シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

マンガで歴史を描くということ

2024年4月22日

マンガで歴史を描くということ

マンガで歴史を描くということ

著者: ヤマザキマリ , とり・みき , 出口治明

ヤマザキマリ&とり・みきのコンビによる合作マンガ『プリニウス』(全12巻)が、第28回手塚治虫文化賞 マンガ大賞を受賞! 古代ローマの博物学者の生涯を描いたこの作品は、昨年7月に最終巻となる第12巻を刊行。連載開始から約10年、堂々のフィナーレを飾りました。受賞を記念して、「同作品のファン」という出口治明氏(立命館アジア太平洋大学前学長)をゲストに迎えた、作者ふたりとの鼎談を再録いたします(初出『プリニウス 完全ガイド』新潮社、2016年)。

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23~79年)。古代ローマを生きた史上もっとも有名な博物学者。その並外れた好奇心で、天文・地理、動植物の生態など、森羅万象を網羅した百科全書『博物誌』を書き遺す。

毒だらけのマンガ

出口 「プリニウス」は、僕のような歴史好きにはたまらないマンガですね。学生の頃から「歴史・宗教・美術史」が大好きで、それぞれのオタクを自称している僕にとっては、まさにうってつけのマンガでした。

マリ ありがとうございます。

出口 さらに熱烈な「ヤマザキマリ・ファン」でもあって(笑)。

マリ わあ。『男性論 ECCE HOMO』(文春新書)の書評も嬉しく拝読いたしました。「首相を始め全閣僚が読むべき、わが国の成長戦略における『指南書』」なんて、「あれ?そんな本だっけ」と著者が驚くほどの賛辞をいただいて。

出口 いやいや本当にそう思っているんですよ(笑)。

 今日お二人にお会いするので、あらためて「プリニウス」を読み返してきましたが、とにかくディテールが丁寧に描かれています。コミックスに収録されているお二人の対談では、人物はヤマザキさん、背景はとりさんがご担当されているとありました。

とり 大まかな役割分担はそうなのですが、回数が進むにつれ、徐々にその役割のようなものが崩れていき、二人の絵が“融合”し始めてきたなと手ごたえを感じているところです。

出口 とにかく、ひとつの絵というかコマに詰め込まれた情報量が多くて、読むのに時間がかかる。僕はさほどマンガには親しんでいないのですが、「あれ? マンガとはこんなにも読むのに時間がかかるものか」と思うほど。

マリ それはまさに我々の望むところでもあります。マンガってどうしてもストーリーを追うだけで、絵が読み流されてしまうことも多くて。それは「なんてもったいないことなんだろう」という意識が、とり先生と私の中にはあるんです。だから「プリニウス」に関しては、できるだけ1ページの滞留時間を長くすることができれば、と。

出口 なるほど。同じような感覚は、ブリューゲル(註 16世紀のフランドル地方で活躍した画家。「子供の遊戯」「雪中の狩人」など民衆の生活や風景を描いた作品で知られる)の絵を見た時にも抱きました。

マリ 私もブリューゲルが好きなので、それは光栄です。ブリューゲルの絵には、日常にある一瞬の風景が凝縮されていて、見ているといろいろな感情が揺さぶられて、いつまでも眺めてしまいますよね。「プリニウス」でも、舞台である古代ローマの空気感を一コマ一コマに凝縮させたい。そのためには、キャラクターやストーリーだけではなく、背景や細部もそれに負けないぐらい雄弁に語ることができなければいけないと。

出口 だから読んでいると、「引っかかる」という感覚が生じるのですね。

とり ただ、マンガを読む時に「引っかかってしまう」というのは、あまり良いこととはされていない風潮があるんです。作者としては、隅々まで絵を見てもらいたいんですけど、読者としては、読むスピードが停滞してしまうことになる。掲載される雑誌のタイプにもよりますが、読む速度が遅くなるマンガより、早く読めるというか読みやすいマンガの方が好まれる傾向があって。実際、編集者が「ここは背景を省いた方がいい」と、マンガ家に提案する場合もあるようです。

