2026年9月9日
國分功一郎×中島岳志「「憲法・戦後・天皇」をめぐる私たちの責任」
第3回 “歴史”は現在から過去へと向かう
今年4月に刊行した『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)が注目を集めている國分功一郎さん。昨年、戦後日本の精神史として『縄文 革命とナショナリズム』(太田出版)を上梓した中島岳志さん。同学年の哲学者と政治学者による対談の第二弾です。
天皇への“ねじれ”、30年後の加藤典洋『敗戦後論』、立憲主義とナショナリズム、人文学の役割など、『天皇への敗北』を起点に、今まさにアクチュアルな議論が展開。ともに「戦後50年」1995年前後に成人したふたりが、「憲法・戦後・天皇」を問い直します。
(目次)
【第1回】 天皇への“ねじれ”
【第2回】 戦前と戦後の“連続性”を救い出す
【第3回】 “歴史”は現在から過去へと向かう
構成:宮田文久
2026年4月28日(新潮社クラブ)
(第1回 天皇への“ねじれ”)
(第2回 戦前と戦後の“連続性”を救い出す)
1990年代、日本の右傾化
國分 この対談では、新刊『天皇への敗北』における大きなテーマである日本国憲法、とりわけ立憲主義についてあらためて熟考する必要があるというところから話を始めました。さらに、加藤典洋さんの『敗戦後論』や中野重治、江藤淳といった文学者の言葉を取り上げながら、「戦前と戦後の連続性」について、あるいは憲法の主体たる“国民”を考えるにあたって直面するナショナリズムについても、安易な批判に終わらせるのではなく、きっちりと考えなければいけないということを話してきました。
そのナショナリズムを考えるにあたって、「We」という主体をどう捉えるべきかは、依然として難問ではあります。2025年に僕が主催したシンポジウム(「「敗戦後論」その可能性の中心」)でも、金杭さんという韓国の研究者が、加藤さんの議論には中国や台湾、朝鮮半島をめぐる植民地主義の問題や、あるいは沖縄といった問題が出てこないということを指摘していました。加藤さんの主張を「観念的な議論」と評価する金さんの指摘については、私もまさしくその通りだと思います。加藤さんの議論の不十分さや問題点はここでも改めて指摘しておきます。
中島 重要な問題提起ですね。
國分 僕としては『天皇への敗北』を執筆する時に、「日本国民」と括弧で括るのではなく、日本国民と書くだけでも、一大決心を要しました。そのぐらいナショナリズムをめぐる抑圧が、僕の中に染み込んでいたのかもしれません。しかし、その主体が問われる憲法を考えるには、そこから逃げるわけにはいきません。
そのことをふまえた上で、ここからどんな未来を考えるべきか。そのためには、『敗戦後論』が発表されてからの年月を──つまりは戦後50年から80年に至る30年間に起きたことを、今一度振り返る必要があるだろうと思うのです。この対談でも、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』について話しましたが、他にもふまえておくべきことは多々あります。先ほど触れたシンポジウムに登壇いただいた歴史学者の藤原辰史さん(1976年生まれ)をはじめとして、僕と同世代の人は、『敗戦後論』をめぐる論争が起きた当時は20歳前後。論争の様相を目にしながら、何かすっきりしないものを抱えていた記憶がある。当時から現在までの出来事や、30年間でなされてきた議論を振り返ることで、見えてくるものがあるのではないかと思っています。
中島 『敗戦後論』をめぐる論争と同時代的な事象として、1998年に小林よしのりさんの『戦争論』(『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』、幻冬舎)が刊行され、ブームになったことは、大きな出来事だったと思います。こうした動きの前史としては、1995年に藤岡信勝らが中心になって「自由主義史観研究会」が、1997年には「新しい教科書をつくる会」が結成されたことが挙げられます。こうした動きにおいても、加藤さんと同様に「戦前と戦後の連続性」が強調されているのは、はたして偶然だったのかどうか。
國分 それはある種、不幸な偶然と呼ぶべきものがあったかもしれません。ただ加藤さんの議論が、こうした右派的な動きの直接の呼び水になったとは到底思えません。
