されていたというのが凄いと思いました。

清水 強制される理由もないし、それで困らないから、みんな使っていたんでしょうね。

ヤマザキ そのある種のパターンやルールに縛られない寛容性は、ローマ時代にもありました。ローマは広大な領土を支配しましたけど、そこの土地にもともとあった規格だったり、宗教だったり、文化を潰しはしなかった。ローマの法にさえ従ってもらえればあとは好きな神様を信じてよかったし、ローマでは属州の宗教が流行ったりすることもありました。

清水 自由ですね。

ヤマザキ とにかく広大な領地とたくさんの属州があって、ローマは人種のるつぼでもあったから、彼らの精神領域をまとめるのは無理。だから、そういうフレキシビリティーが身についたのでしょう。そう捉えると、室町時代はどこか縮約古代ローマ帝国みたいだなと、読んでいて感じることもありました。

清水 なるほど。じゃあローマも枡はばらばらだったかもしれない(笑)。

ヤマザキ かもしれない。最終的に同じだったらいいやみたいな。

清水 それが多分普通だと思うんですよね、統一されている状態よりも。

ヤマザキ でも今の日本では、ちょっと寸法がずれただけで文句を言って。

清水 そういう感じはありますね。

ヤマザキ 古代ローマも室町も、理想主義的な押し付けがないからいいですよね。「こうじゃなきゃいけない」という思い込みや予定調和から解放される面白みとか自由感というのは、すごくあると思うんですよね。これはまさにそういう本です。

清水 ありがとうございます。

ヤマザキ 「こうじゃなきゃいけない」「こうあるべき」という概念を覆す。思いがけない顛末に持っていく。作品を描くときにいつも意識していることです。

清水 僕も同じです。ヤマザキさんにはずっと同じものを感じていたので、今日はゆっくりお話ができてよかったです。前回、NHKの『知恵泉』でご一緒した時は、後醍醐天皇の話しかできなかったので。

ヤマザキ 時間的にもネタ的にも縛りがあって、その中でどこまで話せるかみたいな感じでしたからね(笑)。だからこの本を頂いたときに、まだまだこんなに奥行きのある話ができたかもしれなかったんだなあ、と思っていたので、私も嬉しかったです。今日はありがとうございました。

清水 本当にありがとうございました。

清水克行『室町は今日もハードボイルド

2021/06/17

公式HPはこちら

(了)

  • パンク母ちゃん

ヤマザキマリ

1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。

清水克行

1971年生まれ。東京都出身。立教大学卒、早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。現在は明治大学商学部教授。専門は日本中世史、社会史。著書に『喧嘩両成敗の誕生』  (講談社選書メチエ)、『日本神判史』 (中公新書)、『戦国大名と分国法』 (岩波新書)、『耳鼻削ぎの日本史』 (文春学藝ライブラリー)、『室町社会史論』(岩波書店)、『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)などがあるほか、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)も話題になった。歴史番組の解説や時代考証なども務める。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ヤマザキマリ

1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。

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清水克行

1971年生まれ。東京都出身。立教大学卒、早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。現在は明治大学商学部教授。専門は日本中世史、社会史。著書に『喧嘩両成敗の誕生』  (講談社選書メチエ)、『日本神判史』 (中公新書)、『戦国大名と分国法』 (岩波新書)、『耳鼻削ぎの日本史』 (文春学藝ライブラリー)、『室町社会史論』(岩波書店)、『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)などがあるほか、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)も話題になった。歴史番組の解説や時代考証なども務める。


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