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チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史

前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。開戦まもなく肩を負傷したおかげで生き延びたという。

 ある宗教者のところに、こんな依頼が来た。
 「夫の具合が悪い。夜中、眠っていて意識がないのに起き上がり、裸足のまま出て行く。住まいは那覇の公務員宿舎で、行き先は摩文仁。睡眠薬を飲んでも効かないし、本人には記憶もない、助けてほしい」
 私は沖縄に来るまで、オカルトじみた話が嫌いだった。検証不可能な現象をもっともらしく語るのは馬鹿げていると思っていた。けれども、沖縄には「そういう話」があまりに多く、内地とは違った近さと手触りがある。それに、神主の妻となった今、「検証不可能なことは信じない」などとは言えない。そういうこともあるかもしれない、と受け容れるようになった。
 「夜中に摩文仁へと歩く」とは、首里戦線からの退却なのだろうか。
 依頼者の夫は旧軍の関連団体に勤める。首里退却の痛ましさを知っていたのか、はたまた日本兵の霊が憑いたのかは置く。いずれにせよ、「行進するぼろぼろの日本兵」の怪談や噂話は、沖縄のあちこちに数多く伝えられている。そして、史実は幽霊よりも哀しい。
 71年前の雨の夜、将兵が各戦線から喜屋武(きゃん)半島まで死屍累々の悪路を急いだ。米軍に悟られないよう残留して戦闘継続する部隊を残し、部隊ごとに定められた日時を厳守して出発。夜間も続く激しい砲撃の中、「夜が明けるまでに到着せねば」と念じながら多くの兵が倒れた。退却時に5万人と見積もられた将兵のうち、摩文仁周辺へ到着できたのは3万人と言われる。

猛攻を受けた首里城周辺の航空写真。砲弾の痕に雨水がたまって水玉模様に見える。沖縄県公文書館提供

 首里退却の基準日は5月29日。数日前から負傷者と物資の輸送が始まった。
 勝田さんの中隊は、5月27日、首里の久場川にある陣地を出ることになった。その時、陣地には大砲が1門だけ残っていた。15センチ榴弾砲は当時の陸軍の主力兵器で、4トン牽引車がないと運べない。
 中隊長・浜田清盛大尉は部下たちに、「我々はこの大砲を処分してから退却する。君たちは先に行け」と命じた。そして、浜田大尉、副官の少尉、タカダ中尉、ヤマザキ曹長の上官4人が残ることに決まった。
 勝田さんたちは、ムクモトさんという先輩に率いられて、大雨の中を出発した。ムクモトさんは滋賀県出身で5期ほど上、満州から沖縄に来た古参兵で、勝田さんたち奄美の初年兵たちが入隊した時の教育係だった。やはり通信だったため生き残っており、上官に代わって引率する役割を担った。
 ときおり米軍の照明弾が上がる中、ぬかるみを歩いて、なんとか夜が明けるまでに八重瀬(やえせ)に辿りついた。「道も歩けないほど死人でいっぱいだったんです」と勝田さんが短く言ったことがある。

米軍が打ち上げる照明弾で真昼のように明るくなる戦場。沖縄県公文書館提供

 だが、中隊長ら4人はとうとう追いついて来なかった。
 5人1組で操作する陸軍最大の榴弾砲である。4人でどう処分するつもりだったのだろう。そう疑問に思っていたら、同じ型の大砲を3人で処分するよう上官に命じられた人の手記を見つけた。

 俺は穴を掘る。そして、砲の主な部分を穴に埋める。
 辻上等兵は、砲身の中に手榴弾を入れて爆発させて、キズをたくさん作る。そして閉鎖機をはずし、照準機もはずして穴の中へ入れ、土をかぶせた。それですべて終わりだ。分隊長に報告する。
 一緒に戦った砲よ、さらば。
(山梨清二郎『沖縄戦 野戦重砲第一連隊 兵士の記録』光陽出版社)

