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小さい午餐

 涼しくなってきた。山にある公園にきのこを見に出かけた。屋内より屋外の方が、都会より田舎の方がより人の密度が低いだろうという判断だが、皆が同じようなことを考えていたりもする。先日同様の目論見で滝を見に行ったところ、滝壺にはもう秋だというのに果敢に水着姿の子供たちが大量に遊び、河原にはびっしりレジャーシート、その上にはぎっしり大人たちが座って飲食しており我々は早々帰宅した。誰も悪くないのに誰かに悪態をつきたい気持ちになった。好天に恵まれた連休中のキャンプ場大混雑という記事も見た。写真を見るとトイレは長蛇の列、テントサイトにぎっしり色とりどりのテントが並んでいる。やっぱりねえ、そりゃそうだよねえ、わかるよ、わかるけど…とはいえまあ、きのこが生えていそうな林道が立錐の余地なく人々に覆われているとも思えない、思わないよね、思わない思わないと家族で言いながら出かけた。
 自宅から車で少し行った場所にある山の公園には遊具のある芝生広場や造成された庭、人工小川(夏には水遊びができる)、売店や食堂などを有するレストハウスなどがある。それらがその公園のメイン施設なのだが、さらにその辺縁には簡易的に道が整備されただけの林の中の道もあって、森林浴や樹木・野鳥観察など用の散策路として案内されている。この先は行くなという鉄条網が急に現れてちょっとぎょっとさせられたりするものの、マムシに注意という古びた看板もあるものの、基本的にはそんな切り立ってもいない、でも木陰涼しく空気はフィトンチッドに満ち、足元にはちょっとした沢も流れてあちこちから野鳥の声が聞こえる、そういうあたりにきのこが生えているのではという計画だった。私も私の子供も、食べ物としてのきのこは苦手なのだが、図鑑や生えているのを見るのはとても好きだ。田舎なのでちょっとした庭先や公園の植えこみの下や畑などにきのこは普通に生えている。白いの黄色いの茶色いのが、すうっと、あるいはむくっと生えているのを見ると不思議な感じがする。なんだかいつもの景色にありえないものが合成されているような感じさえする。その都度図鑑で調べてみるのだが、きっぱりこれだとわかったことはほぼない。この仲間かな? と推測する程度で、だから山などで採取したきのこを食べる人はよほどの達人なのだろうと思う。
 公園に到着したのは10時頃だった。まず開けた芝生広場に行くとそれなりに人がいた、が、近所の児童公園とかより圧倒的に広いので密度はそうでもない、いやどうだろう、遊具あたりちょっと濃いかな…ボールを蹴っていたり捕虫網を振り回していたり遊具に登っていたりする子供子供子供、もちろん大人もいる。一緒に遊んでいたり、抱っこ紐で赤ん坊を抱いていたり、簡易テントやタープ、レジャーシートなどで陣地を作りくつろいでいる人もいる。火気厳禁なのでバーベキュー始め煮炊きをしている人はいない。
 子供はきのこよりまず遊具がいいというので、まあそうだろう、しばらく広場で遊ぶ。小型犬を連れてきてリードをつけたまま走ったりボールを持って来させたりする女性2人組が現れ、年かさの女児を中心とした子供たちがわあっと近寄って撫でたがった。焦げ茶色の小さいおそらくトイプードルだった。複数の親子が連れ立っているグループがおり、木陰の一隅にベンチを囲むようにレジャーシートを敷き簡易テントも設けている。母親たちはベンチに並んで座ってなにか話している。こういうとき連れ立っている母親たちの服装はたいがいどこか似通っている。子供たちはアスレチック遊具を中心に鬼ごっこをベースとしたらしい、が、ただの鬼ごっこではない独自ルールがある風の遊びに興じている。芝生を歩くと小さなヒシバッタらしいバッタが無数に跳び上がる。うんと大きなショウリョウバッタもいる。捕まえようとしたが逃げられチキチキ鳴きながら意外なほど遠くに飛んで行った。