PRIDEは毎年6月末から7月頭にかけて、いずれかの週末に行われる同性愛者(LGBT)のパレード。ゲイやレズビアンたちと一緒に大勢のドラァグクイーンたちが華やかに着飾って目抜き通りを練り歩くロンドンの現代風物です。
てなことを書くと、なかには「なんだオカマの仮装行列かよ」と鼻で笑う人もいらっしゃるかもしれません。けれどこのオカマの行列の先頭を切るのはロンドン市長、続いて陸海空軍、そして警視庁、消防署内のサポートグループが最高位の正装で隊を組むのです。
スポンサーは計300社。英国大手銀行「バークレーズ」に始まりスーパーマーケットチェーンのトップ3各社、ほとんどのIT企業、ブリティッシュ・エアウェイズなどなど錚々たる名前が連なり、日本からも「トヨタ」などが神輿をだしています。この日一日だけで経済効果が3億円を超えるんですから当然といえば当然ですが。
43回目となった2016年に行進したオカマたちは4万人、沿道で彼ら彼女らに声援を送る人々は100万人と発表されました。年を追うごとに数が増えているとはいえ、さすがにこの人数には魂消ましたね。わたしが知っているのはPRIDEの歴史の凡そ半分に過ぎませんが、ウタタコンジャクの感に堪えません。
開始当初は投石なんかもあったらしいですよ。90年代でもあからさまに「なんだオカマの仮装行列かよ」という態度の野次馬がたくさんいました。それがいつの間にか行進ルートに面するキリスト教会がLGBTのシンボルである六色旗を掲げて理解を表明し、政府が各国に通達する観光のアニュアルカレンダーにも記載されるような行事になってしまった。
このパレードの目的は、その名称が語るように「自分たちのセクシャリティに誇りを持とう。大声でそれを叫ぼう」というものです。日本の〝秘すれば花〟の文化とは相容れない思想ですが、そしてこれこそ唯一の正しいヒューマンライトの道だとも断定しませんが、どんなマイノリティも法に触れない限りは誰もが堂々と陽の当たる場所を歩くべきだとは考えています。
英国というのは涼しい国で、日本人から見たら夏がないといっていいくらいのものですけれど、それでもPRIDEからウィンブルドンにかけての時期はそこそこ気温も上がります。湿気がないので楽だし、夜にはまず20度以下にまで落ち着くから眠れないなんてことはないんですけど。というわけで、ちょっと季節的には早いんですが10年ほど前からわたしは浴衣で行進に参加するようになりました。
べつに日本人であるアイデンティティを誇示しようとかじゃありません。正直、ただただ浴衣が着たかった(笑)。京都の「京呉館」というキモノ屋さんが、わたしの敬愛してやまないアーティスト故・金子國義さんプロデュースの浴衣を発表して、これがどうしても欲しかったのです。もちろん和装は嫌いではなかったけれど英国では手入れができないからと躊躇していたのですが綿ならばなんとかなるだろうと踏ん切りをつけました。
黒地にむらのある銀鼠で髑髏が抜かれた生地で仕立ててていただき、源氏香図の「夢浮橋」を織り出した女性用のねっとりと紅い帯を半幅にしてもらって合わせることにしました。嬉しかったですねえ。キモノ道楽は身上潰すと申しますが、警句の意味がよーくわかった。まさに御つくりおきの王道。
その年のPRIDEは待ちわびるような心持ちで迎えました。前日から汗だくで帯を結ぶ練習をし、なんとか「貝の口」をマスターして表に出たときの、あの緊張感と晴れがましさをいまでも思い出すことができます。もの書きになる前は服飾の仕事でしたから、それなりに派手な格好もしてきました。奇抜なコーデも平気。似合いさえすれば、どんな色柄やシェイプでも大丈夫。けど、そういう経験値が用をなさないんですね。だからこそテンションもめっちゃ上がるんですが。
何年か前から日本の若い子たちに人気のデコった和装がわたしは嫌いではありません。なかには、おひきずりさんみたいになってる子らもいて、そういうのは確かにイタい。でも本人さえ楽しけりゃ無問題です。ただ、それらはあくまでメイクや髪形も込みで洋服の文法で着つけられていることは頭に入れておくべき。いわばコンソメで和食を拵えるようなもの。昆布や鰹節から出汁を取った着付けとは別物なのだと知っておかねば一歩間違うとえらいことになる。一応はプロだったわたしにとってすら和装は未知の感覚でした。
さて、その日、わたしが選んだ履物が「SOU・SOU」さんの皮製地下足袋でした。コハゼのついた、けれど靴底のあるブーツ感覚の地下足袋が裏寺(寺町の東裏手の入り組んだエリア)にあるらしいよと聞いたのはいつごろだったでしょう。けれど一目惚れで購入したもののコーディネートに困ってそれまで履いていませんでした。それを仕立て上がった浴衣を見た瞬間からデビューさせてやろうと計画していたのです。