中島 そうなんですよね。加藤さんはまったく異なる角度から「連続性」を取り上げ、繊細な議論を展開していたからこそ私は共感を覚えたわけですが、しかし加藤さんと論争をしていた高橋哲哉さんや、ナショナリズム批判の文脈で加藤さんを批判的に捉えていた人たちは、当時の右派的な主張と同じ流れに位置するものとして『敗戦後論』を見ていた可能性はあると思います。
國分 その可能性は否定できませんね。左派の議論にシンパシーを覚えていた僕が当時、そもそもきちんと『敗戦後論』を読んで受け止めることができていなかったというのも、ここまで明らかにしてきた通りです。小林よしのりらが台頭してきた文脈と、加藤さんの『敗戦後論』は何の関係もないのに、社会が信じられないようなスピードで右傾化していく様に焦るあまり、とにかく反ナショナリズムの側につかなければならないと、当時の僕も思っていたのかもしれません。
正直、加藤さんにはもう少し誤解を減じるような書き方があったのではないかと、今になって思うところもあります。一方でそれを批判する側も、日本の戦争責任に向き合うための連続性に留意する必要があったとも思います。それによって当時の急激な右傾化に対するバリアを、共同的に構築できたかもしれません。しかし左派の多くは、加藤さんに対しては容赦なくナショナリズム批判をぶつけ、他方で右傾化の中心にいる人たちに対しては、右派がまさに嫌悪している戦後民主主義の論理をそのまま投げつけていった。右派の責任を捨象するわけではありませんが、彼らの左派に対する反発はより強まっていきました。インターネット黎明期にもあたりますし、後のネトウヨにもつながるような問題は、このあたりから醸成されていったように感じます。
中島 右と左が今のような分かれ方をしているのは、決して当然のことではないと思っています。田中美知太郎や福田恆存といった保守の論客が、なぜ大東亜戦争に抵抗したのか、どうして反戦の立場だったかというと、戦争の論理そのものに付き合えないと思っていたからでしょう。大東亜共栄圏なども含めて、戦争の論理は設計主義であり、そのことをもって左翼的な思想だというように彼らには見えていたはずです。敗戦後、戦争に邁進していた人たちは、戦後民主主義にそそくさと鞍替えしていく。そのことに強い抵抗を覚え、発言していた人の感覚を、大事にしたいと考えています。
國分 今名前を挙げられた福田恆存にしろ、田中美知太郎にしろ、とんでもないインテリですよね。福田は英文学、田中はギリシア哲学という学術的なバックボーンがしっかりある。ただ、大衆的なものとのつながりを考えた時、そこには難しい問題が横たわっていたのかもしれません。というのも、まさに1990年代半ば以降、「権威の失墜」が顕著になり始めましたよね。そしてインターネットの勃興がとどめを刺した。そうした「権威の失墜」と、現在の左派・リベラルの苦境が重なります。先述したシンポジウムで藤原辰史さんも、イスラエル擁護にまわるドイツの知識人たちについて、「警察的知性」という言葉を使って批判していたのが強く印象に残っています。
中島 知的な議論自体が著しく機能不全に陥っている時代ではありますね。
國分 そうした時代において、議論をリードする人たちが、大衆的なマインドをきちんと把握することができるのか。そのことも問われているような気がします。

ふたたび日本国憲法について
中島 そうした感覚は、憲法を考える際にも必要でしょう。その意味では、作家・高橋源一郎さんの憲法についての発言は面白い。高橋さんは自身が編者となって長谷部恭男、片山杜秀、石川健治、森達也、国谷裕子、原武史といった各氏と対話を重ねた『憲法が変わるかもしれない社会』(文藝春秋、2018年)をはじめとして、日本国憲法をめぐって刺激的なやりとりをされています。國分さんも『天皇への敗北』で引用されています。同書の議論の中では、私たちがそうとは知らず見逃してきたような論点の提示や、これまでの歴史的なごまかしの指摘がなされています。
高橋さんは、思想家の内田樹さんとの対談(「九条対談 変える護るの二択でなく自由に憲法を考えてみるとおもしろい。」通販生活ウェブサイト)で、世界各国の憲法と見比べた時、日本国憲法は不思議な構造をとっている、と言います。他国の憲法は、前文の後に本文が置かれ、その冒頭で主権や国民の定義がなされる。しかし日本国憲法では、第1条から8条までが天皇にまつわる条文である、と。9条に戦争放棄が書いてあって、10条でようやく「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」という条文が現れる。
