シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

「宮武実知子」一覧

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • エッセイ

オフリミッツを乗り越える

(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦を生き延びて奄美の喜界島に帰ることができたが、1950年、再び沖縄へ……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • しごと
  • 世の中のうごき
  • 思い出すこと
  • ルポ

沖縄の奄美人

(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。奄美群島の喜界島に復員できたが、1950年、再び……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 世の中のうごき
  • くらし
  • 思い出すこと
  • 評論

捕虜収容所での出会い

(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。部隊解散後も南部に潜伏していたが、1945年9月……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • 評論

終戦と投降

(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1945年6月で日本軍の組織的戦闘が終わっていた……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • 評論

南部をさまよう

(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。開戦直後に右腕を負傷して前線を離れ、6月半ば……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • 評論

首里退却

(前回までのあらすじ)「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。開戦まもなく肩を負傷したおかげで生き延びたと……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 世の中のうごき
  • くらし
  • 評論

負傷

(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。「幸運」にも生き残れた理由は、砲兵ではなく……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • 評論

砲兵隊の通信兵

(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。昭和20年4月1日、野戦重……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • ルポ

米軍上陸と特攻隊

(前回までのあらすじ)  「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。昭和19年の秋、20歳の勝……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • ルポ

野戦重砲兵第23連隊

(前回までのあらすじ) 「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。沖縄戦の生き残りでもある。1924年、奄美の喜界島に生まれ、20歳で現役入……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • ルポ

喜界島からの出征

 コザの名店「チャーリー多幸寿」の勝田さんは、喜界島の出身である。どんなところか、少し案内させていただきたい。  喜界島は奄美大島から東へ30キロ、今なら飛行機で1……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • くらし
  • 世の中のうごき
  • 思い出すこと
  • ルポ

沖縄から日本が見える?

 「沖縄に行ってこい。沖縄からは日本が見える」  昭和30年頃、日本研究のためウィーンから東京へ来た青年が「日本が見えない」と悩んでいた時、柳田國男が助言したという……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • 思い出すこと
  • たべる
  • 世の中のうごき
  • 評論

私が野良研究者になったわけ

 なぜ私が沖縄で戦争体験の聞き取りをしていたのか。今回は自己紹介から始めたい。沖縄と私との関係を開示するためにも、必要な前置きだと思うからである。  もとは京都……

チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史
  • たべる
  • 世の中のうごき
  • 思い出すこと
  • 評論

チャーリーさんとの出会い

「この時、ここに私がおったんです。たぶんここです」  新聞の切り抜きを大切そうに見せながら、その人は話し始めた。沖縄南部に特有な断崖の洞窟に向けてアメリカの火炎……

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


ランキング

「考える人」から生まれた本

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら