プロローグ 日本は納豆後進国なのか?
辺境の旅ではときおり“奇跡”としか言いようのない出来事に遭遇する。
十四年前のあのときもそうだった。私は森清というカメラマンと一緒に、ミャンマー(ビルマ)北部カチン州のジャングルを歩いていた。カチン独立軍という反政府少数民族ゲリラの協力を得て、中国の国境からインド国境まで旅をしようとしたのだ。
中国国境に近いカチン軍の拠点から歩き始めて二日目。不慣れなジャングル・ウォークにヘトヘトになった私たちは、密林が途切れた平原にある小さな村にたどり着いた。カチン軍の将校二人と高床式の民家にあがらせてもらうと、家の主が軽い夕食を出してくれた。
食事を見て、私と森は目を疑った。
白いご飯に、生卵と納豆が添えられていたのだ。納豆は見た目からしても匂いを嗅いでも、日本のものと変わらない。出されたスプーンでかき混ぜるとよく糸を引いている。
「何これ?」
「納豆卵かけご飯だ!」
私たちは歓声をあげた。とりわけ、辺境に慣れていない森はカチン料理が喉を通らず、毎食ご飯を残していたから、喜びようは尋常でなかった。
さっそく私たちは納豆をよくかき混ぜてご飯にかけ、上から卵を落とし、食べはじめた。
炊きたてのご飯の湯気と納豆の匂いを嗅ぐと自分の家に帰ってきたような気がした。納豆は醤油でなく塩で味つけされていたが、完璧なまでに日本の納豆と同じ味。 夢を見ているようだった。
――なぜ、こんなところに日本と全く同じ納豆があるのだろう?
そう思ったのは夢中で食べ終えてからだったが、やがて忘却の彼方に消え去った。なにしろこのときはなんとか生き延びてインド国境にたどりつくことが唯一最大のテーマであり、それ以外は膨大にして些細なエピソードにすぎなかった。
不思議なことに、その後カチンのジャングルを一カ月以上歩いたが、糸引き納豆にお目にかかることは二度となかった。なおさら夢だったのではないかと思いそうになる。
アジアの納豆はいつも衝撃的に現れる。
カチンの糸引き納豆より十年近く遡るが、いちばん最初に見た納豆もそうだった。タイ北部の町・チェンマイに住んでいたとき、当時「麻薬王」と呼ばれていたクンサーの地下宝石工場で出くわしたのだ。クンサーは父親が中国人(漢族)、母親がミャンマーの少数民族であるシャン族で、この頃は「シャン独立」を掲げた反政府ゲリラを率い、タイ・ミャンマー国境付近に拠点を置いていた。一方では、軍隊維持のため、アヘンと宝石(ルビーやサファイヤ、翡翠など)のビジネスに余念がなく、チェンマイにも秘密の工場をいくつも持ち、部下のシャン族や中国人に経営させていた。私は偶然、そのような経営者の弟と友だちになり、工場に出入りして、ご飯を御馳走になったりもした。
あるとき、何かわからないが、妙になつかしくてホッとする味の野菜スープが出た。まだ二十代半ばだった私は「うまい、うまい」と無邪気に飲み干した。すると、友だちがにやにやしてこう言う。
「高野さん、このスープ、何が入っているかわかる?」
「なに?」
「納豆だよ」
「え? 納豆!?」
友だちは六年間、日本に出稼ぎに行っていたことがあり、日本語が堪能だった。私が呆気にとられていると、台所から変な丸い物体をもってきた。
「ほら、これ」
それは直径十センチくらい、厚さ二、三ミリの薄っぺらい円盤状の物体だった。茶色くて乾燥しており、薄焼きせんべいのようだった。
これを火に炙ってから杵でついて粉にしてスープに入れたという。
こんなものが納豆? 豆の形もとどめてないし、糸も引かないのに? 友だちによれば、「日本と同じ納豆を作ってから潰して乾燥させている」とのことだった。実際、このせんべい状物体の匂いは納豆そのものだし、先ほど飲んだスープの「なつかしくてホッとする味」とは言われてみれば納豆の味だった。
その後も、チェンマイの市場でときおりそれと同じせんべい状の納豆が売られているのを見たし、シャンの独立運動を行っているゲリラ関係者(チェンマイにはそういう人たちが多かった)の家に行くと、しばしば納豆味のスープや煮物を御馳走になった。
初めの頃はどうしてミャンマーの少数民族がこんな納豆を食べているのか不思議に思ったが、やがてすっかりそれに慣れ、忘れてしまった。なにしろ、私はその頃、シャン州の独立運動や麻薬地帯潜入計画で頭がいっぱいだったし、腹がいっぱいになれば食うものなんかなんでもいいという年頃でもあった。
最初にせんべい納豆に出会ってから約二十年以上、そしてジャングルで糸引き納豆に驚喜してからも十年以上がたった。東日本大震災が起きた頃である。私は在日外国人の取材をよく行っていた。プライベートでも外国人と会う機会が多かった。そのようなとき、いつも気になることがあった。居合わせた他の日本人が外国人――おうおうにして日本滞在の長い人――にしばしばこんな質問を投げかけるのだ。
「納豆は食べられますか?」
答えが「食べられます。好きです」だったりすると、「えー、すごい!」と大げさに感心し、逆に「食べられません」だと、「やっぱりね」というように、どことなく優越感を漂わせた顔をする。まるで納豆が日本人に仲間入りするための踏み絵みたいだ。
その度に「納豆は日本人の専売特許じゃないだろう……」と強い違和感がこみあげる。シャン族やカチン族の納豆を思い出すからだ。
