2022年2月9日
前篇 室町時代は「自習の時間」?
『室町は今日もハードボイルド』刊行記念対談
室町時代という「最も日本らしくない」時代の庶民を生き生きと描いて話題となった『室町は今日もハードボイルド』。著者の清水克行氏は、『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』で古代ローマの生活文化を描き続けるヤマザキマリ氏にずっと親近感を持ってきたという。一方のヤマザキマリ氏も、清水氏の同書を「思い込みや予定調和から解放される本」と絶賛。中世日本と古代ローマをとおして人々やその生活文化について考え続けてきたお二人が、コロナ下の日本と世界について縦横無尽に語り合いました。
日本中世の「ステイホーム」
ヤマザキ まさか自分の人生でパンデミックを経験することになるとは思いませんでした。
清水 疫病なんて歴史の年表の中の話でしたよね。皆が疫病のリアリティーを知ってしまったので、これからは創作の中でも疫病の描き方が変わってくるのではないでしょうか。
ヤマザキ そう思います。疫病がどんなものなのかを日本で体験したことにより、この国の過去についても新たな気づきが随分ありました。でも、実は日本は疫病の記録というのがあまり文献に残っていないんですよね。
清水 同じ時期のヨーロッパのペストの記述ほどには残ってないですね。日本の場合は古代にパンデミックが一番多いんです。
ヤマザキ 古代って、いつぐらいですか。
清水 奈良時代とか平安時代ぐらいです。疫病というのは、文明化されたところから未開の地に伝播するという流れがあります。だから遣唐使なんかを介して大陸から無垢な島にウイルスが流れてくると、最初はたくさん人が死んでしまう。でも日本では、天然痘とかはしかの猛威は、平安時代ぐらいまでなんです。鎌倉時代や室町時代になると、ある程度免疫が獲得されるみたいで、とくにはしかは小児病化していく。
ヤマザキ すばらしい。でも、それだけ時間がかかるっていうことですか。
清水 そうですね。だから同じ時期に全く無垢だったアメリカ大陸は、大航海時代に一気にヨーロッパと接触したことで大変なことになるわけです。ものすごい数のネイティブ・アメリカンが、ヨーロッパ人の持ち込んだ疫病で死んでしまう。日本は島国ですが、大陸と距離が近かったし、交流もあったので、古代の数百年をかけて、じわじわ抗体ができあがっていったみたいです。
ヤマザキ 地理的条件はまず念頭におくべきことかもしれませんね。14世紀にペストが流行った時、ヴェネツィア共和国は来航した船を40日間港外で待機させました。これが検疫を意味する「Quarantine(40日間)」の語源となります。日本においても、検疫制度をつくった後藤新平には、やっぱり海で食い止めねばならないという意識がありました。でも島なら封じ込められるのかというと、そうはいかない。どういうわけか、結局どこからか入ってくる。
清水 ええ。戦国時代に日本に来たポルトガルの宣教師が、長崎県の五島列島のある島に、変な風習があると書き残しているんです。天然痘にかかると、その人は一カ月間、山の小屋に住まなきゃいけない。治った後も何日間か殿様の前には出ちゃいけないという。
ヤマザキ それはちなみに誰の記録によるものですか?