國分 たしかに、世界的に見れば異例といっていいのでしょう。
中島 すごく特殊な構造をした憲法だと改めて思います。それを承けて高橋さんは、1条から9条までを別のところに移して──例えば9条の内容は前文に理念として組み込むなどして、いまの10条を1条に置くという、世界の標準に近づける形に変えてもいいのではないか、と述べています。それは、立憲的な主体の回復につながるアイデアであって、まさしく文学者ゆえの興味深い提案だと思います。
國分 これも高橋さんが指摘されていることですが、憲法学者・長谷部恭男さんと議論を重ねられる中で、天皇が人権の認められない「飛び地」であるという点にこだわっていますよね。僕も高橋さんの議論に刺激を受ける形で、憲法で天皇の人権が認められていないという問題は非常に重要なのだと、改めて考えるようになりました。
またそれは『天皇への敗北』で触れた、大西巨人さんによる天皇への言及にも関わる論点です。人権が認められない「象徴」としての天皇を、大西さんは「奇妙な存在」として受け止めた。昭和天皇は「奇妙な存在」だからこそ戦争責任を逃れることができたという、その表裏一体性を大西さんは見事に喝破していたわけです。そうした問題意識は、高橋さんが見つめている日本国憲法の条文の不思議さにもつながっている。戦後憲法学は、こうした妙なところのある憲法を、それこそ前文から10条の条文に至ってようやく定義される国民に対して、「みんなのための憲法なんだ」と必死に説明しようとしてきた。そこには問題もあったかもしれない。それでもできる限り力を尽くしてきた憲法学者たちに僕は敬意を抱いています。その点は、強調しておきたいと思います。
中島 条文の不思議さには、当然ながら日本国憲法を占領期に作成したアメリカの目論見も関係しているのでしょう。そこには「ごまかし」があったかもしれないけど、それも含めて戦後の私たちは、ある程度は憲法を主体的に獲得していった。そんな非常に微妙な経緯を理解できるのが、政治学者の酒井哲哉さんが1991年、湾岸戦争の頃に発表した論文「『九条=安保体制』の終焉──戦後日本外交と政党政治」(『国際問題』第372号)です。
國分 その酒井さんの論文は、9条と安保体制は密接に結びついたものであった、という内容だったと記憶しています。
中島 はい。本来は9条と相反するものであったはずの安保体制が、1960年代半ば以降は、「日米協調の象徴として安保条約は(中略)保守勢力のみならず革新勢力にも静かにしかし深く受容されていった」と酒井さんは書いています。これは私から見れば、9条を日本の人々が主体的に獲得していく、戦後の主体形成のプロセスだったと思います。しかしその体制が、冷戦の終焉と共に終わりを迎えていく。
では9条を、どのように今の私たちは主体的に獲得できるのか。その問題が、今改めて残ります。そもそも9条は、「もう戦争をやりたくない」「戦争はこりごりだ」という叫びでもあって、非常にエモーショナルな部分があります。だからこそ大衆への訴求力があり、文学的に感じる人もいる。しかし一方で、憲法の条文としては法律的に甘い部分、曖昧な部分があると私は思います。曖昧な部分があるからこそ、自衛隊の存在を明記するかどうかなど、ずっと議論が続く。安倍政権において、2014年7月に集団的自衛権をめぐる政府の憲法解釈変更がなされ、翌2015年9月に平和安全法制(安保法)が成立したことも、9条における曖昧さを逆手に取ったとも言えます。だから2015年以降に私は、そのような曖昧さを「悪用」されないよう、9条の曖昧かつ緩い部分をむしろ積極的に改正していくべきだと考えるようになりました。誤解を招く表現になるかもしれませんが、「悪用」されないようにもっと明確にしておくという意図です。
國分 それは大胆な提案ですね。9条には「戦争はもう嫌だ」というエモーションが込められていて、文学的でさえあるというのはその通りだと僕も思います。だからこそ憲法学者は、憲法をひとつの「物語」として国民に語りかけてきた――『天皇への敗北』でもそう書いたわけです。しかし問題は、「戦争をしたくない」という強い感情が、現代において失われかけているのではないか、ということではないでしょうか。それよりはむしろ「激動の国際社会で、平和憲法を盾に取って日本だけがズルをしているじゃないか、楽をしているだけじゃないか」といった言説が、「現実主義」という名のもとに流布している。それに対して反論しづらくなっている。護憲派と呼ばれる人たちは「9条のおかげで日本は戦争に参加しないで済んだ」という物語をもって対抗しようとしていますが、「じゃあ国際貢献はどうするのだ」という主張に対して、どこまで力を持っているか、そこが問われているのが現状でしょう。
