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おかぽん先生青春記

 このように、俺とガラ子はガラ子の赴任先のバヌアツで、いろいろな意味で刺激的な体験を重ねていた。その中でも極めつけを紹介しよう。
 バヌアツの島の1つ、タンナ島に行ったときのことだ。タンナ島のまわりにはジュゴンという海獣の夫婦が住んでいたらしいが、俺たちがタンナ島を訪れる少し前に、島民たちがこのジュゴン夫婦の旦那のほうを食べてしまったらしい。そのことの是非はここでは議論しない。旦那を失ったメスのジュゴンは、寂しくて寂しくて、人間が海で泳いでいると近づいてくるということだ。それは素晴らしい。ジュゴンと一緒に泳ぐなんて、動物心理学者としては願ってもないことである。しかし俺は運動全般にそうだが、泳ぎもあまり得意ではない。しかしそれでも、ぷかぷか浮いてジュゴンと戯れるくらいのことはできるだろう。
 そう考えた俺は、島の子供らに駄賃をあげて、ジュゴンを呼んでくれるように頼んだ。子供らは交代で崖の上から海に飛び込み、ジュゴンを呼ぼうとしてくれた。ジュゴンとて毎回来てくれる訳ではなく、運次第だと島民は言うが、俺たちの場合は日頃の行いが良いので、当然のごとくジュゴンさんは来てくれた。俺は崖から飛び込む勇気はなかったので、のろのろと崖を伝って海に入っていった。ガラ子は運動も万能なので、かっこよく飛び込んで行った。
 ジュゴンさんは俺たちと付かず離れず泳いでいてくれた。大きな動物にはなんだかわからないが癒し力がある。俺はすっかり気持ちよくなってジュゴンのほうに寄り添っていった。するとジュゴンさんは俺に抱きついてきた。俺の体型は今でこそジュゴン的であるが、その当時はもう少しスリムであったはず。ジュゴンさんがどう抱きつくかと言うと、前足と言うか前ひれというか、あれを使っておれをお腹に引き寄せたのである。そして、海深く潜っていった。ジュゴンさんは日常がそうだから良いだろうが、俺にとっては海深く潜ること自体初めてだ。息が苦しい。そしてジュゴンさんの毛は剛毛で、鉄のブラシのように俺のからだに食い込んでくる。逃げようともがけばもがくほど、ジュゴンさんは俺に抱きついてくる。
 俺はもはや癒しを感じる余裕はなくなり、一刻も早くジュゴンさんから離れなければと焦った。しかし、ジュゴンさんはでかい。力がある。俺はジュゴンさんの顔を見て、離してくれと懇願した。ジュゴンさんはぎょろりと俺を見ると、俺を離してくれた。いったん離れたはよいが、今度はジュゴンさんは俺を鼻先で突き上げて一緒にジャンプした。俺は半分くらい死を覚悟した。動物心理学者としては、このような死に方もやむをえまいと諦め始めたころ、ジュゴンさんは俺に飽きたのか、ガラ子に向かって行った。俺は這々(ほうほう)(てい)でジュゴンさんから逃げ、崖を伝い登り、なんとか死を免れた。陸に上がると、俺の水着には至るところ穴が空いており、俺のからだは至るところ擦り剥けて出血していた。
 しかしこれはどう見ても、俺がガラ子を犠牲にしてジュゴンさんから逃げたように見える。いや、そうとしか見えない。これは世間体が悪い。ガラ子も俺と同じようにジュゴンさんに突き上げられて空中に浮いたり、抱きつかれて沈んだりしている。ああ、痛いだろうなあ、怖いだろうなあ、俺はそのくらいの共感はできたが、我が身可愛さがどうにもならぬ。俺のからだは動かなかった。するとガラ子と同期で青年海外協力隊から派遣されてきた青年が、「ガラ子!」と叫んで海に飛び込んだ。青年は上手な抜き手でジュゴンさんに近づき、ジュゴンさんの鼻で飛ばされたガラ子を受け止め、ジュゴンさんよりも素早くガラ子を連れて崖を登った。
 俺は青年に礼を言い、俺とガラ子は再会を祝した。ジュゴンさんに「かわいがり」を受けた経験は、俺たちの宝になった。しかし同時に、ガラ子を助けず逃げ帰った俺は、そのことを後ろめたく思わないはずはなかった。ガラ子にはこの青年のような、健康で命も顧みず他人を救えるような男が似合うだろう。俺は卑怯だと思いながらも、まずは自分が助かることを選んでしまった。俺はガラ子にこのことを詫びた。しかしガラ子も俺の運動音痴はよく分かっており、二人とも生きて還ったことが大事なのだから、もう気にしなくてよい、それよりもタンナ島の島民の踊りを見に行こう、と慰めてくれた。
 俺はジュゴンさんには恨みはない。ジュゴンさんが一時でも楽しく泳いでくれたのであればそれでよい。ジュゴンさんが配偶者を失い寂しがっているところに泳ぎに行った俺たちが悪い。しかし諸君、ジュゴンを甘く見るなと言いたい。もし海で泳いでいてジュゴンに遭ったら、泳ぎに自信がない限り、一緒に泳ごうなどと思わず、できるだけ距離を取ったほうがよい。
 その後、時は流れ、ガラ子の彼氏となったのはこの青年ではない。やはり同時期に米国から同様な機関から派遣されていた男である。だから、このジュゴンさん案件が俺たちの関係に直接の終止符を打った訳ではない。実際、この訪問から8ヶ月後、俺は再びガラ子を訪ねて、今度は二人でオーストラリアのカンガルー島を旅した。しかし、その時の再会では、すでにガラ子の心は俺から離れつつあり、そして俺の心もガラ子から離れつつあるのであった。

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「考える人」から生まれた本

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

東京大学大学院教授。1959年生まれ。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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