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池田清彦×養老孟司「虫との大切な時間」

2018年8月7日

池田清彦×養老孟司「虫との大切な時間」

「虫との大切な時間」後編

著者: 池田清彦 , 養老孟司

稀代の虫好きとして知られる養老先生。鎌倉の古刹、建長寺に建立した「虫塚」で毎年6月4日に法要と、それに関する講演会を開催している。今回3回目は、長年の虫友、池田清彦さんの登場だ。満席の会場で、お互いの話を聞かないふたりの漫談、もとい対談はさらに続く。「この人は何がおもしろいんだろう?」「緑色人間になりたい、光合成ができるでしょ」って?

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分類とDNA解析

池田 いま、新潮講座で「絶滅の生物学」という講座をやっているんですが、「絶滅」というと、ふつうは、たとえば「2万年前にネアンデルタール人は絶滅した」というような話を思い浮かべますよね。最近では4万年前には絶滅していたとも言われていますが。でも、ネアンデルタール人は実は絶滅していないですよ。だって、皆さんの体の中にはネアンデルタール人のDNAが入っているんだから。
 ネアンデルタール人の男とホモ・サピエンスの女がセックスして子どもができたというのが何組かあって、皆さんは、その子孫なんです。
 ネアンデルタール人の男は、ホモ・サピエンスの女とセックスしなきゃ、自分たちが生き延びていたかもしれず、その意味では失敗しています。ホモ・サピエンスの女は、ネアンデルタール人の男とセックスして、それでネアンデルタール人から遺伝子をもらったわけですが、その遺伝子はおそらく耐寒性に優れていた。
 ネアンデルタール人は主に今のヨーロッパに住んでいた。7~2万年前のヨーロッパは今よりずっと寒かったんです。氷河期のはじめ頃、ホモ・サピエンスは何回かネアンデルタール人の居住地に進出を試みるも、うまくいかなかった。それはたぶん、寒さに耐えられなかったから。
 ネアンデルタール人から耐寒性に優れたDNAをもらった者だけが氷河期を生き延びた。ネアンデルタール人は、ネアンデルタール人が与えたDNAを持ったホモ・サピエンスにやられちゃったんですね。
 耐寒性が同じくらいならば、言語能力など、他の部分でのコンペティションになる。ホモ・サピエンスは、小脳がネアンデルタール人とはかなり違っていたんだという説がいま有力になってきましたけどね。
 あるいは、また、中国はチベットに進出しているんだけど、チベット人は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとデニソワ人という3種の混血なんですよ。デニソワ人からもらったのはおそらく高地に適応する遺伝子。漢人がチベットに送り込まれて、チベットを支配しようとするんだけど、高地に適応ができなくて具合が悪くなってしまう。そういう意味ではDNAというのは面白いね。
 ただ、さっき養老さんが分類の話をしたけど、最近は生物をDNA解析で分類するでしょう。すると、ぼくらがやってきた分類とは分類群が違ってくるんですよ。そのときに、どちらを重視するかというと、科学者たちはなぜかDNAを信じているので、DNA解析による分類のほうが正しいというふうになりがちです。
 かつては、たとえば環形動物と節足動物は近縁と言われていたんです。ミミズは体節があるし、虫も体節があるから。それで、環形動物の一部が虫に進化したのだろうと言われていた。ところが、18S rRNA系統解析(リボソームの小サブユニットのRNA塩基配列を基にして進化系統を明らかにする方法)によれば、昆虫に近いのは環形動物ではなくて、むしろ線虫だということになった。それでいま、「脱皮動物」なんていうグループ(「前口動物」を「冠輪動物」と二分する大分類群)もつくられていますね。
 そんなふうに、分類の仕方がどんどん変わっています。あと10年もたてばまた大きく変わるかもしれない。何が「ほんとう」かは分かりませんし、「ほんとう」というのは、科学にはない。さしあたり、いまはこういうふうにしていれば、なんとなく合理的な説明がつく、というだけで、明日になればまた違うかもしれない。
 体腔に注目すると、線虫は偽体腔なんですよね。昆虫や節足動物は真体腔です。それらがなんで同じ分類群なのかな。ぼくはあんまり納得できていないんだけどね。
 人間でいえば、腹の中に空所があって、空所の周りは全部、中胚葉で囲まれている。そういう体腔を真体腔というんです。その中は、外と完全に隔絶されている。
 偽体腔は、周りは中胚葉なんだけど、中の内臓のところの壁は内胚葉。つまり偽体腔というのは中胚葉と内胚葉に囲まれた空所のことなんです。さらには、体腔がない動物もいる。たとえば扁形動物には体腔がない。それは無体腔といって、ぺちゃんこの形になっているわけね。
 昔は体腔の形式によってぼくらは分類をしていた。ところが、DNA解析によれば偽体腔の生物と真体腔の生物が同じグループだというような話になっている。それはそれで直感的におかしいのではないかと思うものがあります。