――なんて話をすると、彼らは一様に驚く。「え、ミャンマーに納豆なんてあるんですか!?」「納豆って日本だけのもんじゃないの?」
ほら、どうだ! と今度はこちらが優越感に浸るのだが、腹立たしいことにそれも一瞬のことだ。なぜなら彼らが矢継ぎ早に質問を浴びせるからだ。
「それって日本の納豆とは同じなんですか?」「どうやって作るの?」「料理の仕方は?」「同じ納豆菌を使ってるんですか?」「日本から伝わったの? それとも向こうの方が原産地なの?」……。
ここで私は絶句する。
正直言って、全然わからないのである。幾度となく食べているのだが、何しろ十年から二十年前の話である。シャン族の納豆は形状がまるで日本のものとちがっていて、改めて問い詰められると本当に納豆なのかどうか自信がない。カチンの糸引き納豆に至っては夢か幻のような気もする。作り方や納豆菌など、皆目見当がつかない。
「いやあ、どうだったっけかな……」と照れ笑いを浮かべるだけ。質問した側も拍子抜けだ。まるで私が誰よりも無知蒙昧な輩のようで心外なことこの上ない。
というようなことが積もり重なっていたところに、またもやビッグインパクトに出くわした。たまたまその年(二〇一三年)、私は家族でタイを旅行することになっていた。タイ北部に暮らすシャン族の友人たちにも会うことが確実なので、出かける前にちょっとばかりシャン語を習った。昔も多少習ったことがあるが、すっかり忘れてしまっていたからだ。教えてくれたのは東京に二十年暮らすシャン族のサイさん。
あるときサイさんに「日本の納豆はどうですか?」と聞いてみた。すると彼曰く、「おいしいけど、日本の納豆は味が一つしかないからね」
意表を突かれた。味が一つしかないって……。まるでプレーンしかないヨーグルトとか、バニラ味しかないアイスクリームみたいな言われようだ。
サイさんは続ける。「シャン族の人は豆でも食べるし、乾燥させて灸っても食べる。唐辛子味もあれば、ニンニクや生姜の味もある。いろんな味や食べ方があるんですよ」
外国人に納豆について諄々と諭されてしまったのである。最大級の衝撃だった。納豆は日本独自の食品ではないとは思っていたものの、日本人に面と向かって訊かれるとそう答える自信がない。かたや、シャン族の人の話を聞いていると、あたかも日本が納豆文化圏における後進国のような気がしてくる。
一体全体、シャンやカチンの納豆とは何なのだろう。
今から考えれば、これが“アジア納豆”という未知なる大陸への入口だった。 “アジア納豆”とは私の造語で、日本の納豆に対し、アジアの大陸部で作られている納豆を指す。正確には「アジア大陸納豆」と呼ぶべきだが、長いので略して「アジア納豆」としたい。
アジア納豆はとんでもなく範囲が広かった。国でいえば、タイ、ミャンマー、ネパール、インド、中国、ブータン、ラオスに及ぶ。民族はもっと多彩だ。例えば、ミャンマーだけで納豆を食べている民族がいくつあるのだろうか。五や十ではきかないだろう。しかも民族ごとにそれぞれ作り方や食べ方がちがう。「え、こんな納豆があるの?」「こんな食べ方をするの?」と何度驚いたことか。しかも一つ謎が解けると、また一つ新しい謎が生まれる。それらの謎はインターネットでも解決できず(情報がないのだ)、現場に行って自分の目で確かめるしかない。
なにより想定外だったのは、取材が進むにつれ、自分がもう一つの未知なる大陸に吸い込まれていったことだ。それは“日本の納豆”である。アジア納豆と日本納豆はどうちがうのか。その問いに答えるためには日本の納豆について知らねばならないが、日本納豆も謎に包まれていた。日本納豆を探索するうちに千利休や源義家、蝦夷にたどりついてしまうとは夢にも思わなかった。日本納豆の「素顔」はあまりにも意外なものだった。
そして、最終的には二つの未知なる大陸は、「納豆」という超巨大なブラックホールに吸い込まれていった。納豆とは何か。納豆菌とは何か。どこで生まれてどのように広まっていったのか。
気軽に始めた探訪ルポのつもりが、三年間、夢中で追究するはめになってしまった。ほとんど納豆探索中毒であり、逆にいえば、納豆はそれほど奥深く、面白いものだったのだ。
いったい何種類の納豆を食べたことか。自分でもいくつ納豆を作ったことか。
疑問。発見。驚き。笑い。煩悶。絶句……この連続である。
たかが納豆と言うなかれ。納豆を見れば、民族の歴史や文化がわかる。文明論にも行き着く。赤いネバネバとした糸で何もかもがつながっていく。
これから未知の納豆ワールドへみなさんをご案内しよう。
◎註 私は日頃、民族を表すのに「シャン人」というように「族」ではなく「人」を使用している。「族」は「遅れている地域の民族」という偏見が含まれるように思うからだ。その証拠にヨーロッパ人である旧ユーゴスラビアの民族は「セルビア族」とか「アルバニア族」などと呼ばれない。しかしながら、本書には国をまたいで実に多くの民族が登場する。タイ人とタイ族など、国籍なのか民族名なのかで意味が大きく変わる場合もあるし、混乱しやすい。また、中国のように公式に「漢族」「タイ(=にんべんに泰)族」のように「族」を使用する国もある。よって、今回に限っては民族を「~族」で表記することをお許し願いたい。