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考える四季

2025年11月7日 考える四季

締め切りと爆弾

著者: 難波優輝

 「締め切りを守れない」のは本当に悪いことなのか――?

 あらゆる場所でもてはやされてきた、人生における「物語」を独自の視点で批判し、話題沸騰のベストセラーとなった『物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』(講談社新書)の著者であり、美学者の難波優輝さんは、冒頭のように問いかけます。

 締め切りを守るのが得意な人、苦手な人、どちらが読んでも心が少し楽になる、やさしい温度の締め切りエッセイです。

 締め切りを守れない、というのが、実はよく分からない。だから、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年10月)という本を書くことになった。

思い返せば、どちらかというと学校の提出書類は苦手だった記憶がある。今でも面倒だけれど、できるようになった。会社員をしているとき、いろいろな関係者が関わる業務だと、しばしば締め切りを破ることになる。それは特段自分が破っているという気持ちはない。いろいろな手続きが重なるから仕方がないな、と思いながら、破る。

 自分ひとりだと、締め切りは守れる。自分は会社員の仕事を終えた後、研究と執筆をしている。毎回、リサーチと構成や執筆にかかる時間を見積もる。自分が一番作業が遅いとき、どれほど時間がかかりそうかはなんとはなしに分かる。その最低限のラインに合わせてスケジュールを作っていくと、つねに余裕がある。忙しすぎないとき、元気なとき、どんどん書いていける。面倒になったらのんびりしても構わない。今のところは破った記憶はない——記憶力にそれほど自信はないけれど。

 逆に、しばしば締め切り前に早く書けてしまう。ドシドシ送ってしまう。ちょっと大丈夫かな、と思ってしまう。適当に書いていると思われないかな、と思うこともあった。自分にとっては、早く書き過ぎてしまう、ということはない。書けたらそこでいい、と思う。自分が今できる最高がそこだからだ。それ以上はその時点では書けない。書けたらパッと編集の方に渡す。それからたくさんチェックしてもらって磨いていく。その繰り返しが好きだ。

 編集の人に「締め切りを守ってくれるだけでありがたいです」と感謝されることがある。それも最近のびっくりした出来事だった。締め切りに間に合わないで悩む文豪の話は聞いたことがあるし、作家というのは締め切りを守らないものだ、というのはイメージとしては知っていた。けれど、締め切りが当たり前に破られ続ける世界があると肌身で知ったのは、ほんのごく最近のことだった。そこらじゅうでデッドラインを超えて、死んでいるはずの人々が、生き延び続ける世界。急に硝煙と血の匂いのするハードボイルドな世界が脳裏に浮かぶ。破っている人を眺めていると、関係者に対して謝罪し続けている。謝罪一本で死線を超えて、やり抜けていく人々に奇妙に心強さを感じている。私には、あのハードボイルドネスはない。かっこよさを感じる。いったいどうやったらあの境地に人は到れるのか。まだよく分かっていない。

 「締め切りの本を書きたい」という話をしていると、友人の哲学者が言った。「自分は「本気を出していない」といつも思ってしまう」。それだけ聞くと、「おれはまだ本気出していないだけなんだ」と自分に保険をかけているように見えるが、そうではないらしい。「ほんとうは自分はもっとできるのに、本気を出していないということが後ろめたい」と言う。私は彼のことを人間としても哲学者としてもたいへん尊敬しているので、驚く。私よりもうんとかしこく、いろいろなことが私よりもすぐに見えているのに、と思う。でも、もっとできるかもしれない、自分はまだ頑張れていないのだ、と思ってしまうらしい。

 自分は締め切りを守れるけれど、別にそれは私がえらいとか、努力しているとか(私は努力という言葉が好きではない)ではないと思う。褒められるとうれしいが、なんだかいつもよく分からない気持ちになる。それは自分の手柄ではない気もする。私が頑張って締め切りに間に合わせているという気持ちはないからだ。私は自分のことをすごい人間だと思っていない。すべてたまたまである。たまたま、文章を書くのが好きだった。たまたま、スケジュールを立てるのが好きだった。たまたま、私が締め切りを守れる。