養老 池田君が言った「体腔(たいこう)」という単語は、医学的には「体腔(たいくう)」というんです。「腔」は、「こう」が正しい読み方なんですけど、医学的には慣習的に「くう」と読む。「口腔」を「こうくう」というんですが、すると、高い空なのか、航空機の「航空」なのかと思われるでしょうね。日本語の熟語は、音読みを聞いてもわからないものが多い。しかも、その音読みが学問分野で違うのも困る。
 ともあれ、体腔は体の中の隙間ですよね。鼻の中なら「鼻腔」、口の中は「口腔」。体のそのものの中にある空間が「体腔」だということ。昆虫は真体腔なんですね。

池田 その点では人間と似ているよね。昆虫と人間はすごく違うと言われているけれど、そのうち、大して違わないという話になるかもしれないね。
 DNAを調べると塩基配列が違うとか言うんだけど、それはその通りだとしても、そんなことで分類できるものなのか。目で形や構造を見るのは、直感的なものですが、そういう直観的な分類とDNA解析が一致している場合にはそれでいいけれども、全然違っている場合は、DNA解析による分類のほうだけが正しいというのもおかしいんじゃないかと思う。
 いま、クジラは偶蹄目(ウシのほか、カバ、イノシシ、ラクダ、キリン、ヤギ、シカなども含む、有蹄動物の9割を占める大きな分類群)と同じ仲間ということで、「クジラ偶蹄目」なんていって、一緒にまとめられています。生物学の分類で、クジラを独立したグループにすると、怒る人がいるんだよ。「クジラはDNA解析によれば系統的にはカバに近縁だから、偶蹄類の仲間だ」とか言って。見た目が全然違うんだから違うグループにしたっていいじゃねえかと思いますけどね。
 進化の過程で、偶蹄目のなかからクジラが出たときに、システム上の大きな変化が起きたわけですよ。だから、DNAの系統が同じでも、形や機能は全然違うものになった。そういうシステムやボディープランの違いから分類していったほうが真っ当ではないのかと思うんだけどね。

完全変態は「乗っ取り」?

池田 昆虫の最もヘンなところは、変態するということですよね。完全変態する昆虫は、蚊とか蝶とか、色々いるけど、とにかく、幼虫と成虫ではまったく違う虫みたいでしょう。あれは、ふたつの種が合体しているのではないか、と前から養老さんと疑っているんだけどね。
 成虫が幼虫の体を乗っ取っているのではないか。さなぎのときに、幼虫の体がほとんど分解されて、成虫になる原基みたいなものだけがあって、それの餌になってしまうのではないか。そんなふうに考えています。
 幼虫の中に卵を産みつけた寄生虫にもちょっと似ているとも思っています。幼虫に寄生して、体を乗っ取って、成虫となって出てくる、ということなのではないですかね。
 昆虫の成虫は細胞分裂しないから、たとえば肢が取れたらもうそのまま。これがたとえばイモリなら、細胞分裂するから肢はまた生えてきますけど、昆虫は、幼虫のうちは細胞分裂する。だから、たとえば幼虫のナナフシは肢が取れてもまた再生するけど、成虫になると取れた肢は再生しない。
 再生しないかわりに昆虫はいいことがあって、がんにならないんだよね。がんにならないからといって、昆虫になりたいですかと言われたら、なりたくないだろうけどさ。
 人間でいうと、心臓と脳はあまり細胞分裂しないので、あまりがんにならない。脳腫瘍は、そのほとんどが、グリア細胞(膠細胞)由来か、転移によるものですよね。
 最近、『nature』を読んでいたら、13歳になるともう海馬が分裂しないという論文が出ていた。それなら、13歳以降は何をしても無駄なんじゃないか。頭の良しあしも何で決まるのか分かりませんね。
 ちなみに、脳細胞ができた後、刺激があるとシナプスができる。シナプスは生後8カ月頃に最も多くなるんだけど、それから10歳くらいまでの間にどんどん減る。それがあまりにも急に減ると、いわゆる精神疾患になる。全然減らないと自閉症になるんです。ヘンな言い方だけど、ふつうに減るとふつうの人になる。いきなり減るというようなスイッチが、中年になって入っちゃうと若年性アルツハイマーになるんじゃないかという説もある。ぼくはもう歳だから、若年性アルツハイマーにはならないでしょうね。酒ばかり飲んでいるから、子どもに、「おやじはアルツハイマーにはならないかもしれないけど、アル中ハイマーだよ」と言われたことはありますけど。でも、「毎日酒を飲むのがアル中なら、毎日水を飲む人は水中毒なのか」と、そんなくだらないことを言っていましたけどね。ぼくは1987年2月に酒を飲まなかった日が1日だけあったけど、それからはまた毎日、飲んでいますよ。
 話が逸れました。虫の変態のことでしたね。人間が完全変態だったら面白いよね。芋虫みたいな子どもがいて、ゴロゴロ転がっているうちにさなぎのように固まって、そのあと、いきなり親になって出てくる、なんてね…。
 くだらねえなという顔をしていないで、何か言ってくださいよ、養老先生。

