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宇野維正・田中宗一郎『2010s』

2020年1月29日

宇野維正・田中宗一郎『2010s』

はじめに

著者: 宇野維正 , 田中宗一郎

レディー・ガガ、ラップミュージック、スポティファイ、ネットフリックス、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)、『ゲーム・オブ・スローンズ』など、2010年代のポップ・カルチャーを総括する新刊『2010s』(2020年1月30日発売)。音楽から映像作品、メディアに至るまで、〝社会の映し鏡〟としてのポップ・カルチャー、その進化と変容、時代精神に迫ります。

同書の制作意図や動機、内容についてまとめた、宇野維正氏による「はじめに」を掲載します。

 2010年代に入って、北米を中心とするポップ・カルチャーはテクノロジーや経済や政治や社会全体の変化に敏感に対応して、あるいはそれらに先んじて、歴史的に何度目かのピークを迎えてきた。一方、21世紀になって、文化受容(それだけではないが)において加速度的に内向きになっていった日本では、その興奮がそれまでの時代と比べても広く一般的には共有されてこなかった。ハリウッド映画のビッグタイトルの日本での興行成績の伸び悩み、新世代ポップスターの来日公演の激減、重要な海外テレビシリーズの国内外における認知度の極端な差など、実例には事欠かないが、まずはそこを共通認識のスタート地点としたい。
 2015年6月には世界同時に日本でもアップル・ミュージックがスタートし、同年9月にはネットフリックスとアマゾンプライム・ビデオもローンチ。翌2016年には、スポティファイも日本でのサービスを本格的にスタートさせた。それら音楽、映像のストリーミング・サービスによって、一時代前とは比べものにならないほど多様な優れたコンテンツに、海外との時間差なしで接することができるようになったにもかかわらず、今のところ日本の状況に大きな変化は訪れていない。いや、それ以前にインターネットの普及は世界との距離や伝達速度を縮めるものだったはずなのに、日本における海外のポップ・カルチャー受容に関して言うなら、むしろその膨大な量、言語の壁、ガイドや批評の不足などによって、後ろ向きのノスタルジーや無関心を促進させてきたとさえ言えるだろう。

 田中宗一郎氏との対談形式で記された本書の主題は、「どうしてこんなことになってしまったのか?」について分析や考察をすることではない。そのような分析や考察については、これまで折に触れて様々なメディアを通しておこなってきたが、送り手の「問題」を受け手が「問題」として共有していない場合、そこから建設的な議論へと発展させるのは難しい。せっかくこうして一冊の本を作る機会を与えられたのだから、問題提起やアジテーションに終わるものではなく、具体的に「役に立つ」ものを残したい。田中宗一郎氏がどんな思いでこの企画に賛同してくれたのかはわからないが(それについては「おわりに」を読んでください)、少なくとも自分はそう考えてこの企画を進めてきた。
 ユース・カルチャーの勃興と再生芸術や電波メディアの普及によって20世紀中盤に生まれたポップ・カルチャーを特徴づけるのは、それが先行するカルチャーへのレファレンス(参照)の集積によって生み出された「連続性の文化」であることだ。ビートルズの音楽はチャック・ベリーやリトル・リチャードやモータウン作品をレファレンスにして生み出され、『スター・ウォーズ』はレイ・ハリーハウゼンや黒澤明の作品をレファレンスにして生み出された。言うまでもなく、それ以前も新しいアートの様式は先行するアートのレファレンスや反動を含むそのリアクションによって成立してきたわけだが、ポップ・カルチャーが台頭して以降、それがほぼ世界同時に、より若い世代のアーティストによって、より多面的に、より早いサイクルで回るようになった。ポップ・カルチャーとは、その時代ごとの個別の天才の閃きによって作られてきた以上に、それぞれの時代やシーンを作ってきたアーティスト、作品、ファンダムによる連続性によって更新されてきた。
 音楽ならばレディオヘッドやレディー・ガガ。映画ならば『ハリー・ポッター』シリーズや『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ。テレビシリーズならば『24』や『LOST』や『HEROES』。そのあたりまでは、まだ国内のメディア環境的にも、世界市場における日本のポジション的にも、ある程度の連続性と継続性をもって海外のポップ・カルチャーは日本に紹介されてきた。しかし、ちょうど2010年代初期と重なるそれ以降は、個別に独自のファンダムが形成されたり(ジャスティン・ビーバーやアリアナ・グランデ)、時間をかけてようやく支持が定着することはあっても(『ワイルド・スピード』シリーズやマーベル・シネマティック・ユニバース)、その多くは「点」として受容されるだけで、それらを「線」や「面」でとらえる上で必要な連続性が失われてしまった。
 さらに、2010年代のポップ・カルチャーを規定する大きな特徴は、音楽も映画もテレビシリーズもそのレファレンスが歴史の連続性だけではなく、それぞれのアートフォームやジャンルを横断して縦横無尽に引用や言及が張り巡らされて、激しくハイコンテクスト化していることだ。同時代のポップ・カルチャーに関してだけで言うなら、音楽だけに詳しい者が音楽について語る時代、映画だけに詳しい者が映画について語る時代は、もうとっくに終わってしまった。
 音楽、映画、テレビシリーズを中心に2010年代のポップ・カルチャーについて「本当はそこで何が起こっていたのか?」を、田中宗一郎氏と共にそれぞれの体験と知見を総動員して語り合った本書の目的は、その連続性と文脈を回復するための、読者にとってのガイドとなることにある。「連続性と文脈の文化」であるポップ・カルチャーにおいて、10年近くにわたって環境的にその多くが失われたまま何かを世に問うのは、地盤の緩んだ土地の上に家を建てるようなことだ。「日本はそれでもいいじゃないか」という考え、さらには「それこそが日本のカルチャーの独自性じゃないか」という考えもあるだろう。そのような現在の日本社会に蔓延している何の根拠もない「自己肯定感」とは、慎重に距離を置いた本になっていることだけは最初に断っておきたい。