出口 電車でマンガを読んでいる人を見ていると、パッ、パッ、パッと、驚くほどの速さでページを捲っていますよね。

とり ええ。マンガというのは、主に絵と吹き出しの中にあるセリフで構成されていますが、ほぼ文字しか読んでいないんじゃないか、という人が多いですね。「一体、絵はどこにあるんだ?」と言いたくなるぐらい。マンガ家としては、やはり絵を読んでもらいたいのに、読み飛ばされてしまう。セリフとは相反する描写や、セリフでは説明してないけど絵には答が描いてある、ということもマンガ家はやっているんですよ。そのことに対するアンチの気持ちがもともとあったので、「プリニウス」は、「キャラクターも背景もストーリーも等価でいこう」と。

出口 それはもう十分すぎるほど伝わってきました。とにかく読むのに時間がかかる。

とり その分、こちらも描くのに多大な時間がかかるのですが。

出口 「花には香り 本には毒を」という、学生時代に覚えた好きな言葉があります。現代思潮社という出版社のキャッチコピーです。口あたりや咽喉ごしのよいサイダーを飲んだような読後感の本は、結局、頭に残らない。読後、何かひっかかる“毒”があって、それが徐々に全身に回ってくるような本が、僕は「いい本」だと思ってしまう。

マリ そういう意味で捉えるとしたら、「プリニウス」は毒素がいっぱいです(笑)。

出口 今、全身に「プリニウス」の毒が回ってきている状態かもしれません(笑)。

とり マンガであれ活字であれ、毒があるものの方が何度も読み返しますよね。多くの人にとってマンガは、通勤や通学の時間つぶしぐらいの娯楽かもしれないし、それはそれで必要だと思いますが。

マリ 確かに疲れている時は、スカッとするサイダーのようなマンガを読みたくなる。でも、マンガという媒体の役割はそれだけでいいのかと疑問にも思うのです。文学でも音楽でも映画でも、娯楽の要素にプラスアルファがほしい。知識や教養、そして後味の悪さというものも感じてもらいたい。マンガだけではなく、表現作品というものにはなにがしかの毒素がないと、作品の向こう側にある世界というか質感が伝わってきませんから。

もし日本のマンガ家がルネサンスにタイムスリップしたら

出口 僕はマンガについては純然たる素人なのですが、例えば古代ローマの時代にはすでにマンガのようなものがあったのですか?

マリ ないです、ないです。古代ローマには、フレスコ画ぐらいしか表現技法がありませんでした。そのほとんどが壁画の類で、それはやはりマンガとは言えないと思います。それが国際ゴシック様式というのが出現したころ(註 14世紀初めごろ)には、絵にセリフが直接書き込まれたようなものが現れるようになる。例えば、大天使ガブリエルが聖母マリア様にイエスを身ごもったことを告げる「受胎告知」。これはいろいろな画家がモチーフにしている有名な画題ですが、シモーネ・マルティーニという人の描いた同テーマの作品では、ガブリエルの口から「あなたは今妊娠しました」という意味の言葉が、マンガのセリフのように表記されているのです。

出口 あれがマンガの始まりだったと考えていいのでしょうか。

マリ 厳密に起源とは言えないと思いますが、マンガ的な感覚ですね。絵の中に言葉という記号が用いられることによって、人物の表情にもそれに応じた変化が生じるなど、絵そのものにも変化が現れました。

出口 なるほど。絵と言葉が結びつくことによって、新たな表現形態が生まれたわけですね。

マリ 今の日本で活躍しているマンガ家さんをルネサンス時代にタイムスリップさせたら、面白いだろうなと思ったりもします。特にフィレンツェの画家職人たちなんかはマンガ家たちに触発されて、これは面白い媒体だって、結構みんなハマるような気がします。

出口 逆「テルマエ・ロマエ」ですね(笑)。

マリ 日本人マンガ家がルネサンス時代へタイムスリップ。そこでマンガを描いたら、ミケランジェロやダ・ヴィンチを凌ぐ人気作家となり…なんて、マンガの企画がひとつ思い浮かびました(笑)。

とり でも、結局、〆切に追われてヒーヒー言っているんでしょうね。

マリ 実際にルネサンスの画家はみんな〆切に苦しんでいましたからね。そのあたりも今の日本のマンガ家と似ています。

出口 ある日、ロレンツォ・デ・メディチ(註 15世紀フィレンツェの最高権力者。芸術家たちのパトロンとして知られ、ルネサンス文化を支えた功労者)が目覚めたら、枕元に「プリニウス」が(笑)。

マリ いいですね! ルネサンス美術を支えた人たちは、それまでの中世と違って宗教的制約から自由で、芸術を柔軟に受け入れる姿勢があったから、きっとマンガというツールも理解してくれると思うのですが。

