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おかぽん先生青春記

2020年12月4日 おかぽん先生青春記

沖縄で出会ったジュウシマツの"祖先"

著者: 岡ノ谷一夫

 俺は小鳥の歌を研究しているので、いわゆるバードワッチャー(鳥見人)かと思われていることがある。この連載を読んでくれている方には、俺がどちらかと言うとオタク系インドア派であることはご存じの通りである。つくばの研究所に来るまでは、野鳥でわかるのは、ハトとスズメとカラスだけだった。つくばに来てからは、街で見る鳥には、そのほか、ムクドリ、ヒヨドリ、オナガ、シジュウカラがいることがわかった。俺にしてはたいへんな進歩だ。そんな俺が、ティンバーゲンの4つの質問を強く意識し、ジュウシマツの祖先であるコシジロキンパラを見たいと思うに至る経緯は、前回書いた。そしてコシジロキンパラは沖縄にいることがわかったのである。
 その前段階として、1992年の夏、アリゾナに鳥見に行った。カリフォルニア大学デイビス校に、ジュウシマツの研究を共に進めた学生が進学しており、彼女の野外研究をお手伝いに行ったのである。彼女は、カーディナル(ショウジョウコウカンチョウ)という鳥が、オスもメスも縄張り防衛の歌をうたうことに興味を持ち、雌雄の歌学習がどのような時間経過で起こるのかを調べていた。俺は野外では絶対に役に立たないことを保証していったのだが、結果として彼女の期待以上に役立たずであった。まず車の運転ができない。できるのだが、あぶない。動体視力が悪く、鳥がいても気が付かない。そして、野外調査に必要な勘が全くない。それどころか、1週間ほどの短い滞在であったにも関わらず、靴の中にサソリはいるわ、外で昼寝してたらタランチュラが腹の上をはっているわ、ガラガラヘビを踏み潰すわで、よく生きて帰れたものであった。
 そんな俺なので、野外調査に一人で行くと生命の危機があるばかりか、そもそもジュウシマツの祖先に会うという最大の目標も果たせない危険がある。そこで、当時、研究所でバイトしていた帯広畜産大学出身の学生(以下、オビヒロと言う)に助けを求めた。オビヒロはスズキ・ジムニーに乗っており、つくばの暮らしで車が必要なとき、一飯で手伝ってくれていたのであった。俺は地図が読めず方向音痴で車の運転が出来ず知らない人と話をするのが不得意なろくでなしだが、オビヒロはこれらすべてが得意なのであった。俺はオビヒロを旅費宿泊費食費込みで雇用し沖縄の旅を計画した。オビヒロは沖縄在住の野鳥の会の方に話を付けてくれ、俺たちは沖縄の北部、(おお)()()(そん)喜如嘉(きじょか)に向かったのであった。1993年11月のことである。
 沖縄ではヤギ汁、イカ墨汁がうまかったが、そのような話をしていると終わらない。もちろんソーキそばもうまかった。オビヒロが運転する車に乗り、俺は現地に向かったが、うまそうな店が多く、途中下車の多い旅であった。現地では、写真館を営業しながら野鳥の会でも活躍している方に案内をお願いした。当時、喜如嘉の水田・イグサ田は広大であったので、どこを見れば良いのかを現地の方に教えていただいたのはたいへん助かった。
 到着した翌朝、俺にしては早すぎる朝の6時30分から、俺はこのために新調したニコンのフィールドスコープを設置し、オビヒロと共にコシジロキンパラを探そうと目を凝らした。小鳥の群れがいるではないか。もう見つけたのか、と喜んでいたら、それはコシジロキンパラではなく近縁種のアミハラという小鳥の群れであった。この小鳥は、20羽程度の群れでコメを食べていた。イグサ田に群れでひそみ、時折飛び立って水田に入り、コメをついばんではイグサ田に戻る、ということを繰り返していた。このような群れが4つあり、イグサ田と水田の間を行き来しているのであった。イグサ田はイグサの密度が高く、小鳥たちが隠れるのにちょうど良いのであろう。