 第1章はグローバルな音楽メディア環境の大きな変化をふまえて、2000年代に隆盛を誇ったインディミュージック(ピッチフォーク文化)の退潮とレディー・ガガを筆頭とする女性ポップスターの台頭について。第2章はまさに「参照」と「引用」によるハイコンテクストなアートフォームであることによって、必然的に2010年代のポップミュージックにおける中心的価値観となっていったラップミュージックについて。第3章はライブ・ネイションやAEGによる音楽興行の寡占化と、スポティファイに代表される音楽ストリーミング・サービスがもたらしたリスナー環境の民主化について。第4章はネットフリックスに代表される映像ストリーミング・サービスが、テレビシリーズと映画の境界をいかに崩壊させていったかについて。第5章は映画のユニバース化によって2010年代の映画マーケットを制覇したマーベル・スタジオと、それぞれの作品が社会に問いかけてきたものについて。第6章は2019年に最終章を迎えたテレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』を中心に、物語が形式を凌駕し、増大するファンダムの力が作品に侵食していった、2010年代ポップ・カルチャー全体の実相を明らかにする。
 本書は2010年代に起こった重要なポップ・カルチャーのすべてを網羅するものではないが、2020年代以降のポップ・カルチャーと並走しながら人生を楽しむ上で有効な手がかりや方向感覚を、ここからひとつでも発見してもらえれば幸いだ。なお、本文中の膨大な固有名詞やカルチャー用語については、文脈上の説明のみで個別には注釈を設けていない。サブテキストはインターネットの宇宙に無限に広がっている、とさせていただきたい。

 正直に言うと、「2010年代は楽しかったね」(本当にこんなに楽しい時代はなかった!)の一言で終わらせてしまいたいという気持ちもなくはないのだが、国内の政治や社会の状況だけでなく、グローバルで起こっている様々な現象や運動からも、いよいよそんな呑気なことが言っていられなくなってきた2020年。しかし、そんな時代だからこそ、現在進行形のポップ・カルチャーの地図を手に入れることは、この世界の全体像と、そこでの自分の立ち位置を知るために、より欠かせないものとなっていくはずだ。

2019年12月
宇野維正

宇野維正

うの・これまさ 1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌の編集部を経て、2008年に独立。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)、『くるりのこと』(くるりとの共著、新潮文庫)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(レジ―との共著、ソル・メディア)がある。

田中宗一郎

たなか・そういちろう 1963年、大阪市生まれ。編集者、DJ、音楽評論家。広告代理店勤務、音楽誌編集を経て、96年から雑誌「スヌーザー」を創刊準備、15年間編集長を務める。現在は、合同会社ザ・サイン・ファクトリーのクリエイティヴ・ディレクターとして、記事コンテンツ、音声コンテンツをいくつものメディアで制作。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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