 部下を先に逃がした中隊長らはどうなったのか。後に勝田さんは、班長だった古参兵のタジさんと捕虜収容所で再会した。あの4人の消息を尋ねると、壕もろとも自爆したらしいと聞かされた。浜田大尉について、さる公式記録には「首里で戦死」とだけ記されている。
 

 八重瀬に着いて、向こうでまた本当に戦争しているかいないか全くわからない、大砲も何もない、そういうところだったんですね。どんどん日本軍があっちへ行ったもんだから、我々は島尻に行っても壕はないんです。壕を作る暇もないし、掘るアレもないし。で、結局、焼け残った木の間とかに隠れておったんですよね。

 戦後に残務整理部が作成した「首里撤退掩護(えんご)間の野重23連隊戦斗経過」という図を見ると、勝田さんのいた第1大隊のうち、第1、4、5、6中隊は首里や津嘉山から退却した後も部隊単位で戦闘を続けている。勝田さんの第2中隊は、中隊長・小隊長らを失うことで指揮系統も任務も失った。
 上官の行動は、人としては立派だったかもしれない。しかし残された兵士たちは途方に暮れたのだろう。「歴戦の勇士」と呼ばれた満州組の先輩たちですら24、5歳、初年兵だと20歳前後の青年たちである。退却から2週間ほどした6月13日、斬り込みの決行が決まった。
 斬り込みとは、敵陣地への捨て身の攻撃である。特に夜間、陣地奪還や奇襲のために行われた。「斬り込み」とはいえ刀は月光を反射するから、小銃や手榴弾を持つ。沖縄戦末期には武器も持たぬまま斬り込む場合もあった。
 米軍は、この捨て身の突進を「バンザイ攻撃」と呼んで恐怖した。頻繁に合言葉を変更し、怪しいと思えば即座に発砲することが許可されていた。ちなみに、ユージン・B・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』(講談社学術文庫)によれば、合言葉には日本人が苦手とされる発音「L」が必ず用いられたという。意外なことに、「R」ではなく「L」だそうだ。

 元気な人は歩兵の鉄砲を、…歩兵はどんどん倒れていくからね、歩兵の鉄砲をもって敵に向かっていくんです。あんなことしなくても良かったのになぁ、と私は今、思うんですよ。元気な人はみんな、それで帰ってこなかったんです。

筆者撮影

 今年6月、発見されて間もない壕に入る機会があった。西原町の陣地壕をほぼ一人で探しては発掘している人に案内してもらったのである。
 ところどころ崩落した壕の壁にはつるはしで掘った痕が今も残り、最期は黄燐弾(おうりんだん)を投げ込まれて焼かれたらしく、奥の部屋の壁をそっと撫でると黒く焦げた砂が手についた。一隅には、ゴム製の靴底が集められていたという。
 軍靴は音がする。その壕にいた兵士たちは斬り込みに出る前の最後の身支度で、軍靴を地下足袋に履きかえて出て行き、帰らなかった。残された軍靴の皮は朽ち、ゴム製の靴底が残った。


 
 勝田さんは利き腕を負傷して、銃を持てないままだった。斬り込みが決まった時に指揮を執っていた上官のミゾカワ兵長から、「君は何もできないから、後方へ下がれ」と命じられた。
 勝田さんはまたしても「おかげで生きた」のである。
 斬り込みへ出るグループと、さらに後方の摩文仁へ向かうグループは、そこで別れた。斬り込んだ人たちがどんな最期だったのか、誰も知らない。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

宮武実知子

みやたけみちこ 主婦・文筆業。1972年京都市生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得退学(社会学)。日本学術振興会特別研究員(国際日本文化研究センター)などを経て、2008年沖縄移住。訳書にG・L・モッセ『英霊』などがある。「考える人」2015年夏号「ごはんが大事」特集に、本連載のベースとなった「戦後日本の縮図 タコライス」を寄稿。

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