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文春vs.新潮 60年を超える死闘

2021年4月19日

文春vs.新潮 60年を超える死闘

週刊誌をめぐる骨太ノンフィクションを徹底比較!

文春vs.新潮 60年を超える死闘

著者: 水道橋博士

「週刊文春」と「週刊新潮」、ふたつの週刊誌をめぐる骨太のノンフィクションが、2020年の年末から2021年の年頭にかけて刊行された。前者は柳澤健『2016年の週刊文春』(光文社)、後者が森功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』(幻冬舎)である。この2冊のノンフィクションを書評しつつ、“紀尾井町”と“矢来町”(それぞれの出版社の住所から、業界内でそう呼ばれる)の社風を比較して論じるのは、芸人・水道橋博士氏。12歳から週刊誌に親しみ、今も欠かさず両誌を購読、さらに無類のノンフィクション作品好きでもある。60年以上の歴史を持つふたつの週刊誌、その“内幕”はいかに――。

二大「週刊誌史ノンフィクション」爆誕

 2020年年末から2021年年始にかけ、日本の二大週刊誌をめぐる骨太のノンフィクションが相次いで刊行された。
・柳澤健『2016年の週刊文春』(光文社)
・森功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』(幻冬舎)
 それぞれの著者は共に「週刊文春」と「週刊新潮」の元デスクであり、今や手練れの日本最高峰のノンフィクション作家である。その両者が、わずか15日差で古巣を題材にノンフィクション作品を上梓したのは必然か、はたまた偶然なのか!?
 互いの化かし合いこそ週刊誌の競合ルールだ。よもやどちらかの出版社が“トーハンの中吊りを盗み見”したわけでもあるまい……。

 新潮・文春、長く両誌を愛読するボクが初めて週刊誌に触れたのは12歳の時だ。父が買ってきた「週刊新潮」を手にしたのが、その始まりだった。
 爾来45年間、ライバル誌である「週刊文春」共々生涯の愛読誌として欠かさず読んできた。今でこそ芸歴だけは重ねてきたベテラン芸人の職業だが、もし他の職業につけるならルポライターと編集者にはなってみたかった。
 故に、若い頃から出版社や編集者について書かれた本は大好物だ。例えばこの分野でボクが強く影響を受けたものを挙げれば、『ルポライター事始』(竹中労著、ちくま文庫)、『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』(猪瀬直樹著、文春文庫)、『週刊誌風雲録』(高橋呉郎著、ちくま文庫)、『夢の始末書』(村松友視著、ちくま文庫)、『編集者という病い』(見城徹著、集英社文庫)などなど。このジャンルの名著は数多あるが、そこに新たな傑作2作が加わったわけだ。
 今回、この2冊の重厚なるノンフィクションを書評しながら、そこから見えてくる両誌・両出版社のカラーやスタイルについて、門外漢ながら比較してみたい。
『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』(以下、『鬼才』)は、老舗出版社・新潮社に在籍した稀代の編集者でありながら、その人となりの多くが謎に包まれたまま逝った「新潮社の天皇」こと、齋藤十一の生涯を追った。著者の森功は、1990年から2003年まで「週刊新潮」に籍を置いたが、ついぞ齋藤と言葉を交わすことはなかったという。幻冬舎の依頼から本書執筆を思い立ち、古巣の関係者に取材を重ね、本書を書き上げた。 
 一方、『2016年の週刊文春』は、同誌の社員記者であった柳澤健が「週刊新潮」のライバル誌である「週刊文春」の洛陽の紙価を高らしめた、花田紀凱(かずよし)と新谷学という2大スター編集者を軸に、チームワークと競争原理に則った雑誌作りをする様を(つまび)らかにした。 
 奇跡的に同時に上梓された2冊は、様々な点で対照的であり、両雑誌・両出版社を比較するのに絶好の尺度を持っている。
 また、それぞれの“社史”が語られるのに、「週刊新潮」を描いた作品が幻冬舎から、「週刊文春」を描いた作品が光文社から出版されたのも興味深い。
 両書の比較を通して、2冊の傑作のほどを、今から検証していきたい。