清水 ルイス・フロイスの『日本史』に出てくる記述です。大したことない病気なのにそんなことやっていて、迷信に縛られた変な島だという、ちょっとばかにした書き方なんです。つまり、当時のヨーロッパでは天然痘は当たり前の病気になっているけど、日本のとくに島嶼部では下手をすると全島壊滅につながりかねない危険な病だった。今度のコロナ・ウイルスでも、離島での蔓延がいちばん危惧されましたよね。なので、今で言う「隔離」とか「ステイホーム」みたいな独自対応が、当時から慣習としてあったようです。
ヤマザキ なるほど、面白いですね。欧米人ならではの、エキゾチズム的先入観もあるのでしょうね。私の夫はもともとシカゴ大学にいたんですが、シカゴ大学の図書館にはポルトガル語とイタリア語で綴られた、かなり膨大な量のイエズス会の当時の文献を読むことができるらしいのです。比較文学をやっている夫はポルトガル語文献の研究をしていたこともあって、これらの記録にはまった時期がありました。ついにはイエズス会のヴァリニャーノという宣教師について、論文とフィクションが混ざったような本まで出版してしまったんですけどね。かなり興奮していました。
清水 僕は外国語がぜんぜんダメなんで、外国語文献が読める人がうらやましいです。そういえば、当時の宣教師が書いた『懺悔録』という書物があるんですよね。キリスト教だと懺悔という習慣があるじゃないですか。
ヤマザキ はい。日本のカトリックでは懺悔ではなく「告解」という呼び方で罪を告白します。現在は「ゆるしの秘跡」と言うらしいですが。
清水 戦国時代に日本に来た宣教師たちは、日本の社会とか日本人の考え方を理解しなくてはいけないということで、その日本人の懺悔の内容を逐一書き残しているんですよ。
ヤマザキ 書き残しちゃ駄目じゃないですか。個人情報の流出ですよ(笑)。
清水 恐ろしいことに、それが400年後の今に伝わっているんです。最新版の日本語訳(日埜博司訳)が数年前、八木書店から出たんです。「私は同性愛者です」みたいな告白とか、女の人をとっかえひっかえしている男の懺悔話が赤裸々に語られていて、当時の人びとの生活や思想を考える素材として、こう言っちゃ悪いけど、すごく興味深いんですよ。
ヤマザキ 自分の懺悔がばらまかれたらいやだなあ(笑)。まあ、合理主義的な西洋人らしい。倫理的解釈で捉える以前に、いわゆる一種の観察記録なんでしょうね。それに、その当時の彼らはどうしても自分たち中心に考えたがる傾向があるわけで。世界地図なんかも自分たちの国が中心に描かれるわけだし。
清水 そうそう。彼らにしてみれば、おそらく布教のための情報収集なんですよね。後進が布教するときのためのマニュアルのようなものとして、『懺悔録』がある。まさかそれが400年後に歴史学者に読み解かれるとは、思ってもみなかったでしょうけどね(笑)。
ヤマザキ そうですね。日本の人の傾向を知って考えた対策なんでしょうかね。怖い怖い。
作られた日本人像
ヤマザキ 話をもとに戻しますが、天正遣欧少年使節をプロデュースしたイエズス会の宣教師ヴァリニャーノにしても、その後ペリーと一緒にやってきた外国の文化人たちも、皆日本に対して同じような印象を書き残しています。主なものだと、日本人はミニマルで無邪気かつ天真爛漫。その印象を「子供のよう」と表現している。
清水 なるほど、なるほど。
ヤマザキ 屈託がなくて、好奇心旺盛で、何の警戒心もなく近寄ってくる。さらに、すごくシンプルな家に住んで、一つのものを大事にして暮らしている。
清水 貧しいけど心は豊か、みたいな。
ヤマザキ そうです。その印象がヴァリニャーノの時代からペリーが来たときまで、何世紀経っても変わっていない。
清水 確かに戦国時代だけでなく、幕末や明治の外国人が書いたものも同じトーンですよね。
ヤマザキ 欧州ではそうした記録が長期的に参考にされてきたわけですよね。マルコ・ポーロの『東方見聞録』がその後長きにわたって欧州の人々にとっての東方のイメージとなるように。
清水 ザビエルとかは、ある種、冒険的に布教活動をしますよね。それだけに自分が見つけた島が、いかに布教区として有望かということを本国に言いたいわけです。だから「彼らは頭が固い人間じゃなくて、説明すれば分かる人たちだよ」と言うのは、ちょっと盛っている部分もあるかもしれませんね。
ヤマザキ 自分が開拓したんだという自負もあるでしょうし、あとはやっぱりお金が欲しい(笑)。学術研究でもそういう部分がありますよね。あれこれ斬新かつ有意義と思われる新しいネタを捻り出し、それを掲げて研究費をくださいという。
清水 このフィールドは有望だから、私にもうちょっと投資してください、というやつですね。そういう意味では、やっぱりちょっとバイアスが入っているんでしょうね。
ヤマザキ 入っています。私も外国に長く暮らしていると、「お前は本当に日本人なのか、態度が全然違うじゃないか」って言われることが度々ありますけどね(笑)。
清水 ステレオタイプってありますからね。
ヤマザキ たとえばアメリカで暮らしている日本人女性が全員、引田天功やオノ・ヨーコみたいな人なのかと思われると困りますよね(笑)。
日本人は本当は凶暴?
