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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2017年5月25日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

01 英国、コーニッシュウェアのティーポットの壊れた蓋を、京都寺町の清課堂でこしらえていただく――

著者: 入江敦彦

 最初に直面した離婚の危機でした。

 英国人のツレにとって器というものは食事のためのツールでしかなく、言えども言えども扱いが雑。そんなに高価な食器を普段から使っているわけではありませんが、そういうものの好き嫌い、愛着は値段や希少性にあまり関係がありません。大事な器は、なるべく長く使いたい。ましてや100年、200年の時を経て、それもはるばる東の(はて)からやってきたものならば、それらを損なうのは歴史の一部分を破壊するのと同じ行為です。台所の片隅にだって歴史はあるんですから。

 わたしは手に入れた器を骨董でも作家ものでも箱入り娘にしておく趣味はありません。存分に働いていただきます。それが食器なら食べ物を盛ってなんぼ。というか購入動機の9割9分は「これこれこういう料理を載せたい!」という衝動に突き動かされてですから。

 車は運転するもんだし靴は履くもん。そうでないコレクターがいるのも知ってますし、否定しようとも思わない。が、それって恋人ができても手すら握らないのと同じ行為であるようにわたしには思えます。

 そんな嗜好なので、そそっかしくて割っちゃうなら、まあ、仕方がないと諦めもつくんですよ。自分だって粗相はするし。けど粗相と粗雑は違う。粗雑に扱われた結果、壊されるのは我慢ならない。

 ええ、ええ、言いましたとも。なるべく相手の気分を害さないように「洗い物は全く苦にならないから、これからは自分でやるよ」って。そしたら案の定、洗い物も出来ないと思ってるのか!って怒り出した。

 それなりに〝おしおき〟もいたしました。ようやく手に入れた「これぞ!」というお茶碗(杉本立夫さんの作)をおろしたとたん口を欠かれたときはハラワタの温度が沸点突破。このあと昨年、加齢による食事量減少に伴い小さめの茶碗に買い替えるまでの12年間、ツレは欠け茶碗にごはんをよそわれ続けました。さすがに悪いとは感じてたんでしょうね。文句も言わず使ってましたが、おニューになって本当に嬉しそうでした。

 かくも執拗にしてイケズな教育を施されてすらツレの器物破損癖はなかなか改善されず、番町皿屋敷の話なんかもコンコンと聞かせてみたんですが効果なし。そんなある日、冒頭の離婚危機が勃発したのです。

 このとき割られたのは実は和食器ではありません。英国の伝統的な陶器のひとつに「コーニッシュウェア」と呼ばれる水色と白のシマシマの器たちがあります。名前の通りコーンウォール地方で作られており、とりわけ創業1864年のT.G.GREEN社の製品は一世を風靡しました。もともと縞、輪線が施された染付の器には目のない質ですが、わたしはそれらも大好きで細々と買い集めていたのです。やられたのはマイコレクションのなかでも虎の子のごとく可愛がっていたティーポットの(リッド)でした。

 その瞬間、胸を横切った、ほぼ物理的な痛みをいまでも忘れません。だから、ティーポットから、お茶を、注ぐときは、蓋を、押さえてって、何度も、何度も言ったじゃない! とスタッカートで声を荒らげてしまいました。珍しいほどの剣幕だったので、さすがにツレも驚いていました。けどダメージとしてはそのあと3日ほども続いた「だんまり戦法」のほうが効いたようです。

 なぜそこまでこのティーポットに執着があったかといえば、古いものについては基本的にはご縁に任せて探さない主義のわたしが、どうしても欲しくて英国各地の骨董市で靴の底を減らしたという経緯がひとつ。さらには見た目だけではなくサイズも使い勝手もこれ以上はないと感じられる理想の茶器だったから。

 コーニッシュウェアは現在でも昔の型番がほぼそのままの形で再生産されています。毎年新作が売り出されるので、むろん消えてしまうアイテムもたくさんあります。件のティーポットはぽってりと丸い、らしいといえば非常にらしいスタイルですが、なぜだかもう長いこと廃番になっていました。

 マグにティーバッグ放り込む式が多い英国人ですが、むろんティーポットはあります。おさまりのいい円錐台のもので、これも悪くはない。でもわたしにとっての理想でも決してない。丸いやつは60年代半ばに生産中止となって以来、コレクターズアイテムとして人気上昇したせいもあって本当に入手困難だったのです。

 ちなみにツレは割れ蓋を瞬間接着剤でくっつけて「ほらっ! もう、ほとんどわかんない!」とドヤ顔で披露し、日本に持ち帰って金継ぎしてもらうつもりだった計画をみごとにおじゃんにしてくれました。そのときの絶望感はいかばかりであったことか古い器に執着のある人なら理解していただけるかと存じます。

 ペットロスの最も効果的な治癒法は次のペットを飼うことだといいますが、骨董もそれに近いところがあって、壊れたものと同じ種類の品を買ううちに心痛は慰められてまいります。いわば代償行為ですね。外見が似ているという意味ではなく、この場合ならティーポットをいくつか購入して、友人に愚痴がこぼせるくらいまでには(ヒット)(ポイント)が回復してまいりました。

