あれは一九九四年秋のことだったと思う。私は慶應義塾大学大学院の修士課程に入学して間もなく、国際政治学や外交史を専門的に研究しようと考え始めていた。将来目指す方向も、何に自らの情熱を打ち込むべきかも分からなかった。どこへ進んでいいか分からず、妙な不安が溢れていた。

 そのような悶々とした心境とは対照的に、キャンパスでは賑やかで明るい三田祭が開かれていた。その三田祭に、あの有名な国際政治学者、高坂正堯教授が京都から訪れて、講演会を行うのだという。学部時代に『宰相吉田茂』や『古典外交の成熟と崩壊』をはじめとする数々の著書に触れ、その深く味わいのある文章にあこがれていた。高坂教授の著書にあふれ出るイギリスへの愛情や、歴史への愛情。私がイギリス外交史を専門とするに至る一つの理由は、そのような読書体験の影響もあったのかもしれない。ともあれ、間近で話が聴けるとなれば、学園祭特有の喧噪や熱情に強い嫌悪感を持つ私も、三田の山に向かい会場となる大教室に足を運ぶほかあるまい。

 はじめて見る高坂教授。白髪に温厚な表情で、威圧感はない。還暦の年齢でありながら、不思議な貫禄と余裕が見られた。教室の外の暴力的な騒がしさが嘘のように、教室の中は静寂に包まれる。晩秋特有の柔らかい夕暮れの陽が窓から差し込み、穏やかな時間が流れていた。その静寂や穏やかな時間の流れは、明らかに演壇に座る話者がつくりだしたものであった。それほど多くの学生がいたわけではない。私は比較的前の方に座って、淡々と話を始めた高坂先生の姿を見つめた。講演の内容は思い出せない。歴史を軸として、持参してきた大きな地図を広げて見せて、国際政治の動きを語っていたことをおぼろげに覚えている。話の内容は覚えていないのに、なぜかそこにあった空気の質感は鮮明に記憶している。これが、私が唯一直接目にした高坂正堯教授である。その二年後に六二歳という惜しまれる年齢で、京都市左京区下鴨の自宅で亡くなられた。

 その後私はイギリスに留学し、帰国後に三田に戻ってイギリス外交史についての博士論文をまとめて、現在では大学教員として外交史を教える立場にいる。研究者としての活動を広げていく中で、高坂教授の門下の国際政治学者の方々と接する機会を得て、その中で自然と氏の思い出話を色々と耳にした。一人一人みな個性的で、異なる魅力をお持ちの方々であるが、それでもどこか共通した温厚さと誠実さを兼ね備えているように感じる。最近ふとしたご縁があり、高坂教授のご実弟の高坂節三氏にご案内いただき、京都の下鴨にそのまま保存されている高坂教授のご自宅の書斎を見学させていただく機会を得た。故正堯教授と節三氏の生家でもあり、京都学派の哲学者であった父高坂正顕教授の自宅でもあった。高坂正堯門下の方々あるいは編集者の方々などかつて足を運ばれたであろう。すぐ近くに下鴨神社が控え、高野川が豊かな水を絶えることなく運び続ける。止まった時間と、流れる時間。

 高坂正堯邸は、まるで主人の帰宅を待ち続けているかのように、今でも一五年前とほとんど同じ様相を残しているようだ。晩年に高坂教授は、愛車のマツダRX‐7を入れるために、古風な門構えを取り壊して車庫を造ったようだ。玄関、応接間、移動式書架を備えた書庫、そして階段を上った左にある寝室兼書斎。書架には、同時代の英語や日本語の書籍が数多く見られるが、他方で今の研究者があまり読まないような深みのある英語の古典や名著も多い。なぜかここは時間の流れがゆったりとしている。きっとそのような穏やかな時間に包まれて、忙しい日常の合間に読書の世界に没頭していたのであろう。

 書架に英『エコノミスト』誌が大量に保存されているのが印象的であった。世界で何が起こっているのかを知る上で、この英語週刊誌はとても有益だ。古典を愛し幅広くそれを読むだけでなく、現在の世界情勢を敏感に理解しようとする姿勢は、高坂教授の学問的特長を教えてくれる。それが、氏の書く時事的な文章に独特な奥行きと広がりをもたらしていたのかもしれない。また、教え子の著作に熱心に線を引きコメントを書き込んでいるところなども、教育者としての氏の誠実な姿勢を伝えている。そこには上下関係などなく、対等な研究者どうしとして真摯にその著作に向き合ったのだろう。

 高坂教授が亡くなるとともに、日本では氏に特徴的な、歴史に根ざした深みのある国際政治学の伝統も薄れていった。今の主流は、氏のようなヨーロッパの歴史に根付いた古典的な学問方法ではなく、データや数式を多く用いる実証的で合理的な方法論である。かつて高坂教授の中で融合していた政治学と歴史学、そして歴史的教訓と政策提言を結びつける手法は、ほかの者にはとてもまねできないことなのかもしれない。しかし氏は『平和と危機の構造』(NHK出版)という最晩年の著書の中で、次のように述べている。「理論抜きには広い世界は理解できないが、歴史抜きの理論は危険で、大体のところ害をなす」。これまで多くの者が歴史的経験を無視して、理論をナイーブに実践しようとした結果、多くの悲劇が生まれてきたことを意識した言葉かもしれない。

 必ずしも高坂教授は、自らを職業的な歴史家だとは考えていなかった。むしろ、歴史を学ぶことを楽しみ、そして歴史学の尊さを深く吸収していたというべきであろう。人間は、経験から多くのことを学ぶことができる。自らの人生で経験できることは限られている以上、歴史を知ることで膨大な数の「経験」を吸収して同じ過ちを回避できるかもしれない。それをしないとは、なんともったいないことか。外交史研究はその後飛躍的に進歩しているが、高坂教授のように歴史の中から価値ある教訓を学び取り、その光に照らされて目の前に広がる数々の困難な問題へのヒントを見いだす歴史家は、必ずしも増えてはいないのかもしれない。氏が残した、時代を越えた価値を持つ著作の数々を開くたびに、「学問の進歩」という言葉の本当の意味を考え込んでしまう。

 現在、言葉が力を失いつつあり、政策論争が衰退し、真剣な学問的討議が見られる機会も減ってきた。それぞれがそれぞれの世界にこもり、外部との交流を遮断し、そして自らの正しさを絶対視してしまう。高坂教授の、よく言えば色鮮やかで、悪く言えば雑多な書物の溢れる本棚を眺めていて、氏が時空を越えて異質な思想と「交流」していたことを感じた。そして、その「交流」を多くの場合に楽しんでいたことを。氏は異質な考えを持つ学者と交流し、また海外の高名な知識人や、国内外の政治家や官僚、メディアや出版界など、多くの異分野の人々との交流を楽しんだ。健全な思索のためには他者との交流も必要であり、その基礎には他者に対する敬意と誠実な態度、そして異質なものを受け入れる寛容性と、少しばかりの冒険心が必要であることを、深く感じることのできた「書斎見学」であった。

(「考える人」2011年秋号掲載)