中島 そのあたりは本当に瀬戸際にあると思います。2026年3月に高市首相が訪米して日米首脳会談に臨んだ際、かねてトランプ大統領が要求していたホルムズ海峡への艦船派遣に対し、9条の制約があるという説明をしたという見解が、後の茂木外相のコメントから世に広がりました。すぐに首相も外相も、こうした9条の制約は会談の場で明示していないと否定しましたが、それでも久しぶりに、そして不意に9条の機能が顔を出したという気がします。しかし、やはり例外的な事態であって、安倍政権時のような、なし崩し的な「解釈改憲」を、はたして現在の9条の条文のままで止めることはできるのかという難題は、なおも持続していると考えます。
そうした憲法の理念と現実において、ネックになっているもののひとつが「統治行為論」だと私は考えています。統治行為論というのは、高度な政治性をもつ行為については、裁判所が違憲かどうか判断できる事柄であってもその判断を留保するという考え方です。つまり、いくら憲法に明記されている理念であっても、「現実」を考えて運用しなければいけないという。こうした考え方が支配的だったのが戦後日本であり、それが憲法の空洞化を招いてきた根源的な要因なのではないか、とも感じています。それを単純に「ごまかし」と言えるかどうかはまた微妙なところですが、その蓄積が「立憲主義の危機」としてブワッと世に噴出したのが、2015年あたりだったのではないでしょうか。
國分 これは公にしていいと思うのですが、『天皇への敗北』刊行後すぐに、上野千鶴子さんから同書についての感想をいただきました。上野さん曰く、國分さんは日本の憲法学を高く評価しているけれども、日本の憲法学者たちは統治行為論をきちんと論じていない、と。そのことを指摘するべきなのではないか、といったご意見でした。非常にクリティカルなポイントであり、立憲主義を論じるにあたっても急所であるという印象を受けます。
中島 すぐには答えの出ない問題ですね。現実を見据えながら、そのあたりをどう乗り越えるか。「慎重に議論を尽くす」のが大前提ですが、憲法改正まで踏み込むか。自民党や高市政権の考える「憲法改正」を鵜呑みにするのは危険ですが、だからといって現行の憲法に瑕疵がないわけではありません。はたして「不磨の大典」のままでいいのか。「変えると崩れてしまう」というイメージが強いのも、憲法とりわけ9条にエモーショナルな部分があるからでしょう。それこそが難題だと思うのですが、そこまで踏み込んで考えていかなければいけないと思います。

「縄文」への仮託――現在から過去へのアプローチ
中島 「ナショナリズムをどう考えるか」という点についても、さまざまに課題があるだろうと思います。少し角度は異なりますが、昨年刊行した私の『縄文 革命とナショナリズム』(太田出版、2025年)は、まさにそうした問題と向き合った本でもありました。
國分 簡単に「日本国民」と一括りにはできない歴史があって、その歴史や背景は、非常に複雑かつヘテロジニアスなものですよね。中島さんの『縄文』では、岡本太郎から梅原猛に至るまで、戦後の日本が「縄文」という時代ないし概念にさまざまなものを仮託していった過程が描かれていました。
中島 戦後史のそれぞれの時期で、目の前の状況に対する違和感やアンチテーゼがあり、それが縄文への過剰な仮託へとつながっていく。それができるのは、縄文時代には文字による記録がないから、つまり後世の人間がどうとでも言えるところがあるからです。いろいろな解釈が可能で、それに対して考古学者もなかなか明確な反論ができない。縄文という項にあらゆるものが代入されていってしまう、そうした縄文観をめぐる戦後史を書いたのが『縄文』でした。
加えてもうひとつ、『縄文』で書きたかったのが、歴史は過去から現在に向かっているのではなく、現在から過去に向かっているということ。ナショナリズムにおける、ひとつの重要なポイントであって、これに関しては社会学者の大澤真幸さんが、さすがの整理と発展的な議論を提示しています。
國分 大澤さんのポイントは、どのあたりになるのでしょうか。
中島 大澤さんの『ナショナリズムの由来』(講談社、2007年)によれば、前提としてナショナリズムにはふたつの系譜がある。それは「原初主義」と「道具主義(近代主義)」と指摘しています。前者は文字通り、人間の共同体を構成する原初的な紐帯や連帯として、ネーションを考える。後者は、ベネディクト・アンダーソンやアーネスト・ゲルナーのように、ネーションが「歴史的な環境に対処するような形で創造された」ものだと考える――いわゆる構築主義的な立場ですね。
これに対して、アンソニー・スミスという人は、原初主義と道具主義を折衷した立場を採りながら、ネーションの核に「エトニ」という、人類史の最初から存在していたエスニックな共同体を見出します。つまり、「エトニ」からの連続性のもとに、ネーションを考える。大澤さんはご自身の編著である『ナショナリズム論の名著50』(平凡社、2002年)で、このスミスの議論の誤りを指摘して、いわば逆立ちして捉えるべきだというように論じています。つまり実態は逆。ネーションこそが「エトニ」の起源だというわけです。現在の自分たちを語る時に、過去の「エトニ」が遡行的に構築されるわけであり、「それこそがナショナリズムの構造なのだ」というのが大澤さんの論点です。「縄文」というカテゴリーは、まさにこれに当てはまります。
「御先祖になる」――『敗戦後論』の先へ
中島 2011年3月に東日本大震災が起きた時、私は柳田國男の『先祖の話』を読み直しました。この本は1945年、東京大空襲の最中に柳田が書き進めたとされるもので、敗戦直後の1946年に筑摩書房から刊行されました。彼がなぜこんな文章を書いたのかといえば、日本の連続性、とりわけ先祖とのつながりが、この戦争に負けることによって切れるだろうと予感していたからです。日本人が先祖という存在をどう考えてきたのかを徹底的に書いておかねばならないと、差し迫った使命感に駆られたがゆえの力作です。
その『先祖の話』の結部に、強烈な主張が出てきます。柳田は、戦死した若い日本の軍人たちとの、いわば養子縁組のような家族形成を進めることが必要だ、というようなことを書く。びっくりしますよね。なぜそんなことを柳田は求めるのかというと、要は戦死した若い兵士たちは、このままでは先祖になれないから、ということなのです。多くの人は結婚する前に亡くなっていて、それによって断絶が生まれる。つまり、「先祖」になれない。どうにかして連続性を担保するには、養子縁組をするべきだと言い放つわけです。曰く、「新たに国難に身を捧げた者を初祖とした家」が数多くできるのもまたよいではないか、と。
國分 なるほど。「戦前と戦後の連続性」を“先祖”という観点からは考えたことがなかったですね。
中島 さらに『先祖の話』には「御先祖になる」という節があります。私が特に共感を覚えるくだりです。柳田が小さい頃にはよく耳にしたという「御先祖になる」という言葉を、もうだいぶ長く聞いたことがなかったが、東京・南多摩郡の丘陵地帯でバスを待つ間に、ある同年輩の老人と会話をするうち、彼はもう間もなく「御先祖になる」つもりなのだと口にする。6人いる子供たちにも家を持たせることができ、やるべきことはやったから、あとは6軒の一族の「御先祖になる」のだと。
このエピソードに、「今時ちよつと類の無い、古風なしかも穏健な心掛だ」と、柳田はえらく感心する。つまり、この老人には、死んだ後にも仕事があるということでしょう。「御先祖になる」のは、自身の死後も子孫を見守る仕事があるということ。それを子孫の側から考えれば、御先祖が見守ってくれているということを意味します。
國分 それが「御先祖になる」ということなんですね。
中島 こうした柳田のビジョンから敷衍されるのは、「弔い」というものは過去志向ではなく、未来の他者との対話につながる、連続性があるということなんです。柳田は主に「家族」を中心にした国家という枠組みで考えたわけですが、私はこれを今「家族」とは別のフレームで考え、引き継げないかと思っています。いずれにしても、これは加藤さんや江藤の議論とも、あるいは國分さんが取り上げた大澤さんの『我々の死者と未来の他者 戦後日本人が失ったもの』(インターナショナル新書、2024年)にも重なる話ですね。
國分 たしかに。先ほど私はガザに対するアクションというコンテクストで大澤さんの本に触れましたが、環境問題なども大きなテーマとして論じられています。