とり 背景描きに血道をあげる画家がいたり…。

マリ 異様に遠近法にこだわったり…って、まるでとり先生じゃないですか(笑)。私はアバウトで直観的なのですが、とり先生は遠近法にうるさくて、「これ、消失点の位置が違わない?」ってよく直されますから。

とり 一人で描いてるなら極端にいえば遠近法とか無視してかまわないんですが、この作品の場合は二人の絵を合成させなくてはいけないので…。

出口 実際に当時は、パオロ・ウッチェロやピエロ・デラ・フランチェスカなど、ちょっと変わった作風を持つ画家がいました。

マリ ウッチェロは面白いですよね。絵師なのに気の毒なくらい人間を上手に描けない。彼の絵に「サン・ロマーノの戦い」という傑作がありますが、後脚二本でさお立つ馬の角度や、兵士の持つ槍の角度とか、そんなことばかりにこだわって。

ルネサンスの「奇想の画家」パオロ・ウッチェロの代表作「サン・ロマーノの戦い」。同題の絵は3枚あり、上の絵はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されているもの。

とり それがむしろ絵を味わい深くさせていますけどね。

マリ でも、特に肖像画を頼んだ人は、出来上がりを見て…。

出口 「期待していたのと違う」とゲンナリするでしょうね。

マリ 「なんじゃこりゃ! お金払ったのに!」って。

出口 美術史の古典中の古典である、ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』にも、ウッチェロは相当な変わり者だったと書いてありますね。

マリ そもそも「ウッチェロ」って、イタリア語で“鳥”の意味ですから。鳥が大好きだから、「ウッチェロ」というあだ名がついた。画家として一家を成してやろう、という野心があまりなかったらしくて、とにかく自分が描きたい絵だけをマイペースに描いていたようです。“とり”という名前の絵描きは、古今東西問わず、マイペースという共通点があるようですね(笑)。

とり …。

出口 でも、どんな仕事であれ、後世に残る仕事は、その人が本当にやりたいことをやったものに限られますね。

マリ ルネサンスを代表するダ・ヴィンチは天才ですが、ありとあらゆる分野で好きなことをやったからこそ名前や作品が残ったわけです。そういう人たちはやはりどこか突出したものがある。

出口 つまり毒がある。500年以上もつ毒だから、相当強力です。

マリ 毒というのは技巧であり、知性であり、教養であり。

出口 あるいはパッション。

マリ それに世間体や社会の風潮に逆らって生きる勇気と、孤独に対する免疫力も大事だと思います。

出口 ある種の鈍感力でしょうか。

マリ 確かに鈍感さは武器になりますね。繊細さと鈍感さというのは、紙一重のところがあるとも思うのです。ダ・ヴィンチは、フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチからは一切オファーも無く、彼のアカデミア(註 知識人の集う学術サロン)に呼ばれることも無く、それをかなり根に持っていました。口をついて出るのは、彼に持て囃されている画家の悪口ばかり。でも、それが結果的に当時の流行に影響されない絵になって、だから後世あれだけ評価されたわけです。

とり 毒もあって、かつお金も儲けることができるのが一番の理想だと思いますけどね(笑)。

マリ そうですね。まあ、徹底的に毒を極めれば、それを評価してくれる人もどこからかは出てくるわけです。メディチ家はダ・ヴィンチを認めなかったけど、スフォルツァ家が認めたように。

出口 ボルジア家もフランスも、ダ・ヴィンチを認めたわけですし。

とり 中途半端がダメなんですよ。

出口 やはりどこか突き抜けていないと。凡人と非凡な人の差もそこにあるのでしょう。

マリ でも、家族にそういう人がいると大変ですね。

とり そこが僕は突き抜けてなくて良識が邪魔をしてるんで、アーティストとしてはダメだなあ。

マリ えーっ、そうですか? 毒素も強いし、十分突き抜けていると思いますけど。

出口 ヤマザキさんは突き抜けてらっしゃる感じがしますが…。

とり アーティストとしては僕より何倍も格上です、その分…。

マリ 私はこう見えても凡人です!

