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「考える人」トークイベント

2017年1月30日

「考える人」トークイベント

――エッセイスト・三宮麻由子さん 「五感を使って考えよう」イベントレポート その1

「明日は我が身」と思ってほしい

著者: 三宮麻由子 , 考える人編集部

 1月14日、埼玉県蕨市のJR蕨駅ホームから全盲の男性が転落。入ってきた電車に接触して死亡するという痛ましい事故がまた起きてしまいました。昨年8月には、東京の地下鉄青山一丁目駅で視覚障害のある男性がホームから転落して死亡。ホームドアの設置や見守りや声かけの必要性が求められるなか、10月にも大阪・柏原市で視覚障害のある男性が同じように命を落とす事故がありました。
 障害のある人が安心して自由に行動し、暮らしていくために、社会に何が求められているのか、私たちに何ができるのか、三宮麻由子さんと共に考えたいと、体験と講演がセットになったイベントを行いました。
 目からの情報がない「シーンレス(風景がない状態を指す三宮さんの造語)」とはどういうことでしょう。暗い中の音はどう聞こえるか、手元が見えない中での作業はふだんとどう違うか、体験していただき、三宮さんのお話を聞きました。

三宮麻由子さん(右)と「考える人」編集長・河野通和。

 最初に少しお話しさせてください。私は電車のホームの転落事故や交通事故で、これまでに友達3人を失なっています。私自身、何度ホームから落ちそうになって、命拾いしたかわかりません。その恐怖はあとから襲ってくる。夜眠れないくらいのものすごい恐怖です。そういう経験があると、事故のニュースを聞くたびに、「明日は我が身」という気持ちになります。今日みなさんに体験していただきたいのは、「障害がある人は可哀そうだね」ではなくて、「明日は我が身」という気持ちになることです。あるいは自分の身近にそういう人がいたら、自分がそうなったら、シーンレスだけでなくいろんな体の状況で世界はがらりと変わるわけですから、自分のこととして受け止めていただければと思います。そうすると、「助ける」という第三者的な視点ではなく、私はこのシチュエーションでどうするかという視点をもっていただけると思います。

 では、みなさんアイマスクをつけてください。(部屋の明かりが落ちる)これから言葉でナビゲートしますので、神経を集中してみてください。楽な姿勢で、座って姿勢を立て直してください。体、頭、は視覚の世界から自由になりました。では、四感に集中しましょう。皮膚感覚、温度、寒いでしょうか、暑いでしょうか、自分の体が触っているものはなんですか? 足、イス、靴、床…。手に触れているものは? 頭のあたりはどうでしょう。風は吹いていますか? こんどは音です。なにが聞こえますか。私の声、隣の人の声。これから部屋の四隅で音を出してもらいます。どこから聞こえてくるか、どのくらいの距離か、角度はどうか、指さしてみてください。音源定位といいます。音の反響で空間の広さ、自分がその空間のどの辺りにいるかがわかります。音源に応じてどう対処するか、音源が動いているときはどうするか、そういったことが感覚として研ぎ澄まされてきます。これがシーンレスの世界です。音だけで空間を感じるのはこんな感じというのをわかっていただけましたか。

 このあと、参加者のみなさんにはグループに分かれて、「お弁当屋とパン屋での買いもの(どんな商品があるかの説明を口頭だけで受け、言葉のやりとりだけで望む商品を選ぶ)」と、「手で触って商品を選び、小銭を選んで正しい金額を手渡す」体験をしていただきました。
 お弁当屋では、たとえば鮭弁当の副菜は何なのか、幕の内弁当のご飯に梅干しはのっているかいないか、などを言葉で聞き出したり、「触る店」では、ケチャップとマヨネーズ(ケチャップ容器には点字がついていた。キャップの違いで気づいた人もいた)を触って区別したり、箱では区分できない「わさび」と「からし」に戸惑ったり、小銭選びでは100円玉と500円玉が識別しにくい、といった体験でした。この他、アイマスクをしたまま折り紙をしたり、文字を書く体験もしていただきました。

アイマスクをして折り紙を折る参加者のみなさん。いつもは気づかない紙の感触も、鋭敏に感じる。
アイマスクをしたままお買い物体験。店員役の社員には、事前にあえてぶっきらぼうにとお願いしました。現実にはいろいろな店員さんがいます。
パッと見れば違いがすぐにわかる、マヨネーズとケチャップ。目を閉じて触っただけで区別できますか?

 ミニ闇体験お疲れ様でした。明るくなってほっとされているのではないかと思います。どうでしたか? たまにワークショップでやるくらいなら楽しいかもしれません。でも、みなさん考えてみてください。私はこれが毎日なんです。たとえば仕事が朝8時から始まるとします。今日はお弁当を作る時間がなかったし、気分を変えたいなと思ってコンビニに寄ると、お弁当ひとつ買うのに10分、15分かかってしまうんです。いまみなさんが体験しているのを横で聞いていると、たとえば幕の内弁当ひとつとっても、ご飯は俵型か日の丸か、ハンバーグにはケチャップがついているのかいないのか、ブロッコリー抜きにできるかどうか、話はどんどん細かくなっていく。質問をすれば店員さんは答えてくれるけれど、どんどん長くなる。そうするうちに後ろに他のお客さんが並ぶ、奥から苛立った店長がせかす…といった状況になりかねない。そういうなかで、商品を見ないで、触れないで買うのには、どうしても時間のロスが発生します。私だってみんなと同じように仕事前にちょこっと寄ってちょこっと買いたいと思うけれど、お弁当ひとつ買うために10分早く家を出なくてはいけなくなってしまうのです。手際良く説明してくださる方もいますが、見たものがまったく言葉にならない人もいて、手間取ることもしばしばです。