養老 ケムシがチョウになるのって、単純におかしいですよね。でも、完全変態のほうが不完全変態のものより進化しているというのが生物学の常識でした。不完全変態している昆虫が完全変態の昆虫に進化したというふうに考えられてきたんです。
 それなら、さなぎという段階がいつ発明されたのか。さなぎは、何もしないでじっとしていて動かない。そんなじっとしていたら誰かに食われちゃうだけだろうと思いませんか。なぜ、さなぎの状態になるんだろう。そのことに誰もちゃんと答えられない。
 それで、あるとき、もしかしたらあれは別の生き物なのではないかと思ったんだよ。ぼくは、子どものときに、この建長寺周辺でもよく虫捕りをしていたことがあって、たとえばチョウのさなぎが付いているのを取って、持ち帰って、家で飼っていた。飼っていたと言っても、さなぎだから、ただ置いておくだけなんですけど、そうしたら、そのうちチョウが出てきますよね。あるいは、いろんなガの繭があって、それらをやはり家に持ち帰って置いておくと、ガが出てくると思いきや、ときに、ハエが出てきたり、ハチが出てきたりする。
 逆に、ハチの巣を捕ってきて箱に入れておいて、そのまま忘れていたことがあったんですが、その箱を夏になって開けてみたら、なんと甲虫が入っていたんですよ。つまり、それらはみんな寄生していたんです。たとえば、ハチがケムシに卵を産む。そうするとそれはチョウにならないで、ハチになっちゃう。うんと初期の幼虫なら、チョウもハチもはっきり区別がつかない。幼虫は食うことが専門の虫で、成虫は生殖専門の虫で…。
 そういうふうに考えていくと、進化の謎が解けやすくなると思うのです。でも、こういうことを言うと、真面目な人は嫌がるんですよね。
 ダーウィンの『種の起原』には1枚だけ図が入っている。皆さんもよくご存じであろう、系統樹の図です。枝分かれてしていくだけで、枝同士のつながりは一切ない。絶滅した生物の枝は途中で終わっている。ダーウィンの頭の中では、生き物は全部、分かれていっただけなんです。

 だけど、それがそうではないということを言ったのは、アメリカのリン・マーギュリスという人で、細胞内共生説を唱えた。ミトコンドリアは細胞内にすみついた細菌などの原核生物に由来するとしたわけです。これは面白い話なのですが、それを大嫌いな人も、とくにアメリカ人に多いですね。自分とまったく関係のないものが自分の中にすみついて進化したというのは、エイリアンみたいだから、本能的に受け入れがたいのでしょう。もちろん、映画のようなエイリアン型の生き物はホラーでしかないんですけど、実際にみなさんはある意味ではホラーのようなことで出来ているんですよ。
 昆虫の完全変態が、そのようなもの、つまり、別の生物がすみついた結果であっても、ぼくは不思議だと思わないし、むしろそのほうがずっと自然に思えます。だって、蚊とボウフラと、どこが同じなんですか。素直に考えたら、別な生き物だと考えるほうが自然でしょう。
 不完全変態の、たとえばセミなら、まだわかる。なんとなくセミみたいな格好(笑)で地面から出てきて、しばらくして羽を伸ばして。口の構造も同じですし。
 チョウはヘンでしょう。ケムシは葉っぱをかじっているのに、それがチョウだとどうしてストローになっちゃうんですか。「嚙んでいるこの顎をストローに変えよう」というふうにはならないでしょう。ケムシとチョウはもともと違う生き物だと考えるほうが自然ではないですかね。