ヤマザキ そういう先入観のひとつに「日本の人は日常では言い争いや喧嘩をしたがらない穏やかな民」というのがあるようなのですが、それについてはどう思いますか?
清水 どうなんでしょう。そのイメージとは全然違う日本を書いたのが、今回の本(『室町は今日もハードボイルド』)なので。
ヤマザキ 日本は島国だから、喧嘩すると後で不利になるから喧嘩したがらないと説明がされたりしますよね。
清水 狭い社会で、その後も顔を合わせなきゃいけなくなるからですよね。
ヤマザキ これもまた地理的条件がいかに人格形成に影響するかという話だと思うんです。宇宙飛行士も、寛容で温厚な人たちしか選ばれないと言われてますよね。日本もそうなのかと思ってたけれども、これを読んだらやっぱり全然違うじゃないですか。やたらめっぽう殺してるじゃないですか、もうばりばりに。
清水 中世というのは豊臣秀吉が刀狩りをしようとする前の時代なので、当然のように百姓も商人もみんな刀を差していたわけです。自力救済の世界で、暴力には暴力で対抗するのが当たり前。だからみんな凶暴だし、ハードボイルドな時代だったわけです。
ヤマザキ この本の中に出てくる村同士の戦いの話なんて、古代ギリシャの戦闘国家、ポリス同士の戦いと、とても似ていると思いました。
清水 今は隠れ里として知られるびわ湖畔のある地域で、東京ドーム程度の広さの土地をめぐって、二つの村の村人たちが150年間戦争を続けるという話なのですが、スケール的には同じですかね。
ヤマザキ びわ湖の海賊の話も恐ろしいですよね。
清水 水運業を営んでいた兵庫という青年が、乗客である山伏の所持金に目を付けて、少年を含めた15人を殺害してしまう話です。人の命が軽いですよね。
ヤマザキ 慈悲も何もあったもんじゃない。
清水 この本、ありがたいことに結構多くの方々に読まれているんです。でもそれも、これまで独り歩きしてきたステレオタイプの日本人像に、違和感を抱き始めている人が増えているからじゃないかと思うんです。日本人は穏やかだというけど、ネットを見ると、全然穏やかじゃないですから(笑)。
ヤマザキ そうですよ。恐ろしい。
清水 だから、これを読んで「ああ、やっぱり」って思ってくれる人がいるみたいです。
ヤマザキ 読むとスッとするでしょうね。日本だって怒る人は怒るし、キレる人だっていっぱいいるわけです。さらに日本の社会には宗教的な倫理ではなく、その時々によって実体がアメーバのように変化する「世間体の戒律」というのがある。出る杭は打つというか、世間から外れたものを圧で潰す。
清水 ありますね。僕が最近思うのは、SNSって刀と同じものなんじゃないかなと思って。
ヤマザキ まさにそうですね。
清水 持っていると誰でも人を傷つけることができるわけです。それまでは貴族階級とか支配者だけが武器を持っていて、庶民は言うことを聞くだけだったのが、みんなが腰に刀を差すようになると自己主張できますよね。
ヤマザキ 虚勢を張るには最高のアイテムですよね。
清水 ええ。今は良い時代である反面、誰もが人を傷つけることができるという点で、すごくおっかない時代でもある。その意味では、個々人の暴力をどう規制するか、というのは、時代を超えて現代的な課題でもあるわけです。
中世から引き継がれるメンタリティ
ヤマザキ 私は2020年の1月以来、コロナでイタリアに帰れなくなってしまったので、何十年ぶりにこんなに長く日本にいるんですが、そうすると、「人が自分をどう見ているか」ということを意識して生きていかなきゃいけない社会というものを、切実に感じています。これがなかなか大変。
清水 まさに「世間体の戒律」ですね(笑)。
ヤマザキ ですから、こういう本を読みますと、諸々日本人という民の性質が見えてくるし納得がいくわけです。
