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おかぽん先生青春記

2019年6月17日 おかぽん先生青春記

そして俺の指導教員、ボブ・ドゥーリング 2

著者: 岡ノ谷一夫

 さて、ボブのスケベ話を続けよう。ボブは年に1度、集中講義のためデンマークの大学に行っていた。以下は、ある日デンマークの同僚(ラーセン〔男性〕)とボブが夜中に急に試みた実験である。
 ボブとラーセンは、鳥の鳴管の物理モデルを作って、鳥がさえずるメカニズムを解明しようとしていた。鳴管は肺の上の気管支のところについている筋肉と膜である。気管支なので、左右1対ある。筋肉で気管支を絞ったり緩めたりして、そこを通る空気の流れを調整し、気管支の内側にある膜の圧力を変えるのである。このことで、左右の鳴管を通る空気に渦を作り、渦の振動が左右異なる音となり、鳥のさえずりができるのだ。あれ、ここまでは真面目ではないか。
 ボブとラーセンは、太めのストローをたくさん買ってきて、切り込みを入れたり組み合わせたりしていた。ストローを吹くとかすれた音がした。「ラーセン、俺たちに必要なのは薄くて丈夫な膜だ」「ボブ、それは薬局に売っているあれか?」「そうだ、まだ薬局はやっているか?」ということで、このおっさんらは二人して薬局に行き、コンドームを買ってきた。そしてコンドームを小さく切って、アロンアルファでストローを斜めに切った内側に張り、プーと吹いてみるとなんと、小鳥のさえずりらしき音が出てきたのである。彼らがこのことを論文にしたかどうかはしらない。まあ、したんじゃないかな。
 ところが、その人工鳴管は長持ちしなかった。コンドームがアロンアルファで溶けてはがれてしまうのである。ボブにとって「コンドームはアロンアルファで溶ける」ことがよっぽど面白かったらしく、メリーランドに戻ってきて、女子学生がいるところでこの話を何度もするものだから、俺はひそかに注意をしておいた。そんな話してると首が飛ぶぞと。ボブは、「いや、俺は研究の話をしているんだ」と言うが、研究の話をそんなに好色な顔で何度もするものではない。仕方がないから、俺はその話を詳細に聞いてやった。だからこんなエッセイが書けるのである。ボブもいい歳になり、会う度にこの話をするのだが、優しい俺は楽しそうに聞いてやっている。うん、これはスケベ話というよりは茶目っ気のある話だということにしておこう。
 次は怠け者の話だ。ボブは2年に一度しか講義をしない。比較心理学と題した彼の講義では、彼自身が勉強したいトピックが参加学生の数と同じだけ(とはいえ10人くらいだが)リストされており、参加学生はその中から1つのトピックを選び、関連論文を20本読み込み、1つのストーリーとして発表をする。講義と言っても、学生の発表を聞いているだけなのだ。そしてけしからんことに時折居眠りをしているのだ。ボブはこうやって自分自身の講義をさぼり、学生にやらせ、そして自分は論文を読まずに済ましていた。これは大変役に立った。後年、俺自身が教員になると、ボブのやり方を踏襲させてもらっている。講義中、「先生、寝ないで下さい」と学生に叱られたこともある。俺は少なくともボブを叱りはしなかったが。
 そして猜疑心の話。ボブは自分の居室を当然持っている。しかしあるとき、自分の学生がしっかり研究しているのかどうかが心配になったらしく、実験室の入り口にでかい机を置き、学生の出入りを見張るようになった。俺は今でもそうだが、当時も夜型で、早くて午前10時ころ、遅くて午後2時ころ研究室に現れた。するとボブは「よ、おはよう」と皮肉たっぷりに俺に言うのだ。そしてまれに午後3時ころ帰ろうとすると「おまえ、銀行員か?」とまたもや皮肉たっぷりに言うのだ。早く帰る奴のことを英語で銀行員と言うのである。トイレに行くにも「どこ行くんだ」といちいち聞かれる。同僚のトムは内縁の妻のステファニーに電話するとき、研究室の電話を使うと「電話は仕事だけ」と耳元でささやく。俺たちはいいかげんいやになり、ボブに直談判した。「あんたがそこに座っている限り、俺たちは実験しない。自分の居室に帰りなよ」と俺がたどたどしい英語で言うと、ボブは割としょんぼりして、「いいよ、わかったよ、居室に戻るよ」と言うのであった。ボブが関所番をしていたのはほぼ1ヶ月であった。たぶん彼自身も自分の仕事が進まないので潮時だと思ったのだろう。
