この年齢(57歳)になると、聖バレンタイン記念日と言っても、営業上の義理チョコが来るのが関の山である。ところが驚いたことに、僕の幼い子どもたちは、すでに聖バレンタイン記念日をめぐる駆け引きを始めているのであった。5歳の息子は、保育園に入ってからずっと同級生であった女の子から「Lくん(ここは息子の個人情報なので)、ちょこれーとたべてね」という手紙付きでチョコレートをもらってきた。聞けば、この女の子がチョコレートをあげたのはうちの息子だけであり、決して営業上の義理チョコではない。息子は調子に乗って「オレ、イケメン」などと言う。先が思いやられる。とはいえ、僕はこのチョコのご相伴にあずかったのだが。

 8歳の娘は、同じ学級に気になる男の子がおり、彼に手作りチョコを渡したいらしい。すでに聖バレンタイン記念日を2週間も過ぎてしまったのに、まだ悩んでいる。先日は、その手作りチョコの試作品を作り、僕はまたしてもご相伴にあずかった。手作りチョコというのはすでにあるチョコを溶かして成形し直すだけであり、どこが手作りなのだ!と言いたい。それに溶解・再凝固により確実に味は落ちるし、通常のチョコより明らかに経済的ではないのだが、自分の娘なので許そうと思う。彼女の小学校ではチョコレートの持ち込みを明示的に禁じているそうだ。だから彼女は、どこかに彼を呼び出してチョコレートを渡さねばならない。妻は、チョコ作りには力を貸すが、小学2年生の逢い引きに力を貸すつもりはないと言う。さりとてこのようなことは父親には相談しないようである。いずれにせよ、青春来るのちょっと早すぎないか、娘よ。でも娘の友達は気になる男の子を児童館に呼び出してチョコをあげたそうだ。すごい行動力だ。

 自らの子どもからチョコレートを搾取する話だけでは仕方がない。僕自身のことを言うと、無駄に早いモテ期を浪費した後、聖バレンタイン記念日に正式なチョコをもらったのは中学2年であった。僕の時代には、この日にチョコレートを学校に持ち込むことは黙認されていた。当時まだ義理チョコという概念は発明されておらず、したがって譲渡されるチョコはすべて求愛の意をもって女子から男子に贈られる。男子にとっても女子にとっても非常に緊張する一日であったのだ。このころ、1970年代初頭では、聖バレンタイン記念日にチョコレートを渡す行動は、小学4年生あたりからこそこそと始まり、5、6年になるとある程度目に付くようになり、中学生になるとたいへん盛んになった。この時代の特徴は、モテる奴はとことんモテるが、モテない奴はとことんモテないことである。中学の同級生の畳屋のせがれ、石河(仮名)は異常にモテた。2月14日になると彼の靴箱・机・ロッカーはチョコレートであふれた。他のクラスの女子も彼にチョコレートを配達するのであった。これと人気を二分したのは、無頼派、伊田(仮名)であった。こいつは毎日わざと遅刻してきて、教師に「ゆっくり歩いてきたから遅刻しました」と平然と言ってびんたをもらい、数学の試験では「次の角度を求めよ」という問いに「コーヒーに2度」(注:2度というのはニドのことで、コーヒーに入れる粉末状クリームである)と書いてはまたびんたをもらうような男である。彼らの共通性は、権威にとことん反抗すること、スポーツができること、である。僕は権威には服従し、つまり角度をもとめる問題ではちゃんと角度をもとめ、そしてスポーツができなかったので、モテるはずがないのである。クラスのほとんどの女子は、石河または伊田、もしくはその両方にチョコを捧げた。

 今となるとわかるのだが、これは行動生態学で言う「配偶者選択の模倣」という現象である。グッピーやウズラなどで研究が進んでいる。これらの動物では、メスと一緒にいるオスのほうがモテる。メスと一緒にいることで、そのオスの価値がすでにある程度保証されており、ろくでなしを選択する危険を低減することができるからと考えられる。最近では独身よりバツイチの男のほうがモテると言われるが、これも同様な現象であろう。かくして、モテる者はさらにモテるが、モテないものはよりいっそうモテない社会が成立する。

 それでも中学2年の2月14日、僕の机にはチョコレートと思われる箱が1つ入っていた。全く心当たりのない僕は当惑したが、当時気になっていた少女からのものかも知れないという淡い期待を抱いて、トイレの個室に隠れてから包みを開けた。チョコレートはその彼女からのものではなかった。僕に初めてのバレンタインチョコをくれたお嬢さんは、クラス委員を真面目にやり、成績はよいほうで、ふざけすぎの男子を叱ることで一部に恐れられていた羽田さん(仮名)であった。チョコには手紙が添えられていた。「私は人気のある女子ではないし、あなたも人気のある男子ではありません。そんな二人がおつきあいしてもよいのではないでしょうか。もし同意してくれるなら、3月14日に白いクッキーを下さい」。僕は羽田さんにクッキーをあげなかった。中学生ながら、そのような妥協のもとに恋人を作ることを潔しと思わなかったし、それを提案した羽田さんに狡さを感じてしまったのだ。それに、僕は確かに人気のある男子ではなかったが、それを堂々と指摘されるのはやはり嬉しくなかった。僕はそのチョコレートを食べる気にはなれなかった。その手紙を添えてチョコレートをくれた羽田さんに、僕は僕と似た心性を見た。自意識が強すぎて、傷つくのを恐れながらも、人並みの青春を求めていた。そして彼女は僕よりもずっと勇気があったのだ。しかしそのことに気がついたのは、今この文章を書きながらのことである。当時の僕は、初めてのバレンタインチョコとその手紙に、羽田さんの精一杯の心を読み取ることが出来ず、まるで辱めを受けたように感じてしまっていた。
 あのチョコはきっと弟にあげてしまったのだろう。そして僕は、石河・伊田がせしめたチョコからおこぼれをもらって、例年と変わらぬ聖バレンタイン記念日を過ごしたのであった。その日の僕は、将来果たしてあのような但し書きの付いていないチョコレートを僕にくれる女性が現れるのだろうか、と暗澹とした気分でおこぼれのチョコを食べていたのだ。