森村泰昌さんとの対談で、福岡伸一さんのこんな言葉を目にしました。雑誌に掲載されていた森村さんの本棚に「ドリトル先生」シリーズがあった、というのです。他人の本棚の中で気になる本――“本の虫”なら誰しもわかるように、それはご自身にとってとりわけ意味深い本だったにちがいありません。
 ちょうどその頃に福岡さんとお話をする機会があり、すっかりその日は「ドリトルドリトル……」。ドリトル先生の足跡をたどりつつ物語の意味を考える企画として、いつの間にやら、イギリス行きを決断するに至っていたのです。
 そんなわけで、「福岡ハカセとの愉快な旅」は始まりました。八月半ばに一六〇〇キロもイギリス国内を車で走破するとはそのときは思いもしませんでしたが。
 ロンドンに到着後、サウスケンジントンの自然史博物館を皮切りに、トリングの自然史博物館分館、ヒュー・ロフティングの故郷のメイドゥンヘッド、物語の舞台と思われる河口の町ブリストル、コッツウォルド周辺、港町ペンザンスと旅は続きました。ペンザンスで凍える雨の中船を借りての撮影も、いまとなっては楽しい思い出です。
 福岡さんの原稿枚数は九〇枚にも達しようかという力作になりました。旅を進めるにつれ、福岡さんが胸に秘めていた思いがだんだん形をとっていきました。
 なぜいま、ドリトル先生のことを考えることが大切なのか。それをうかがったとき、編集担当の私も納得できた気がしました。だからこそ、『航海記』の冒頭の挿絵(57頁)の場所を追い求めていらしたのだと(35頁)。
 ナチュラリストになる――実際のところ、それはどういうことでしょう。福岡さんによれば、それは絶えざる「センス・オブ・ワンダー」を持ち続けること。おそらく、一生という長い時間をかけて、この言葉の持つ意味を、福岡さん自身が探求されていくにちがいありません。
 この「センス・オブ・ワンダー」について一言申し上げておきましょう。よく知られているように、レイチェル・カーソンには同名の著作があり、そこにこんな記述があります。
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性』を授けてほしいとたのむでしょう。」
 日々の雑事に追われ、いつの間にか失ってしまうもの。この雑誌が、そんな「ワンダー」をとり戻す場であり続けられたら。そんなことを、一編集部員として、思っています。

「イチローはタイムマシンである」というスポーツ・コラムを読んだことがあります。その心はイチロー選手が新しい記録を作る度に、先人の記録が「歴史」の中から呼び覚まされてくるということでした。きっとこの号が書店に並ぶ頃までには、十年連続二〇〇本安打の偉業で、ピート・ローズ選手の名前がふたたび脚光を浴びているのでしょう。
 さて、今回の特集は福岡伸一さんに四番打者を務めていただきましたが、「なぜいま、ドリトル先生なのか」の問いかけに始まる内省の旅は、私たちを彼のタイムマシンに同乗させてくれたようです。「ドリトル先生」を愛読した頃の自分に出会えただけでなく、あの作品世界が宿していた根源的なメッセージ、その時はしかと言語化できなかったドリトル先生の魅力のありかを、ふかい記憶の奥底から呼び覚まさせてもらった気がするからです。福岡さん自身の内面のドラマはエッセイにある通りですが、おそらくドリトル先生もまた、日本からの遠来の客との対話を心から楽しんだに違いありません。
 ちょうど日本列島全体が異常な猛暑に喘いでいた時期のイギリス行。向こうは涼しいだろうなと羨ましがっていましたが、大きな成果としてドリトル先生を「同時代人」として連れ帰って下さいました。
 今号より編集長が代わりましたが、引き続きのご愛読をよろしくお願いいたします。