池田 最近の説によると、古生代にすでに完全変態の昆虫がいたようですね。

養老 古生代とか、そんな古い時代に、何が起こっていたか、分かったもんじゃないでしょう。
 共生で面白いのは、アメリカ大陸にいるある種のアメフラシで、餌として緑色の藻を食う。だけど、藻の葉緑体を消化しないんです。特別な細胞がアメフラシの体の中にあって、それが葉緑体を食べて消化しないで、細胞の中に藻の葉緑体をためる。年を取るとだんだんと緑色になってきて、自分が藻に変わっていく。ある程度の年になると、口がいらなくなるんです。光合成ができるから。ヒトでも、緑色人間をつくったら面白いね。ぼくくらいの年になるともう、日なたぼっこをしていれば、飯を食わなくてもいいという…。

池田 水を浴びてね(笑)。

養老 そう。それで自分で光合成をして、自給自足。これなら、世の中を平和にしますよ。食糧問題もなくなるし、早く緑色人間になりたいな。
 ホウレンソウの話が出たけど、もしたとえばホウレンソウの葉緑体を自分の細胞の中へ入れて、自分の細胞がそれを利用できるとなれば、食料はいらないわけですよ。食べることが楽しみな人は、べつに食べればいいけど。
 人類を人為的に進化させるとすれば、利口にするより、緑色にした方が、世界が平和になるんじゃないかな。脳みそをいじると、たぶん、ろくなことをしないでしょう。いまは、AIとか言って、コンピューターの頭脳の方が偉くなってきていますけども。
 AI家電で、たとえば「電気をつけて」と声に出して言うと、電気がつくようなのがあるでしょう。オウムがそれを覚えちゃったという話が最近あった。その話を聞いて、誰がいちばん利口なのかと思ったね。家電が利口になったのか、オウムが利口になったのか。それをつくっている人間が、いちばん利口なのか。

池田 日本でも、ミドリゾウリムシというのは、体の中にクロレラを取り込んでいる。
 人間だったら、養老さんが言うように緑色人間になれば──誰かの小説でそういう話があったような気がするけど──、とにかく、平和にはなるでしょうね。
 昔の人間にはそんなふうにして葉緑体を体内に取り込んだやつがいて、暇だから毎日水を浴びて、寝たいだけ寝て、そのうちに背中から根っこが生えてきて、それがいまでは「木」と呼ばれているんだよ…とぼくが言ったら、その話を信じた学生がいましたけどね。最近は真面目な学生が多くて、彼らは何でも信用しますね。あんまりヘンなことは言えなくなってきたね。

「いんちき」よりも悪い状況

池田 養老さんも真面目でしたよ。ぼくが初めて養老さんと一緒に虫捕りに行った所はベトナムで、養老さんが60歳のときだったんです。
 養老さんは真面目で変わっているなと思ったのは、ぼくらと違って、民宿の裏の畑のようなところでウリハムシとかを捕って、「日本にも同じのがいる」と言って喜んでいるのを見たときだね。もっとその奥の原生林に行かなければベトナムの珍しい虫は捕れないから、ぼくらはそんな裏の畑なんかでは虫を捕ろうとは思わない。
 養老さんが手に切り傷を負いながら捕っている姿を見て、ぼくらは宿のベランダで酒を飲みながら、「♪裏の畑の養老さん、今年60のおじいさん。年は取っても、虫捕るときだけ、元気いっぱい網を振る~」なんて歌を歌っていたんですよ。養老先生には聞こえていなかったと思いますけど。
 そのときは、あんなつまらないところでなぜ虫を捕っているのかな、何が面白いんだろうな、と思っていたんですけど、実はそういうところが養老さんのすごいところです。要するに、日本とベトナムという、離れたところに同じ虫がいるということもまた面白い、という見立てですね。
 モンシロチョウは、どう考えたってコスモポリタンですね。日本でいえば、外来種。アカボシゴマダラなんかも、ベトナムにもいるし、日本にもいる。
 先日、自宅の近くで、白い大きなアカボシゴマダラを見つけて捕ったんだけど、それを放すのは禁止だから、殺して標本にしました。環境省はアカボシゴマダラの移入種を「特定外来生物」に指定している。アカボシゴマダラは、捕って殺すのはいいんだけど、分布が拡がらないように放したり飼ったりしたらいけないとされているんです。腹が立つ決まりをつくるもんだね。でもアカボシゴマダラは法律を守りませんから、分布はどんどん拡がっています。
 いまいちばん腹が立っているのは、メガソーラーです。山を削って、木を伐って、ソーラー発電のパネルを設置して、それを「エコ」とか言っているんじゃねえよ、と思いますけどね。