中島 大澤さんは、日本人が世界の中でも環境問題に対する意識が低いことに関して、「死者とのつながりのない人間は、未来の他者とつながれないのだ」という観点で議論を進めています。それはつまり、「御先祖」を失ったからであり、何より大澤さん自身が書いているように、加藤典洋さんの『敗戦後論』の先をどう考えうるのかという議論にもつながってくる。私はこれらの問いを、日本国憲法をめぐる「ごまかし」をどう乗り越えるのかという問題と共に考えていく必要があるだろう、と思っています。
國分 そうですね。「弔いは決して過去のみを志向したものではない」というのは、非常に重要なことだと思います。日本国民における連続性を保つのは、過去に対してきちんと責任をとり、未来に向かって責任を果たしていくためです。決してこれまでの、過ちを含めた行いを顕彰するのでも称揚するのでもない。ここに、加藤さんの「哀悼」を乗り越えていく契機もあるはずです。
「闘えばいい」――人文学の役割
國分 僕がよく思い出すのは、『敗戦後論』をめぐる激しい論争を経た頃、1999年の『批評空間』第2期20号に掲載されていた「共同インタヴュー五〇年代の運動空間 武井昭夫に聞く」(武井昭夫『わたしの戦後──運動から未来を見る 武井昭夫対話集』〔スペース伽耶、2004年〕所収)のことです。絓秀実さんと柄谷行人さんを聞き手とした、かつて学生運動家として全学連初代委員長を務めた文藝評論家・武井昭夫へのインタビューなのですが、ここで『敗戦後論』の話題になった時のやりとりが、非常に印象に残っているんですね。
中島 どんなやりとりだったのですか。
國分 共に加藤さんに対して批判的なのですが、絓さん(1949年生まれ)は「弔うことさえ不可能だと思っている」と発言します。武井に「弔うこともできない?」と念を押され、「できない。それでいいんじゃないですか」と、『敗戦後論』の問題意識を突き放します。それに対して1941年生まれの柄谷さんは、絓さんの発言を一概に肯定するでも否定するでもなく、「簡単ですよ。闘えばいい」とだけ口にする。柄谷さんのこの態度にとても感化された記憶が強くあります。
中島 追悼ではなく、「闘えばいい」ですか。
國分 前提として、僕は戦争をしたわけでも、戦地に行ったわけでもない。しかしそれでもやはり、過去の日本による侵略戦争の責任を引き受けなければならないはずだ、しかし一体どうやってその連続性を引き受けたらいいのだろうと、自分の中で答えを出すことができなかった。そんな時にこの言葉に出会いました。弔うことはできないと単に指摘するのではなくて、日本が戦争に向かおうとしているのならばそれを目論む勢力と闘う、また世界の不正義と闘うという姿勢、それこそが戦前から連続している日本国に生きている者の責任ではないか。
柄谷さんの「闘えばいい」というこの姿勢は、僕にとっては大きな支えになりました。もちろん闘い方はいろいろあるでしょう。僕は柄谷さんの言う意味で「闘う」ことは、弔うことであり、謝罪の気持ちを表明する一つのやり方だと思っています。『天皇への敗北』の執筆はその実践の一つだったという意識があります。
中島 対談の冒頭で私は國分さんに、「ややこしい世界へようこそ」と申し上げました。半分は冗談ですが、半分は本気で歓迎しています。議論が硬直化している領域に――もちろんそれも重要なことですが――哲学や文学を専門とする人たちが、別の角度や言葉をもって参加し、論じることは極めて重要だと考えています。イノセント・クエスチョンを投げかけることで、硬直した議論を解きほぐす。そうした存在として、人文学の重要な役割があると思います。
國分 それについては僕もよく考えます。哲学や文学といった人文学のすぐそばに、憲法学ないし法学の世界はあるわけですが、彼らは社会の最前線とも言うべき領域で、キーンと鋭い音を立てながら社会と刃を交えるようにして学問をしている。そうしたアクチュアルな学問領域の専門家たちと僕のような哲学を研究してきた人間が、普段から意見交換をしながら切磋琢磨していかなければいけないと強く思います。
特に近年、僕は憲法学者の方々と付き合ってきて、ちょっと哲学が負けているなと感じたんです。安倍政権の時のような危うい事態が訪れたら、法文を踏まえつつ、過去にはこういった解釈の歴史があったのだといった引き出しをすぐに開けられる状態を彼らは整えています。現実の政治や社会に物を申すというのは、学問にとって実はギリギリの行いであって、一歩間違えれば時の政権を不用意に後押ししてしまうこともあり得る。そんな危険とも隣り合わせです。