清水 日本人も本来は穏やかじゃなかったんだと。
ヤマザキ それもあるんですけど、一方で、こうした過去があったからこそ、今の日本の人の性格に繋がるんだというのも、はっきり見えてきました。とにかく、これだけ長く日本にいますと気になることが増えてしまうのですが、とくに日本の女性は独特だと思います。この本にも不倫の話が出てきますよね。
清水 「うわなり打ち」ですね。
ヤマザキ 女が浮気をした夫を責めないで、浮気相手を責めるという話。
清水 平安中期から江戸前期にかけてあった慣習で、前妻が女友達を大勢呼び集めて、夫の浮気相手や後妻(古語で「うわなり」)の家を破壊し、時には命を奪うこともありました。
ヤマザキ そこのところ、とても日本的と感じたんですよ。かつて日本人の知り合いの女性が、夫に浮気されて私のところに来たんです。これまでにも何遍も浮気されてきたらしいんですけれども、「(浮気相手は)マリさんも知っている人なんで、悪いですけど、その人とのSNSの繋がりを切ってください」って言われて。あなたにとっては不都合な人かもしれないけど、何で私まで関係を絶たなきゃいけないの? となりました。まあ、わからないわけではないけど、都合の悪いものを省くだけでは根本治療にはならないのに、と思ったわけです。
清水 なるほど。
ヤマザキ その後彼女は私との共通の友人に頼んで浮気相手を呼び出して、「うちの夫に二度と会わないでください」って泣きながら訴えたそうです。
清水 仲介に立つご友人も嫌な立場ですね(笑)。
ヤマザキ それなのに、結局、夫には何も言ってない。見て見ぬふり。
清水 え? 肝心の浮気夫をつるし上げてないんですか?
ヤマザキ ないんです。イタリア女だったら、『ゴッドファーザーⅠ』のコルレオーネ家の長女のように相手の浮気を知ったとたん怒りまくって、全身全霊で暴れて家財道具を全部壊したりしますからね。よくご近所の窓の外からも音が響いてくる(笑)。
清水 それも凄いですね(笑)。
ヤマザキ それと、ダメ夫が出てきますよね。浮気がバレたのに、他人のせいにしている夫。そこもなんだか日本的と思いました。
清水 源頼朝ですね。浮気がバレて北条政子に叱られたら、「何で嫁さんに言う前に、俺に言わなかったんだ」と家来を叱り飛ばすという。
ヤマザキ いろいろと進化したはずの現代でも、人々の根底にある性質は基本的にあの当時と変わっていない。だからとても参考になりました。家族って、社会の中にある一番身近な社会組織単位ですよね。だから男女というより、家族という群れをできるだけ長く維持していくために、日本が生みだした独特な気質みたいなものがあるんだと思うんです。
清水 なるほど。「うわなり打ち」の話も、どうしても女性の強さや破壊性を表すエピソードとして考えられちゃうんですけれども、そうじゃないんですよね。実際には男に復讐するのは我慢しているわけですから。
ヤマザキ そう。でも我慢というのもまた起爆的要素を孕んだ怖さを備えてますよね。うちの旦那によく言われます。「普段あんなに言いたい放題の君が時々黙っていると、とても怖い」って(笑)。
清水 確かに。
ヤマザキ イタリア人はコミュニケーションにも風通しの良さを求めるので、内側にあるものは全部開示してほしいというのがあります。
清水 口論というのは、いわば一種のコミュニケーションですからね。ちょっと激烈なコミュニケーションだけど。
ヤマザキ そうです。例えば私の舅と姑がやり合っているのをみて、「頼むから喧嘩はやめてよ」と言うと、「喧嘩じゃないわよ、コミュニケーションよ」と言い切っている。夫婦によるディベートだということらしいんですよ。どう見ても喧嘩なんだけど(笑)。
室町時代は「自習の時間」?
