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おかぽん先生青春記

 前回は、トム・ロビンズの小説をスーザンに貸したところまで語った。トム・ロビンズの小説は日本ではほとんど知られていないが、少なくとも2つは翻訳されている。「カウガール・ブルース」と「香水ジルバ」である。前者はユマ・サーマンの主演で1993年に映画化されているから、それなりに売れたのであろう。後者が、僕がスーザンに貸した小説である。1984年の出版なので、ペーパーバックになってすぐ、僕はこれを読んだのだと思う。
 この小説では、ビートという野菜が重要な役目を果たす。主人公のひとりであるプリシラの窓辺に、なぜか届けられる野菜である。これまでビートとは赤カブのことだとばかり思っていたが、今調べてみると、これは赤カブとは異なる野菜であった。僕は小説のエピソードにあやかり、ビートを買ってスーザンの部屋の玄関に届けた。翌日、スーザンはビートでスープを作ったからと言って、僕を招いてくれた。1980年代、小説のエピソードにあやかって距離を縮めるという方法は、まだ有効であったのだ。その頃、マドンナが主演した「スーザンを探して」という映画があった。これもまた、僕は小ネタとして使い、まんまと一緒に映画も見に行ったのであった。
 そうして僕とスーザンは仲良くなり、週に1度は互いを招待して夕食を共にした。僕はこのため、料理の本を買って何種類かの品を作れるようになった。時にはピザの宅配を利用したこともあった。しかし当時は、ピザを食べながら借りてきた映画を見るような文化はなく、互いの料理やピザを食べながら、ひたすら語りあったのであった。おかげで僕の英語は、トムといたずらの画策をすること、ボブと実験について議論すること以外の用途にも使えるようになった。
 スーザンは研究を続けて大学教員として働きたいという希望を持っていた。だから、セキセイインコの聴覚世界を心理行動実験で再構成するというテーマには希望をもって取り組んでいた。そのため、データ分析のための数理的手法もよく勉強していた。しかし、スーザンはプログラミングが弱かった。僕はそのころ、ボブの研究室の多くの実験の制御プログラムを書いていたので、研究成果に僕の名前が載ることが多くなってきた。実験の制御プログラムを書くということは、その実験の具体的手順を作り上げることであり、研究の重要な部分である。スーザンは僕の名前の載った論文が出るたびに、「不公平だと思う」とつぶやいた。だからと言って、スーザンは僕からプログラミングの技術を習おうとしなかった。
 それでも僕たちは夕食を共にした。僕はギターを、スーザンはバイオリンを弾いたので、パガニーニ(19世紀に活躍したバイオリニスト。超絶技巧を持っていたとされる。友人・恋人にギタリストがいたため、ギターとバイオリンのための二重奏曲をいくつも作曲している)の曲を何曲か練習して合わせてみることもした。シューベルトのアルペジョーネソナタ(アルペジョーネという今は絶滅した楽器のためのソナタ。現代ではチェロで弾かれることが多い。マイスキーとアルゲリッチの演奏は絶品である)を、スーザンがバイオリンでメロディーを弾き、僕がピアノのパートをギターで弾き合わせたこともあった。
 このように、僕はスーザンと付き合うため、非常に背伸びをしていた。英語で書かれた面白そうな小説を探して読み、スーザンに貸した。つまらない小説だと、「これつまらない」とすぐ返されてしまうので、厳選する必要があった。野菜と肉のバランスを重んずるスーザンのため、料理の技を磨く必要があった。スーザンのバイオリンと合わせるため、ギターを猛練習した。そして研究室のことを話題にしないで済むよう、話題にしたとしても僕の論文が増えることが「不公平だと思う」と言われないよう、より抽象的またはより具体的な話になるように、注意深く話した。このように、スーザンと共にいるための「仕込み」のため、僕の研究時間は減っていった。ボブは事態を察して「おまえ、所帯をもったのか」などと僕をからかった。からかわれているうちは良い。しかしこの分で行くと、叱られるだろうなあと漠然と思っていた。
 スーザンの部屋にはオカメインコが住んでいた。これは、僕が聴覚計測の実験に使ったあと、スーザンの家にもらわれて行った鳥であったので、僕にも非常に懐いていた。僕とスーザンがアルペジョーネソナタを弾いていると、彼なりの声部でうたうのであった。彼の名前はジャックと言った。ジャックは半年ほどスーザンの家にいたが、ある日突然血を吐いて死んでしまった。僕たちは、アパートの裏にあった広大な公園にジャックを埋めた。
 スーザンはジャックの後、やはりオカメインコを飼いたいと言い、僕たちはペットショップで2代目のオカメインコを買った。名前はモルデンとした。モルデンはスーザンにも僕にも懐かなかった。そして僕とスーザンの間も少しずつ変わっていった。スーザンは大学のアパートから出て、一軒の家を何人かでルームシェアして住み始めた。僕らの夕食会はだんだんと頻度が減っていった。スーザンはモルデンが懐かないからと言って、ペットショップに返品してしまった。こうして、ボブに叱られないうち、僕たちの「所帯」は消えてしまった。
 仲良かった頃でも、僕とスーザンは週に一度は口げんかをしていた。英語で口げんかをするのはとても難しい。しかも、このような場合、口げんかに勝たないように、でも負けないように口げんかしなければならない。僕の英会話力はこの関係のおかげで、実用的なものになったのだと思う。あのままうまくいっていたら、と考えたこともあったが、それほど長くは続くはずはなかったのだ。僕がスーザンのための「仕込み」に時間を費やしすぎ、スーザンが僕の論文をねたましく思っている限り。しかしあの頃は、自分の研究を止めてスーザンを支えて生きていくのでも良いとさえ、確かに思ったこともあったのだ。
 1989年、僕が博士の学位を得てメリーランドから日本に戻るとき、空港まで送ってくれたのはスーザンであった。我々はハグをして別れた。その2年後、スーザンも学位を取ってメリーランドを去り、南カリフォルニア大学で研究員となった。僕が学会でカリフォルニアに行った折、スーザンは僕を下宿に招いてくれた。僕はこの機会をどう捉えてよいのかわからず、夜中までおしゃべりをして、そしてただ寝た。スーザンも同じ気持ちだったのだろうか。スーザンは翌朝、こういうのをfear of commitmentって言うんだよ、と教えてくれた。その後、僕は僕の研究に邁進し、気がつけば彼女の居場所は見つからなくなっていた。スーザン・ブラウンはアメリカの女性としてとても多い名前だ。それにもう、ブラウンさんかどうかもわからない。たぶんもう会えないのだろう。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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