古代ローマの匂いが伝わる

出口 「プリニウス」に話を戻しましょう(笑)。僕は『「全世界史」講義』(、新潮社、2016年)という本を書いたのですが、当然古代ローマについても少なからぬ紙幅を割きました。古代ローマを描いた優れた歴史書は、世界にたくさんあります。代表的なのが、十八世紀の歴史家エドワード・ギボンの書いた『ローマ帝国衰亡史』でしょう。これも毒がある名著です。

マリ ギボンは、自分の頭できちんと考えて論を立てていますからね。そこが面白い。

出口 他にも古代ローマをテーマにした書籍はかなり読みましたが、この「プリニウス」の、特にコミックス第2〜3巻は、お世辞ではなく、「あ、当時のローマの街は、こんな感じだったんだ」というのが読んでいて腑に落ちて、とにかく面白かった。

マリ 嬉しいです。ありがとうございます。

出口 マンガという表現形式もあると思うのですが、自然と当時のローマの街を実際に歩いているような感覚になれました。

とり そう言っていただけると、マンガ家冥利に尽きます。

マリ 当時、路地に死体が普通に転がっていたり、娼婦が店先で裸で客を引いていたり、その風景は文字で説明するよりも、絵で描いた方がインパクトがあるというか、説得力が生まれますよね。もちろん優れた文字史料もたくさんありますが。ローマの街は尿の臭いが立ち込め、それが死体の腐敗臭と混じって、とにかく臭かったらしいんですよ。

出口 マンガの方が、より嗅覚を刺激するのかもしれませんね。画面から匂いが伝わるというか。

第1巻(左)と第2巻(右)より。いずれも帝都ローマの闇を描く

とり もちろんマンガであって論文ではないので、ディテールはフィクションを補強するためのものです。資料や史実に束縛されすぎてもまずい。マンガ家は最終的には格好いい噓をあえて選択したりしますから。ただ、フィクションという大きな噓を描くためには、ディテールを疎かにしてはいけないと思っています。できるだけ資料と史実にあたり緻密に調べて、大きな噓をつくための材料にしないといけない。フィクションだからって、何を描いてもいい、というのは違う。“大きな噓”と“デタラメ”は全くの別物です。

マリ 出口さんも、世界中を歩き回っていらっしゃるから、例えばインドとか行くと、まず臭いが強烈じゃないですか。

出口 はい。凄いです。

マリ ただ、臭いのインパクトというのを言葉で表現するのはなかなか難しくて、その点、絵だと、そこに腐乱死体が描かれていれば誰でも「ああこれは凄い臭いがしそうだ」と視覚からストレートに察知してくれますからね。

出口 中東やアジアが顕著ですが、異国に行くとまずは鼻に来ます。

とり 空港に降りた瞬間から臭いますからね。数日経つと慣れてきますけど。逆に外国の人が日本の空港に着いた瞬間、醬油や味噌などの慣れない匂いを感じるのかもしれない。

マリ それはあります。私はイタリアと日本をひと月ごとに行ったり来たりしていますが、久々に日本に来ると、プラスティックっぽい匂いがする。人工的な匂いというか。

出口 日本はあまり土の匂いがしませんね。

マリ まさに。それで言うと、古代ローマは当時下水道がかなり発達していたとはいえ、もちろん現代のようにはいかず、かなりの量の下水が道に垂れ流し状態になっていたはずなんです。その汚物の臭いや、濡れた歩道の湿気、店先から漂う食べものの臭いが渾然一体となっていたはずで、それを絵であらわさないといけない。

出口 おそらく現代のアジアの下町やスラムのイメージに近いのでしょうね。

第2巻より。人いきれで賑わうローマの市場。

とり はい。古代ローマの雑踏を描く時にイメージするのは、むしろ南アジアから中東にかけての街並みです。現代のヨーロッパではない。

マリ 私はシリアのダマスカスに住んでいたこともありますが、そこのある地域は、もう本当に古代ローマにタイムスリップしたのかと思うぐらい、2000年前と街並みが変わっていないんですよ。そんな自分の経験もマンガに活かしています。

出口 なるほど。現在のダマスカスとヤマザキさんが住んでおられた十数年前のダマスカスは、残念ながら全く違ってしまっていると思うのですが、とにかく古代ローマを描くのにシリアの街並みが参考になるというのは興味深いですね。そういったリアルな経験があるから、絵にも説得力が増すのかもしれない。

マリ 実際に古代ローマの遺跡に住んでいる人もいましたからね。ベドウィン(註 アラブの遊牧民族)とか。遺跡を訪ねると、「俺の家になんか用?」ってそういった古代の建造物の中から毅然とした顔で表に出てくる(笑)。