 この「たまたま性」というのを、人類はいまだよく受け止め切れていないようだ。締め切りを守れるのはえらい人だ、仕事ができる人ほどメールの返信が早い、締め切りを延滞するのは、相手の時間も浪費していることに気づいていない不届き者だ、といった物言いは、いろいろな人の口から放たれる。それを誰も咎めない。確かに締め切りを破られると迷惑を被ることもある。締め切りを守れない人に対して言っていい悪口がある、ということなのだろう。

 人は、自分ができていることに誇りを持ってしまう。それだけならいい。しかしすぐに、自分ができていることをできない人を捕まえて、さんざんにけなす。そして仲間内で笑う。よくないことだと思う。締め切りを守れることも、人々の誇りになっていってしまう。守れない人は尊厳をどんどんと削られていってしまう。

 けれど、私は、締め切りを守れること、破ってしまうことと、人間性の問題とは切り離したい。締め切りを破ってしまうのは、その人だけの責任ではない気がする。何か、もっと大きな、社会とか、制度とか、私たちの暮らしぶりそのものが、誰かに締め切り爆弾を押し付けて、どかん、と爆発させている。

 けっこう締め切りを破る編集の方と出会ったことがある。とても忙しそうで、ちょっと心配である。いついつまでにあれを返しますね、と連絡してくれるけれど、その日になっても来ないこともある。私は何も思わない。たんに私が忙しくないし、パッと作業ができるのを自分で分かっているから、全然焦っていないだけだ。でも、この話をするとき、私は、編集の人が悪く言われてしまい、私が褒められることになりそうなので、困る。そういう話をしたいわけではない。もっと、何か、大きな話をしたい。誰々、という名前を超えて、この社会に埋め込まれた、静かな締め切りの爆撃の悪さについて批判したい。

 だから、ひどいと思う。友人のことを考える。締め切り爆弾をたくさん送りつけられて困っている姿を想像する。どうにかして、この締め切り爆弾をみんなで改めてじっくり眺めて、さて、どうしようか、と考える世界にしたい。『なぜ人は締め切りを守れないのか』という本は、その一歩になればいいな、と思った。締め切りを守るための本ではなく、そもそも締め切りを書き換えたり、廃絶したり、別のものに置き換えたりするためのアイデアを考えている。

 一つ、私がこれはいい概念を見つけたな、と思ったのは〈時計〉という概念だ。時計には腕時計や掛け時計やカレンダーや砂時計などいろいろなものがある。どれも同じく時間を測っているだけで、形や仕組みは本質に関係がない、と思われると思う。けれども、時間をどういうふうに刻むか、というのは、私たちの日常の過ごし方に思いっきり影響を与える。タイムカードを押すとき、15分ごとにしかお給料が計算されないなら、ちょっと遅らせたりするかもしれないように。そのなかで、〈締め切り〉というのは、たんなる決められた終わりの日時というだけではなく、その日時に間に合うように人々の行動を促し、他の作業よりも優先させる力を持った、ユニークな〈時計〉なのだ、と考える。そうすると、〈締め切り〉という〈時計〉は、人類がどこかの時代に作って使い始めたものであって、いつだって変更できるのだ、ということが分かってくる。これが私の核となる考えだ。

 もちろん、私たちは、〈締め切り〉という時間の測り方以外に、どうやっていろいろな人の時間を申し合わせればいいのかよく分かっていない。だから、たくさんの問題を引き起こしながらも、〈締め切り〉という〈時計〉を使い続けるほかないのだ。

 しばらくの間は、締め切りは今の形のまま、誰かに爆弾を押し付けて続いていくだろう。けれど、いつか、人類が締め切りとうまく付き合えるようになったときに、人々が楽しく暮らせていたらいいな、と夢見る。新しい〈締め切り〉をきっと作れるはずなのだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

難波優輝

1994年生まれ。美学者、会社員。修士(文学、神戸大学)。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。newQ / 立命館大学衣笠総合研究機構ゲーム研究センター客員研究員 / 慶應義塾大学SFセンター訪問研究員。著書に『SFプロトタイピング』(共著、早川書房)、『物語化批判の哲学』(講談社)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版)。


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