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高野秀行『幻のアフリカ納豆を追え!』試し読み

 私の人生の裏で糸を引く怪しいやつがいる。それは納豆だ。
 納豆の恐ろしい魔の手に私が気づいたのは、大学を卒業し、東南アジア方面へ行くようになってからだ。タイ北部のチェンマイに暮らしていたとき、国境を越えて出稼ぎに来ていたミャンマーの少数民族シャン族の人と友だちになった。彼の家は当時、麻薬王と呼ばれていたクンサーなる人物の組織のアジトだったのだが、それはさておきそこに遊びに行くと、茶色くて丸い、薄焼きせんべいのようなものを見せられた。匂いを嗅ぐと、まるで納豆。このせんべいを砕いてスープに入れて飲むと、納豆の味がした。
 納豆はタイにもいたのだ。
 それからまた十年ほど経ち、私は中国国境に近いミャンマーのカチン州へ行った。とある事情で、カチン族の反政府ゲリラと一緒に何日もジャングルを歩いていた。ある日、立ち寄った村の民家で簡単な夕食が出された。それはなんと、白いご飯と納豆と生卵だった。納豆卵かけご飯は若い頃の私の大好物だったから夢中でそれを(むさぼ)った。醤油でなく塩味だったことを除けば、匂いも味も粘り気も、まるっきり日本で食べる納豆卵かけご飯だった。
 納豆はミャンマーのジャングルにもいた。
 とてもありそうのないところに納豆があるのは本当に驚かされるが、あまりに突拍子もないので意外に記憶に定着しない。
 私が納豆の存在をあらためて強く意識するようになったのは、東日本大震災の前後である。当時、日本に暮らす移民の取材をしていたのだが、そのとき居合わせた日本人が実にしばしば、私の取材相手の外国出身者に「納豆は食べられますか?」と訊くのである。答えがイエスなら「わー、すごーい!」と大げさに感心し、ノーなら「まあ、無理もないですよね」とどこか優越感を漂わせる。納豆で日本人待遇をするかしないか決めているようだ。日本の納豆はいつからそんな権力者になったのか。
 私はタイやミャンマーで納豆に出会っている。「納豆を食べる=日本人」はおかしいだろうと思い、そう言うと、彼らは一様に驚くので、私は一瞬、悪代官の手下たちを倒した水戸黄門のような快感を得るのだが、手下どもは反撃に転ずる。「え、それは本当に納豆なんですか?」「食べ方は?」「作り方は?」「納豆菌の発酵なの?」などなど。
 もちろん、そんな問いには答えられない。「いやあ、どうなんすかねえ…」とへらへら笑いを浮かべると、手下どもは拍子抜けという顔になる。
 こんなことが何度も続き、私はアジア諸国の「未確認納豆」を探しに行こうと決心した。納豆をめぐる混乱に決着をつけようと思ったのだ。だが、それ自体、納豆の陰謀だったのではないかと今になって思う。
 二年あまりかけて歩き回ってわかったのだが、全く驚いたことに納豆は、中国南部から東南アジア内陸部、そしてヒマラヤに至る広大なエリアを牛耳っていたのだ。中国、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジア、ネパール、ブータン、インドがそうだ。
 私はこれらの地域で食される納豆を「アジア大陸納豆」、略して「アジア納豆」と呼ぶことにした。
 日本とアジア諸国でのリサーチで、知られざる納豆の正体の一端が明らかにされた。