出口 クロアチアの港町スプリットも、ディオクレティアヌスの宮殿遺跡があって、古代ローマの雰囲気を色濃く残しています。

マリ はい。後期ローマ時代の家屋をそのまま使っていたりしていますね。

とり もちろんそうした実際に現地を見聞した経験は重要ですし、今回は取材にも行っています。でも、僕はヤマザキさんのように海外経験が豊富ではないので、そんな人間にとっては本や映像といった記録メディア、そしてインターネットが大変貴重なものだということも言っておきたいですね。昔の人は自分が生きている世界のことしかわからなかったけど、記録メディアがこれだけ発達した今、それを使わない手はないと。メディアが発達したおかげで、2000年前の時代のことを想像できるし、こうしてマンガも描ける、という側面も無視してはいけないと思います。

プリニウスの魅力

出口 その想像力という意味では、お二人が描かれたこのプリニウスの面相や容貌は、強烈なインパクトがあります。これから向こう100年ぐらいは、「プリニウスと言えばこの顔」ということになるのでしょうね。

とり 桜島と西郷どんみたいだなんて言われてますけど(笑)。

出口 プリニウスを描くにあたって、参考になるような肖像はあったのですか。

とり 当時描かれたものはありません。版画など中世以降に描かれたものはあるのですが、それらも言ってみれば全部想像で描かれたものですから。

マリ どれも何かピンと来ないんですよね。とても精悍でカッコよく描かれているものもあるのですが。

出口 何となく噴火で飛んできた石が当たってもびくともしないような体つきと精神の持ち主、という印象がありますよね。お二人が描いたプリニウスがまさにそのイメージ通りで、一度見てしまうと、もうそれ以外は考えられなくなる。

とり 少なくとも瘦せ型ではない、かなと。実際にどうだったかはわかりませんが。

マリ 甥にあたる小プリニウスは、「大きい人だった」という記録を残しています。

出口 石が飛んできても泰然自若としているということは大きい人だと。

マリ はい。食べることも好きだったようですし。

とり 僕は小松左京さんとおつきあいがあったので、情報に貪欲な人は大体太っているという先入観が…。

出口 そこはイメージ通りでした。

とり 司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で坂本龍馬像を新たに創り上げたように、我々もプリニウス像をゼロから。

出口 司馬遼太郎の龍馬像より、こちらの方が根拠があるように思える─といっても検証しようがありませんが(笑)。

マリ そもそもプリニウスの著作で唯一現存している『博物誌』が、虚実の入り混じったものですからね。そこが魅力的なんですけど。

とり 本の中で言っていることがコロコロ変わりますし。

出口 ロジカルな内容のものではないんですね。プリニウスが見聞したこと、感じたことがそのまま網羅されていて。

マリ はい。外国で古代史を勉強すると言われるのは、「『博物誌』は古代文学として最低の書物です」。内容は面白くても、読み物という意味では文体がめちゃくちゃだから。まあ、あれは哲学書でも文学作品でもなく、観察や考察の記録なわけだからそれで全然いいのですけどね。

とり その意味でも、やっぱり南方熊楠(註 1867~1941年。博物学者。粘菌の研究などで知られ、生涯在野の研究者であった)に似ていますよね。

出口 でもだからこそ、生の記録としてとても資料価値が高い。

マリ 資料としては一級品です。そもそもプリニウス本人が高級な文章を書こうとか、文学性なんてことはこれっぽっちも意識していない。とにかく森羅万象を書き留めておきたい人なんです。

とり 対照的に、同時代を生きた知識人のセネカは、とても整った文章を書く。だから後世にも立派な著作集が残るわけです。プリニウスが南方熊楠だとしたら、セネカは柳田國男(註 1875~1962年。日本の民俗学の泰斗。元は農商務省の官僚)かも。

出口 カエサルやセネカの文章は、いかにも「どうだ俺の名文は!」という感じで、後世の人間に読まれることを多分に意識しています。

マリ 対してプリニウスは、友人でもあったウェスパシアヌス(註 ローマ皇帝。在位69~79年)に見せることしか考えていない。

出口 「僕は、こんなことをたくさん見たよ、聞いたよ」と、何か無邪気さがあります。

マリ いわば「俺の百科事典」(笑)。『博物誌』は彼の外部記憶装置で、今でいうハードディスクなのかもしれませんね。

とり それも外付けね。

古代のiPad

マリ マンガに登場する書記のエウクレスが、プリニウスの言葉を書き写すタブラエ(註 ノートのように使う蠟板。「タブレット」の語源)は、まさにiPadです。

とり いちおうプリニウスの言葉を書記役の人がそのまま書き写した、ということになっていますが、それも怪しい。多少記憶違いもあったはず。

マリ 「あんた本当にその怪物を見たんですか?」と思わずツッコミたくなるようなことも、さも現場で見てきたように書いてしまうわけですから。でもそれはハッタリであって、悪質な噓ではないんですよ。

