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チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史

前回まで)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店「チャーリー多幸寿」の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1956年創業のレストランをタコス専門店にして、時代の荒波を乗り越えてきた。

 「タコスの話をしようか!」
 波乱万丈な人生を聞くうち、話がお店に向かうと、勝田さんはいつも嬉しそうな笑顔になる。美味しいものを作って成功した誇らしさが溢れるようだ。

(筆者撮影)

 タコスを食べたことがある読者はどれくらいいるだろう。内地ではあまり馴染みがないかもしれない。沖縄、特に本島中部では、いたるところにタコスの店がある。カフェ風の店もあれば、屋台もある。メニューにタコスを出すレストランも合わせれば、さらに増える。飲食店の口コミサイト「食べログ」でタコスを食べ歩く人の投稿シリーズを見つけて眺めると、挙がっていない店を即座にいくつか思い浮かべられた。ということは、おそらく50店は下らない。
 このタコスに特化した店を最初に作ったのが、勝田さんだった。
 沖縄のタコスは、関西で例えれば「たこ焼き」のポジションだが、自宅では作れない。買って食べるものだ。店ごとに特徴があるU字型の皮に、スパイシーな味付けのミンチ肉・チーズ・レタス・トマトなどがのっているのが基本形だ。
 このタコス、勝田さんの店の入口には、「メキシコ生れの沖縄育ち」とあるが、実に「沖縄タコス」とでも呼ぶべき独自の進化をしている。

(筆者撮影)

 メキシコ料理としての起源は古い。トウモロコシの粉でできた生地を薄く円形に伸ばして焼いた皮(トルティーヤ)に、煮込んだインゲン豆をのせて唐辛子のソースをかけた料理が始まりとされる。
 メキシコで「タコス」は特定の食べ物ではなく、「一口で食べられる軽食」を意味する。「おにぎり」や「寿司」みたいなものだろうか。トルティーヤが米飯やパンのような主食にあたり、具材は多様で数百もの選択肢がある。つまり、「タコス」の種類は限りなく多い。

コザのメキシコ料理店「ドスマノス」のタコス3種。メキシコ人をして「おばあちゃんの味」と言わしめる味だとか。筆者撮影

 やがて、メキシコに隣接したテキサスなどアメリカ南部で、「テックス・メックス(Tex-Mex)料理」というアメリカ風メキシコ料理が生まれた。メキシコのタコスは焼いただけの柔らかい皮だが、アメリカ式タコスはさらに揚げてU字形に成形した皮(タコシェル)を使う。
 米軍とともに、タコスは沖縄に来た。最初は基地の中のレストランのメニューだったのだろう。だから、沖縄タコスはアメリカ式である。

