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チャーリーさんのタコスの味――ある沖縄史

前回までのあらすじ
「チャーリー」こと勝田直志さんは、コザの有名なタコス専門店の創業者。奄美の喜界島出身で、沖縄戦の生き残りでもある。昭和20年4月1日、野戦重砲兵第23連隊に所属する20歳の勝田さんは、前田高地から米軍上陸を目撃した。


 私の同年兵ですぐ近くの部落の男が4月の4日にもう戦死したんです。というのは、彼は砲士で大砲を撃つ方ですから…。

 4月1日に沖縄本島の西海岸へ上陸した米軍は、早くも翌日、一部が東海岸に到達、散発的な日本軍の抵抗を退けつつ南北それぞれへ前進した。4日、勝田さんが所属する第1大隊が砲撃を開始。その初日に同郷の青年が戦死したのである。勝田さんは大きなショックを受けた。
 野戦重砲の連隊だから、ほとんどが砲兵だ。勝田さんは衛生兵を希望したが、通信兵に回された。「それが運というものでしょうね」と勝田さんは言う。
 青年学校で手旗信号やモールス信号などを一通り習っていたが、いざ戦場では手旗信号など使えないし、無線は傍受される。主な通信手段は有線の電話だった。だから、通信兵の任務とは保線作業だ。電話が途切れるや、電話線の束とペンチを携行して、2人1組で繋ぎに行くのである。第1連隊の砲兵だった人の手記には、通信兵の様子をこう書いてある。

 「電信兵(ママ)が、『断線しました』と慌ただしく壕を飛び出していく。
敵はいろいろなものを使う。迫撃砲、戦車砲、ロケット弾、野砲、重砲、艦砲、焼夷弾などだ。配った線が吹き飛んでしまうと、電信兵はこれを探して繋ぐのに苦労する。行ったきり帰らない者もいる。我々より大変だなあと思う。とにかく外に出るのは一番やばい。」(山梨清二郎『沖縄戦―野戦重砲第一連隊兵士の記録』2005年、光陽出版社、66頁)

2004年12月に西原町の工事現場で見つかった第1連隊の15センチ榴弾砲。砲兵が5人1組で操作した。(筆者撮影)

 さて、なぜ砲兵隊に「観測所」や「通信」が必要か、少し説明したい。
 大砲を実際に操作する砲兵たちは、何を撃っているのか、当たっているのか、まったく分からない。大砲の「目」は「観測所」である。「発射地点」「目標」「観測所」で三角形を作ってXY座標で表し、観測所から砲兵に電話で指示して攻撃を誘導・修正させる。間接照準射撃という。
 つまり、観測所からの電話線の確保は死活問題だった。頻繁に断線するような弾雨の中へ出て行くため、一般に通信兵の死傷率は高いと言われる。
 勝田さんの野戦重砲兵第23連隊の第1大隊の場合、観測所は前田高地(現在の浦添市)にあった。前田高地は断崖になった高台で、4月上旬に日米が激突した第一線から後方2キロにある。日米双方の軍にとって、首里の主陣地帯と戦闘地域とを一望できる要衝である。
 ちなみに、観測「所」を置くのは第一次大戦のヨーロッパで実用化されたシステムで、第二次大戦の米軍はさらに進んでいる。戦争映画でよく見るように、前進部隊が箱状の無線電話を携行して、砲撃目標をそのつど指示する。あるいは、観測専門の軽飛行機が偵察して、無線と旋回で攻撃地点を教える。
 そのため、米軍は戦線が移動したり不意に日本軍と遭遇したりしても、的確に砲撃できた。一方、観測所が固定されて有線の電話を必要とする日本の砲兵は、沖縄戦の後半、残った弾を有効に撃てなくなったのである。

米軍砲兵隊の観測機が滑走路を飛び立つ。パイロットの顔が見えるほど低空を飛び、日本軍の陣地や火砲を偵察した。(写真提供:沖縄県公文書館)