出口 ヘロドトスの『歴史』(註 史上最古の歴史書と言われ、紀元前5世紀の古代ギリシアとアカイメネス朝ペルシャの戦いを中心に記録)にも同じようなところがありますね。

マリ そこに書かれていることが真実かどうかを追究するのは、我々マンガ家の役目じゃないですから。それよりも、虚実入り混じったエンターテインメント性みたいなものが私たちにとっては重要で、現実に見せかけた巧妙なフィクションとしての演出、誇張は大歓迎なんです。

とり ほら吹きだからこそ面白いし、マンガにする甲斐がある。

出口 「見てきたように噓を言う」という言葉がありますが、その言葉をそのままプリニウスに贈りたいですね。書かれていることの真偽はともかく、その時代の空気は反映されているはずで、貴重な記録であることには変わりがありません。

とり その通りだと思います。

マリ その圧倒的な記録の中から、ごくたまにプリニウス自身の肉声が聞こえてくるような時があるんです。自らの置かれている状況だったり、世の中に対する思いだったり。その声が聞こえると、とてもグッとくるんです。その肉声から、プリニウスが「世の中をとてもフラットに見ていたグローバルな地球人」だったというのが、時空を超えて伝わってくる。そこに共鳴できるからこそ、多少真偽不明のところがあったとしても許容できるんですよ。現実でも、「ちょっとこの人は物事を大げさに言う人だな」と思っても、話が面白かったり、本音の部分に共感できれば、それもまた魅力になるじゃないですか。

出口 むしろ愛嬌の部分ですね。

マリ そうそう。すべてがうさん臭いわけでもなくて、時にハッとするほどいいことを言うんですよ。だから人間として尊敬できます。

出口 その尊敬できるというのは具体的にはどういった部分ですか?

マリ 人間至上主義じゃない、というところですね。この世界に生きているのは、人間だけじゃない。そんな中で人間が生き物の中でいちばん偉いと思い上ってはいけない、と。そのあたりの感覚がとてもフラットなんですね。

歴史を描く愉しみ

出口 僕は、プリニウスの『博物誌』を通読したことはないのですが、実は思い出があるんです。

 先ほど僕は「歴史・宗教・美術史の三大オタク」という話をしましたが、歴史に本格的にのめり込んだのは、ハンス・ゲオルク・ヴンダーリヒという地質学者が書いた『迷宮に死者は住む クレタの秘密と西欧の目覚め』という本を読んでからです。ギリシアのクレタ島にあるクノッソス宮殿について、斬新な仮説を提示したものです。ヴンダーリヒは、そこの浴槽に注目して、その排水溝に水が流れた形跡がないことを、地質学的知見を駆使して突き止め、「クノッソスは、死者を葬るための宮殿である」と実に大胆な仮説を打ち出したのです。

 さらに、有名なクレタの迷宮がもともとはエジプトの中王国から来たこと―つまりヨーロッパの文明の淵源をたどればエジプトに行き着く、ということも書いてある。

 それでクレタの迷宮のことを調べると、プリニウスが『博物誌』で迷宮について書いていることを知って、図書館で調べた記憶があるのです。もう30年以上も前のことです。

クレタの迷宮。迷宮には「一本道・交差しない」などの条件があり、迷路と区別される

とり それは偶然ですね。僕もこの連載で迷宮の話を描きたいと思って、マリさんと相談していたところです。クレタの迷宮には、怪物ミノタウルス(註 ギリシア神話に登場する頭が牛で身体が人間の姿をした怪物)を閉じ込めたという伝説がありますよね。ローマやユダヤの世界でも、牛の神様を描いた絵がたくさん残っていて、それがどのように伝播していったのかを考えると面白い。

マリ やはり当時の地中海文明というのは、私たちが思っている以上に交流があって、相互に強い影響を与え合っている。それを現在の「ヨーロッパ/中東/アフリカ」という区分だけで考えてしまうと、見えなくなってしまうものがある。

