花びらたち。ときにはかないけれど、尊い。
 

 ネット上で「過労自殺は自己責任」という言葉が物議をかもしている。心がずきずきと痛んでいる人も少なくないはずだ。
 私は大学生時代、あしなが育英会という団体でボランティアをしていたことがあった。自殺で親を亡くした同級生も少なくなく、彼ら彼女たちが少しずつ語ってくれる言葉をつなぎ合わせていくと、経済的に困窮したことや人間関係、切っても切り離せない元々の生い立ちなど、自殺に至るまでにいくつもの要因が複雑に絡み合っていることが分かった。そして最後には「ごめんね」と言い残す人が多かったように思う。「生きていたら迷惑かけるから、ごめんね」「自分なんかいない方がいいね、ごめんね」。自殺は“自己責任”という安易な言葉で切り捨てられるようなものではなく、それしか選択肢がなくなるまで追いやられてしまった状態なのではないだろうか。
 そして“自己責任”という言葉は、残されてしまった家族や身近な人々をも追い込む言葉だろう。「どうして支えになれなかったんだろう」「自分が追い込んでしまったんではないか」と時を経てもなお、自身を責め続けている人も少なくないはずだ。
 そんな方々に、私があるとき目にした、自殺対策のポスターの言葉を伝えたいと思う。「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」。追い込まれた人たちを切り捨てるのではなく、優しく包み込める社会を、私は諦めたくない。

陽の光と共に、名も知らない花がそこに輝いていた。
 

いのち支える相談窓口一覧
https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php

SNSで相談ができる団体
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000194961.html