対して、哲学は、もちろん学問としての役割は違うとはいえ、自分の庭のなかで小さくまとまっているだけなのじゃないか――そのように思うこともありました。これはあくまでも自分に対する反省です。哲学の研究者の中にはいろいろな考えの人がいますし、いろいろな考えがあるべきですから。ただ、僕自身は哲学が憲法学や法学に学ぶべきところがあると思っています。
中島 その通りですね。それは差し迫った必要だとも思います。江藤は1970年に、「『ごっこ』の世界が終ったとき」という文章を発表しました。学生たちの反体制運動だろうが、自主防衛を期す活動だろうが、「なにをやっても『ごっこ』になってしまうのは、結局戦後の日本人の自己同一性が深刻に混乱しているからである」と書いています。さらには米ソの二極から多極化へ向かう世界の中で、日米関係の大きな変容による「ごっこ」の終焉が訪れるのではないかと江藤が論じてから、早くも半世紀の年月が過ぎています。しかし、ひょっとしたら江藤がそう書いた以上に、今の現実は逼迫しているのかもしれません。凄まじいスピードで世界情勢が変化する中で、アメリカから切り離される日本というものがリアリティを帯びてきているし、それに対して私たちが備えないといけない時期がとっくに来ています。
國分 江藤が予期したものとは全く違う仕方でもって、「ごっこ」の世界の終焉が訪れるかもしれない。
中島 江藤の指摘で興味深いのは、「これまで生存を維持するのに精一杯で、そのために仮構された『ごっこ』の世界をうわの空で通りすぎていた」時代が終わるだろうと語っている点です。さらにこうも書いています。
人は生存を維持するために、あえて自己同一性を抛棄することもある。しかしまた自己同一性の達成を求めて自己を破壊することもある。そして現代の政治は、単に人間の理性だけでなく、このような衝動を内に秘めた全体としての人間を相手どる必要に迫られている。
つまり、生存の維持よりも上の価値があるだろうと江藤は語っている。日本社会という生命を担保してきた日米安保の発展的解消を模索する段に入っていき、やがて解消された時、日本はやっと主体性を取り戻せると言っているんです。そのリアリティは、現在を生きる私たちには、よりはっきりと理解できるはずです。しかし事はそう簡単ではありません。何せ今回國分さんと語ってきたように、我々は日本国民というものの主体性のことさえきちんと突き詰められていない。刻一刻と世界の情勢が変化する中で、私たちは日本国憲法と改めて向き合い、立憲主義や主体性の問題について考えていかなければいけない。その手がかりについて、今日は國分さんとじっくりお話ができたと思います。
國分 はい。当たり前ですが、30年前の僕は、『天皇への敗北』のような本を自分が書くとも、それをめぐって今日のような話をするとも想像していませんでした。何となく西洋哲学を専門としていくことについては想像できましたが。50歳を超えてようやく憲法や戦後、そして天皇といった問題について、何とか自分の頭で考えることができるようになりつつあると実感しています。もしかしたら、単に丸くなっただけかもしれません。
中島 それもあるかもしれませんね。
國分 30年経ってやっと、あの頃の逡巡や煩悶の意味がわかるということもありますね。もちろん当時の息苦しい空気をよく覚えている人は僕の他にもたくさんいるはずで、異なる結論に辿り着くことがあるかとも思います。『天皇への敗北』が、そうした別の解へ至るきっかけになったのなら、それもまた嬉しいことです。そうした30年間の経験を、これからの若い世代の人たちとも共有したいと思えるようにもなりました。もちろん今日の議論が正しい方向にあるものなのかどうかは、また一定の時間が経たないとわかりません。それでも、過ぎゆく時代の空気を同世代として味わってきた中島さんとこうしてじっくりお話しできてよかったと思います。
中島 こちらこそありがとうございます。そして今日の話が未来の他者にとって、いくばくかの礎になることを願うばかりです。
(了)

*國分功一郎×中島岳志対談第一弾「立ち尽くす思想」(2025年配信)はこちら
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國分功一郎『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』
2026/04/17