養老 あれはね、やっている人に聞いたけど、金儲けだけなんです。高い補助金をいま国が出しているから、それでつくっている会社は、じきに利益が上がらなくなるのは目に見えていて、すぐに売り飛ばしますよ。
 ぼくは前から提案しているんですけど、そういう会社がつくったことにしてお金をもらう、ということをぜひやってほしいと思う。そのほうが自然環境が破壊されなくて、お金だけが動きますから。それでいいでしょう。原価もかからない。地元はお金が無いと困るというのなら、そういうものをつくったという口実で、お金を回してあげたらいい。「つくったことにする」という知恵がそろそろ要るという意見をぼくは言っているんです。
 ぼくが真面目かどうかは知らないけど、日本人は真面目で、そんな「つくったことにする」というのはいんちきだと思っている。でもいまの状況は「いんちき」以上に悪いんです。わざわざ、大事にしておいたらいいものを壊している。それがお金になるからという経済的な理由があるだけなら、つくったことにしてお金を回すというのが、いちばん利口じゃないですか。

池田 その通りだよ。

養老 書類の上では、そこにできたということにしておけばいいんですから。「そこにはソーラーパネルがあって、これだけ発電しているはずです」でいいんです。「そのわりには電気が足りないんですけど」と言われたら、「そうなんですか。何かの加減でしょう」と。

池田 いまはコンプライアンス至上主義みたいなことになっているからね。そういうことが許されなくなっている。
 大学の講義を、ぼくはしょっちゅう休講にしていたんだけど、休講にすると、「補講しろ」と大学が言ってくるんですよ。ぼくは、補講を変な日時、たとえば夜の遅い時間からやることにして、そうすると学生もどうせほとんど来ないでしょうから、学生に「補講をやることになっているので、やったことにしておこう」と言うわけですよ。すると、なかには「やったことにするんですか。そんなことしていいんですか」と驚く学生がいるんだけど、「あったことをないことにして、ないことをあることにできるのが人間であって、ほかの動物にはそんなことはできない。これを文化というんだよ。単位はやるから、それを少し考えろ」なんて話をして。
 山梨大学にいたとき、300人の学生の講義を持っていたことがあるんですよ。ぼくが単位を乱発するということが知れ渡って、講義を受ける学生がどんどん増えたんですけど、ぼくからしたら、300人の成績をジャッジするのはめんどくさい。だから、全員に80点を付けたんです。すると学部長に呼び出されて、「全員が80点とはどういう判断だ」と怒られた。「私が授業をしていて、私が80点と判断したということです。それが違うというのなら、学部長が判断してください」と言ったんですが、まあ、よくクビにならなかったよね…。

養老 あ、時間だよ。今日はわざわざありがとうございました。今日は午後2時半から虫供養の法要をやります。やったことにするというわけではなく、ほんとうにやりますので、法要に参加したい方はぜひどうぞ。

(2018年6月4日、鎌倉・建長寺で行われた虫塚法要・特別講演「虫との大切な時間 ~養老孟司、池田清彦さんに聞く~」をもとに構成しました)

写真 青木登

池田清彦

 

養老孟司

1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に『唯脳論』『バカの壁』『手入れという思想』『遺言。』『ヒトの壁』など多数。池田清彦との共著に『ほんとうの環境問題』『正義で地球は救えない』など。

逆立ち日本論

2007/05/25発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

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養老孟司

1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に『唯脳論』『バカの壁』『手入れという思想』『遺言。』『ヒトの壁』など多数。池田清彦との共著に『ほんとうの環境問題』『正義で地球は救えない』など。

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