 いつも行くコンビニならメニューを憶えているので、あらかじめ決めていって、「ゴロゴロ野菜の欧風カレー」はありますか? などと聞くと、「ありません。カレーは、えーと、半熟卵と夏野菜のカレーか、バターチキンカレーならあります。えー、値段がですねー…」と、長くなっていく。「お願い、早くしてくれないと私遅刻するんです。じゃあ、麺類は?」「今日は切れてます」。食べたいものを決めていくと、だいたいこうなるんです。食べたいものは、3回に2回は切れています。では、決めずに行く。行ってから決めようと思うと、「何がお好みですか?」「何がありますか?」「どういう説明をしたらいいですか」と聞かれます。美容師と違って、コンビニの店員さんは「今日は誰々を指名」というわけにいかないので、その日の店員さんとやりとりするしかありません。「じゃあ、ジャンバラヤをください」というと、挙げ句の果てに店員さんがつかんだのは、ジャンバラヤの隣に並んでいたチャーハンということも起きます。レジで読み上げてくれるわけではないので、お昼に食べてみると味が思ったのと違う。隣の人に聞いてみると、「チャーハンって書いてあるよ」というようなことがある。私はそこで初めて取り違えに気づくわけですが、交換に行くわけにいかないので、仕方なく、お金を払ったのに望んでいなかったものを食べることになる。

 こういうことが一度や二度ではないんです。ジャンバラヤとチャーハンの違いは大したことじゃないかもしれない。新人の店員かもしれないから許してあげなよ、と思う人もいると思います。いっぱい許してきました。許すしかないです。次に気まずくなるのが嫌だから。でも、そこで許すという感情で整理してしまうと、問題の本質が見えなくなってしまうと思うのです。何が問題かというと、卵アレルギーの人にとっては、チャーハンに卵が入っていてジャンバラヤに入っていなければ、この取り違えは命にかかわる問題になる。実際に、取り違えられてアレルギーのあるものを食べて「大変な目にあった」という話を読みました。アナフィラキシーショックなどありますから、店員さんはある意味、お客さんの命を預かっているという意識を持って欲しいと思います。私自身、ある高級スーパーで牛乳を買ったときに、隣に同じメーカーの同じパッケージのコーヒー牛乳があって、取り間違えられたまま知らずに買ってきたことがあります。帰って開けたらコーヒー牛乳だった。私は毎週のようにその店で買いものをするので、知っておいて欲しいと思って電話しました。お店の人は恐縮して「交換にいきます」と言いましたが、私は「時間をかけてわざわざ取り替えに来なくてもいい。ただ、こういうヒューマンエラーがあったときに対応できるシステムを作ってもらいたくて電話したんです」と伝えました。すると、「わかりました。では、店の者に注意しますけど、新人にまで徹底できる保証はできません」と言われました。

 でも私は思うのです。取り間違えは起きることがあるし、エラーが起きたときにどうするかを考えないと、買い物弱者はこの先もずっと困る。私たちは間違いを確認する術がない。新人もベテランも、商品を手渡すという立場において違いがあってはならないのです。
 外国人も同じです。確認ができないから、弱者の側の泣き寝入りが多くなる。別のときに紙コップを返品にいくと、「これはお客様都合のご返品です」と言われたこともあります。でもお客様都合ではない。店員さんの説明によって選んだ品物が私の望んだものではなかった。店員さんが「これは熱いものは入れられません」と言ってくれれば私はそのコップは買わなかった。それは私の落ち度ではないと思うのです。カスタマーセンターにも電話して伝えたけれど、まったく危機感がない。そのときも「一言聞いてくれれば良かったのに」と言われましたが、なんでもこちら側に「そうしてくれれば良かった」と責任をかぶせるのはフェアじゃないと思うのです。なぜなら店員さんはプロだから。しかも、私からすれば目もみえるし、違う障害の人からいえば、手も動くし足も動く。判断力もある。そういう人に任せているのだから、責任感をもってやってもらいたいと思います。

 ただ、精神論だけでは片付かない。システムを作る必要があると思うのです。商品を選ぶときには、カテゴリー別に、「今日は何があります。何々が安売りです。目玉商品は何々です」。そう説明してくれれば選びやすい。そして、レジでは品物と価格を読み上げながら打ってもらう。そうしたマニュアルがあれば、バイトのお兄ちゃんでも新人でもできる。あとは慣れているこちらが誘導しながら質問できる。
 最初から一問一答になってしまうと、「調理パンありますか?」「調理パンじゃなくて、総菜パンですね」と、まずはお店の言葉に直します。「あ、じゃあ総菜パンは何がありますか?」「いろいろあります」…「いろいろあります」は何の情報にもなりません。「じゃあ、お肉系とかジャガイモ系は?」「お肉系はありません」「チキンは?」「チキンはあります」。チキンはお肉でしょー(笑)! というような会話になってしまう。最長記録はポテトフライがあるとわかるまでに9分かかったことがあります。疲れますよね、ほんとに(ため息)。だからマニュアルは必要だと思います。

その2へ)

撮影・菅野健児(新潮社写真部)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

三宮麻由子

さんのみやまゆこ エッセイスト。東京生まれ。4歳で病気のため光を失う。上智大学大学院博士前期課程修了(フランス文学専攻)。処女エッセイ集『鳥が教えてくれた空』で第2回NHK学園「自分史文学賞」大賞、『そっと耳を澄ませば』で第49回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『空が香る』、『ルポエッセイ 感じて歩く』など著書多数。通信社勤務。

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2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。


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