芝生のところどころに黒い丸い糞が落ちている。兎糞のように小さい丸がいくつも固まっていてこれはおそらく狸のだ。もう表面は乾きかけているらしい色艶でそう不潔にも見えず実際子供らは気にせずその上をふみしだき走り回っている。芝生から高さ1、2メートルあたりの空中には薄茶色のトンボがたくさん飛んでいる。空中についっと止まったり急発進したりふわふわ飛んだりして、それを子供たちの白い捕虫網が追いかける。ときどきは首尾よく捕まるらしく、その度に兄弟らしい子供が母親を呼び、どうも、捕虫網に入った状態から虫ケースに移すのは自分たちの手に余るらしい。母親は「自分でやりなよー」と言いながら捕虫網の半ばを捻るようにしてトンボが逃げないよう確保しケースに移してやっている。「持って帰んないからね。帰るとき放すんだからね」「わかっとるって」「わかっとる!」兄弟が同時に答える。2人ともよく日焼けしている。兄は赤、弟は紺のカープ帽子をかぶっている。
 狸の糞塊の粒と粒の隙間がきらっと光った。しゃがんで見ると虫がいた。甲虫、丸みのある甲羅に縦筋が幾つも入り緑の金属光沢を放っている。糞虫だ、小さい、多分なんとかコガネとかいうやつ、慌てて捕まえる。動きはそこまで速くない。乾きかけた糞の隙間に指を入れてつまみ上げる。甲は固く見た通りの丸みが手のひらに感じられる。ひげ状の触角が短く、頭部に平らなヘラ状のものがついていて多分ここで土とか掘るのだろう。全然汚い感じがしない。甲羅の光沢とその光の奥にある色が信じられないくらい美しい。緑をベースに、紫やオレンジにも見え、ときどきちょっと透けているようにすら見える。手に載せていると、足の棘はさほどでもなく痛くはないが、逃げないよう軽く握る皮膚や指と指の付け根の隙間を頭でぐいぐい押す力がとても強い。ギュウギュウ鳴いている。夫と子供を呼んで見せ、写真を撮ってから逃す。私は手を洗うためトイレに行った。汚いものを触った気は全然しないが野生動物の糞の中にいた虫を素手で触ったのだからよくよく洗うべきだろう。広場隅のトイレから出ると芝生に人はさらに増えており、登山用杖とバックパック姿のやや年配の人々のグループ、中型犬を連れた家族連れなども芝生に位置を占めている。おかーさーん、ポカリーと言いながら子供が簡易テントに走りこんでいく。「おれもー」「うちもー」我々はお昼を食べることにして3人でレストハウスに向かった。
 昼どきには少し早いためか人は少なく、1組がうどんを食べ、1組が料理を待っているらしく座っているだけ、どちらも中高年の男女連れだった。広場にたくさんいたような家族連れはお弁当持参なのかもしれない。でも、ああいうグループでそれぞれお弁当を持ってくるとなると緊張するなあ、いっそコンビニ弁当とかを一律で買った方が気楽かもしれない。感染症対策で席数を減らし席間も開けているから机や椅子を勝手に移動させないでくださいという趣旨の張り紙がしてある。だから余計にがらんとして見えるのかもしれない。メニューは月見やきつねなどのうどん類、ラーメン、カレーライス、牛丼など、価格は素うどん350円からカレーライスの大盛り600円、コーヒー250円、おにぎり1つ150円、全て食券制、こういう行楽地の食堂によくある、カウンターに食券を差し出すと小さい札がもらえて、その後、調理が終わったらその札の番号で呼ばれる仕組みになっている。子供が肉うどん、夫がきつねうどんとおにぎり2つ、私はラーメンにした。券売機の前の床には最近よく見る足型シールが1メートルくらいおきに貼ってあって、『ソーシャルディスタンス確保のためシール位置でお待ちください』と書いてある。券を買ってカウンターに出し21番の木札をもらった。1メニュー1枚ではなく1家族に1枚のようだ。カウンター内の調理スペースには銀色のシンク、鍋がかかったコンロ、刻みネギや天かすや福神漬けなどが入った容器が並んだ作業台があり、揃いの緑のベレー帽に白衣の女性たちが3人立ち働いている。