シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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おかぽん先生青春記

 1989年春、6年近いアメリカ留学から帰国してすぐ、俺はバスタオル事件を明白なきっかけに失恋するという事態に陥った。と考えていたのは俺だけで、武蔵小金井に住んでいたその人から見れば、俺の一人相撲だったかも知れぬ。ままよ、一人相撲は昔から得意なのだ。恋愛が成立するのは互いの一人相撲が偶然一致した時だけさ。
 そのようにうそぶきながらも、俺は上智大学生命科学研究所の研究員として、研究を進めていた。ここは、研究所なので大学院のみであり、神経行動学という新しい研究分野のために集まってきた若者達が終電まで研究や雑談や食事を続ける場所であった。もっとも、研究室に現れるのは、俺を含め大多数の者が昼過ぎだったので、終電までいるからといって同情する必要はない。
 読書といっても、論文を読んでいる者ももちろんいたが、当時大ブレイクしていた吉田戦車の「伝染るんです。」(週刊ビッグコミックスピリッツ連載)や、連載は終わっていたが単行本が爆売れしていた相原コージの「コージ苑」などが必読書であり、俺はそうした日本的なギャグに素早く適応していった。食事といっても、大学の裏にあった中華料理屋「晴華」が主な行き先で、俺はほとんどチャーハンばかり食べていた。だいたい夜8時くらいになると「腹減った」という声が増えてきて、定足数に達するとなんとなくぞろぞろと出かけて行くのであった。俺が上智大学にもっていたイメージとは全然違う暮らしだったが、俺にはたいへん居心地が良かった。
 研究所には、よその大学から卒論の指導を受けに来ている学生もいた。俺が研究所に通い始めたころには、すでに日本女子大から1名、そのような学生がいた。日本女子大で卒論をやっているということは、女性であった。俺は失恋というか一人相撲にこけたばかりだったので、研究以外のことはどうでもよく、常に無責任な親父ギャグを飛ばしながら、実験プログラムを書いたり、小鳥の世話をしたり、ビッグコミックスピリッツを読んだり、チャーハンを食べたりしていたのであった。その年、北京では天安門事件が起きており、運悪く日本に研究に来ていた上海大学の教授は毎日研究室でテレビのニュースを見ていた。
 その卒論学生は、他の学生共が黙殺している俺の親父ギャグにいちいち反応してしまい、あるときには運悪く牛乳を飲んでいるときに俺が親父ギャグをかましたものだから、いわゆる「鼻から牛乳」状態になったこともあった。そのときの俺の親父ギャグがなんだったか、残念ながら覚えていない。彼女は夜のチャーハンにも付き合ってくれるようになり、研究の話もしたが、その他どうでもよい話もよくするようになっていった。
 彼女は大学3年の夏休みに、アルバイトして貯めたお金で、ひとりでガラパゴス諸島に行ってきていた。ものすごい行動力だ。俺にはない力だ。彼女は、大学卒業後は青年海外協力隊に参加することを計画していた。そう簡単に合格しないらしいが、合格するとどこか日本の支援を必要とする国に行って、2年間はたらいてくるそうだ。「支援を必要とする国で働く」という夢を語る人間は、俺にとって初めて会うタイプだ。俺はそもそも自分の一人相撲で精一杯だったが、この人間に少しずつ興味を持ってきたのは仕方のないことであろう。
 世の中は天安門事件で持ちきりであったが、俺はそのころひっそりと30歳の誕生日を迎えた。不景気な顔で研究室に向かうと、俺の机の上に何やら袋がある。ガラパゴスの動物たちの絵はがき集であった。最後のページにはちゃんとその卒論生から手紙があった。要するに俺が変な奴なのが気に入ったらしい。よかろう、私も君を気に入った。これから彼女のことをガラ子と呼ぶ。
 そういうわけで、失恋の痛手を引きずりながら、また新たな恋の予感に浸る俺であった。しかしながら俺は気をつけねばならぬ。なぜなら、ガラ子は卒業すると青年海外協力隊の研修施設に入り、来年の今頃にはどこぞの国に行って土木工事をしている可能性が高いのである。やれやれ、また遠距離恋愛ではないか。しかも、どこぞの国にいったん行ったからには、2年間は帰国が許されないそうである。今はどういう規則か知らないが、当時はなかなか厳しかったのである。
 そうであれば、会いに行くのは俺からになろう。どこぞの国がどこの国になるのか知らんが、たぶんとてもお金がかかる。どこぞの国には果たして電話線は通じているのだろうか。通じていたにしても、きっと米国と日本以上に、電話するにはお金がかかるであろう。いやいや、お金が問題なのではなく、気持ちが問題なのである。いやいや気持ちだけが問題なのではなく、体も問題なのである。何しろ俺も、育ち盛りの30歳、2年の禁欲は厳しいであろう。
 などと言うことは、もちろんもっと先になってからの想いである。知り合ってばかりのころ、そして二人で会うようになってからのころには、そのような将来よりも、当面、俺たちが共通に好きな動物の話やガラパゴスの話や研究の話をするのがただ楽しかったのである。これでいいのだ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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