ヤマザキ 世界中どこでもそうだと思うのですが、戦争や紛争が起こるとそれまで想定できなかった行動をとる人が現れたりしますよね。室町時代でも戦国時代でもそうだと思うのですけど、この本を読むとそうした不可解さを紐解くこともできる。
清水 ありがとうございます。混沌とした時代って、ヒーロー不在なんですよね。だから感情移入する対象がないんです。そうすると時代としてあまり面白くないと判断されてしまう。
ヤマザキ なるほど。漠然としちゃうっていうか、焦点が絞れなくなってくるんですかね。
清水 そうです。後醍醐天皇みたいにキャラの立っている人がいれば、その人を中心にして時代を眺められるんですけれども、後醍醐天皇だって決して一貫性があるような人じゃないので、感情移入しにくいですよね。戦国時代になると、織田信長とか豊臣秀吉とかは、様々な創作を通じて我々に身近なキャラになっているので、共感しやすくなるというのはあります。
ヤマザキ 分かります。ヨーロッパの中世もそうです。その時代の傾向というのを表してくれる人が現れないと、どこに重点を置いていいか分からない。
清水 それで多分ずっと室町時代は不人気だったんですよね。
ヤマザキ だからこそ、一般の人々の傾向という形で読んでいったほうが面白いのかなと思ったんです。昨年、NHKの番組(『マッカーサーが来るまでに何があったのか?~市民たちが見た終戦直後の15日間~』)で、終戦からマッカーサーが来るまでの15日間を特集した番組に出たのですが、ある出版社の社長が終戦の日に『日米会話手帳』という本を思いついて、たった1 カ月で出版するんです。ホチキスで止めてあるようないいかげんな作りの本なんですが、みんながそれをこぞって買った。
清水 終戦間際ですか。
ヤマザキ 戦争が終わった直後です。進駐軍が来たときに、どういうふうに会話したらいいか、必要最低限度の英語の会話の読みが仮名で書いてあるんです。それがなんと360万部のベストセラーになったりしたわけです。あとは新宿の商人が、これからはアメリカさんがどんどん観光に来るから観光大国にしてやれって奮起したりとか。
清水 戦争に負けた国とは思えませんね。
ヤマザキ そう。統括する人が消えて誰にもすがれなくなったとき、人は自分の知恵に頼るようになる。それが面白い。
清水 変なバイタリティーが出てくる。
ヤマザキ そう。「今日は自習です」と言われたクラスみたいな感じかな。「今日は先生いないよ」と言われて勉強する人とそうじゃない人とに分割するけど、あれだって自己責任という意識での行動ですからね。
清水 いろんなキャラが飛び出てくる。
ヤマザキ 中世の日本にもそれと同じことが幾度かおこっていたのかと。「今日は自習です」という時間が長く続いたってことなのかと。
清水 なるほど。それが100年ぐらい続くと、室町時代ができあがる(笑)。
(後篇に続く)
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清水克行『室町は今日もハードボイルド』
2021/06/17
公式HPはこちら。
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ヤマザキマリ
1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。
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清水克行
1971年生まれ。東京都出身。立教大学卒、早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。現在は明治大学商学部教授。専門は日本中世史、社会史。著書に『喧嘩両成敗の誕生』 (講談社選書メチエ)、『日本神判史』 (中公新書)、『戦国大名と分国法』 (岩波新書)、『耳鼻削ぎの日本史』 (文春学藝ライブラリー)、『室町社会史論』(岩波書店)、『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)などがあるほか、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)も話題になった。歴史番組の解説や時代考証なども務める。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- ヤマザキマリ
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1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。1984年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2015 年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)、『パスタぎらい』(新潮社)、『扉の向う側』(マガジンハウス)など。
対談・インタビュー一覧
- 清水克行
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1971年生まれ。東京都出身。立教大学卒、早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。現在は明治大学商学部教授。専門は日本中世史、社会史。著書に『喧嘩両成敗の誕生』 (講談社選書メチエ)、『日本神判史』 (中公新書)、『戦国大名と分国法』 (岩波新書)、『耳鼻削ぎの日本史』 (文春学藝ライブラリー)、『室町社会史論』(岩波書店)、『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)などがあるほか、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)も話題になった。歴史番組の解説や時代考証なども務める。
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