 事件(笑)後、すでに1年くらいは経過していたでしょうか、わたしは一時帰国中の日本でしつこく愚痴っておりました。場所はお世話になっている京都の骨董店「大吉」のカウンター。相手は若主人の(おさむ)くん。なにしろ我が心痛を理解し、共感してくれる数少ない友人なので熱弁にもリキが入っていたと思いなせえ。

「それやったら隣の清課堂さんで蓋を作ってもらわはったらどないです? 息子さんの純平くん最近いろいろ面白いことしたはるし、ええもんでけてくるんちゃうやろか。僕、声かけときますわ」

 理くんもコーニッシュウェア好きなので、その彼が言うなら間違いなく〝ええもん〟が仕上がってくる気がしました。その当時は京都の「御つくりおき」文化を知識としては持っていたけれど、まだ実感が伴わないというか、どこかに頼んだり注文したりを自分では始めていなかった。烏滸(おこ)がましいという気持ちもあったし、なにより遠い世界の話みたいに考えていた。

 清課堂さんは江戸後期の天保九(1838)年に錫師(すずし)として創業されたお店で、暖簾を出されている寺町は足繁く通う散歩道なので当然存在は認知してました。ちょっと気合を入れて敷居を(また)ぎ、いくつか買い物をさせて貰ったこともある。チロリを分けていただきました。下戸だったけど、ウィンドウを眺めていて、あ、花器としても素敵に違いない! と閃いた次の瞬間「これ、おくない(ください)」とカウンターで告げてました。

 理くんの幼馴染でもある若当主、山中純平くんの作ったものも買ってます。打ち出しで細かな面を取った錫の卵。鶏と鶉の中間あたり。しいていえば鳩の卵大だけど、永遠に孵らない殻の内側にはなにか神秘な鳥類が(ねむ)り続けている気がして、どうしても欲しくなったんです。

 直接の知己すらないのに理くんの口利きがあったとはいえ、よくぞ図々しいお願いができたものだと十何年後の現在になってつくづく赤面します。きっと壊れた蓋への執念、ふたたび理想のティーポットとの暮らしを再開したいという妄念がわたしを衝動的に動かせたんでしょう。数日後、緊張しつつも純平くんの面前で熱弁(と、愚痴)を奮うわたしがいました。

 ご縁をとりもってくれた理くん様々。彼は快く、少なくとも表面的には爽やかでバタ臭い微笑みを浮かべつつ、でっかい変テコな英国在住京都人の懇願を引き受けてくれました。がぶり寄られただけかもしれませんが。

 自分なら友人の口添えがあっても断るだろうなと思わずにいられないのは、わたしが持参したのは壊れた蓋のみで―わたしは各地で愚痴るためにロンドンから持ち帰っていた―本体のティーポットはお見せしないままだったこと。それなくして、どうやってイメージを膨らませられましょう。普通なら1回目はご承諾だけ頂戴し、おいおい本体を持参するか、事情があるなら郵送させていただくのが〝筋〟だし、払うべき敬意なんですよね。ああ、穴があったら入りたい。

 御つくりおきというのは、まして頼むのが人気の職人さんなら平気で1年とか待つものだし、待つのも愉しみのうち。なんですが今回はよほどわたしの圧がすごかったのか、あるいは早いうちに厄払いは済ませておこうと判断されたか、2ヶ月ほどの日本滞在中に純平くんは完成させてくださいました。

この「Rich Tea」というビスケットを紅茶に浸して
(英語でDunking といいます)食べるのが英国人は大好き!

 わたしは煎茶碗の蓋のような、あるいは錫の円盤に取っ手のぽっちがついているようなものを想像していたので、出来上がってきたものが素材が錫になっているだけで元の蓋とほぼ同寸、律儀に縞までテクスチュアを変えて入っているのを見て、なんとまあ京都の職人とは異能の人々よ! と感動せずにはおれませんでした。

 それで「おツレさんが蓋押さえんの忘れはっても落っこちんようにポット内部にはまる部分は深こうにしときました」とか爽やかにバタ臭く笑ってるんですよ。

 かくて最愛のティーポットは日常に復帰。異能の蓋は見事に違和感なくあるべきところにある風情。まるで、そういうオリジナルデザインだったかのごとく。丸いポットは一昨年復刻され、安価で替え蓋も求められるようになりましたが、もちろんわたしは買ってません。

 ところで、いつのまにかツレはあまり陶磁器を割らなくなりました。食事のたびに料理に合わせて器を選ぶ愉悦を覚えたらしく台所で()めつ(すが)めつしているのがしばしば目撃されます。そうか。性分とかじゃなく、モノへの愛情の問題だったんだな。

TGグリーン社の製品は若干高価だったので数々のバッタもんも作られた。が、
そういうのも含め集めて楽しい。真贋や年代は裏の印判デザインですぐ解る。

(写真すべて筆者撮影)

関連サイト

清課堂|錫・銀・各種金属工芸(京都市中京区寺町通二条下ル)

http://www.seikado.jp/

コーニッシュウェア(T.G.GREEN社)

http://www.cornishware.co.uk/

イケズの構造

2007/08/01発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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