社風の違い――独裁者・齋藤十一と共和制・文春編集部

 新潮社の社風について、「社員は礼儀正しく、人事異動も少ないから、文芸編集者は作家と長く深い関係を築き、熱心にサービスする。極めてプロフェッショナルな出版社なのだ。だが、社内の空気はどこか陰鬱だ。社屋に窓は少なく、社内はシーンとしている。別館にある『週刊新潮』編集部でさえ、話し声はごく小さい。スーツとネクタイは必須である」(『2016年の週刊文春』、P83)と、元文春の柳澤健は対岸から指摘する。
 対して、「文藝春秋は家族的で明るい会社だ。ライバルの新潮社と比べても圧倒的に明るい。受付の雰囲気からして違う。新潮社の受付嬢は制服を着た若い女性だが、文春は元編集者や元業務のベテラン女性社員が私服でニコニコしながら応対する。評判は極めていい」(『2016年の週刊文春』、P7)と、まるっきり正反対、対照的な社風が描かれる。
 実際、オーナー一族が経営権を握る多くの出版社と違い、文藝春秋は社員の持株会社として、極めて民主的に経営されているのには出版界を知らない読者の誰もが驚くはずだ。
 一方、新潮社について柳澤は、「齋藤十一は『週刊新潮』の陰の天皇であり独裁者だった」(同上、P76)と表現しており、「週刊新潮」は、半世紀にわたり“独裁体制”の手法で雑誌が作られていたと同書で示唆している。
 いや、それは示唆することしかできなかったのかもしれない。それほど謎が多く、長期にわたって“出版界のアンタッチャブル”として扱われてきたのが齋藤十一であった。
「新潮社の天皇」であり、「日本の週刊誌のスタイルを作った男」である齋藤十一について、出版界では伝説のみが独り歩きし、写真ひとつ公にならなかった。
 しかし1999年、「AERA」誌の連載「現代の肖像」でノンフィクション作家の重鎮・佐野眞一が、当時85歳の齋藤の人物ルポをまとめている(現在、ちくま文庫『人を()にいく』に所収)。ボクは、当時掲載されたヒッチコック風の齋藤の貴重な写真を明確に覚えていた(その写真は『鬼才』のカバーにも採用されている)。取材を許されたのが、申請から1年後だったことからも、この取材がいかに異例のものだったかが窺える。
 しかし、佐野眞一は、これほど絶好の人物評伝の素材でありながら、このインタビューを極めて淡白な記述にとどめている。
 そこでは「出版界最後の怪物」と題され、「その風貌姿勢から最初に連想したのは、深海に棲息する古代魚のシーラカンスだった。シーラカンスは煮ても焼いても食えないという」と書いている通り、佐野眞一にしては珍しく、この記事以外では取材対象として齋藤十一に迫ることはなかったのだ。
 生涯1冊の自著を遺さずシニシズムと自己韜晦を貫き、黒子に徹した怪物編集者に迫ったのが、『鬼才』である。著者の森功は、齋藤の没後20年経って、ようやく“伝説の古代魚”を見事に釣り上げ、その素顔を世間に晒したと言える。
 齋藤は1935年の新潮社入社以来、60有余年もの間、同社の実力者として、文字通りに牛耳り、文芸誌の「新潮」を軌道に乗せただけではなく、戦後、「芸術新潮」、「週刊新潮」を創刊、そして、1981年には「FOCUS」を立ち上げ、写真週刊誌ブームに火を付けながらも、「新潮」以外では編集長の任につくことはなく、最高権力者の「天の声」として「俗人が興味を持つのはカネと女と権力」を旗印に、同社の雑誌群を統率した。
「芸術新潮」を創刊するなど、芸術、とりわけ音楽に造詣が深かった齋藤は品性を重んじ「いくらスケベェでも構わないが、下品になるな」が信条でもあった。
 反面、「FOCUS」創刊時には「おまえら、人殺しの面を見たくないのか――」と語ったとされる(森は確証していない)伝説が流布されているが、「週刊新潮」において齋藤は、あくまで自分自身の俗物的な部分を肯定しながら、ノブレスなものへの憧れを抱きつづけた。
「書き物は教養に裏打ちされた俗物根性を満たさなければならない」
齋藤は、この言葉を常に誌面に反映した。

 一方、『2016年の週刊文春』の主人公の一人である花田紀凱は、1966年に文藝春秋に入社。「週刊文春」「文藝春秋」「Emma」編集部などを経て、天才的な企画力と見出しのコピーライティング・センスで頭角を現し、1988年「週刊文春」の編集長に就任。
 スター編集者としてメディアに出まくり、それまで男性読者がメインだった同誌を改革し、女性読者層を開拓した。特集記事の充実のみならず、豪華なコラム連載陣を揃えて部数を飛躍的に伸ばした。編集長就任からわずか半年で、実売部数を40000部伸ばし、それまで雲の上の存在だった「週刊新潮」の部数を僅差で上回った。
 雑誌作りを天職とする花田紀凱は、文春退社後に朝日新聞に転職する右から左への転向を経て、78歳の現在も「編集長」を続け、右寄りなスタンスで部数を保持している。
 今の花田紀凱からは想像できないほど、反骨心溢れ、人としてチャーミングすぎる雑誌編集長としての全盛時代を元・部下の柳澤は思い入れたっぷりに描いている。
 その22年後、2016年には同書のもうひとりの主人公・新谷学率いる週刊文春編集部は「文春砲」と名付けられた数々のスクープを連発、流行語大賞にもノミネートされるなど、スキャンダリズムとジャーナリズムの二重奏で、社会現象となるほど一世を風靡した。
 その新谷は、1989年に文藝春秋に入社。「Number」「マルコポーロ」編集部などを経て、2012年より「週刊文春」の編集長に就任している。「親しきなかにもスキャンダルあり」を標榜し、記者の本分である“スクープ・ドッグ”として尋常ではない人脈と冷酷さを併せ持った傑物として描かれる。
 柳澤は、このふたりをドラマの主人公に据え、英雄として劇的に描いてみせた。読者は、この清濁併せ呑む両義的な人物を好きにならざるをえない。

