「アメリカ」一覧
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ガラ子との別れ
そして翌日、俺たちはカンガルー島に飛ぶため、アデレードの空港に向かった。アデレードはその日、大嵐だった。指定されたゲートに着くと、そこには世にも小さなプロペラ……
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ガラ子再び
俺はガラ子に会うためにオーストラリアに旅立った。日本からオーストラリアは比較的近い。バヌアツからもオーストラリアは実際に近い。当時の青年海外協力隊の規則では、……
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優しい雨
と、光陰矢の如し、バヌアツ滞在は過ぎてゆき、僕は日本に戻り、ガラ子はバヌアツでの日常生活に戻っていった。僕はつくば市にある農林水産関係の研究所で鳥による農作物……
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ジュゴンに抱かれる
このように、俺とガラ子はガラ子の赴任先のバヌアツで、いろいろな意味で刺激的な体験を重ねていた。その中でも極めつけを紹介しよう。 バヌアツの島の1つ、タンナ島……
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ガラ子との遠距離交際
俺とガラ子は、好きな動物の話や留学の話で多いに盛り上がり、流れるように親密になって行った。当時の青年期の男女は話が早かった。 俺はそのころ、上智大学の研究所……
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ガラ子との出会い
1989年春、6年近いアメリカ留学から帰国してすぐ、俺はバスタオル事件を明白なきっかけに失恋するという事態に陥った。と考えていたのは俺だけで、武蔵小金井に住んでい……
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バスタオル男の恐怖
吉祥寺の不動産屋で外国人(日本語を話さない人)に間違えられた俺だが、その後めでたく俺を住まわせてくれるアパートを見つけることができた。研究員としての勤務先は上……
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帰ってきた”異邦人”
俺の学位論文の審査は、1989年の2月に行われた。日本では昭和が終わり平成が始まったばかりだったが、アメリカの大学院生にとってはほとんど関係のないことだった。キン……
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黄色人種としての自覚
俺が住んでいた大学院生用のアパートの近所には、食材を買える店は何もなかった。自動車を買ったのはメリーランド大学に来て3年目で、それまでは、リュックを背負い、自……
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スーザンを探して
前回は、トム・ロビンズの小説をスーザンに貸したところまで語った。トム・ロビンズの小説は日本ではほとんど知られていないが、少なくとも2つは翻訳されている。「カウ……
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不機嫌なスーザンと仲良くなるには
ボブの研究室で1年半が過ぎた頃だった。トムは相変わらず小さないたずらを周囲に仕掛けながらも、着実に研究を進めていた。僕も英語がまあまあ通じるようになり、小鳥の……
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そして俺の指導教員、ボブ・ドゥーリング ……
さて、ボブのスケベ話を続けよう。ボブは年に1度、集中講義のためデンマークの大学に行っていた。以下は、ある日デンマークの同僚(ラーセン〔男性〕)とボブが夜中に急……
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そして俺の指導教員、ボブ・ドゥーリング ……
これまでメリーランド大学における俺の恩師たち(中にはハチャメチャなのもいたが)を紹介してきたわけだが、そろそろ俺の指導教員、ボブ・ドゥーリングについても紹介し……
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シーガル先生の呪い
俺のいたメリーランド大学心理学研究科では、社会心理学か産業心理学かどちらかを履修せねばならなかった。社会心理学のほうが少しは基礎的であろうと思い、そちらを履修……
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アフリカ砂ヘビの脳
俺はメリーランド大学カレッジパーク校に大学院生として1983年の夏から5年半ほど留学していた。最初の3年ほど、非常によく勉強した。浪人時代、代々木ゼミナール原宿校……
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研究室での暮らし
米国メリーランド大学の大学院生の暮らしは概ね地味である。講義はきちんと履修せねばならない。1科目でもDがつくと放校処分である。実は俺は2年目の講義でDを喰らって……
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研究の始まりと異国の初恋
メリーランド大学附属英語学校をなんとか卒業した僕は、心理学研究科の修士の学生としてボブの研究室で研究を始めた。研究室がある動物学心理学棟の4Fには、北側に動物……
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レッドスキンハウスと英語学校
僕はそのようにして、米国メリーランド州にあるメリーランド大学カレッジパーク校のボブ・ドゥーリング研究室にて研究を始めることになった。家業を継ぐことを放棄してア……
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ご飯が大事
在沖米軍と一口に言っても、部隊によって街の雰囲気は違い、食べる量も違うそうだ。コザは嘉手納基地の門前町だから空軍(エアフォース)が多く、家族で住んでいる地上勤……
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沖縄タコスの戦後史
(前回まで)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店「チャーリー多幸寿」の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1956年創業のレストランをタコス専門……
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- エッセイ
変わりゆく街、変わらないもの
(前回まで)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1956年からずっとコザでレストランを営んできた。 出来る……
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- 評論
コザが燃えた夜―1970年、コザ暴動
(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。1950年からコザの八重島……
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- インタビュー
人の物語ではなく自分の物語を作りたいと思……
映画監督 アンソニー・ルセロ Anthony Lucero
カリフォルニア州オークランドを舞台とする『イーストサイド・寿司』は、フルーツの移動販売をしながら娘を育てていたシングルマザーのメキシコ系女性が、皿洗いとして職……
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- 評論
白人の街、黒人の街
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦を生き延びて奄美の喜界島に帰還。1950年、再び沖縄に渡り、コザの歓……
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ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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「考える人」から生まれた本
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