  1. どんな布団でも喜んで寝る
     日本では昔から納豆は(わら)布団にしか寝ないものと信じられていた。煮た大豆を稲わらに包んで二~三日おいておくと納豆になるというのが常識だ。学術的にも「わらに納豆菌がいるから」と説明されてきた。
     ところが、アジア諸国の納豆はバナナやパパイヤ、クワノキなど大きな葉っぱやシダの葉で包んで発酵させている。どんな葉にも納豆菌はいる。意外と布団をえり好みしなかったのだ。そして、日本の納豆とアジア納豆では納豆菌に本質的なちがいはない。ちなみに、インドネシアのテンペはカビで発酵するので納豆ではない。
  2. 実は長生き志向
     日本では納豆は冷蔵庫に入れておかないといけないし賞味期限が短い。太く短く生きている感じがする。いっぽう、アジア納豆は常温で長く保存できるようにするのが基本だ。ミャンマーのシャン族は納豆を潰して平らにのばし天日干しして前述の「せんべい納豆」を作る。他に、大きめの碁石みたいな形で干す民族もいれば、粒のまま干す民族もいる。アジア納豆の見た目が日本納豆とちがうのは長生き志向の結果だ(実は日本でも冬に(わら)(づと)に入れておくと、一カ月ぐらいは普通にもつ)。
  3. 働き者で裏方を厭わない
     日本では納豆は粒であることを主張している。基本的には白いご飯にそのままかけて食べる。最近では納豆オムレツや納豆パスタ、天ぷらにする人もいるが、その場合も「俺は粒だぜ」という態度を崩さない。
     だが、アジア納豆はもっと融通がきく。頼まれた仕事はなんでもこなす(おとこ)()をもつ。ペースト状になってもち米につけて(あぶ)られたり、麺類のトッピングにされたりするのも厭わない。シャン族はせんべい納豆を砕いて粉にし、煮物やたれに入れる。文字通り身を粉にして働いているのだ。アジア諸国では納豆は食材としてより、ダシの素やうま味調味料としての役割が大きい。裏方を厭わないのである。
  4. 恥ずかしがり屋
     日本でもアジア諸国でもよそ者はなかなか納豆に出会うことができない。それは納豆が恥ずかしがり屋だからだ。食堂やレストランで出されることは少ない。家でお客さんが来たときも顔を見せない。「俺、くさいしネバネバしているし安物だし…」と台所でもじもじしているのだ。
  5. 内弁慶
     そのくせ、納豆は身内の中では威張っている。おかげで納豆を食べる人たち―私は「納豆民族」と呼んでいる―は、自分たちの納豆が最高だと洗脳されている。他の国や民族の納豆を「あんなのはまずい」とか「あれは納豆と似て非なるもの」と思いこんでいる。この現象を私は手前味噌ならぬ「手前納豆」と名づけている。
  6. 思いのほかフレンドリー
     内弁慶の(こわ)(もて)の人にありがちだが、納豆はいったん心を開くととてもフレンドリー。納豆を取材に行くことによって、今まで表玄関から入っていたところを、勝手口からスッと入っていける感じがする。これは決して比喩ではない。料理は台所で作るものであり、作り手は主にその家の主婦である。納豆名人や面白納豆キャラが続々と登場する。彼らの話す言葉は建前ではなく本音だ。
     これがまたたまらなく面白い。期せずしてどこへでも通じる裏ルートを発見してしまったようなものだ。どこへ行っても「納豆が好き」というだけで、親戚みたいに温かく受け入れてもらえる。そして、予想もしない美味しい納豆料理を味わうことができる。
  7. 弱い者の味方
     アジアの納豆民族は驚くなかれ、すべて国内のマイノリティ(少数民族)である。彼らは内陸部の山岳地帯や盆地に住んでいることが多く、肉や魚介類、塩、油といった食材や調味料を入手しにくい。そこで納豆が貴重なタンパク源にしてうま味調味料(ダシ)として彼らの生活を支えているのだ。
     日本でも歴史を(ひも)()けば、驚いたことに、幕末あたりまで納豆はもっぱら納豆汁か味噌汁のダシとして食されていたという。肉や魚にアクセスしにくい山村地域や庶民の間でうま味調味料やダシの素とされていた。頑固な東北の農民も喧嘩っ早い江戸っ子も納豆には頭が上がらなかったのだ。
     言わば「辺境食」「庶民食」なのである。

 以上がこれまで調べた納豆の正体であり、詳細は『謎のアジア納豆』に記した。だが、話は終わっていない。納豆は私が思っているより、もっと広く深く、この世界を支配しているようなのだ。
 私がひじょうにそそられている未確認納豆が二つある。
 一つは朝鮮半島のチョングッチャン。「韓国の納豆汁」と呼ばれることがあり、食べるとたしかに納豆の匂いや香りがする。だが、もしお隣に納豆汁が昔からあるなら、どうして日本人がこれまで「納豆を食べる=日本人」と信じていたのか理解しがたい。
 もう一つの謎めいた未確認納豆は、なんとアフリカで報告されている。ナイジェリアでは「ダワダワ」、マリやニジェールなどでは「スンバラ」と呼ばれる納豆似の発酵食品があるという。こちらは納豆の原料が大豆でなく、別のローカルな豆らしい。
「大豆の発酵食品」という納豆の定義から大きく逸脱していた究極の未確認納豆と言えよう。
 この遠近二つの未確認納豆の正体を突き止めれば、納豆の真実が今度こそ白日のもとにさらされるだろう。その暁には、「納豆」の概念どころか、人類の食文化ワールドが大きく揺り動かされるにちがいない。
 まるで映画「フィールド・オブ・ドリームス」のように、私には納豆からの声が聞こえた(ような気がした)。
「行け。韓国とアフリカへ。われらの仲間を探すのだ…」
 かくして、私はまたもや納豆の繰り出す粘ついた赤い糸に操られ、旅に出たのだった。

(「第1章 謎のアフリカ納豆」へつづく)

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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