京都というのはイメージと現実の境目に深くて暗い河がある街。京都人と非京都人の想像する〝京都らしさ〟にはものすごいギャップがある。合わせ鏡の中の無限の空間みたいに隔たっている。地下足袋靴もそうだなと思いました。たぶんこれを知って京都らしさを感知するよそさんは稀でしょう。しかし京都人にとっては、これぞ碁盤の目のトレッキングシューズ。
いまでも京呉館の浴衣は大好きですし、亡くなられて新作は望めなくとも買いたい柄はまだいっぱいあります。とりわけ伊勢海老散らしはなにがなんでも入手するつもり。なんですがPRIDE和装参戦翌年からは浴衣もSOU・SOUさんに頼るようになったのは、金子さんのものを着るとどうしても金子さんの美学というか美意識を身にまとうという感覚になってしまうからです。普段ならいいけどパレードだとそれでは困る。
I am what I am、わたしはわたしだ!と己を開けっ広げるのがLGBTの祭典。いくら好きでも他人の主張を纏うのはどこか違う。こちらの店の象徴ともいえる脇阪克二さんのテキスタイルは金子國義さん以上に個性が強いんですが、そこに店のオーナーである若林剛之さんの探し出してくる日本古来の忘れられた素材たちが加わり、また彼独自のセンスでそれらが融合すると、一点物も極まれりの浴衣が誕生します。
こちらにも吊るしがなくはないですが、やはり御つくりおきでいきたいですね。そもそもわたしは規格外サイズなので反物によっては幅が足りず物理的にそうせざるを得ない。ただ若林さんはそれを逆手にとって背中央で縫わず五枚剥ぎに仕立ててあったり、袖の半ばから異なる素材が継がれていたり、柄の合わせにも一工夫あってもはやオートクチュール的快感。
若林さん的にはオリジナルのもっと傾いた服をわたしに着せたい節があります。けど前述した洋服の文法で着るキモノの反対で、キモノの文法で着る洋服ともいえるそれらは老後の楽しみにとっておこうと考え中。まがりなりにも服の業界にいた人間です。この年齢になっても未だに〝流行り〟に未練があるんですよ。
あとねえ、あのねえ、浴衣だとモテるの。写真撮っていーい? とかいっぱい訊かれる。知らない人のセルフィーに一緒に収まったりするの。ほんでもって、褒め言葉がキセルの雨と降りかかる。普段賞賛なんぞに縁のないおっさんには貴重な機会なのです。
それからね、写真の質が上がった。かつてないケッサクがちょいちょい混じる。その理由に気づいたのは浴衣3年目くらいでしょうか。ああ、笑顔が多いんだと。PRIDEのみんながわたしの姿を認め、SOU・SOUの素敵な浴衣を見て、それを今日の日のために選んだ気持ちを酌んで「いいじゃん、それ!」と笑いかけてくれてるんです。仲間を視る目なの。その表情を写すから自然にいいショットが増えたんですね。
もちろんPRIDEだからってお洒落する義務はない。セクシャリティと外見は関係ない。けれど特別な一着に袖を通しているとき、それは誇りの証明にはなり得る。ただパレードを流すのではなく、娯楽として楽しんでいるだけでなく、わたしはわたしだという言葉を着ているものが発してくれる。
そもそもファッションとは主張だといわれます。けれどそれがよいデザインであればあるほど金子さんの浴衣よろしく着ている人間より作った人間の主張のほうが声が大きくなるものです。SOU・SOUの根底には和装の哲学があるから主張はあくまで着る側に任せられる。つまり(誤解を恐れず言ってしまえば)ドラァグクイーンの途方もないコスチュームとSOU・SOUの浴衣は同質の力を秘めているのでしょう。
60年代末まで京都には「おばけ」という節分の伝統行事がありました。追儺で家屋から叩き出された陰の気に誑かされぬよう男は女の、女は男の格好をして鬼を謀るのです。まさに傍目にはオカマの仮装行列。こちらは自分が自分でなくなることによって護身を図る習慣。わたしはわたしだ!という異装の雄叫びは社会的抑圧への戦闘宣言。この対比、ちょっと面白い。
もしかしたらそれは正反対に見えつつ裏表一体、糾える縄のごとしなんでしょうか。あるいは盾と剣。自分らしくあるというのは、本当は〝らしさ〟に捕らわれないでいること。普段の自分に執着しないこと。自分を解放して変化するのを恐れないことなのかもしれません。
SOU・SOUの浴衣がパレードであんなに愛される秘密がなんとなくわかってきました。
(Photo by Joseph O'Rourke)
関連サイト
PRIDE
京呉館
SOU・SOU
Joseph Morningstar O'Rourke
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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