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おかぽん先生青春記

 と、光陰矢の如し、バヌアツ滞在は過ぎてゆき、僕は日本に戻り、ガラ子はバヌアツでの日常生活に戻っていった。僕はつくば市にある農林水産関係の研究所で鳥による農作物被害を軽減するためのシステムを作るという名のもと、実はほとんどの時間を小鳥の脳と発声の関連についての研究をしていた。それでも本業のほうもそれなりにやり、ムクドリの悲鳴をいくつか録音しておき、それらにある程度の音響的ゆらぎを与えながら再生し、ムクドリを追い払う装置を作ったりしていた。
 この装置は実に効果があった。ムクドリが超弩級に巨大な数万羽からなるねぐらを作ることで知られていたつくば市のとある公園で、この装置(KZ-1)をためしてみた。KZ-1のスイッチを入れると、「ギョエー、グウエー、ギュワー」などの声が出てくる。ほどなくムクドリはみんなちりぢりに逃げてゆき、その結果、公園からムクドリを追い払えた。ところが、行き場のないムクドリたちが個人の住宅の木々にねぐらを作るようになり、近隣住民にはむしろ迷惑になってしまった。つくば市のみなさま、申し訳ない。
 僕はこうして日々を過ごしていたわけだが、大学の後輩で小鳥を使った研究をしたいという娘さんがおり、僕としてはその方の相談に乗ることにした。研究の相談をするとはいえ、相談できる場所もないので、その時代としては喫茶店に行くわけである。そうすると、研究の話ばかりなのもなんなので、そのとき読んでいる本の話などもしてしまうのである。これは青年期(僕もまだ33歳で彼女は20歳だった)の男女としては仕方ないことだ。
 かくの如き逢瀬が何度かあった後、僕は人生最大の勇気を出し、次は研究の話なしに逢うことにしよう、と彼女を誘った。そして僕たちはそのように逢った。そういうときには、その時代(1992年)には映画に行くわけである。そこで僕たちは映画館のそばの喫茶店で待ち合わせた。僕が先に着き、そのころ出版されたばかりのある文庫本を読んでいた。彼女はじきに来た。彼女は「その本、私も読んでます」と言い、同じ本を差し出したのだ。僕たちは、いや、少なくとも僕は、心がぐらぐらした。悲しいかな、その本が何だったか、今となっては思い出せない。赤を基調とした表紙であったが、もちろん毛沢東語録ではない。「禁」の一文字だけ覚えている。たぶん、人倫にもとることが書かれた本だったのであろう。
 今思えば、その時代に出版された文庫本で、読書好きの若者が読みそうなものはかなり限定されるであろう。例えば、司馬遼太郎とか遠藤周作とか赤川次郎とかではないだろう。だから、僕たちが偶然同じ本を持っているという事象が起こる確率は、意外に高かったはずだ。しかしそのときの僕たちは、いや、少なくとも僕にとっては運命なのであった。そして彼女は「映画は今日はいいから、お話ししましょう」と言ってくれる。僕たちはお互いが読んできた本について、もっともっと話した。その多くを、お互いが読んでいた。話疲れた僕たちは夜の街を散歩する。小雨が降っている。彼女はお腹が空いたという。僕もお腹が空いている。通りすがりにパン屋があり、店頭で肉まん・あんまんを売っている。僕は「肉まん食おうか」と彼女を誘う。僕たちは店の(ひさし)で雨を避けながら、道ばたに立って肉まんを食べる。例えばこのとき僕が彼女をイタリア料理とかフランス料理とかに誘っていたら、僕たちは先輩と後輩で終わっていたのだろう。なんとなくそんな気がする。
 小泉今日子がうたう「優しい雨」が売り出されたのは1993年であった。この出来事は1992年であり、僕はまだ「優しい雨」を知らない。でも僕には、この肉まんの光景と小泉今日子の「優しい雨」が不可分である。曰く「こんなに普通の毎日の中で、出会ってしまった二人」、曰く「運命だなんて口にするのなら抱きしめて連れ去ってよ」。全くもって勇気がなく、また、ガラ子のことを決して忘れたわけではない僕は、運命だなんて口にすることはできなかった。
 よく考えてみると、僕がこの歌を知っているのは、彼女が小泉今日子の歌が好きだと言ったからなんだろうと思う。そして、その中で特に何が好きなのかと聞くと、彼女は「優しい雨」と答えたのだろう。しかしこの会話は、ずっと後、僕たちの間柄が非常に複雑に難しくなってから起きた会話であり、僕たちの肉まんの日を優しい雨と結びつけて思い出すようになったのは、僕がほんとうに「優しい雨」を好きになってからであった。この娘さんのことは今日子さんと呼ぶことにしよう。
 時間はまた戻る。バヌアツにいるガラ子に会いに行く時が迫っていた。今度はガラ子と僕は、バヌアツではなくオーストラリアで会うことになった。僕たちは動物好きなので、カンガルー島に行っていろいろな動物を見ることにしていた(あそこにいたコアラたちの多くが山火事で死んでしまったことを知り、たいへん心が痛んでいる)。旅に出る以上、しばらく今日子さんには会えないので、事情を話しおみやげは何が欲しいか尋ねた。あれは東京駅の喫茶店だったはずだ。なぜなら僕はつくばに住んでおり、つくばエクスプレスもない時代だったので、僕はもっぱら高速バスで東京八重洲口に来ていたのだから。
 オーストラリアのみやげと言えば、カンガルーの陰嚢でできた小銭入れという定番があるのだが、さすがにそれはまずいだろう。だから、単刀直入に「何がいい?」と聞いてしまったのだ。彼女は答えた。「あなたが私に見せたいと思う景色を、一枚だけ写真に撮ってきて」。当時、デジカメはなく、フィルムカメラだった。僕は荒木経惟のマネをして、ビッグミニを持っていた。よし、このカメラで僕が君に見せたいと思う景色を、一枚だけ写真に撮ってきてあげよう。
 その言葉はとても強い呪縛になった。僕の目は今日子さんの目になった。僕の目は彼女が喜んでくれるかな、という視点ですべての景色を見ていた。いや、それは言い過ぎだ。ここはオーストラリアだ。そこにはガラ子がいた。ガラ子との記念写真ももちろん撮った。ガラ子がコアラを抱いている写真も、もちろん撮った。しかし人物のいない景色を撮ろうとすると、僕の目は今日子さんの目になってしまった。今日子さんのためにシャッターを切るのは一度だけのはずだった。だが僕は一日に何度も今日子さんのためにシャッターを切っていたのであった。
 突然現代に戻るが、コロナウイルス禍により密室に高密度で集まり大声を出しながら飲食することが、この上なく危険なこととなった。それってカラオケだよね。実は僕、来週、友だちとカラオケ行こうと思っていたんだよね。カラオケ行ったら絶対「優しい雨」歌うんだと思ってんだ。でもさすがに今回は止めておこうということになった。僕がカラオケを自粛するんだから、これは非常事態だ。コロナウイルス早期終息を願う。
 小泉今日子の詩はすばらしい。そしてその詩が載る鈴木祥子の曲もすばらしい。曰く「こんなに普通の毎日の中で、出会ってしまった二人」、曰く「運命だなんて口にするのなら抱きしめて連れ去ってよ」。そして「はじまってしまったから…」。このあたりで絶対泣くはずだった。いや、泣きたかった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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