 最後に寂しがり屋の話だ。ボブの研究室に入ってから9ヶ月ほど経った初夏、ボブは俺たち学生に「カヌー旅行に行こう」と言い出した。なんでも、ボブが育った研究室でも、毎年初夏にカヌー旅行に行っていたそうで、自分が研究室を持ったらぜひともやってみたいと思っていたそうだ。俺以外の学生・スタッフは「そりゃ楽しそうだ、いくべ、いくべ」と大騒ぎだったが、集団行動が嫌いでスポーツの苦手な俺は、「行かない」と答えた。それから2週間にわたり、ボブは俺を説得し続けた。この男、研究室の全員が行かないのが寂しいのである。説得のため、俺を昼食に誘い、例のオニオングラタンスープを振る舞うのであった。俺はスープのうまみとボブの熱意に負け、「まあ、行くか」と思うようになった。
 カヌー旅行では、俺は学部生のボブ・クラインと同じ船に乗ることになった。彼もボブなので、区別するために「リトル・ボブ」と呼ばれていた。小デュマかよ。リトル・ボブは名前の割には背が高く、しっかりとした青年だったので、俺が漕がなくてもカヌーは進むとボブは考えたのだろう。果たして、俺たちのカヌーは進水して2分ほどは順調だった。しかし、水の流れが急に激しくなるところにさしかかり、俺が慌ててオールを振り回したものだから、カヌーは転覆してしまった。カヌーに乗るにはライフベストをつける。そして転覆したら、カヌーを救うより我が身を救い、カヌーは流してしまって後で業者に回収してもらうべきなのだ。だが、ボブの熱意にほだされてここまで来た俺は、カヌーを救うべくジタバタして、トム、シンディ、ボブ、キャビンとみんなが川に飛び込み俺とカヌーを救ってくれた。そして俺は、友情を感じると共に、やっぱりカヌー旅行なんてこなきゃよかったと後悔したのであった。俺はその翌年以降カヌー旅行には参加拒否した。俺の運動音痴を理解したボブは、もうそれほど熱心には誘ってくれなかった。それは少し寂しかった。寂しがり屋なのは俺だったのか。
 まあそんなこんなで、俺はボブの研究室で6年近くを過ごした。上智大学の青木清先生のところで博士研究員になることが決まり、引っ越しの準備を進めた。俺はボブの研究室の実験制御プログラムをすべて書いていたのだが、俺が愛用するFORTHという逆ポーランド記法のプログラム言語は、俺以外誰にも学ぶことができなかった。このままでは俺の帰国と同時にこの研究室は機能停止してしまう、と危惧した俺は、実験制御プログラムをすべてC言語で書き換えることにした。この作業を、俺は帰国の飛行機が飛ぶ3時間前までやっており、ぎりぎりで間に合ったのだった。実はボブの研究室では、俺より1月早く、トムが卒業してテキサスの大学に移っていたので、研究室に残っていたのはスーザンとベスだけだった。どちらも俺の2-3年後に入ってきた学生である。研究室はちょっと寂しくなるだろう。ボブの部屋に挨拶に行くと、ボブは「トムは研究室の心だった。おまえは研究室の頭脳だった」と目を潤まして言った。俺は「大丈夫、プログラムは全部C言語に翻訳して、動作チェックもしたよ」と伝え、握手をしてボブと別れた。「ああ、おれはどちらかというと研究室の心のほうがよかったなあ」とぼやっと思いながら、研究室を出て行った。空港まではスーザンが送ってくれた。俺が泣けたのは、飛行機が離陸してからであった。1989年5月だった。
 飛行機は飛び立ったが、俺としては次回も留学生活の話を続ける予定である。よろしく!

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「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

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“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