米軍の保養地「嘉手納マリーナ」内の「シーサイドリストランテ」で出てくる魚フライの入ったタコス。筆者撮影

 勝田さんに「タコスというものを初めて食べたのは、いつでしたか?」と尋ねてみたら、「昭和27年頃だったね」とはっきり覚えていて即答された。M氏のレストランで働いて間もない頃である。
 「これは良い」と思ったそうだ。トウモロコシ粉の皮に、肉も野菜ものっている。「バランスが良くて健康的だ」。回想を傍で聞いていた娘さんが、「昔から健康とかそういうのが大好きなんですよ」と笑った。
 ただ、アメリカ式のバリバリ硬い皮が食べにくいと感じた。食べやすく美味しくなるよう、数年かけて配合や焼き方を工夫した。トウモロコシ粉でぱりっとした硬さを出し、小麦粉でもっちりした食感を出す。その混ぜ方が職人技で、勝田さんは2011年に足を骨折するまで、毎朝、自分で生地を配合したそうだ。
 「タコス専門店」を始めたのはわりと新しく、1970年のこと。歓楽街としては廃れてしまった八重島のレストランを閉めてゲート通り近くに小さな店を借りた時、タコスの専門店にしたのだ。もともとタコスには自信があった。レストラン時代の客によく「お前のタコスはナンバーワンだ」と褒められた。だから、タコス専門店の看板には「CHARLIE’S PLACE」「NO.1 TACOS」と入れた。
 その年の暮れにコザ暴動があったが、影響はさほどなかったようだ。店は順調に繁盛した。ベトナム戦争への出撃を待つ兵士や帰休兵でゲート通りやセンター通りのあたりが賑わっていた頃だ。
 当時、客の8割が外国人だった。タコスは4個で1ドル。ドルを持つ人々にとって、気軽に買える価格だ。軍人だけでなく家族連れやハイスクールの生徒も得意客だったし、嘉手納だけでなく金武(きん)や瑞慶覧(ずけらん)など、よその基地の街からも食べに来た。
 安くて、若いといくらでも食べられそうだ。米兵は何個くらい食べたのだろう。「あの頃、だいたい2人前8個か3人前12個くらいは平気で食べましたね。ペイデイ(給料日)なんかに20歳くらいの若い子だと、20個くらい食べてましたよ。というのは、4、5名のグループで、『みんなで金出すから、何個まで食べられるか』ということをやるんですよ」
 ちなみに、今は1個250円、3個以上だと1個230円になる。金額的にもカロリー的にも、そんな大量に食べるわけにいかない。私はいつも「まだ食べられる」と未練を残しつつ3個で我慢する。なんとも羨ましい話だ。
 1972年に本土復帰してドルが下がっていくと、コザの業者は選択を迫られた。

その頃、バーを辞める人と続ける人とに分かれてね。バーや女性の関係は、外人が金使えばいいけど、そうでなかったらお手上げですよね。金がある人は、店を改造して残った。でも、我々はレストラン、食べ物だからあまり関係ないです。私はタコスをやり始めてから外人がどんどん来たもんだから自信がついて、それでもう少し頑張るということにして。

 日本人観光客や地元客を呼びこむことにも成功し、勝田さんのタコス専門店は繁盛した。それを見て、次々と真似する人も現れた。レシピを教えてほしいと頼まれれば、勝田さんはどんどん教えたそうだ。
 「それって、すごいですねぇ」と感嘆すると、現社長の祥徳(よしのり)氏は「でも、工程でぜんぜん違ってきますから。レシピだけではまったく同じにはならない、と父は分かっていたんでしょう」と余裕の笑みを浮かべた。確かに、今や有名店になった店もあるが、どこも少しずつ味や食感が違う。
 70年代は日本にファストフードのチェーン店が次々とできた時期でもある。マクドナルドの日本1号店は1971年で、沖縄には1976年に出店。同じ年にはピザのシェイキーズも沖縄上陸した。だが沖縄には、それよりずっと早い復帰前の1963年、アメリカで初めてフランチャイズ・チェーンを始めたA&Wが進出している。ドライブスルーの大型店舗でハンバーガーを販売しており、すでにファストフードという食文化があった。
 当時の沖縄のレストランは何でもメニューに盛り込んでいたから、この時期に専門店化してタコスを選んだ勝田さんの判断は的確だったわけだ。「後からタコスの店が、本土からもアメリカからも来ましたよ。ピザハットやら何やらが出したんですが、我々のほうには勝てないといって、やめて引き揚げていったことがありますね」。勝田さんは控えめに自慢した。
 だから、もしかすると勝田さんのタコス専門店にとって最大のライバルは、同業者でもファストフード・チェーン店でもなく、タコライスという新しい創作料理だったのかもしれない。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

宮武実知子

みやたけみちこ 主婦・文筆業。1972年京都市生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得退学(社会学)。日本学術振興会特別研究員(国際日本文化研究センター)などを経て、2008年沖縄移住。訳書にG・L・モッセ『英霊』などがある。「考える人」2015年夏号「ごはんが大事」特集に、本連載のベースとなった「戦後日本の縮図 タコライス」を寄稿。

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