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おかぽん先生青春記

 「考える人」編集長だった河野さんから「青春記を書きませんか」と誘っていただいたのが2016年春であった。もう6年以上、青春記を書いている。当初は青春記である以上、大学卒業くらいまでかなと思っていたが、実際には教員としての千葉大を辞する直前まで書くことになった。

 ジュウシマツの歌の有限状態文法を発見してから数年後、2004年より私は理化学研究所に異動し、生物言語研究チームを率いて、ハダカデバネズミやデグーや人間など、哺乳類も含めて言語の生物学的準備を探る研究を開始した。言語からコミュニケーション全般の理解を目指す過程で、情動と感情の研究プロジェクトを2008年より開始した。2010年に東京大学に異動し、意識も含めた心全般を扱う生物心理学的研究を志向するようになった。そして2022年、今年4月より帝京大学先端総合研究機構に異動し、人文科学者・情報科学者とも連携しながら生物心理学の研究を進めている。

 青春記を書きませんか、と言われて思い浮かんだのは私の青春期に読み浸った諸先輩方の青春記である。畑正憲『ムツゴロウの青春記』では恋と動物まみれの青春をうらやみ、北杜夫『どくとるマンボウ青春記』では医師になる運命の中で文士になるあがきを我が事のように感じ、小松左京『やぶれかぶれ青春記』では後のSFの巨匠のやぶれかぶれさに共感した。青春記と銘を打ってはいないが、梅棹エリオ『熱気球イカロス5号』、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』、堀江謙一『太平洋ひとりぼっち』は、青春のありかたの理想像であった。また、柴田翔『されどわれらが日々』、倉田百三『出家とその弟子』、シュトルム『みずうみ』、トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』は青春とその後をどう過ごすか考えるものとなった。

 私の青春記はこれらの物語に多く影響を受けているが、これらの物語を継げるものではない。それは、私の青春の特異性が普遍性に昇華されていないからである。青春記前半では動物に囲まれた生い立ちと、体育が苦手であることの劣等感、恋を求めて恋を得られない焦燥と、自分が欲する能力に恵まれなかった不運を嘆いていた。青春記後半は、学者としての自分の成長を振り返りながら、結果的に幸運に恵まれ、自分の能力以上の地位に就いて行く過程を描くことになった。

 私の青春記を読んでくれている人には二種類いる。前半が面白いという人と後半が面白いという人だ。私の青春の苦悩に共感する人と、私の研究者としての成長に興味を持つ人である。これらが上手に融合しないと、青春記としての普遍性は出てこないのである。そこが目下私の悩みであるが、ともかく、私の青春記は今回で終了とする。

 ここでまとめたほうが良いと考える理由は他にもある。1つは、理研以降の私の青春を書くことで、身近な人々を巻き込むことになること。巻き込んでも良い場合と悪い場合があるように思う。ここを上手に書けないかぎり、私は私小説作家にはなれないのであろう。西村賢太、車谷長吉を尊敬する。もう1つは、我が研究室のうるさがた、博士研究員の外谷弦太氏による指摘である。「この頃のおかぽん先生、成功体験ばっかりでつまんないですね」。これは自分でもそう思うのだ。まとめて書くと成功体験になる。詳細を書くとさまざまな失敗があるが、その詳細を書く技術と余裕がない。だから結果的に成功体験である。最近流行している言葉に「生存者バイアス」というのがある。私の話は、結果的に研究者として成功した者の話であり、研究者になろうともがく者の参考にはならない、という考えである。私の記憶は、私の成功体験によるバイアスを受けている、という批判だ。

 これも難しい問題である。私の話がより広く受け入れられるためには、私の文章は生存者バイアスから自由にならねばならない。そのためには、さらに自分を客観視することと、これまで封印してきた数々の失敗を開示することが必要だ。まだまだ修行が足らぬ。

 大学院生時代には「社会生活がない留学生は研究に100%時間が取れていいね」と(言う側に悪気はなく)皮肉られてきた。ポスドク時代は「独身で100%研究ってのもいいね」と(言う側に悪気はなく)皮肉られてきた。あまりいい気がしなかった時もある。

 確かに、大学院入学以降、千葉大に職を得るまで、私はほぼ100%研究の人生を送ってきた。人並以上の成果を挙げて当然かもしれないが、人並以上の努力をしてきたというささやかな自負もある。そして、へんな執着心があり、運が良かった凡人でもある。ああ、しかし、これも皆、私の被害妄想に過ぎないのかもしれない。心の平穏はまだ来ない。でも心の平穏が来た時にはすべて終わりなのだろう。「時よ止まれ、お前は美しい」の言葉と共に。

 読者よ、これまでお付き合いいただき感謝している。いろいろあったが、私は自分自身を生物心理学者として規定し、そのまま研究者として駆け抜けていくであろう。生物心理学者は生物学的技術をもって心理学の問題に向かう研究者である。心理学の究極問題は「なぜ私は心を持った存在なのか」である。私は、私が心を持つ存在である理由を理解し、やがて宇宙の循環に取り込まれることを良しとしてこの世を去りたいのである。しかし、その時が来るまでは私の青春なのであり、私の青春記は書き続けられるのだ。

 最後に好きな詩をひとつ。ラングストン・ヒューズ「助言」(木島始訳)

みんな、云っとくがな、
生まれるってな、つらいし
死ぬってな、みすぼらしいよ
んだから掴まえろよ
ちょっとばかり 愛するってのをその間にな

※「おかぽん先生青春記」は今回が最終回となります。ご愛読ありがとうございました。当連載をまとめた単行本を、新潮社から刊行予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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