とり 先ほどのヴンダーリヒのように、考古学者による遺跡の発見を地質学者が新たに検証していく、というのは非常にエキサイティングですよね。現在は衛星高度から解析するような技術も考古学や歴史学に反映されつつあって、とても面白い状況だと思います。

出口 はい。歴史というのは総合科学で、新しい学問や技術によって、日々更新されて真実に近づいていくべきものなのでしょう。

マリ ルネサンスの時代にも、古代ローマをモチーフにした絵がよく描かれましたが、当時はまだ考古学も衛星技術もないから、いかんせん再現性は高くない。

とり 「プリニウス」第一巻の一コマ目が、衛星の視点から始まるのは、それが理由でもあります。

マリ あれは、ルネサンス人には思いもよらないアングルですよね。まだ地球が丸くて青いことだって知らないんだから。それが、現代に生きる我々が歴史を描く時のメリット。だから、ラファエロ(註 ルネサンスを代表する画家)なんかがもし今生きていたら悔しがると思いますよ。「うわー、この知識を活かして描いてみたかった」って。彼らが今の時代にいればもっといろいろ楽しかったはずなのに、それはちょっと残念ですね。

出口 もしかしたら100年後には、もっと新しい発見があるかもしれません。

とり 考古学でも、掘り起こさなくてもかなり細かい部分までわかるスキャン技術が進歩してきている。それに、ひとつの新しい発見があると、これまで積み重ねてきた考証すべてがガラガラっと変わってしまう可能性もある。

マリ だから私の中では、歴史もまたSFなんですよ。未来に向かうのとはまた別の意味で、歴史を遡ることはスペース・ファンタジー。結局、どれだけ技術が進歩して、斬新な発見があったとしても、本当のことはわからない。だからこそ我々のように想像力で歴史に迫る余地がある。

とり その通り。

出口 想像力の及ぶ範囲は永遠で無限ですからね。ちょっとずつその材料が増えていくのは楽しいこと。それにいくら学問や技術が進歩しても、人間の脳味噌自体は進化していないと言いますから。人間の喜怒哀楽は10000万年の間ずっと一緒。

とり ソフトが入れ替わっても脳というハードは同じですから。そろそろ現在のソフトに対してハードに限界が来ているかもしれませんが。

出口 だから過去のことがどんどん明らかになったからといって、ファンタジーの部分が減少するわけではない。むしろ想像力はどんどん膨らむ。そのいい例がこの「プリニウス」というマンガじゃないですか。

とり そこはラッキーというか有利だなと思いますね。つまり、我々はマンガ家なので…。学者さんと会って話をすると、皆さん、想像以上にフレキシブルでエキサイティングな仮説を語られるのですが、アカデミックな場では学問的裏付けのない話はできません。でも、僕たちはマンガ家だからそれができる。さらに考古学や歴史学を専門にしている人からすると思いもよらない要素を、他ジャンルから引っ張ってきて組み合わせてみたり、意外なアナロジーの発見があったりする。特にヤマザキさんと仕事しているとそれは顕著で、彼女もいろいろな分野に興味のある人なので、この部分とこの部分が結びつく、というのが瞬時にパッとわかる。その発想は面白いと言われることもあれば…。

マリ 非難されることもある。

とり もちろんそれもありますが、僕らはマンガ家なので、その分自由度が高くて、それを活かさない手はない。

マリ それは出口さんもそうですよね。「歴史オタク」だけど専門家でも学者でもない。あくまで本業は保険屋さん(当時)で、だからこそ書けることもある、という。

出口 おっしゃる通りです。細かい文脈に拘泥しすぎると、見えなくなることがあって、時には俯瞰して見ないといけません。

マリ それはアップル創生期のジョブズとウォズニアックの関係を想起させますね。アップルが成功したのも、俯瞰で全体を見るジョブスと、技術者として細部を見るウォズニアックという対照的なコンビゆえでしょう。

どちらがジョブスでどちらがウォズニアックか

出口 お二人は、どちらがジョブズで、どちらがウォズニアックなんですか?

とり うーん…それぞれ両方の気質を持ち合わせていると思いますけどね。 

出口 そう考えると、これだけ個性の強いお二人がコンビを組んで、このマンガを描いているというのは奇跡に近いことですね。

マリ 喧嘩もせずに(笑)。

とり えーッ!?