大きな寸胴はカレー鍋だろうか。うどんつゆのらしい鍋からは薄い湯気が立っている。食券はまっすぐ調理台に並べられる。カウンターには七味、一味、塩胡椒に醤油にソースなどがまとめて置いてあり、割り箸、スプーン、子供用食器などが入ったかごもある。セルフサービスの水をとる。プラスチックのやや茶色がかった半透明のコップは表面が少しざらっとしている。壁は一面が全面窓になっていて山が見下ろせる。ちょうど窓を向いた席が空いていたのでそこに座る。窓は1つおきに開け放たれ秋の空気が入ってくる。窓に野鳥の写真が貼ってある。『公園内で観られる鳥たちです』と書いてある。建物のすぐ脇に植えてある彼岸花が満開だ。赤いのと、初めて見るオレンジがかった黄色いのとがある。黄色いのはなんだかきのこっぽい。彼岸花は葉がなくて茎の上に花だけがあるからそう見えるのかもしれない。「18番のお客様ー」という声がした。18番のお客様は2人とも、ハイキングっぽい格好をしている。ネルシャツの首にタオルを巻いた男性が取りに行き、カウンターのところで受け取りながら席に残っている女性に「うどんに七味どうする」と言った。「お願いします」席で老眼気味の角度でスマホを見ていた女性が答えた。首にしわ加工の薄い布のストールを巻いている。男性はカウンターに並べてある調味料からおそらく七味を取り上げて振ったのだろう。少しの間合いでお盆を席に運んできた。真四角で銀色の、どこか給食っぽいお盆にはうどんの丼とカレーライスが載っている。福神漬けの真っ赤がちらっと見える。「ありがとう」と女性が言った。男性は「七味、こんなもんかいの」「ちょうどいい、ちょうどいい」「おう、ほんで、スプーンがいるんじゃ、わしの」男性はお盆を置くとすぐにカウンターに取って返した。女性の分のうどんの箸はちゃんと取ってきていたらしい。「おいしそうじゃない、お父さん」「ほうじゃね。肉もようけ、入っとるね」「ごちそうねえ」男性が座り男女は並んで食べ始めた。「ライスカレー言わんようになったのはいつかいの」「むかしっから、カレーライスって言ってたけどねえ、うちは」「でもテレビやなんか、ライスカレー言いよったろう」「そーうお?」ライスカレー、カレーライス、大学生のころ、所属していたサークルの演奏会で後輩が、ライスカレーかカレーライスかという繰り返しのある曲を演奏していたなあ、琴と三味線で、と思い出す。あれは古い曲だったのかもしれない。「21番のお客様ー」声がしたので取りに行く。夫と2人で行こうとしたが子供も行くというので3人で行った。お盆の片方にうどんとそばが、もう1つにラーメンとおにぎりが載っている。箸を3膳と、レンゲを2つ取る。レンゲはエンジ色のプラスチック製だ。子供用の器もとる。ピンクのプラスチックのうさぎ柄のお椀だった。子供に箸類を持たせ、大人が1つずつお盆を持って席に戻る。
 ラーメンには巻いて成形したチャーシューとメンマと青ネギが載っている。麺は黄色くて細く、スープはかなり薄い茶色、丼は白い焼き物を模した色のプラスチック製、その全てがこういうところのラーメン、という感じがする。うどんとそばは黒い丼に入っていて、油揚げは真四角、肉うどんにはちりちりに煮た牛肉が載っている。あとはどちらにも縁がかなり濃いピンクのかまぼこ1枚とワカメと青ネギ、おにぎりは真ん中に帯のように海苔が巻いてあるタイプで、まっ黄色いたくあんが添えてある。いずれも、そうそうこういうところのこういうやつ、そう、という見た目をしている。子供がいらないからといって私にかまぼこをくれたので少し驚いた。育てておいてなんだが、未だに子供がなにを好きでなにを嫌いなのかよくわからない。今まで好きだったのが嫌いになってびっくり、ということもあるが、どうもずっと嫌いなものに私が気づかないでいたようなケースもあるらしく、そういうとき子供はうっすら呆れたような様子でこれ嫌いなんだけど…嫌いにもグラデーションがあるし、同じ食品でもメーカーや調理法でいけたりいけなかったりもするだろうし、まあそういうこともあるのだが、え、かまぼこ、嫌いだったっけ? 