しかし俺たちが求めているのはコシジロキンパラである。なるほど、「フィールドガイド日本の野鳥」にも、アミハラは沖縄におりコシジロキンパラと混群をつくっているとある。野鳥は他の種とも混群をつくることがある。なぜかと言うと、鳥の群れの機能の1つに、自分自身が捕食される危険を減らすことがあるからだ。群れでいれば、たとえ他種との群れであろうと、自分が食べられる確率は減る。だから、いっしょに群れているからといって特に仲が良いわけではない。辛抱強くアミハラを観察しているうちに、きっとコシジロキンパラに遭遇することもあろう。そう期待しながらお昼時まで観察を続けたが、成果はなかった。
 もちろん俺たちはそのようなこともあろうと踏んで、ジュウシマツの地鳴きのひとつ、ディスタンスコールを録音して持ってきていた。飼育下のジュウシマツは、ディスタンスコールを聞くと、同じくディスタンスコールで返事をする。この鳴き声は、仲間に自分の居場所を伝える機能を持つので、つい返事してしまうのだ。コシジロキンパラはジュウシマツの祖先であり、地鳴きは学習を必要としない声なので、ジュウシマツの地鳴きに反応してしまうのではなかろうか。俺たちは握り飯の昼飯を食べると、フィールドスコープだけではなくスピーカーも設置した。地鳴きを放鳴すること2分、ついにオビヒロがコシジロキンパラを見つけた。野外では(野外でなくとも)どんくさい俺でさえ、コシジロキンパラであることが確認できた。嬉しかった。コシジロキンパラは70-80羽ほどのアミハラ群れ(4つの群れが融合したのであろう)に紛れていたが、ジュウシマツの地鳴きを聞いてつい返事をしてしまい、スピーカーに近づいてきたのである。俺たちは合計3羽のコシジロキンパラを同定し、その地鳴きを録音できた。のちにそれらを分析してみると、ジュウシマツと同様、オス型とメス型の地鳴きが発見できた。翌日も同じように一日中粘ったが、この3羽が、喜如嘉で同定できたコシジロキンパラのすべてであった。
 この旅でわかったことは大きく2つある。1つは、沖縄のコシジロキンパラは絶滅の危機にあること。もともと在来種ではなく台湾から風に飛ばされて一部が沖縄に定着したという説もあったので、沖縄からいなくなることは十分考えられる。だから絶滅の危機というのは大げさなのだが、ジュウシマツの祖先が日本からいなくなると思うと寂しい。もう1つは、コシジロキンパラの地鳴きがジュウシマツと区別がつかないことから、これらが同一種である可能性がより強まったということである。これまでジュウシマツの祖先はコシジロキンパラと断定していたが、1993年の段階では何の根拠もなかった。俺たちが録音した3羽の鳴き声は、コシジロキンパラをジュウシマツの祖先として位置付ける行動学的な材料となったのである。
 実はこの数年後、俺はまた沖縄にコシジロキンパラを調べに行った。この時は、石垣島でカンムリワシの調査をしていた琉球大学の院生にお供をお願いした。喜如嘉の水田やイグサ田は、前回の半分以下に減ってしまっているように見えた。俺たちは2日間観察を続け、ジュウシマツの地鳴きを放鳴してみたが、コシジロキンパラから返事はなかった。アミハラさえ、あまり見かけることが出来なかった。日本にはもうコシジロキンパラは住んでいないようだ。寂しいが、仕方がない。その後千葉大学に就職した俺は、台湾のコシジロキンパラの鳴き声やさえずり、遺伝的変異等々を調べる研究を始めたが、そのころは自分自身で野外調査をする余裕はなく、もっぱら学生さんに台湾に行ってもらっていた。
 ティンバーゲンの4つの質問を追うという俺の研究スタイルは、あの時沖縄で目にしたコシジロキンパラたちに支えられている。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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