「沖縄」一覧
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沖縄で出会ったジュウシマツの"祖先"
俺は小鳥の歌を研究しているので、いわゆるバードワッチャー(鳥見人)かと思われていることがある。この連載を読んでくれている方には、俺がどちらかと言うとオタク系イ……
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西表島 その2
おかしなたび
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西表島 その1
おかしなたび
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花が咲いている方がいいね
国道を絶えず、巨大なダンプカーが行きかっていた。海からは金属や岩がぶつかるような音が陸地まで響く。「まるで外国の海みたいね。このフロートとか、おっきな船の群れ……
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ご飯が大事
在沖米軍と一口に言っても、部隊によって街の雰囲気は違い、食べる量も違うそうだ。コザは嘉手納基地の門前町だから空軍(エアフォース)が多く、家族で住んでいる地上勤……
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沖縄タコスの戦後史
(前回まで)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店「チャーリー多幸寿」の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1956年創業のレストランをタコス専門……
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変わりゆく街、変わらないもの
(前回まで)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1956年からずっとコザでレストランを営んできた。 出来る……
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コザが燃えた夜―1970年、コザ暴動
(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。1950年からコザの八重島……
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白人の街、黒人の街
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦を生き延びて奄美の喜界島に帰還。1950年、再び沖縄に渡り、コザの歓……
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Aサインの日々 2
※前回はこちら 八重島の景気が後退しつつあったとはいえ、勝田さんのスーパーレストランはなかなか繁盛したようだ。「アメリカさんは、良いと思ったら加勢をしてくれます……
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Aサインの日々 1
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。戦後、同じアメリカ統治下だった奄美からコザへ出たが、1953年、思いがけず……
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オフリミッツを乗り越える
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦を生き延びて奄美の喜界島に帰ることができたが、1950年、再び沖縄へ……
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沖縄の奄美人
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。奄美群島の喜界島に復員できたが、1950年、再び……
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八重島のレストラン
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦を生き延びて故郷の喜界島へ帰還したが、1950年、再び沖縄へやってき……
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基地の街コザ
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。捕虜収容所を経て1946年に故郷の喜界島へ引き揚……
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再び沖縄へ
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1945年9月に投降し、屋嘉と牧港の捕虜収容所を……
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アメリカの豊かさ、そして帰郷
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1945年9月、ようやく終戦を悟って投降し、屋嘉……
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捕虜収容所での出会い
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。部隊解散後も南部に潜伏していたが、1945年9月……
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終戦と投降
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1945年6月で日本軍の組織的戦闘が終わっていた……
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南部をさまよう
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。開戦直後に右腕を負傷して前線を離れ、6月半ば……
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首里退却
(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。開戦まもなく肩を負傷したおかげで生き延びたと……
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負傷
(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。「幸運」にも生き残れた理由は、砲兵ではなく……
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砲兵隊の通信兵
(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。昭和20年4月1日、野戦重……
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米軍上陸と特攻隊
(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。昭和19年の秋、20歳の勝……
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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