「週刊誌」というスタイルの確立

 日本の週刊誌は、新聞社系の「サンデー毎日」「週刊朝日」が大正11年創刊の歴史を持っていたところに、1956年(昭和31年)2月、出版社系初の週刊誌として「週刊新潮」が創刊された。遅れること3年、1959年4月に「週刊文春」が誕生した。両誌は以降50年以上に及ぶライバル誌として、文字通りスクープの抜きつ抜かれつ、販売部数の抜きつ抜かれつで競い合うこととなる。
 文藝出版社の新潮社には、事件報道のノウハウがなかった。そこで齋藤は、読売新聞の名記者などを専属記者として雇い、報道記事作成の雛形を作った。
「齋藤は従来の強みである人気作家の連載小説のほか、時事問題を扱う特集記事を掲載し、週刊新潮誌面の二本柱に据えようとした」
「特集記事を想定し、創刊号から『週間新潮欄』をつくり、そこに五~六本の政治、経済、社会、などの記事を並べた」(いずれも『鬼才』、P115)
 このように齋藤は週刊誌のスタイルを形作っただけでなく、「記事のラインナップや執筆陣の選定、表紙や各記事のタイトルにいたるまで、すべてを手掛けたといっていい」(『鬼才』、P108)とあるように、その全てを齋藤は“統治”していたのだ。このことこそが、齋藤が「陰の天皇」「独裁者」と評されるゆえんだ。
 同時に、文藝編集者の肩書を捨てることなく、小林秀雄、川端康成、大岡昇平、太宰治、井伏鱒二、松本清張、五味康祐、柴田錬三郎、山口瞳、筒井康隆などといった大御所との関係を続け、また本書では山崎豊子、瀬戸内寂聴という二大国民的女流作家との交友にも深く触れられている。
 しかも描かれるのは、これら名だたる高名な作家に齋藤が懐くのでなく、高圧的に接する姿。権威ある作家が一編集者にひれ伏す姿は、ある種、壮観でもある。

 齋藤十一の「陰の天皇」を象徴するのが「御前会議」と呼ばれる「週刊新潮」の編集会議だ。
「『御前会議』――。かつて週刊新潮の編集部員がそう呼んだ編集会議がある。そのために齋藤は毎週金曜日に新潮社別館に出社した。(中略)御前会議と諷された編集会議では、次の号に掲載する六つの特集記事のテーマを選ぶ。といっても、議論が交わされるわけではない。(中略)編集部員の書いた二十枚近い企画案を齋藤の前のテーブルに置くだけだ。すると、齋藤がそれをめくりながら、○×と印をつけていく。編集会議とは名ばかりで、決めるのは齋藤一人だ。テーマの打ち合わせには、総勢六十人いる編集部員はもとより、特集記事やグラビアを束ねる四人の編集次長でさえ、参加できない」(『鬼才』、P12~13)
 このように齋藤が「週刊新潮」に君臨し、今にも続く週刊誌の型をつくる一方で、アンカーマンとして参加していた作家・井上光晴らによって、新たな叙述のスタイルが生まれた。それが「藪の中スタイル」と呼ばれるもので、取材コメントをつないで物語化していく手法だ。これが週刊新潮の特集記事の原型になったという。
「これが世にいう週刊新潮の『藪の中』記事スタイルとなる。資料や物証がなければ、当事者の証言でそれを補い、それでも裏どりが難しければ、怪しさや疑いを匂わせながら書き手の捉え方を読者にぶつけて考えさせる。文字どおり真相は藪の中に消え、はっきりとは見えない」(『鬼才』、P142)
「新潮ジャーナリズム」と呼ばれる、その独特な叙述のスタイルは、後発の週刊誌にも取り入れられていく。しかし、その是非については、今も多くの議論がある。憶測や関係者のコメントだけで書かれた記事が粗製乱造されることで、泣かされた著名人や芸能人、事件関係者は数知れず(後に袂を分かつことになる、ビートたけしと齋藤十一の蜜月時代も個人的には読みどころだった)。その怒りの矛先が、名誉を毀損されたと訴訟に向けられるケースも多く、その結果、雑誌側が敗訴し、多額の損害賠償金を請求されたことをニュースとして知るのも日常茶飯となった。このあたりは「週刊誌ジャーナリズム」の功罪にもつながる論点だろう。