戦後80年の核心に迫る、憲法×文学論!
公布から80年、今こそ日本国憲法を本気で考える。憲法をめぐって紡がれた物語は、国民に浸透しつつも、第二次安倍政権下で危機に直面する。
その時、立ちはだかったのは意外な〝存在〟だった――。
「天皇への敗北」はなぜ起きたのか?その理由を、30年前に物議を醸した加藤典洋「敗戦後論」、昭和の憲法学者と文人の抵抗、戦争責任にまで遡って探る。
戦後憲法学の試みを近代文学になぞらえ、複雑に絡み合う「天皇・憲法・戦後」の核心に迫る。
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中島岳志『縄文 革命とナショナリズム』
2025/06/26
戦後日本は何につまずき、いかなる願望を「縄文」に投影したのか。
岡本太郎が縄文を発見し、思想家、芸術家たちのなかで縄文への関心が高まった。柳宗悦ら民芸運動の巨匠たちが縄文に本当の美を見いだし、
島尾敏雄が天皇以前の原日本人の姿を託し、吉本隆明を南島論へと向かわせた。縄文は日本赤軍のイデオロギーにも取り込まれ、オカルトを経由しニューエイジ、スピリチュアリズムに至る。
梅原猛が霊的世界を称揚する縄文論を展開し、「縄文ナショナリズム」を生み出すことになった。それは、一九九〇年代の右傾化現象のなかでさらに裾野を広げている。戦後日本人の新たな精神史。
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國分功一郎
1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)、『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』『手段からの解放 シリーズ哲学講話』(いずれも新潮新書)。最新刊は、『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)
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中島岳志
1975年、大阪府生まれ。政治学者、東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。専門は、インド政治、日本思想史、現代日本政治。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンド・ブックス)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点 安田善次郎暗殺事件』(新潮文庫)など。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
著者プロフィール
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- 國分功一郎
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1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)、『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』『手段からの解放 シリーズ哲学講話』(いずれも新潮新書)。最新刊は、『天皇への敗北 シリーズ哲学講話』(新潮新書)
対談・インタビュー一覧
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- 中島岳志
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1975年、大阪府生まれ。政治学者、東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。専門は、インド政治、日本思想史、現代日本政治。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンド・ブックス)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点 安田善次郎暗殺事件』(新潮文庫)など。
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