「うんきらい」単に私はかまぼこをあまり買わないからかもしれない。かまぼこを買うならがんすか中に玉ねぎとか入ったちぎり揚げかさつま揚げを買う…え、ああいうのも嫌いだったっけ? 「すきじゃない」そういえばそうだったか、あんまり進んでなかったか箸、え、でもカニかまぼこは好物だったはず…「いただきまーす」私の混乱をよそに夫は手を合わせ、子供のうどんを小さい容器にとりわけ始めた。私もラーメンを食べた。麺はつるつるちゅるちゅるしていて、スープはあっさりしていて、チャーシューもメンマもネギもそうそうこういうところのはこう、という味、行楽だなあという感じ、全くおいしい。窓から入る空気から山の香りが、子供にもらったかまぼこからうどんつゆの香りがする。あっ、と18番の男女が窓を指差した。窓のすぐ前にある木に小さい鳥がやってきて鳴いている。「ヤマガラじゃない?」こちらからは逆光で色はよくわからない、スズメくらいの大きさの小鳥だということしかわからない。「ヤマガラだヤマガラだ」2人が確信を持ってそう頷きあっているのできっとそうなのだろう。2人はバードウォッチングに来ているのかもしれない。私と夫はすごくあっという間に自分の麺を食べてしまった。夫のおにぎりは1つが昆布で1つは梅干しだったそうだ。子供も八割方肉うどんを食べ、残した分を夫と私で分けた。いつのまにか来ていた幼児を連れた夫婦が、幼児用イスの子供に小さく切ったうどんを食べさせている様子が懐かしかった。ヌードルカッターも懐かしい。私の子供はもう普通のイスに座って自分で箸で麺をつまんですすることができる。大きくなった。ピンクのかまぼこも切り刻まれて子供用のお椀に入っているのが見えた。
 林道ではそこまできのこは見られなかったが変形菌がたくさんいた。粘菌という呼び方の方が馴染みがあるかもしれない。南方熊楠がキャラメルの空き箱に入れて献上したとか、あるいはイグ・ノーベル賞で迷路を最短距離で通ったとかいう逸話が人口に膾炙しているあのベトっとした感じの単細胞生物、本では見ていたが本物の変形菌を見るのは初めてだった。いや、それまでも風景の中に気づかずに見ていたのかもしれないが、これがそれだと確信を持って見たのは初めてだった。白い泡みたいなの、ピンクの豆粒みたいなの、乾きかけの接着剤みたいなのが朽木の表面や切り口にくっついている。そっと触ると冷たくて柔らかく湿っていた。興奮してたくさん写真を撮ったがいまいち感じが出ないしピントも合わない。でも本当にきれいだね面白いねかわいいね、きのこも変形菌も似たような場所にいるはずだからきのこだってもっとあってもいいのにねなどと言いながら林を出て芝生広場を通り駐車場に向かった。でも変形菌見れてよかったよね。「あっ」と子供が叫んだ。広場の隅のベンチの下に、立派な、童話に出てきそうなきのこらしい形のきのこが生えていた。きのこだ! きのこだ! ベンチの下で影になっているので定かではないが傘の表面は薄赤を含んだ茶色で、裏側はスポンジ状の細かい穴が空いている。高さは10センチ弱くらいだろうか。「イグチ系だね」と夫が言い、子供も私もそうそうとうなずいた。結局林じゃなくて広場にあったんだねえ、きのこ、と言いながら車に乗って帰宅した。図鑑で調べたが、やっぱり、変形菌もきのこもどの種類かははっきりわからない。丸い粘菌は多分マメホコリとかいう種類ではなかろうか、きのこはやっぱりイグチ系だろう、でもそれ以上わからない。同じ公園で来週きのこ探しツアーというのがあると知って問い合わせたがもう定員いっぱいですと言われた。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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