「週刊新潮」vs.「週刊文春」

 やがて「週刊新潮」はスタイルを掴むと、発行部数を増やし、先発の新聞社系週刊誌を抜き去る。
「金と女と名誉、すなわち人間の欲望を中心テーマに据え、新聞記者を遥かに凌駕する圧倒的な取材力と巧みな文章力によって『週刊新潮』は読者の心をつかみ、『週刊朝日』その他の新聞社系週刊誌をたちまち抜き去ってしまった」(『2016年の週刊文春』、P77)

「週刊新潮」の3年後に創刊された「週刊文春」だが、正社員プロパーとフリーランスの混成チームで雑誌づくりが行われたことは、新潮と文春で一見、変わらない。
 違うのは、新潮には“奥の院”があり、民主的な風土の文春にはそれがなかったことだ。だからこそ、文春は「チームリーダー(編集長)」の力に左右される。
 人事異動の多い会社としても知られる文春は、トップに立つ人間によってその組織力にはバラつきが生じ、それがダイレクトに部数に結びつくこともあったという。
 創刊に3年のアドバンテージがある「週刊新潮」を、後発の「週刊文春」が追っかけてきたのが、両誌の基本的な歴史である。それをついに逆転したのが1988年、花田紀凱編集長時代であり創刊から30年経ってからのことである。
 両週刊誌のスクープをめぐる攻防戦、そしてトラブルやスキャンダルなどについては、一つ一つを書き起こしたいほどだが、ぜひ両書を実際に手に取って確認してみてほしい。

チームを率いるキャプテン&「俗性」というタクトをふる指揮者

 柳澤健は、「週刊文春」の作り方を、歴代編集長がキャプテンシーを発揮する団体競技のスポーツノンフィクション、まるで「Number」の珠玉作を読むが如く描いてみせた。
 一方で森功は、通常の編集者が文字や文章、写真に重きをおくなか、クラッシックとオーディオを趣味にした齋藤が終生「音」に拘ったということに注目し、週刊誌などの編集を通じて、市井の民の声を「音」として捉えていたのだろうかと推察する。
「週刊新潮」は、齋藤十一という人目に触れない指揮者が「俗性」というテーマで、まるで美しい協奏曲を半世紀にわたって奏でた、一大芸術であるかのように描いている。
『鬼才』は320ページあまり。“主役”の存在が重厚であるのとは対照的に、文句なくスピーディーに読める手練の作の評伝だ。ここまで隠し通された、ひとりの人間の多面性を目の当たりにすると、筆者はあれも書きたいこれも書きたいという欲に引っ張られがちだが、情報の取捨選択を徹底し、齋藤の人物像とそれを取り巻く事件史を見事に“週刊誌的”に描きつつ、かつ人物探求の妙をも叶えた。
 一方で『2016年の週刊文春』は、500 ページ超えでボリュームたっぷり重厚である。「週刊文春」の歴史をほぼ網羅的に鑑賞できるだけでなく、デジタル時代に移行した、出版社の今を捉えている。「文春」とゆかりの深い、立花隆の人物像などの描写は迫真に迫り、花田紀凱、新谷学はじめ数々の歴代編集長の証言は、当時の意思決定や思惑などをすべて、こちらの好奇心のままに補強し尽くしてくれた。
 はたして経営とは、権力とリスクの一元集中か。それとも、人々の知恵と資本の結集か――。
 そんなテーマすら行間から浮かび上がる、「文春vs.新潮」の組織論として読めるはずだ。
 2冊共に出版界のノスタルジーに浸りたい向きにも、これから出版マスコミを志望する学生にも、ベストな指南書として大推薦できる内容だ。

 

水道橋博士

1962年岡山県生まれ。芸人。ビートたけしに弟子入り後、1987年に玉袋筋太郎と浅草キッドを結成。現在「水道橋博士のメルマ旬報」編集長をつとめる。「BOOKSTAND.TV」(BS12 金曜深夜)に出演中。著書に『アサ秘ジャーナル』(新潮社)、『藝人春秋』『藝人春秋2 ハカセより愛をこめて』『藝人春秋3 死ぬのは奴らだ』(文春文庫)ほか多数。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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