 野戦重砲隊の攻撃そのものは優れていたようだ。
 緒戦から期待以上の力を発揮して、作戦主任参謀の八原博通が「その野戦重砲弾の集中する所、敵の攻撃は必ず頓挫する」と称賛した(『沖縄決戦』中公文庫、212頁)。アメリカ陸軍省戦史局の公式戦史にも、15センチ榴弾砲は「日本軍最高の大型火器」と説明され、沖縄戦での規模と戦術を評価している。

「敵の抵抗における最も顕著な特徴は、大型火器の強さであった。これまで太平洋で戦ってきた古参兵さえ、かくも多くの日本軍の火砲を見たことはなく、かくも効果的な砲兵運用に出合ったこともない。特に歩兵との連携が巧妙であった。」(Okinawa: The Last Battle, 6th, p. 250。邦訳は宮武)

 なかでも勝田さんのいた野戦重砲兵第23連隊は砲兵力の基幹として活躍した。「4月4日により敵の進出を阻止し敵砲兵の制圧、戦車の破壊に偉功を為し」て「表賞状(ママ)授与せらる」と陸上自衛隊幹部学校が1960年に編んだ『32A主要直轄部隊史実資料』に華々しく記録されている。
 とはいえ、司令部と現場の見え方は違う。勝田さんは言う。

 いや、日本の戦争のやり方と彼らのやり方と、だいぶ違っていますからね。物量的に。…例えば、戦車壕(=敵戦車の落とし穴)を掘るという。45度の傾斜だったら戦車は上り切れんから、45度の傾斜で掘りなさいとか言うんだけど、いざ戦争になると、あんなの当てにならんですよね。ところ構わず爆弾を落として、ブルドーザーで道を作ってくるから話にならん。

 どうにか米軍の戦車を撃破して、観測所で「今日は4台」「今日は5台」と喜んでも、夜のうちに米軍の牽引車が壊れた戦車を撤去してしまう。翌朝、前日の戦果が跡形もなく消え、新たな戦車の大群が現れる。
 そんな物量差だから、日本の砲兵が一発撃つと、何十発、何百発もの弾が返ってきた。日本に制空権はなく、高射砲すら空を向いていない。日本軍が攻撃するとすぐに飛んでくる米軍の観測用飛行機を、日本軍はトンボと呼んで恐れた。観測機に陣地が見つかると、米軍は高い精度で砲撃してきた。
 しかも米軍の砲兵隊は短時間に多量の弾を撃って制圧する方法をとる。勝田さんの第1大隊では、砲兵に配属された者の大半が命を散らせた。

 前田の観測所と首里の連隊本部の間は約4キロ、電話線が3本敷かれていた。1本が切れると別の線に切り替わる。その間に通信兵が断線した箇所を探しに行く。見つけて繋いだかと思うとあちらが切れる。あちらを繋ぐと、こちらが切れる。前田にも首里にも戻る暇がない忙しさだった。そこで、浦添の経塚(きょうづか)に「中間所」という居場所を作り、そこに常駐するようになった。
 通常は死傷率の高い通信兵だが、砲兵隊や前田高地のような攻撃目標のほうが危険だったらしい。「我々の部隊で生き残ったのは通信ばかりですよ」と勝田さんは言う。通信に配属されたことが、ひとつ目の幸運だった。
 もうひとつの「幸運」は負傷。
 4月19日、午前6時、米軍が総攻撃を開始した、まさにその日のその時間、勝田さんは右肩を撃ち抜かれたのである。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

宮武実知子

みやたけみちこ 主婦・文筆業。1972年京都市生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得退学(社会学)。日本学術振興会特別研究員(国際日本文化研究センター)などを経て、2008年沖縄移住。訳書にG・L・モッセ『英霊』などがある。「考える人」2015年夏号「ごはんが大事」特集に、本連載のベースとなった「戦後日本の縮図 タコライス」を寄稿。

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