出口 今日初めてお会いしてお話を伺っているだけでも、お二人がとても個性的なのがよくわかりますが、それなのにお二人がフィフティ・フィフティの関係で、これだけ統一性のある作品を作られているというのは、稀有なことだと思います。

とり 喧嘩はないけどディスカッションのしがいのある人であることは間違いない(笑)。

マリ 私はどちらかというと、すぐにウワーッとなる直情的なタイプですからね。それをとり先生が「ちょっと待って」と冷却水のように抑えてくれる。そういうバランスはあると思います。やっぱりフレキシブルにお互いの意見に耳を貸して、相手の意見を面白いと思えるかどうかが重要ではないでしょうか。

出口 それはどの仕事も一緒でしょう。知らないことや自分の世界にないものを「関係ない」と言って弾いちゃう人と、「へー、面白いものがあるんだな」と思う人がいて、そこがすごく大事な分かれ目のような気がします。

とり 門外漢の人の話を面白がって聞く能力というのは必要ですね。特に合作ではお互いの違った資質への尊敬がないと成り立たない。

出口 古代ローマじゃないけど、やはり寛容性が重要。

マリ 私たち寛容なんですかね…。

とり 二人ともそれぞれは不寛容の塊のような…。

マリ 傍から見たら怖い人たちに見られていますけどね、私たち。

とり 原稿を待っていただくのが、最大の寛容。

マリ 「一日遅れたぐらいで何だ。それで世界は終わりはしない!」

出口 ははは。それで最終的にいいものができればいいじゃないですか。これからも「プリニウス」を楽しみにしています。

 

*『プリニウス 完全ガイド』(2016年6月刊)所収

プリニウス

ヤマザキマリ /著

2014/7/9発売

公式HPはこちら

ヤマザキマリ

1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。

とり・みき

マンガ家。1958年2月23日熊本県生まれ。79年「少年チャンピオン新人まんが賞」応募作の『ぼくの宇宙人』が佳作第一席に入りデビュー。以後ギャグマンガをメインにしながら、エッセイコミックやシリアスなSF・ホラー物も手がける。94年『DAI-HONYA』98年『SF大将』で星雲賞、95年『遠くへいきたい』で文藝春秋漫画賞を受賞。主な作品に『クルクルくりん』『愛のさかあがり』『石神伝説』『冷食捜査官』『メカ豆腐の復讐』などがある。マンガ以外に『とり・みきの映画吹替王』『街角のオジギビト』などの研究書も。劇場版アニメ『WXIII機動警察パトレイバー』では脚本も担当。

出口治明

1948(昭和23)年三重県美杉村生れ。立命館アジア太平洋大学前学長。京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006(平成18)年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社(現ライフネット生命保険株式会社)を設立。2017年会長職を退任。2018年より現職。旅と読書をこよなく愛し、訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊を超える。とりわけ歴史への造詣が深く、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では歴史の講座を受け持った。著書に『生命保険入門 新版』『仕事に効く教養としての「世界史」』『全世界史(上・下)』『座右の書 「貞観政要」』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』などがある。

この記事をシェアする

「マンガで歴史を描くということ」の最新記事

マンガで歴史を描くということ

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ヤマザキマリ

1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。

対談・インタビュー一覧

とり・みき

マンガ家。1958年2月23日熊本県生まれ。79年「少年チャンピオン新人まんが賞」応募作の『ぼくの宇宙人』が佳作第一席に入りデビュー。以後ギャグマンガをメインにしながら、エッセイコミックやシリアスなSF・ホラー物も手がける。94年『DAI-HONYA』98年『SF大将』で星雲賞、95年『遠くへいきたい』で文藝春秋漫画賞を受賞。主な作品に『クルクルくりん』『愛のさかあがり』『石神伝説』『冷食捜査官』『メカ豆腐の復讐』などがある。マンガ以外に『とり・みきの映画吹替王』『街角のオジギビト』などの研究書も。劇場版アニメ『WXIII機動警察パトレイバー』では脚本も担当。

出口治明

1948(昭和23)年三重県美杉村生れ。立命館アジア太平洋大学前学長。京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006(平成18)年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社(現ライフネット生命保険株式会社)を設立。2017年会長職を退任。2018年より現職。旅と読書をこよなく愛し、訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊を超える。とりわけ歴史への造詣が深く、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では歴史の講座を受け持った。著書に『生命保険入門 新版』『仕事に効く教養としての「世界史」』『全世界史(上・下)』『座右の書 「貞観政要」』『「働き方」の教科書』『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』などがある。

対談・インタビュー一覧


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら